LOGIN陽咲はこくりと頷いた。絃葉はそこでようやくホッと息を吐く。ずっと耳を澄ませて2人の会話を盗み聞きしていた雅也も口を挟んだ。「ならよかった。お前は俺のたった一人の実の妹なんだからな、あの男にやすやすと渡してやるもんか」陽咲は思わず吹き出した。「もう遅いし、俺はそろそろ帰るよ」雅也は立ち上がり、2人に別れを告げた。「じゃあ、外まで見送るね」と絃葉が言った。だが雅也はそれを制した。「外はすごく冷え込んでるし、雪も降ってる。風邪を引くと危ないから、家の中でゆっくりしてな。家に着いたらグループチャットにメッセージを入れるから」今夜は彼が自ら車を運転して蒼空を乗せてきたため、運転手は連れてきていなかった。外は雪が降っており、これ以上運転手を煩わせたくなかったため、帰りも自分で運転して帰るつもりだった。絃葉は頷いた。その眼差しは春の雪解けのように柔らかく、「分かった」と優しく応じた。「道中、気をつけてね」絃葉は心配そうに念を押した。雅也はひらひらと手を振り、「大丈夫、心配ないよ」と笑った。陽咲は傍らに縮こまり、必死に自分の気配を消していた。雅也が帰った後、陽咲は絃葉が少し眠そうにしているのを見て、早く休むようにと声をかけた。絃葉は頷いた。2人は身支度と片付けを済ませると、「おやすみ」と言葉を交わしてそれぞれの寝室へと向かった。陽咲はベッドに横になったものの、寝返りを打つばかりで一向に眠りにつけなかった。脳裏には、先ほど怜央に付きまとわれた時の光景が絶えずちらついていた。理由もなく、猛烈な吐き気が込み上げてくる。いっそのこととメッセージアプリを開き、トークリストの一番下から怜央を探し出してトーク画面を開いた。このままアカウントごと削除してしまえば、視界に入らずせいせいすると思ったのだが、よく考えてみれば、年明けには怜央と離婚の手続きを進めなければならない。今削除してしまっては、いざという時の連絡に支障をきたすかもしれない。結局その考えは思い留まり、スマホをベッドに放り投げると、深くため息をついた。……翌日、彼女は絃葉と朝食を済ませると、連れ立ってショッピングモールへ出かけた。買い物の支払いはすべて陽咲が持った。絃葉は遠慮したが、陽咲は笑って言った。「いいのよ、気にしないで好きなだけ買
陽咲の瞳には微塵の温度もなく、一言一言、彼に警告した。だが怜央は彼女の手首をきつく握りしめたまま、その警告に耳を貸そうともせず、歯を食いしばるようにして問い詰めた。「さっき君と蒼空が話していたこと、全部聞こえてたぞ!陽咲、君はまだ俺のことが好きなんだろう?じゃなきゃ、どうしてあいつを拒んだんだ?」陽咲は冷たく鼻で笑った。いっそ振りほどくのをやめ、彼に手首を握られるがままにする。その瞳は嘲笑で満ちていた。「怜央、自分のことを何様だと思っているの?思い上がるのもいい加減にして!」怜央は息を呑んだ。突き刺すような言葉に痛いところを突かれ、本能的にぐっと手に力を込めて握りしめる。手首を握られた陽咲の手は血の気が引いて白くなり、彼女はたまらず眉をひそめた。それに気づいた怜央は、彼女の手をぱっと離した。「陽咲、そうやって心にもないことを言うのがそんなに楽しいか?」と彼は言う。陽咲は手首を軽く回し、彼のその言葉に心の底から吐き気を覚えた。「頭、おかしいんじゃないの!」彼女はついに耐えきれず、そう罵った。だが怜央は怒るどころか、逆に口角を上げて笑い出した。彼が陽咲のこんなにも生気に満ちた姿を見たのは、本当に久しぶりだった。ここ最近の陽咲はいつも彼に冷たい無表情を向けるばかりで、以前、病室で彼を看病してくれていた頃の優しさや思いやりなど微塵もなかったからだ。まるで狂人のような彼の様子に、陽咲はこれ以上一言も無駄口を叩く気になれず、踵を返して立ち去ろうとした。怜央が突然2、3歩踏み出して彼女の行く手を遮り、有無を言わさず陽咲を腕の中に引き寄せた。見るだけで張り倒したくなるようなその顔が、彼女へと近づいてくる。陽咲は無表情のまま、思い切り彼の靴を踏みつけた。怜央が痛みに怯み、体を離したその隙を突いて、彼女は一切の躊躇なく、パァンと乾いた音を立てて彼の頬を力いっぱい張り飛ばした。「怜央、あなたって本当に吐き気がするわ!」怜央は痛む足を押さえて道端で片足立ちのままピョンピョンと跳び跳ねた。痛みのあまり顔は真っ赤になっている。この強烈な平手打ちで、怜央は完全に酔いから醒めた。目の前に立つ、冷ややかな眼差しの陽咲を見つめ、彼は内心ひどく後悔した。俺はどうしてしまったんだ、なんでこんなに乱暴な真似を
