Share

第15話

Author: 狼天薄雲
唯は一瞬だけ慌てたが、すぐにいつもの調子を取り戻し、逆に責め立てた。「なんでそんなに怒るの?あの犬、危うく私を噛みそうになったのよ。友達にちょっと愚痴るくらい、何が悪いの?それに本当に毒殺したわけじゃないし」

立て続けの言い訳に、司は言葉を詰まらせた。まるで自分が彼女に悪いことをしたかのような錯覚さえ覚える。

だが、あんな悪意に満ちた言葉を「愚痴」で片付けられるのか?

ふと、結衣がモモを連れて帰ってきた日のことを思い出す。彼女は一度も雑種だからと嫌ったことはなく、自分の手で洗ってやり、毛も整えてやっていた。

そのとき、ポケットの中でスマホが鳴った。

司は雑念を振り払い、電話に出る。友人が切羽詰まった声で告げた。「早く来い!バーの監視カメラ映像が復旧した!」

「わかった」

司は即座に引き返し、唯の呼び止めも無視して現場へ急いだ。もう疲れ切っていた。

信頼できる友人は、司が到着する前に例の映像を用意してくれていた。

司は監視室に入り、再生ボタンを押す。

映し出された光景は、唯の証言とはまるで違っていた。

画面には、からかうようにモモを挑発する唯の姿。そして止めようとした結衣を、逆に侮辱する唯。

司が駆けつける直前、唯は再びモモを挑発し、結衣は彼女が噛まれないよう軽く手を押しただけだった。

決して強く押したわけではないのに、唯はまるでバネ仕掛けのように倒れ、車道近くまで転がっていった――

これが本当に唯なのか。

我がままで目的のためには手段を選ばないことは知っていた。でも、ここまで酷いなんて――

モモは当然、飼い主を守ろうと吠え立てた。

結衣は終始モモをしっかり抱きかかえ、モモは唯に一切触れていなかった。

司は苦しげに目を閉じた。

唯は自分に訴えたとき、その事実には一言も触れず、自分の被害だけを強調した。

司は唯に電話をかけた。

彼女はすぐに出たが、電話に出るなり、文句を言った。「出て行ったくせに、何の用?」

「結衣があのとき、なんでお前を押したのか知りたい」司は初めて、彼女に厳しい口調で迫った。

唯は反射的に反発しかけたが、何かを察して取り繕った。

「私より、あの女と犬が大事なの?あの犬が私を噛もうとしたからよ。あの女は犬をかばって、私と揉めたの。あの犬なんてとっくに毒殺されてるべきなのに、うるさくて迷惑よ」

「犬だって
Continue to read this book for free
Scan code to download App
Locked Chapter

Latest chapter

  • 七年目の裏切り――私は身代わりだった   第25話

    もう金を出すつもりがないのは明らかだった。金も出さない男を、これ以上持ち上げる必要なんてない。唯はそう悟ると、もはや下手に出るのをやめ、遠慮なく罵り返した。「あんたこそロクな人間じゃないでしょ。彼女と付き合いながら、私とはズルズル関係を続けて、『浮気じゃない』って言い張ってたけど、じゃああのときどんな気持ちで私に会ってたのか、言ってみる?浅川唯と結城結衣。自分を色男気取りか何かと勘違いしてるんじゃないの?しかも代わりの女で遊ぶとか。私、まだ死んでないんだけど?」口喧嘩では、唯も負けていなかった。司は言い返せず、胸が大きく上下している。口喧嘩でも勝てないと悟ると、「よく考えて反省しろ」とだけ吐き捨て、慌ただしく拘置所を後にした。……三か月後、司は自分の街に戻っていたが、海城市から一通の招待状が届いた。上質なカードには、結衣と慎一の結婚写真。二人は幸せそうに寄り添い、その笑顔は本物だった。司は初めて知った。結衣には、こんなに美しい一面があったのだと。けれど、もう自分のものではない。その夜、司はバーへ行き、酒で自分を潰そうとした。しかし飲めば飲むほど、頭は冴えていく。理由を知った友人たちは口々に諭す。「別れてもうだいぶ経つんだから、いい加減立ち直れよ。元カノが結婚したくらいで」「まぁ、今後顔を合わせたら気まずいだろうけどな」「海城市から帰ってきてからの三か月、お前ずっとこんな調子だぞ。このままじゃ廃人コースだな……」一言一言が司の胸を突き刺す。彼は氷も入れずに強い酒を瓶ごとあおった。止めようとする友人を振り払い、かすむ視界の中で呟く。「……ここで、完全に彼女を失ったんだ」事情を知る友人が提案する。「なあ、家で飲んだらどうだ?」「家?俺にとってもう、あれはただの建物だ。結衣のいない場所なんて――」言葉はそこで途切れ、司は酔いに呑まれてテーブルに突っ伏した。友人は肩を揺すったが、泥酔しているのは明らかだった。仕方なく、その場近くのホテルの部屋をとり、彼を休ませた。司が目を覚ましたのは二日後。結婚式まで、残り一日もなかった。急いでシャワーを浴び、身なりを整えると、飛行機で海城市へ向かった。それでも、到着は遅すぎた。満席の披露宴会場で、結衣は立会人の問いに「はい」と答えていた。

