四月 九日
俺は誘拐されました。
中学校の始業式の帰りに、見知らぬ男に車の中に連れ込まれました。
そして今、男の家にいます。
誰か助けてください。
始業式の日、俺はまた始まる学校生活にため息をついた。
やはり休みというのは終わって欲しくない。ずっと休みで、家でゴロゴロして、意味もなく眠ることができたらいいのに。
「よお」
全く、なぜ休みというのは終わるのだろう。
「おい」
まあいいか。ゴールデンウィークまでの辛抱だ。ゴールデンウィークが来れば、俺はまた起きては眠り、の生活ができる。
「……じっとしてろ」
ぐいっと腕を引かれたと思いきや、そのまま勢いよく車の中に放り込まれる。
「ぐぁっ!」
「よお、さっきから無視しやがって」
真横から頭を乱雑につかまれ、強制的に視線を上に向けさせられる。その先には、顔の良い鷲鼻の男がいた。三十代くらいで、目の奥が深く青い色をしている。
「遠藤紫苑くん、これからよろしくな」
「なんで、俺の名前を……」
言い終わる前に頭を後部座席に勢いよく打ち付けられ、動かないように腕を麻縄で固定された。
「行くぞ」
いつの間にか男は運転席に座っていて、何事もなかったかのように発進する。下を向いていることと見知らぬ車の匂いに、俺は頭がクラクラした。
「おい、ここで死ぬなよ」
バックミラーに映る男の目は確実に俺を捉えていた。
「これからが楽しいんだよ」
にっこりと笑う男の顔を最後に、俺は意識を手放した。
◇
「う、あ」
「静かにしろ……」
あれから一週間、飲まず食わずで男に犯される日々が続いている。
いや、飲みはした。汚いものだけれど。
ぐちゅぐちゅと解されていく卑猥な音が、テーブルとベッドのみの簡素な部屋に響き渡る。
「喜んでるじゃねえか」
「よろこんでなんか、ない……」
にやりと笑う男は、本当の畜生で、サディストで、屑だ。
名前も知らない男に犯される未来など、予想していなかった。父親と母親に愛され、ごく普通に育ったのに、なんでこんな仕打ちを受けなければならないのだろうか。
「いれるぞ」
「まって、おねが────」
ゴチュッ。
一気に奥を突かれ、視界が一瞬白くなる。ちかちかして、気味が悪い。
激しくガツガツとしているこの男の犯し方は、なんの体験もない俺にとって地獄以外の何でもなかった。女子と付き合ったこともないのに、なんで男にハジメテを奪われなければいけないのだろう。
「はっ……なんだ、嬉しいのか」
目尻から溢れていく涙も、こいつの前だと嬉しそうに見えるのだろう。大層目が腐っていて、下品極まりない。
「やめ、ろ、んぁ」
「嬉しくなけりゃ、そんな雌の声、出さねえだ、ろ」
自分の発言のテンポと同じようにリズムを取って、男の一物は俺の中で暴れる。
「やめて、おねが、い」
「出すぞ」
俺の声は無かったことのようにあしらわれ、今まで以上に打ち付ける速度を早めていく。
やめてくれ、中に出されると腹が気持ち悪くなるんだ、ここだけは抵抗しなければ。
「……なんだ?」
やめてほしいという意思を伝えたくて、目の前にある逞しい胸襟を小さくグーで叩く。中だけはやめてくれ、もうこれ以上中にやられたら、壊れてしまう。
男の速度は突然停止した。萎えたのか、萎えてくれれば俺にとっての地獄は終わるのだが。
だけど俺の中にあるものは熱をもったまま、更にずんと大きくなる。
「滾った」
舌なめずりをし、男は俺に覆いかぶさる。これは、まずい。逃げれなくなってしまう。上に起き上がろうとするも、男が体重をかけてきて俺はなすすべもなくなる。
「出す、ぞ」
「や、めて、おねがい、う、あ」
どくどくと、熱が打ち込まれる。それと同じように男もうめき声をあげながら、満足したような表情を浮かべる。
「イイ表情じゃねえか……」
◇
「気持ち悪……」
今日は五発、中に出された。
中に出した当の本人は外出中だ。鍵はカードなので、俺が外に出るのは男が一緒でない限り無理な話である。
最近、こうして一人状況を分析できている。
