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君と別れてから

君と別れてから

Oleh:  わかばTamat
Bahasa: Japanese
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大晦日、夫が息子を連れて、かつての初恋の相手と一緒に花火を見に行ったその夜、月森遥(つきもり はるか)はついに離婚を決意した。 結婚して五年。周囲からは「愛されている奥さん」と羨ましがられ、聡明で可愛らしい息子にも恵まれたと誰もが言った。 けれど、その幸福の影に隠された真実を知るのは、遥ただ一人。 夫は、ずっと初恋の人を忘れられずにいる。 命懸けで産んだ息子さえも、心の奥では早く母親を取り替えてほしいと願っているのだ。 遥は決めた。彼らの願いを叶えさせてやることを。心のない夫も、情のない息子も、もういらない。

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Bab 1

第1話

月森遥(つきもり はるか)は、ついに離婚を決めた。

結婚して五年。周囲からは「愛されている奥さん」と羨ましがられ、聡明で可愛らしい息子にも恵まれたと誰もが言った。

けれど、その幸福の影に隠された真実を知るのは、遥ただ一人。

夫は、ずっと初恋の人を忘れられずにいる。

命懸けで産んだ息子さえも、心の奥では早く母親を取り替えてほしいと願っているのだ。

遥は決めた。彼らの願いを叶えさせてやることを。心のない夫も、情のない息子も、もういらない。

パンッ、パン、パパーン……

窓の外から響く花火の音に、遥はハッと我に返った。手元には、離婚届。そっとそれを撫でながら、静かにペンを取り、自分の名前を書き入れた。

今日は大晦日。けれど夫も、息子も、帰ってこない。

そんなとき、夫・狩野成実(かりの なるみ)からメッセージが届いた。

【取引先と外で食事中。健ちゃんは秘書に預けてある。食事のあとで連れて花火を見に行くから、先に寝ていい。待たなくていい】

その文面に、遥は口元を歪め、冷たい笑みを浮かべた。

「取引先」とは誰なのか。健翔(けんしょう)を連れて、誰と花火を見に行くつもりなのか。

考えるまでもない。調べる必要すらない。どうせ父子そろって、立花明菜(たちばな あきな)という女と一緒にいるのだろう。

遥は、リビングに飾られた大きな家族写真をじっと見つめた。

成実が健翔を抱き、遥の腰に腕を回し、父と子がそれぞれ、彼女の頬と額にキスをしている。

写真の中の遥は、満ち足りた表情を浮かべている。健翔も笑っている。普段は感情を見せない成実でさえ、その時は穏やかな顔をしていた。

誰が見ても、理想的な三人家族だった。

だが、明菜が戻ってきたあの日から、すべてが変わった。

外で花火が炸裂する音と同時に、彼女のスマートフォンが震えた。届いたのは、明菜からの動画だった。

画面には、明菜が撮った成実と健翔の後ろ姿。大小の背中が寄り添うように並んでいる。その画面の片隅で、明菜の手に光る大きなダイヤモンドリングが、やけに眩しかった。

そして三人の声が重なる。

「あけましておめでとう!」

男が振り返り、優しさを湛えた瞳で明菜に囁いた。

「これから毎年、もう逃さない」

そんな眼差し、そんな声。遥は一度たりとも向けられたことがなかった。

最も情熱的だったはずの結婚初期の二年間でさえ、新年や記念日に彼がしてくれたのは、額に淡いキスと、「ありがとう」という事務的な言葉だけだった。

遥はずっと、成実のことを「岩」のようだと思っていた。何をしても、どう触れても温まらない岩のように。

だが明菜を見て、ようやく気づいた。彼の優しさは、最初からすべて、明菜に預けられていたのだ。

遥は動画を閉じ、最後の花火が夜空に消えるのと同時に、成実にメッセージを送った。

【早く帰ってきて。明日はお墓参りだから】

彼の両親への、最後の親孝行だ。

一ヶ月後、二人は赤の他人になる。

滑稽で、一方的な思い込みに満ちたこの結婚も、ついに終わりのときを迎えるのだ。

どれほどの時間が経っただろうか。玄関のドアが開く音がして、成実が入ってきた。

リビングに遥がまだいるとは思っていなかったらしく、一瞬驚いた顔をした。食卓に並んだ料理に目を向けても、表情は何も変わらない。

「新年くらい、穏やかに過ごさせてくれないか……本当に縁起が悪い」

澄んだ声で、苛立ちをぶつけてきた。

続いて健翔が入ってくると、わざと靴を蹴り飛ばしながら、ドタドタと大きな音を立てて歩き回った。

「もう遅いんだから、静かにして」

思わず注意すると、健翔は顔を真っ赤にして怒鳴り返した。

「余計なお世話だ!クソババア!」

そして彼女の右手を見て、吐き捨てるように言った。

「指が三本しかないクソババアが!」

遥は思わず右手を引っ込めた。薬指と小指のない手が、震えていた。

離れると決めていたはずなのに。子どもからの悪意は、彼女の心に深く突き刺さった。

一瞬、息ができないような苦しさに襲われる。

それでも、成実は最初から最後まで、一言も発さなかった。遥が命を懸けて産んだ子どもが、母親を罵倒するのを、黙って見ていたのだ。

ガンッ!