  • 七年目の裏切り――私は身代わりだった   第24話

    駐車場は広く、ときおり冷たい風が吹き抜けた。結衣は思わず肩を抱く。司は上着を脱いで掛けようとしたが、結衣は首を振って受け取らなかった。「五分だけ」結衣がそう告げると、司は苦く笑う。「わかった。ただ、伝えたかったんだ。全部知ったよ。あいつは俺が思っていたような人間じゃなかった。それでも……お前と一緒にいた時間が懐かしい」本気で後悔しているようだった。だが結衣は静かに返す。「そもそも、あなたが思い描いてた人なんて最初から存在しなかったんじゃない?私にとってあの日々は幸せじゃなくて、傷だったの。今は幸せに暮らしてる。だからあなたも、幻想から抜け出して地に足をつけて」それが結衣からの最後の言葉だった。司の胸が痛む。「じゃあ……慎一さんを選ぶのか?」「考えてる」結衣には嘘をつく理由がなかった。彼がさらに何かを言う前に、結衣は腕時計を見て告げた。「五分経ったよ。慎一さんが戻ってくる」遠くで慎一が戻ってくるのが見えた。本当に一秒も違わず、きっかり五分で。結衣は振り返らずに歩き去る。司はその背中を見送り、視界から消えるまで立ち尽くしていた。慎一は結衣を車に乗せ、ひとつの知らせを伝えた。「実は、さっきの電話は客じゃなくて警察からだった。この前話してた事件、覚えてる?妻が夫を訴えて、愛人に婚姻中の財産を移したってやつ」「覚えてるよ。裁判に勝ったんじゃなかったの?何かあったの?」「うん」慎一は柔らかい声で続けた。「妻の取り分の共同財産は取り返せたんだけど、夫の外にいる女がかなり派手に暮らしててね。世界一周旅行のときに全部使い込んで、もう返す金が残ってないんだ」その話に、結衣はふとある人物を思い出し、尋ねた。「それで最後はどうなるの?」慎一は穏やかに説明を続ける。「裁判所が彼女名義の財産を差し押さえる。それでも足りなければ、あとは服役しかない。さっき警察から電話があったのは、彼女が逃げようとして捕まったって知らせだった」「借りたものは返す。当たり前よ」結衣は淡々と答えた。慎一が問いかける。「誰か、知りたくない?実は君の知り合いだ」結衣は彼のやけに柔らかい表情を見た時点で察していた。「もういいよ。帰りましょう」「そうだな。もう終わったことだ」慎一は結衣の手を握り、「祝杯でもあげるか?」と笑った。…