前までは男が常に一緒で、終始犯されていたのでそんなことを考える余裕もなかった。なかったというか、与えられなかった。それが男が外出するようになってから一人の時間が増えて、こうして部屋の中をうろうろしたり、本を読んだりもできている。
あいつがいない間にわかったことは、この家は平屋で鍵がカードであり玄関からの脱出は難しいこと、窓から見た景色ではこの辺りは住宅街というわけではなく、近くの建物は右斜め前に洋風住宅が一軒建っているだけ、窓を割ろうにも、この部屋の中に鈍器や俺が持ち上げれるくらいの重さのものは存在しないこと。
「脱出は不可能そうだな……」
うんうんと唸っているとガチャリと扉が開く音がする。ビクッと思わず体が跳ね、強張ってしまう。
「起きてたのか」
「別に……」
「体はどうだ?」
この男は自分で俺を苦しめているのに、悠長に俺の心配をしてくる。苛立ちと恐怖が混ざって吐き気がする。
「別に、お前には関係ない」
「……そうか」
男はギッとソファーを軋ませ座ったと思うと、ピッとテレビを点けぼんやりと液晶を見始めた。
俺はすることもなくベッドに入った。こいつと一緒のベッドで寝ることが癪に障るが、ここ以外で寝るといつもの倍犯される。一種の諦めのような感情を持ちながら、俺は半ば強引に眠りについた。
◇
男は頑なに俺のことを離そうとしない。
寝てるときも、起きてるときも、出かけるとき以外は、頑なに俺のそばにいる。
「……うう」
例のごとく中に出され、腹を下している俺は腹部を抱えベッドの中でうずくまる。
男はどこかに出かけたようで、家には俺一人。食事をした後にセックスをして中に出され、風呂にも一緒に入りまたそこで中に出される。もうお腹が下るのも慣れてしまった。
もう、疲れた。
父さんと母さんに会いたい。
でも、ちらりと見るテレビに俺のことは全く放映されていない。
ガラスを割るためのものもない。
「もういいや」
じゃあ、俺が死ねばいい。
俺が死ねば、もうそれで色々解決するのだろう。
そう考えてしまえば、俺の行動は早かった。目の前にガスコンロがあったので己の体を燃やして跡形もなくする事に決めた。
コンロのツマミをひねると、チチチと音がしてガスが灯る。
なにも乗せていない火は、ただゆらゆらと中火のまま揺れていた。
俺はもう死ぬ。死ぬんだ。あんな奴と一生一緒にいるなら、俺はもう死んでやる。
俺は炎に手をかざした。
「馬鹿!!」
俺は押し倒されていた。燃えたはずの手に男の手が重なっている。男の手がひんやりと冷たい。
「お前、死ぬ気か!」
男が俺の顔の真ん前で怒気を孕んだ声で叫ぶ。その表情は今まで一度も見たことのない、人間味のある顔だった。
「あーあ、死ねなかった」
生き死にもこの男に掴まれているんだな。
もういいよ、勝手にしろよと自暴自棄に一人で思っていると、男は俺の胸の中で泣き崩れた。
唸りながら泣く男に何も声をかけず、俺は天井を見上げていた。
◇
「食べないのか?」
男が食事をしながら聞いてくる。俺と男の前には色とりどりの料理が並べられている。肉じゃが、つみれ汁、ほうれん草の煮浸し……でも、俺の食欲は湧かない。こんな奴が作ったもの、食えるわけがない。
「安心してくれ、毒は入ってない」
あの一件以来、男はよそよそしくなった。俺がそんなに大切なのか、大切ならもっと誠意を見せてほしい。
「ほら」
肉じゃがを差し出してくる男の目は、子犬のように寂しげに潤んでいた。部屋を漁ったとき毒物はなかったが、やはり怪しい。俺は小さく首を振った。
「……そうか」
立ち上がって俺の横に来たかと思うと、ご飯をつみれ汁にぶち込み、ぐるぐると混ぜ始めた。
「これなら、食べれそうか?」
全く話を聞かないやつだ。何なんだこいつは。ふいっと視線をそらすと、男はグイッと白飯の入ったつみれ汁を飲み干す。
「……食べないお前が悪い」
顎を掴んだと思うと、ぐっと顔が近づきキスをされる。食事中にキスなどご法度にも程がある。俺が全力で抵抗していると、にゅるりと舌が入ってきて、思わず声が漏れる。
「ん、う」
すると出汁の味がふわりと鼻腔を漂い、俺は思わず驚く。