陽咲はピタリと足を止め、不審そうに蒼空を見つめた。唇をきゅっと結び、彼が何を言おうとしているのか分からずにいる。そんなにも緊張した面持ちで自分を凝視する彼女を見て、蒼空は苦々しく笑い、わざと明るく振る舞って言った。「陽咲、そんなに緊張しないでよ。今の言葉は、ただ月日が経つのは早いなって感慨にふけっただけだから」あの時の蒼空は、後になって自分がこんなにも喜んで陽咲のために色々なことをしてやるとは、夢にも思っていなかった。彼は目を伏せて笑い、その瞳の奥に一抹の苦渋を走らせた。陽咲は本当に何と言えばいいのか分からず、ただ小さく頷いて「そうだね」と相槌を打つことしかできなかった。2人が話している間に、蒼空の運転手が車を回してきて、道端に停車させた。そして気を利かせて少し離れた場所に立ち、蒼空が乗り込むのを待っている。空から雪がはらはらと舞い落ちてきた。陽咲は顔を上げて蒼空を見つめた。真っ白な雪が彼女の長いまつ毛に舞い降り、瞬きをするたびにキラキラと瞬いている。蒼空は彼女のまつ毛から雪を払ってやりたい衝動をぐっとこらえ、ただ微笑みを浮かべて彼女を見つめた。わずかに身をかがめ、優しい声で尋ねる。「僕に、何か言っておきたいことはある?」一陣の風が吹き抜けた。陽咲は少し寒さを感じて両手をポケットに突っ込み、ひどく真剣な眼差しで彼を見つめ返した。「蒼空。私の心の中で、あなたも絃葉も、すごく大切な親友だよ」これ以上ないほど明白な言葉だった。2人はただの友達であり、それ以外の何者でもないのだ。世界が静まり返る。強烈な寂寥感が蒼空を呑み込んだ。彼はすらりとした長身で陽咲の前に立ち尽くしていた。肩口には雪が降り積もり、上着を少し濡らしていたが、本人は全く気にも留めていない。彼は目を伏せて自嘲気味に笑い、再び顔を上げた時には、先ほどの苦渋の色はすっかり消え去っていた。「陽咲、君も僕の大切な親友だよ」彼の眼差しは真摯そのものだった。ただ、だらりと下ろされた手が微かに強く握りしめられていることだけが、今の彼の隠しきれない寂しさを物語っていた。陽咲はそれに気づくことなく、微笑んで頷いた。「さっきのはほんの冗談だから、気にしないでね」一瞬の躊躇いの後、彼はそう言葉を続けた。陽咲はこくりと頷い
雅也は呆れたように笑った。「午後は周防さんと仕事の打ち合わせをしていてね。終わった頃にはすっかり暗くなっていたし、彼もまだ食べてないって言うから夕飯に誘ったんだよ。グループチャットにもメッセージを入れたのに、お前ら2人とも誰1人返信してこないんだからな」雅也は少し恨めしそうに言った。そう言われて、陽咲はスマホのロックを解除し、ゲームアプリを閉じた。そこでようやく、グループチャットに雅也からメッセージが入っていたことに気がついた。彼女はばつが悪そうにへへっと笑うと、体を横にずらして2人を招き入れた。「入って、蒼空」2人が中へ入り、スリッパに履き替えると、雅也はさも自分の家のように自然にリビングへと向かい、「絃葉、今夜の飯は何?」と尋ねた。絃葉は蒼空の方を見て、「周防さんは何が食べたいですか?」と言った。「僕はなんでも大丈夫ですよ」と彼は微笑んだ。絃葉は頷き、キッチンに入って手を洗い、料理の準備に取り掛かった。それを見て陽咲も後を追う。キッチンへ行く前、陽咲は蒼空に座るよう促した。「そこで少し座っててね。すぐできるから」ところが意外なことに、蒼空はシャツの袖をまくり上げ、端正な手を覗かせて笑った。「僕も手伝うよ」それを聞いて、雅也はようやく満足そうに彼へ視線を送った。4人でキッチンに立ち、料理を作る。30分後、一汁四菜の家庭料理が食卓に並んだ。