健翔が勢いよくドアを閉めた。

ようやく成実がゆっくりと歩み寄り、皮肉を口にした。

「今日は新年だ。みんな騒がしくて当たり前だろ。こんな音で文句言うやつなんていない。大げさすぎるんだよ。道理で健ちゃんがお前を嫌いになるわけだ」

遥は口元を歪め、冷ややかな笑みを浮かべた。

「もしかしたら下の階の人も、私と同じように、大晦日をひとりで過ごして、早く眠ろうとしていたのかもしれないじゃない?」

その言葉に、成実は一瞬、視線を落とした。食卓に並ぶ料理に気づき、わずかに罪悪感のようなものが表情に浮かんだ。

だが、遥の声は冷たく続いた。

「健翔の態度だって、誰かがいつも私の悪口を吹き込んで、私を嫌うように仕向けてたからじゃないの?」

成実の動きが、ピタリと止まった。その表情から、さっきまでのわずかな罪悪感が、すっと消える。

眉間に皺を寄せ、低い声で詰問した。

「……明菜のことを言ってるのか?お前が一人で寂しいと思って帰ってきてやったのに、それがその態度か?」

その言葉を聞いた瞬間、遥の心には、もはや怒りも哀しみも湧かなかった。ただ、滑稽だと……おかしくて仕方がないと、思っただけだった。

何も言わず、テーブルに置いていた署名済みの離婚届を手に取った。

そして、ウォークインクローゼット……いや、正確には「寝室」に向かった。

健翔は、遥がこの家のどの部屋にも入ることを許さなかった。成実もそれに何も言わなかった。

だから、遥の服だけが並ぶこの狭いクローゼットが、唯一の避難所になっていた。

扉を閉める瞬間、外でガシャンと食器が落ちて割れる音がした。

けれど遥は、無表情のまま鍵をかけ、その音を聞こえないふりでやり過ごした。

もう、彼らを甘やかす気はない。愛情も、絆も、とうに枯れ果てたそんな他人を、許し続ける理由なんて、遥にはもうどこにもなかった。

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第1話
月森遥(つきもり はるか)は、ついに離婚を決めた。結婚して五年。周囲からは「愛されている奥さん」と羨ましがられ、聡明で可愛らしい息子にも恵まれたと誰もが言った。けれど、その幸福の影に隠された真実を知るのは、遥ただ一人。夫は、ずっと初恋の人を忘れられずにいる。命懸けで産んだ息子さえも、心の奥では早く母親を取り替えてほしいと願っているのだ。遥は決めた。彼らの願いを叶えさせてやることを。心のない夫も、情のない息子も、もういらない。パンッ、パン、パパーン……窓の外から響く花火の音に、遥はハッと我に返った。手元には、離婚届。そっとそれを撫でながら、静かにペンを取り、自分の名前を書き入れた。今日は大晦日。けれど夫も、息子も、帰ってこない。そんなとき、夫・狩野成実(かりの なるみ)からメッセージが届いた。【取引先と外で食事中。健ちゃんは秘書に預けてある。食事のあとで連れて花火を見に行くから、先に寝ていい。待たなくていい】その文面に、遥は口元を歪め、冷たい笑みを浮かべた。「取引先」とは誰なのか。健翔(けんしょう)を連れて、誰と花火を見に行くつもりなのか。考えるまでもない。調べる必要すらない。どうせ父子そろって、立花明菜(たちばな あきな)という女と一緒にいるのだろう。遥は、リビングに飾られた大きな家族写真をじっと見つめた。成実が健翔を抱き、遥の腰に腕を回し、父と子がそれぞれ、彼女の頬と額にキスをしている。写真の中の遥は、満ち足りた表情を浮かべている。健翔も笑っている。普段は感情を見せない成実でさえ、その時は穏やかな顔をしていた。誰が見ても、理想的な三人家族だった。だが、明菜が戻ってきたあの日から、すべてが変わった。外で花火が炸裂する音と同時に、彼女のスマートフォンが震えた。届いたのは、明菜からの動画だった。画面には、明菜が撮った成実と健翔の後ろ姿。大小の背中が寄り添うように並んでいる。その画面の片隅で、明菜の手に光る大きなダイヤモンドリングが、やけに眩しかった。そして三人の声が重なる。「あけましておめでとう!」男が振り返り、優しさを湛えた瞳で明菜に囁いた。「これから毎年、もう逃さない」そんな眼差し、そんな声。遥は一度たりとも向けられたことがなかった。最も情熱的だったはずの結婚初期