その反応をくぐり抜けるように、男はより多くの食べ物を口に入れてくる。性的なキスというより、ものを食べてほしいという懇願のキスと言ったほうが良いだろう。
「やめ、ろ!」
男の体を突き放し数メートル離れたあとに、心底不安そうな顔が目に入ってくる。
「……こうでもしないと、食べないだろ」
「だからって、お前」
「……すまん」
男の今までの自意識過剰な態度とは打って変わって、しょげた顔で俺を見上げる。そんな顔をしたいのは俺の方なのに。
「美味しかったか?」
「わかんねえよ!」
「そうか……」
なんで突拍子もなくキスをした後にそんなことを聞けるのだろうか。戸惑っているだろうとか、ちょっとは考えなかったのだろうか。この男が、わからなすぎる。
「その……よかったら、まだあるから」
男はそう言いつつ、すとんと椅子に座った。落ち込んでいるのは目に見えて分かる。それにこんな野蛮な男は嫌いなのもわかる。だがさっきの出汁の匂いは、かなり美味しそうな匂いだったのも事実で。
「……はあ」
食べ物に罪は無いのも、事実で。
「……一口だけな」
そう男に言い、立ったまま肉じゃがを口に含む。
「ど、どうだ!?」
思わず立ち上がったと言わんばかりに男が聞いてくる。それをシカトして、むぐむぐと噛み毒物がないか味わう。
じゃがいもは噛むと、ふわりと素朴な甘みが漂い自然の旨さを引き立たせている。更によく噛むと、じわじわと出汁の味が際立ってくる。
「……うまい」
口からこぼれた言葉は事実だった。悔しいけどこの男の料理はうまい。改めて座り、もう一度肉じゃがを頬張ると、男の満面の笑みが視界に入ってくる。
「……なんだよ」
「いや?」
箸を止めて俺を観察してくる男の顔は、さっきの表情とはまた変わり子を見守るような目になっていた。なんだか気持ち悪いので、俺はじろりと睨んだ。
「言っとくけど、お前に心許したわけじゃねえから。お前の料理が美味しいだけだから」
「おうおう、たんと食べてくれ」
まるで話が噛み合っていないが、さっきのキスのときに毒が入ってないのもわかったし、まあ食べてやろう。これは食べ物が美味しいからなのであって、俺がチョロいわけではない。断じて。
◇
最近、男に無理やり犯されることは無くなった。
むしろ何が食べたいだとか、お前はどんな花が好きなんだだの、俺の趣味を根掘り葉掘り聞いてくる。
一体どういうことなんだろうか。与えられる優しさが妙に誠実で、理由のわからない不安を抱く。
「お前本当によくわからないよ……」
ぽつりと呟いた言葉に返事はない。座椅子に座る男はうたた寝をしていて、俺は天井のシミを見つめていた。
ふいに玄関で奇妙な気配を感じて、俺は男を起こさないようにそろりそろりと向かった。
「紫苑くんかい?」
「え、あ、えと」
「迎えに来たよ、扉を開けてくれる?」
扉の覗き穴から見る限り、全身真っ黒の服装にマスクにサングラスという、いかにも怪しい奴がそこに立っていた。
「開けないなら力ずくだ」
ギシギシという気持ち悪い金属音と共に扉が悲鳴を上げる。警察とは到底思えないし、出てはいけないという俺の本能が仕事をしていた。
俺がどうすればいいのかわからずあたふたしていると、後ろから低い声が聞こえる。
「下がれ」
俺は男に後ろにいるように促され、言われるままに従う。
「お前か……ガキを出せ」
「紫苑くんとか言いましたよね?」
声のトーンを少し上げ、男は外の不審者に告げた。
「残念、うちの息子は太郎っていう名前なんです」
男が適当に嘘をつくと、扉の向こうから不審者がぶつくさ言いつつも去っていく音が聞こえた。
「……なあ」
俺に向かって男が振り向く。うつむいたまま俺は続けた。
「なんで俺を助けた」
自殺しようとしたときからずっと思っていた。なんで俺を助けるんだ。なんで俺を犯さなくなったんだ。疑問が多すぎて頭がおかしくなりそうだ。
「なんで俺を……」
ぎゅ、と握りこぶしを作り、男を睨む。男は眉間にしわを寄せ、困ったような表情をしている。
「お前が好きだからだ」
男の口から漏れた言葉に思わず耳を疑う。好き? こいつが、俺を?