  • 七年目の裏切り――私は身代わりだった   第23話

    数日後、結衣は人気作家として、海城市のテレビ局で行われるインタビュー番組に出演することになった。ようやく「正真正銘の恋人」という立場を手にした慎一は、その機会を大切に思い、車で送っていった。結衣も彼の気持ちをわかっていて、事前に観覧席のチケットを用意し、観客として彼が下で見守れるようにしていた。少し前のサイン会で結衣が口にした「もう別れた」という言葉は、大きな波紋を呼んだ。今回のインタビューでも司会者は当然その話題を逃さず、遠回しに探りを入れ続けた。「結城先生の読者なら皆さんご存じですが、この本は長年にわたるあなたと恋人の愛の道のりをまとめたものですよね。執筆中、彼からたくさん支えを受けたのでは?お二人はきっととても仲睦まじいのでしょう?」「そうでもありません」結衣は司会者の意図を理解していたが、はぐらかすことなくはっきり答えた。「この本を書いていたとき、甘いと感じていたのは私だけでした。結果はうまくいきませんでしたけど、それも経験の一つです。私にとっては――」そのとき、観覧席入口から声が飛んだ。「待ってくれ!」会場中の視線が集まり、ざわめきが広がる。ただ一人、慎一だけが来た人物の正体を知っていた。やつれ果てた司だった。「結果は、まだ変えられる」司は舞台上の結衣を見上げて言った。「結衣、やり直そう。本の中だけじゃなく、現実でもこの物語をハッピーエンドにしよう」かつて人前で頭を下げることなど決してしなかった男が、大勢の前で必死に許しを求めていた。以前の結衣なら胸を打たれたかもしれない。だが今は、ただ煩わしいだけだった。司会者は面白がってこの状況を止めず、カメラマンに合図して映像を切り替えさせた。観客席のささやきはもはや抑えがきかず、堂々としたおしゃべりになっていた。「リアルで元カノ追いかけるとか、ドラマかよ」「顔は悪くないけど、こんなふうに押しかけてくるなんて執念深すぎ。そりゃ別れるよ」「こういう人は恋愛だけならいいけど、結婚向きじゃない。前にサイン会で見たあの人のほうが絶対いいよね」結衣はその声を全部聞いていたが、表情ひとつ変えず司会者に向かって言った。「すみません、警備を呼んでください。このままじゃ番組が続けられません」司会者は仕方なく警備員を呼び、司を速やかに外へ連れ出させた。茶

  • 七年目の裏切り――私は身代わりだった   第22話

    慎一の声に、結衣は遠い記憶を呼び起こされた。もしかしたら今の自分は、回り道から正しい道に戻っただけなのかもしれない。一方その頃、司はマンションの下で一晩中待っていた。結衣が帰宅したら、せめて窓からでも顔を出すだろう。そうすれば二人きりで話せるチャンスができる――そう信じて。だが結衣は一度も姿を見せなかった。まるで彼の存在など忘れてしまったかのように。ここまで冷たくされたのは初めてだった。それでも司は本当に一晩中、立ち尽くしていた。立っていられなくなると、キャリーケースに腰を下ろしながら。夜が明け、結衣と、初めて結城家に泊まった慎一が一緒に下りてきたとき、ちょうど司の憔悴しきった顔と目が合った。一夜が明け、温室育ちのように何不自由なく生きてきた司は、まるで一皮むけたようにやつれていた。顔色は真っ青で、立ち上がるときも体が揺れる。「結衣……」かすれた声は、必死に縋るようだった。「監視映像を見た……俺が誤解してた」結衣は足を止めたが、彼を見ようとはせずに答えた。「私の潔白を証明してくれて、ありがとう」皮肉にも聞こえるその言葉。そもそも彼女は何も悪いことをしていない。司はわずかな希望の気配を感じ取り、さらに言葉を重ねた。「もう一度だけ……俺を許してくれないか?今すぐプロポーズする。俺たち――」「桐谷さん、もう私に関わらないでくれる?」冷淡に遮られた言葉に、司は言葉を失った。結衣はとっくに何度も彼にチャンスを与えてきた。だがその度に裏切られ、もうやり直す機会はなかった。それでも追いすがろうとした司の前に、慎一が立ちはだかる。「僕たちには用事がある。君は来ないほうがいい」司は慎一を恋敵と見なし、たちまち目を吊り上げて睨みつけた。だが慎一はまるで意に介さず、ただ彼の両親の顔を立てて一言だけ諭した。「もうこんなことで時間を無駄にするな。帰れ」そう言って慎一は、結衣のために車のドアを開けた。彼女がシートベルトを締めるのを待って、運転席へ回る。車は走り去り、司だけが取り残された。どれほど時間が経っただろうか。名前を呼ばれて振り返った司は、一瞬だけ結衣が戻ってきたのかと思った。しかしそこに立っていたのは、唯だった。今、一番会いたくない相手だった。「何の用だ?」唯は媚びるような笑みを浮かべ、歩み寄ってき