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第2話
翌朝早く、遥は身支度を整え、押し入れの奥から見つけ出した黒い正装に袖を通した。鏡に映る自分の顔はやつれていたが、それがかえって今日の目的にふさわしく思えた。お墓参りに行くには、これくらいでちょうどいい。リビングに足を踏み入れた途端、健翔がわざとらしく「ちっ」と舌打ちをして、食べかけの茶碗を机に叩きつけた。汁がはねて、遥の服に染みを作った。「うわ、汚っ」悪意を隠そうともしない笑い声が飛んできた。かつては素直だった子どもが、ここまで無作法になってしまった。その変貌に、遥はやりきれない悲しさを覚えた。あの頃、健翔のためにと最高の家庭教師を探して、大雨の中を奔走し、三日三晩も寝込んだことがあった。それでも、健翔にはまっとうな人生を歩んでほしかった。そう信じて、心血を注いできた。けれど結局、そんな努力も、明菜の安っぽい芝居の前には無力だったのだ。遥は得意げに立ち去ろうとする健翔の腕をぐっと掴んだ。声は低く、冷たかった。「謝りなさい」その表情に、健翔は一瞬たじろいだ。こんな冷たい顔を、母親が見せたことはなかった。次の瞬間、我を忘れたように怒鳴り返した。「謝るもんか!昔なら、お前みたいなクソババア、火あぶりにされてたんだぞ!」――パンッ!乾いた音が室内に響いた。遥の平手打ちが、力強く健翔の頬を打ち抜いていた。頬を押さえ、目を見開いた健翔が、信じられないというように遥を見つめた。「……殴ったのか、俺を?」そこへ成実が駆け寄り、健翔を庇うように前に立ち、怒声を浴びせた。「なんで健ちゃんを殴ったんだ!」遥は無言で手を引き、軽く振ってから言った。「私は彼の母親よ。しつけて何が悪いの?」成実はすぐさま言い返した。「お前にしつけられる筋合いなんてない!」ふん。遥は内心で鼻で笑い、感情を見せぬまま淡々と口を開いた。「心配しなくていいわ。もうすぐ私も、関わらなくなるから」その言葉に、成実は一瞬きょとんとした。今日の遥は、普段の彼女とはまるで別人だった。「どういう意味だよ?」と思わず問いかけたが、遥は何も答えず、ただ一言。「……出発しましょう」車内、遥は後部座席で終始無言だった。空気はひどく冷え切っていて、まるで他人同士のよう。成実は何度もバックミラーで彼女の様子を窺い、「これは
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第3話
成実は、遥の鋭い言葉に胸を突かれ、思わず語気を強めた。「あの人たちは、お前にとって親も同然なんだぞ。墓参りくらいしてやれないのか?大人のくせにタクシーも呼べないのか?」かつての成実なら、ぶっきらぼうでもここまで突き放すことはなかった。不機嫌なときでも、まず遥の身を案じる姿勢だけは崩さなかったのに。遥はそれ以上なにも言わず、黙ってドアを開けて車を降りた。「バタン」と閉められた音には、彼女の怒りがはっきりと滲んでいた。成実は一瞬たりとも躊躇せず、ハンドルを切って車をUターンさせ、そのまま走り去った。排気ガスが遥の顔に容赦なく吹きかかった。その直後、遥のスマホが震えた。明菜からだった。画面には、いかにも得意げなメッセージが表示されている。【楽勝だったわ】たった六文字。それだけで遥の胃がきしむ。こみ上げる吐き気に思わず口元を押さえた。チャット履歴を遡れば、昼夜を問わず送りつけられた嫌がらせと自慢話の数々。明菜の執念深さは、もはや狂気にも近い。遥はそのすべてに、一度も返信したことがなかった。当時は悔しさと憤りで、昼も夜も泣き通し、文字を打つ余裕すらなかったのだ。