「ふざけんな!」
そっと頭に乗せられそうになった手をパシっとはねのけ、俺は続ける。
「好き、だと思ってるなら、監禁なんて、しない……!」
途切れ途切れに言葉をつむぐ。唇を噛み締めていると、男もまた同じような顔をし俺の前にしゃがみこむ。
「……すまない」
こんなに上目遣いをしてきたことは今までなかった。懇願の視線を真に受けれず、俺はたじろぐ。
「……保留にさせてくれ」
返事をしたところで、俺が監禁され続けることには変わりない。そんなだったら、うやむやにしてしまったほうがいい。
「そうか……」
気まずい沈黙が、俺達を襲う。男はうつむいたままで、俺はため息をついた。
「もう少しの辛抱なんだ……」
ボソリと呟いた男に、俺ははてなマークを浮かべる。
「……辛抱って、なんだ?」
俺の質問に対し、男は目を泳がせ少しの沈黙が流れる。
「それは、言えないんだ」
そのままゆっくりと、男は俺に語りかける。
「ただ、あの家にずっといたら……」
あの家、とは父さんと母さんが待っている家のことなのか。
「……なんでもない」
ごめんなとつぶやいた後に男は座椅子に戻っていき、俺はぽかんとその場に突っ立っていた。
ごめんなと笑う顔が、あまりにも親父に似ていて、俺はひどく困惑した。
◇
それからも男からの優しく穏やかな日々が続いた。
男にあんな風に告白されたのに、奴が返事を無理やり聞き出してくることはなかった。
「紫苑、掃除するか」
それどころか、俺はこいつに丸め込まれて掃除の手伝いや洗濯の手伝いまでされている。料理の手伝いは火事を起こしたことがトラウマなのか、手伝おうとすると頼むからそこで座っててくれと泣きつかれるレベルだ。
「ねえ、これどうするの」
タンスの奥から出てきた小汚い本を出すと、それは捨ててくれていいぞと返される。なんでこいつの掃除を手伝わなきゃいけないんだ。
「俺は監禁されてるのに……」
「心の声を代弁するな」
まるで仲良しみたいじゃないか。悪くは無いけど。
「掃除機どこ?」
「掃除機は無いんだ、俺は掃除機の音が嫌いでな」
「はあ?」
掃除機の音が嫌いな大人なんて聞いたことがない。少なくとも俺の周りにはいない。
ため息をつきながらガムテープでペタペタと粘着掃除を黙々と行う。
「紫苑、お腹空かないか」
「なんでまた」
「実は昨日の夜からプリン作ってたんだ、よかったら食べてくれないか」
プリンで釣るとは、こいつは俺を何歳だと思っているんだ。
「……手洗ってくる」
言っておくけど、別に、その、美味そうだからとか、そういうのじゃない。甘味を最近食べてないからとかそういうのじゃない。断じて。断じて。断じて。
「お!じゃあ用意して待ってる!」
嬉しそうな顔が何だか癪だが、まあプリンのためならなんのその。
手を洗い終え椅子に座ると、ぷるぷるのプリンがテーブルに用意されていた。
「うまそ」
「食ってくれ」
早速口に運び、柔らかい食感を楽しむ。甘さもなかなかに主張してて、手作りにしては上出来だと思う。
「うまいよ」
「本当か!」
にこにこしている男をガン無視してあっという間に平らげてみせた。俺が食べ終わった皿を洗う男の背中がやけに細々としていた。
「お前ってなんでそんなに料理うまいの?」
「えっ?」
頬杖をつきながら聞くと、少しの沈黙のあとに小さな声で返事が返ってくる。