蒼空は好き嫌いなく何でも口にした。4人で食卓を囲み、食事を始める。目の前に広がるこの温かな光景に、蒼空の胸は幸福感で満たされ、思わず感慨深げにこぼした。「こんなに幸せを感じたのは、本当に久しぶりだな」その言葉を聞いて、陽咲は箸を持つ手を止め、彼に尋ねた。「どうして?」蒼空の家はとても裕福なはずなのに、どうして幸せではないのだろうか。陽咲には不思議だった。蒼空は苦渋に満ちた笑みを浮かべ、少し沈んだ声で言った。「うちは、家庭の事情が少し複雑でね。父は体を悪くして療養所に入っていて、もうずっと家に帰ってきていないんだ。母も精神を病んでいてつきっきりで世話が必要で……幸い、祖母の体調は最近だいぶ良くなったけれど。祖母が意識を失って倒れていたここ数年は、ずっと僕1人きりで正月を過ごしていたんだよ」その話を聞いて、陽咲は胸を痛めるように彼を見つ
「何を尋ねられようと、一切口を割るつもりはない。さっさと諦めるんだな」壮真はそう言い捨てると、目を閉じて狸寝入りを決め込み、二度と口を開こうとはしなかった。これ以上尋問しても無駄だと悟った蒼空は、壮真のことは自分に任せてほしいと言った。陽咲もこくりと頷いた。4人が部屋を出た後。蒼空の視線がずっと陽咲を追っているのに気づいた雅也は、心の中でけたたましく警鐘を鳴らし、さりげなく陽咲の前に立ちはだかった。「周防さん、壮真から何も聞き出せないようですし、俺たちはこれで失礼します」蒼空はもう一度陽咲に視線を向けると、寂しげに目を伏せ、「わかりました」とだけ応じた。車へ向かおうとした時のことだ。どこからともなく静香が現れ、絃葉にすがりつくように抱きつくと、死に物狂いでしがみついて離れようとしなかった。絃葉は頭が真っ白になり、その場から一歩も動けなくなってしまった。だが、目の前の女性を見つめていると、絃葉の胸の奥にどういうわけか一抹の懐かしさが込み上げてきた。彼女は無意識のうちに手を伸ばし、なだめるように静香の背中を軽くポンポンと叩いていた。「お母さん、離して!誰か来て、お母さんを連れて行ってくれ!」2人の使用人が慌てて駆け寄り、絃葉と静香を引き離そうと引っ張ったが、静香は頑として手を離さない。「嫌よ、行かない!やっと見つけた私の娘なのよ、絶対に離さないわ!」静香の表情には狂気が宿り、その声には執着が籠もっていた。蒼空は、母がまた正気を失ってしまったのだと悟った。彼は絃葉に小声で「すみません」と謝ると、一歩前に出て、強引に静香を絃葉から引き離した。「お母さん、また混乱してるよ!娘なんてどこにいるんだ?お母さんの子供は僕一人だけじゃないか」蒼空は困り果てた声で言った。その言葉を聞いて、静香はハッと我に返ったように呆然と呟いた。「そうだったかしら?また私がどうかしてしまったのね。ごめんなさいね、お嬢さん。私が悪かったの、私が……」彼女は焦点の定まらない虚ろな目で絃葉を見つめ、ひどく狼狽していた。その痛ましい姿に蒼空は胸を締め付けられ、深い溜息をついた。「お母さんを部屋へお連れしろ。目を離すなよ、これ以上何も起きないようにな」静香は最近情緒が不安定で、何度か気を失って倒れたことすらあった。
その時、友人は不審に思って確かめに行こうとしたが、息子から見間違いだと言われて、そのままにしてしまったらしい。春江に会った時、彼女が正雄と親しくしていたことを思い出し、ついでのように話してくれた。陽咲ちゃんに会うことがあったら、このことを伝えておいてほしい、と。赤の他人である自分たちがむやみに墓を詮索するのは、故人に対して失礼に当たると思ったからだ。春江がまさにそれを陽咲に打ち明けようとしたその時、陽咲のスマートフォンが鳴り響いた。画面をアンロックすると、蒼空からの着信だった。「春江おばあさん、ちょっと電話に出るね」春江はこくりと頷いた。陽咲は数歩離れた場所へ移動し、電話に出た。「蒼空、どうしたの?」「智琉の腹心である壮真を見つけた。今は御影荘にいるんだが、こっちに来られないか?」陽咲は真剣な顔つきになった。「行けるわ。