けれど今は違う。しがらみから解き放たれ、遥は冷静に指を動かした。【結婚おめでとう、先に言っとくわ】皮肉ではない。遥はよく知っていた。あと一ヶ月もすれば離婚が成立し、成実は明菜を妻として迎えるだろう。だからこれは、本心からの「祝福」だった。もちろん、その先に待つ修羅場や、愛情が枯れ果てる未来も心から願っている。すぐに、明菜から怒りの返信が飛んできた。【恥知らずのクソ女、お前さえいなければとっくに結婚してたわ】【あの人が、お前なんか好きだと思ってんの?勘違いも大概にしなさい】【知らないんでしょ?健ちゃん、毎日言ってるのよ。「あのババアを殺して明菜さんをお母さんにしたい」って】最後の一文は、遥にとっても初耳だった。スマホを握る手が震える。遥は、じっとその画面を見つめた。どうして子どもが、そんな言葉を……しかし、その痛みもすぐに風とともに消えていった。どれほど悪意をぶつけられようと、もうすぐその子は赤の他人になるのだから。遥は通知をオフにし、スマホを閉じた。そして歩き続けた。一時間後、ようやく墓地の入口に辿り着いた。ここ
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第4話
夜の十時。遥は布団にくるまり、身を縮めるようにしていた。しっかりと包まっているはずなのに、体の芯を這い上がってくるような寒気は防ぎようがなかった。頭が重く、意識はぼんやりとしていた。熱があるのか、体は冷えたり、急に火照ったりと落ち着かない。眠ったのがいつだったのか、目覚めたのがいつだったのかも定かではない。ふらつきながら起き上がり、自分でお湯を注ごうとした遥は、手元が狂い、ポットを床に落としてしまった。派手な音とともに熱湯が跳ね、足元や太ももにかかる。「っ……!」一瞬の鋭い熱さで意識が覚醒し、遥は反射的に浴室へと駆け込んだ。蛇口をひねったその瞬間、目の前がぐるりと回り、そのまま浴槽の中へと倒れ込んだ。意識が遠のく中、最後に浮かんだのはこの一言――ああ……私、こんなところで死ぬんだな……けれど、運命はまだ遥を見捨ててはいなかった。病院のベッドで目を覚ましたとき、遥は、まるで生まれ変わったような心地だった。だが、運命はそこまで甘くなかった。なぜなら、病室のドアの前に立っていたのは、険しい顔つきの成実だったからだ。腹の奥底に沈殿した怒りが、言葉ではなく視線からひたひたと伝わってくる。彼はためらうことなく大股でベッドに近づくと、青ざめた遥の顔など気にも留めず、襟首を掴み、鋭く叱責した。「お前、頭がおかしいのか?普通に弱って見せるだけじゃ飽き足らず、今度はこんな極端な手で俺の気を引こうとしたのか?」「……げほっ」遥はまだ熱も下がりきっておらず、目覚めたばかりの体に衝撃が加わって、激しく咳き込んだ。唇は真っ白で、目は真っ赤に充血していた。それでも成実は彼女の咳を芝居だと決めつけ、怒鳴った。「そんな茶番、やめろ。親父たちは騙せても、俺は騙されないからな!」咳がようやく治まり、遥は震える手で成実の手を振り払った。そして蒼白の顔で、一言一言を噛みしめるように告げた。「弱って見せたんじゃない。昨日、大雨の中、墓地から四時間歩いて帰ってきたの。高熱で倒れただけ。お願いだから、あなたの気なんて、これ以上向けられたくない」もう、この男のために苦しむのは、たくさんだった。成実はその場に立ち尽くし、しばし呆然とした様子で遥の顔を見つめたあと、おそるおそる訊いた。「お前……歩いて帰ってきたのか?」今さらそん
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第5話