  • 七年目の裏切り――私は身代わりだった   第21話

    「お前たち、いつから付き合ってるんだ?」司の顔色が一瞬で青ざめる。「彼女がもう君を想っていないと確信して、僕を考えてくれると分かったあとだ」慎一は隠すことなく答えた。だが司は受け入れられず、目を血走らせて怒鳴る。「それを『つけ込む』って言うんだ!」「君たちはそのときもう別れてた。君の気持ちはちゃんと伝えたが、彼女は振り向かなかった」「そんな話、三歳児でも信じるか!甥の女を横取りして、よく言えるな……!」慎一の声が冷たく響く。「司、僕のやり方は知ってるだろう。君が甥じゃなければ、結衣はもうとっくに僕の妻になってる」その言葉に司の拳が振り上がる。慎一は身をかわしたが、頬骨をかすめられた。そこから二人はもつれ合い、殴り合いになる。モモは慎一が素早くリードを近くの木にかけていたおかげで無事だったが、興奮して足元をうろつき、戦いには近づけなかった。騒ぎは長引き、近所の住民が集まり始める。その中には、仕事中だった結衣の姿もあった。彼女は上着を羽織る間も惜しみ、全力で駆け下りると、勢いよく慎一を引き離した。互いに譲らなかった二人は、ようやく引き離される。「結衣!」司は彼女の名を叫び、駆け寄ろうとする。だが次の瞬間、結衣はまっすぐ慎一のもとへ向かっていた。結衣は慎一の頬の擦り傷を見つけ、不安そうに指でそっと触れた。「大丈夫?ほかにケガはない?」「平気だよ、ちょっと擦りむいただけだ。モモを見てやってくれ、きっと怖がってる」結衣は頷き、すぐモモのもとへ。慎一は殴り合いの最中も、真っ先にモモを安全な場所に移していた。リードを手に取り、結衣は再び慎一の隣へ戻る。最初から最後まで、司には一度も視線を向けなかった。司の顎の青あざは慎一の拳によるものだった。触れるたびに鋭い痛みが走る。――こんなはずじゃない。以前なら、彼がいる場所では結衣の視線は必ず自分に向けられていたのに。今、その瞳は別の男を映している。司は現実を受け入れられず、一歩踏み出して結衣へ近づこうとした。自分が間違っていたことを伝えたかった。だが、その前にモモが飛び出して彼を遮った。「ワン!ワン!」背を丸め、防御の姿勢で吠え立てる。このまま進めば、主人を守ろうとして噛みつきかねない勢いだ。司は深く息をつき、しゃがみ込んでモモに

  • 七年目の裏切り――私は身代わりだった   第20話

    「わかりました」結衣は少し迷ったあと、笑みを浮かべた。「でも『桐谷さん』じゃちょっと他人行儀ですね。下の名前で呼んでもいいですか?」慎一は満面の笑みを見せた。「もちろん。じゃあ僕も『結城さん』って呼ぶのはやめる」呼び方が変わるだけで、二人の距離はぐっと近づいた。モモもその空気の変化を察して、結衣の目の前で慎一に寄り添う動作を、より遠慮なくするようになった。その日から慎一は、結城家の常連となった。両親の手料理を味わい、家の中に入って電球を替えるのを手伝ったこともある。結衣が仕事で忙しいときは、代わりに散歩までしてくれた。美沙は二人が日ごとに親しくなるのを見て、からかうのをやめなかった。「どう?モモの選択、なかなかいいでしょ?」結衣は何も答えなかったが、振り返ったとき口元に笑みがこぼれていた。新しい人と新しい生活を始める感覚は、確かに悪くない。その日の午後も、慎一は仕事帰りに結衣の家を訪ね、チョコレートケーキと赤いバラの花束を持ってきた。チョコレートケーキよりも、その花束の意味は、曖昧で、どこか甘い響きを持っていた。結衣は受け取り、代わりに手作りのクッキーを手渡した。「ネットのレシピ通りに作ったの。焦げなかったから食べられるはずよ」慎一は宝物を受け取ったように喜び、その場で何枚も食べた。「君、食レポライターに転職できるよ」モモは今日のおやつにフリーズドライがないと知ると、急いで慎一の足元に回り込み、前足で彼の脚をちょいちょいと突いた。「モモ、やめなさい」結衣がたしなめる。慎一はクッキーがバター味で犬も食べられるとわかると、半分に割ってモモに与えた。その後、まるで手品のようにポケットから犬用ソーセージを取り出した。「ほら、モモのことを忘れるわけないだろ」その目も声も、とことん優しい。こんな人となら、激しい恋ではなくても、一生穏やかに暮らしていけそう。結衣はそう思った。「人は、自分によくしてくれる人じゃなくて、元からいい人を選ぶべき」という言葉が頭をよぎる。慎一はまさにそんな人だった。気づけば結衣の心は、無意識のうちに彼のほうへ傾いていた。モモが安心しきってお腹を見せているのを見て、司の叔父であることすら忘れそうになる。その夜、両親と美沙はそれぞれ用事があり、結衣は出版社からのゲラ確認を引き

More Chapters
Explore and read good novels for free
Free access to a vast number of good novels on GoodNovel app. Download the books you like and read anywhere & anytime.
Read books for free on the app
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status