今すぐ向かう」電話を切ると、彼女は春江の方へ向き直り、少し急き立てるような口調で言った。「春江おばあさん、ごめん、急用ができちゃった。また時間ができたら会いに来るから、話はその時にね」春江は咄嗟のことで状況が飲み込めず、思わず頷いてしまった。遠ざかっていく3人の後ろ姿を見て、ようやく正雄の墓の件を伝えそびれたことに気がついた。春江は小さくため息をつき、また今度会えた時に話そうと諦めるしかなかった。……3時間後、3人は御影荘に到着した。陽咲たちは使用人に案内され、直接尋問室へと向かった。ドアを押し開けて中へ入ると、長身の蒼空がすらりと立っていた。その全身からは冷ややかなオーラが放たれ、人の上に立つ者特有の威圧感が漂っている。彼は氷のような視線を壮真に向けた。「智琉はどこにいる?」しかし、壮真は一言も発しようとしない。陽咲たちが部屋に入ってきた姿を目にした瞬間、壮真の視線は陽咲に釘付けになった。陽咲が不快そうに眉をひそめる。それに気づいた蒼空が壮真の前に立ち塞がり、その視線を遮った。壮真は突然、声を上げて笑い出した。蒼空が眉を寄せて問いただす。「何がおかしい?」壮真は指で陽咲を指し示し、涙が出るほど笑い転げた。「そいつは本当に馬鹿だな。いまだに蚊帳の外で、何も知らされていないとは、まったく哀れなもんだ!」陽咲は冷ややかな声で問う。「どういう意味
言い捨てて、陽咲は背を向けた。それを見届けると、悠里はノートパソコンを閉じ、怜央の元へ歩み寄った。「怜央さん、一緒にご飯食べに行くって言ってたよね。いつ行くの?」そう言うと、彼女は陽咲をちらりと見て誘った。「お姉さんも一緒に行く?」陽咲は静かに微笑み、誘いを断ってそのまま社長室を後にした。彼女が去った後、怜央はその背中をじっと見つめ、何を考えているのか沈黙していた。悠里に何度か呼ばれ、ようやく彼は我に返った。陽咲は社長室を出た後、弁当箱を持って昼食を温めに行った。食事中、スマホが振動した。蒼空からのメッセージだった。【清水さん、あのカップの購入リンクを教えて
写真に写っているのが蒼空だと分かると、怜央は安堵の息を吐き、悠里に事情を説明した。悠里の瞳の奥に、一瞬だけ落胆の色がよぎった。だが彼女はすぐに白々しいほど安堵した表情を作り、陽咲を気遣うふりをした。「よかった、ただの誤解だったのね。でも、もしお姉さんが本当に質の悪い男に絡まれてたらと思うと、ぞっとするわ」その言葉に含まれた「不幸になればよかったのに」という本音を敏感に察知し、陽咲は冷ややかに鼻で笑った。「余計なお世話……それより、自分の心配でもしたら?こんな夜更けに姉の夫の家へ上がり込むなんて。世間に知られたら、『お里が知れる』って後ろ指を指されるだけよ」悠里の顔から血
陽咲は足を止め、背後の車に乗る男を、露骨な警戒心を持って凝視した。男の顔立ちは、息を呑むほどに整っていた。その眉の下に落ちる深い影が、彼の瞳をいっそうミステリアスに、そして官能的に縁取っていた。底知れぬ泉に沈む黒曜石のような瞳は、冷たく澄み渡り、一切の揺らぎを見せない。だが、その静謐な眼差しに見据えられると、心の深淵までをも無遠慮に暴かれてしまうような、不思議な圧迫感があった。男はシートにゆったりと身を預け、口元をわずかに綻ばせて彼女と視線を合わせた。「……どなたですか?」陽咲は悟られないよう、静かに半歩後ろへ下がった。淡々とした問いかけの中には、明確な拒絶と疎遠な響きが含
陽咲は静かに怜央を一瞥しただけで、何も答えなかった。代わりに口を開いたのは、聡子だった。その声には、隠しきれない嘲笑が混じっている。「ええ、あの子の祖父は確かに清水正雄という名前だったわ。でも、ただの田舎者よ。土いじり以外に何の取り柄もない男で、二年も前に死んだわ」二年前――それはちょうど、陽咲が望月家に引き取られた年だった。そこまで言うと、聡子は忌々しげに陽咲を睨み、ため息をついた。望月家に引き取られて以来、陽咲は頑なに「清水」の名字を変えようとしなかった。「血の繋がりは、名字ひとつで証明するような薄っぺらいものではないでしょう」というのが彼女の言い分だった。聡子も頭