遥の表情が、ふいに氷のように冷たくなった。この男、ほんとに興ざめ。足音を響かせて、成実がクローゼットの前まで駆け寄り、中が空っぽであることを確認すると、喉までせり上がっていた詰問の言葉は、あっさりと凍りついた。代わりに、薄ら笑いを浮かべて言った。「なるほど、また新しい手口か。今日退院したってのに、連絡しなかったのもわざとだろ?俺に後悔させたいわけだ。今度は家の中を空っぽにして、家出でもするつもり?三歳児かよ。こっちが折れてるんだから、さっさと謝ってこいよ。そんな子供じみたこと、もういい加減にやめろ」何ひとつしていないのに、一方的に怒鳴られるなんて。遥は何も言わずに成実を見つめ、静かに問い返した。「……言いたいことはそれだけ?」たった一言で、成実の詰問は見事に封じられた。成実は信じられないといった目で遥を見つめ、そこでようやく、彼女がずいぶんと変わったことに気づいた。病院で明菜を見たときも、遥は一言も発さず、そして今も何も尋ねてこない。以前の遥なら、夫が女性と少しでも接しただけで、必ず気にしたものだった。明菜のことでも、激しい口論になったことがあるのに。それが今は、まるで他人事のように冷静だなんて。いや、きっとこれは彼女の「苦肉の策」に違いない。成実の目に、嫌悪の色がにじむ。そして、吐き捨てるように呟いた。「遥、お前ほんと変わったな。前はうるさかったけど、それなりにかわいいとこもあったんだよ。今は……何も残ってない」それでも遥は淡々と彼を見つめ、さらりと返した。「あなたの言う『かわいいところ』って、あなたの浮気を黙って許すこと?」「ほらな、やっぱりまだ怒ってるじゃないか!もう一週間以上経ってるんだぞ、そこまで根に持つことかよ!?」成実は何か証拠でも掴んだかのように自信を取り戻し、得意げな顔を浮かべた。だが今回は、遥は何も返さず、ただ黙って下を向き、自分のデザイン画を整理し続けるだけだった。それを見て、成実は彼女の弱点を突いたと確信し、再び優位に立ったと思って鼻で笑った。「ま、怒りが収まったら連絡してくれよ。この数日は家には帰らないからさ」そう言い残して、本当に彼は一週間、家に帰らなかった。遥はその静けさを心から楽しみ、ゆっくりとすべての荷物を整理し終えた。数日後、かつて物で
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第6話
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第7話
これは本当に人間の所業なのか。成実は、いつだって遥の想像を軽々と超えてくる。「どうやら援軍はいないようだな」痴漢は、どこか誇らしげに言った。遥はポケットに手を伸ばし、鍵を取り出すと、そのまま相手の目を目がけて突き刺した。男が絶叫し、拳を振り上げて彼女に叩きつけた。もみ合いになる中、遥は何発も強烈な拳を浴びた。だが、一瞬の隙を突いて、男の下半身に蹴りを入れた。痛みにのたうち回るその隙を逃さず、スマホを奪い取り、すぐさま警察に通報した。警察が到着し、状況を確認している間も、遥の胸には疑問が残っていた。「さっきここで、通報とか……なかったんですか?」警官は首を傾げながら、ごく自然に答えた。「いえ、ありませんでしたよ」はっ、成実は……通報すら面倒がったんだ。警察署で手続きを終え、病院で治療を受ける頃には、遥の体には無数の傷が刻まれていた。医師たちは、その重傷をどうやって耐え抜いたのかと目を見張っていたが、遥はただ微笑み、何も言わなかった。もっと重い、心の傷だって乗り越えてきたのに。こんなの、何でもない。すべてが終わった頃には、もう午前三時を過ぎていた。遥は疲れ切った体を引きずるようにして帰宅した。静まり返った家には、人の気配すら感じられなかった。ソファに身を沈めた瞬間、全身の力が抜けていく。どれほど時間が経ったのだろう。玄関のドアが開く音がした。「パッ」突然灯った明かりに、遥は目を細めた。手で眩しさを遮りながら、その隙間から成実と健翔が入ってくるのを見た。「ふん、またみっともない姿でお父さんに縋って……!」健翔の口からは、容赦のない言葉が飛び出した。だが、遥にはもう彼を叱る力も残っていなかった。目を閉じ、親子の姿を無視するようにして、淡々と口を開いた。「何か取りに来たんでしょ?さっさと持っていって。静かに休みたいの」成実の目が、遥の腫れた頬、折れた爪、無数の傷をなぞるように動く。それでも彼女は一言も泣き言を言わなかった。ただ、全身から疲労だけが滲み出ていた。打ち明ける気力すら、もう残っていない。夫というのは、本来なら、妻が安らげる唯一の場所であるはずなのに。母親の傷を気にも留めず罵る健翔を見て、遥の心はすっかり冷え切っていた。どうして、私の子がこんなふうになってしまったの?
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第8話
遥が病院で目を覚ましたのは、翌朝のことだった。医師は眉間に皺を寄せながら、重々しく口を開いた。「もともとの傷もまだ塞がっていないのに、さらに二箇所も刺されてね。通行人がすぐに運んでくれていなければ、大量出血で命を落としていたかもしれないよ。これからは体調が悪い時は、ちゃんと家族に看てもらいなさい。一人で無理をするのは、もうやめることだ」通行人が搬送してくれた?あの時、目の前にいたはずの成実は、一体何をしていた?遥はバーでの夜を思い返し、ふっと苦笑いを浮かべながら首を振った。「……家族なんて、いません」「どうして、あなたがまだ成実のそばにいられるのか、ほんとに理解できないわ」いつの間にかドアの前に立っていた明菜が、腕を組み、どこか満足そうな目で遥を見下ろしていた。傷一つない姿で、ゆっくりとこちらに歩み寄りながら、唇の端をつり上げて言った。「昨日、私ね、ただ気絶したふりをしただけだったの。でも成実はあなたのことなんて気にも留めず、私を真っ先に病院に連れて行ってくれたのよ。私があなただったら、とうに離婚してる。そんなに図々しくて、よく何年も彼のそばに居座れたわね。遥、正直あなたのこと、見くびってた。でも、命だけは意外としぶといのね」その言葉一つ一つに、嘲笑と軽蔑がたっぷりと混じっていた。明菜は遥が怒りに震える姿を期待していたのだろう。だが、彼女の読みは外れた。いまの遥に、怒りはなかった。ただ、冷え切った静けさだけが心を覆っていた。遥は明菜の挑発に、淡々と応じた。「眩暈がするなら、もっと休んだ方がいいわ。それに、気絶の演技も、もう少し上手くやらないとね。いずれ彼にバレたら、あなたの甘い夢もそこで終わるわよ」「……なによ、それ!」明菜が言い返そうとしたその瞬間、ドアの外から足音が近づいてきた。彼女はとっさにベッド脇に身を寄せ、わざと大袈裟に床へ倒れ込んだ。「遥……私はただ、あなたの様子が心配で来ただけなのに、どうして突き飛ばすの?私、なにか悪いことした?」その芝居がかった言葉が響いたちょうどそのとき、成実と健翔が病室のドアを開けた。成実は一瞬にして表情を強ばらせ、大股で明菜に駆け寄り、優しくその体を抱き起こした。そして遥を鋭く睨みつけた。「お前、いったい何をしているんだ。外で勝
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第9話
成実は、遥からの謝罪を半月待ち続けた。その間、明菜との共同生活も悪くはなかった。食事を作り、テレビを見て、健翔の寝顔を見守る。そんな穏やかな日々に、どこか安らぎを覚えながらも、心の奥底には拭えぬざらつきが残っていた。安堵しきれないのはなぜだろう。遥にもう一度、チャンスを与えよう。そう思い立ち、身体検査を口実に病院を訪れた。だが、病室の扉を開けた瞬間、目に飛び込んできたのは、白いシーツがきちんと整えられた空っぽのベッドだけだった。嫌な予感が胸をよぎる。成実は慌てて案内所に駆け込み、行き先を尋ねた。「その方なら、二日前に退院されましたよ」事務的な声が、彼の不安を決定的なものに変えた。ポケットからスマートフォンを取り出し、震える指で通話履歴を遡る。だが、どれだけスクロールしても、遥の名前は見つからない。ようやく気づいた。連絡先に、遥の番号を登録していなかったことに。いつだって、遥のほうから連絡が来ていた。自分から掛ける理由など、これまで一度もなかったのだ。ロビーのベンチに腰を下ろし、ひたすら履歴を探り続けること一時間。ようやく、記憶の底に引っかかっていた番号が見つかった。急いで電話をかけると、無機質なアナウンスが耳に響いた。「申し訳ありません。おかけになった番号は、現在使われておりません」目の前の現実が、音もなく崩れていくようだった。そんなはずはないと、成実はまるで何かに突き動かされるように自宅へと急いだ。ドアを開けた瞬間、分厚い埃の匂いが鼻を突いた。どれほど人の気配がなかったのか、一歩踏み入れただけでわかる。心臓は狂ったように脈打ち、手が小刻みに震える。部屋を見渡すと、机の上に一通の書類が置かれていた。うっすらと埃をかぶったその表紙に、目が吸い寄せられる。離婚届。その三文字が、成実の胸を深く貫いた。これは、かつて成実が遥に突きつけたものだ。まさか、それが彼のもとへ返ってくるとは。まるで、投げたブーメランがきれいな弧を描いて戻ってきたかのように。遥の整った筆跡には、一点の迷いもない。記された日付は、ちょうど一ヶ月前。彼が家を空けていた正月と、二人の記念日が重なるその日だ。知らぬ間に、遥は静かに、けれど確実に準備を進めていた。一ヶ月もの時間をかけて。一瞬、信じられなかった。遥が、本当に去
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第10話
明菜は驚き、用意していた台詞が喉の奥でつかえて出てこなかった。胸の奥に、なぜか緊張がじわじわと広がっていく。どういうこと?半日も経たないうちに、どうして成実の態度がこんなに変わったの?目を泳がせながら、明菜はわざとらしく一手引いてみせた。「あなたの言うとおりね。私、自分の立場をわきまえてなさすぎたわ。だって、遥さんはあんなに完璧な人だもの。きっと私より、ずっといいお母さんになれるはずよ」その言葉が終わらぬうちに、健翔が傍らで突然叫んだ。「クソババアなんて大嫌いだ!イヤだ!明菜おばさんが、お母さんになってほしい!」成実は、それまで健翔の泣き声を耳障りに感じたことなど一度もなかった。だが今は違った。何か言おうとした瞬間、明菜もすすり泣きを始めた。「私が戻ってきたのが、そもそもの間違いだったのかもしれない。ごめんなさい。あなたと遥さんの仲を悪くしてしまって……すぐに出ていくわ、二日以内には、きっと……」案の定、その一言が成実の心を揺らがせた。彼の表情がやわらぎ、口調も少し和らぐ。「明菜が悪いわけじゃない。そんなに思い詰めないで。すぐ迎えに行く」電話を切った後、成実はすぐに何人かの私立探偵に連絡を取り、遥の最近の行動を調べさせた。やがて明菜のアパートに着くと、明菜と健翔はすでに着替えて準備を整えており、成実の姿を見つけた瞬間に駆け寄ってきた。いつものように明菜が抱きつこうとしたが、成実は彼女の手をそっと振りほどき、健翔だけを抱き上げる。「行こう」明菜はその表情を冷静に観察し、健翔と視線を交わした。健翔はすぐに察して、成実の首にしがみつきながら聞いた。「ねえ、お父さん、いつクソババアと離婚するの?」成実の足が止まる。真っ直ぐに健翔の顔を見つめ、低い声で告げた。「あれは『クソババア』じゃない。お前のお母さんだ。『お母さん』って呼びなさい」「イヤだ!」健翔は大声でわめいたが、成実は一切反応を返さなかった。そのとき、明菜は確信した。今、何かが変わった、と。遥のやつ……まさか、あんな手練手管を使えるなんて……覚悟を決め、明菜は涙を滲ませながら訴えた。「成実……健翔のこと、責めないで。あの子、ただ私のことを思って……私……前に遥さんに中絶を強要されたことがあるの」「……なんだって?」成実の背
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