「一人で生きていくしか、なかったからかな……」
「どういうことだよ」
意味がよくわからなくて、間髪入れずに突っ込むと、食器を洗い終えてこちらに振り向く。
「自分くらい、自分のこと愛してあげないと可哀想じゃないか」
乾いたように笑う男の表情に、やけに陰があったのを俺は黙って見ていた。
◇
「お前と寝るのも慣れてきた」
「誘ってんのか?」
誘い受け発言は無視し、眠ろうとする。
「……」
ふと、あることが気になり俺は男の方に寝転ぶ。
「なあ、お前はなんて名前なんだ?」
そのまま口走ると、男は素っ頓狂な顔をする。
「俺か?」
「お前以外いないぞ?」
男は少し暗い顔をする。
「水郷蓮……っていうんだ」
「すいきょう、れん?」
俺が復唱すると、そうだと頷く。
「俺は……虐待されてた」
男は少しずつ、過去を話し始めた。
「食事が与えられるのは稀で、学校にも行かせてもらえなかった。父さんがイライラしてる時は、サンドバッグになってたよ」
一点を見つめながら話す男の横顔が、やけに美しかった。
「俺には兄がいてな、成績優秀で運動もできたんだ。完璧な奴だった。」
兄に男の全てを奪われた、みたいな感じなのか。俺はひとりっ子だからわからないけれど、辛いものがあるだろう。苦しそうな顔を見て理解する。
「だからこそ俺は比べられ、罵られた。親が寝てる間に外に逃げて、警察に保護されて、児童相談所に……って感じだ」
あまりにも壮絶で、俺は息を呑んだ。そんな俺とは打って変わって、男は淡々と話し続ける。
「そこで良い里親さんに出会ってな、老夫婦だったんだがとても親切にしてくれて……でも俺は馬鹿だから、その人達に沢山愛されたけど、愛し方はわからないままなんだ」
渇ききった笑みを浮かべた男を、俺は黙って見つめていた。
「教えてくれ、愛って何なんだ? 殴らないことか? 帰ったら温かい夕食があることか? ……それとも性欲を満たすことか?」
目にうっすら涙を浮かべ、唇をきゅっと噛み、男は俺に問う。その姿はとても誘拐犯には見えなかった。
「それを中坊に聞くのか?」
へらっと笑ってみせると、そうだよなと男自身の髪をくしゃくしゃし始める。
「まあ……好きな人と、一緒にいれることじゃないのか?」
男はさっきの俺のように、静かに聞いて静かに頷いていた。
「中学生だから、俺もよくわかんないけど……でも、幸せってもんには、いつも愛がそばにいると思う」
ポエムのようなことを口走り恥ずかしくなっていると、男は柔和な表情を浮かべる。
「なるほどな」
穏やかな空気が、俺達を包み込む。この空気感を、この男はわかっているのだろうか。
「なあ、あんたのこと」
この男に、近づきたい。この男の最深部に、浸りたい。
「名前で……呼んでもいいかな」
途中で照れくさくなり俯くと、男は至って普通の声色で返してくる。
「別に良いが」
「じゃあ……蓮、さん?」
呼び捨てよりはさん付けのほうが良いかと思って、と言うと男は固まる。
「さん付け……」
「い、嫌?」
「興奮する」
「蓮で」
「呼び捨て!?」
俺の言葉が信じられないのか、男……じゃなかった、蓮はわなわなと震え始める。
「これ以上興奮したら俺のケツがもたねぇよ……沈めてくれ」
ぎりぎりと蓮は歯ぎしりをする。それをよそに、俺は睡魔に正直に従うため寝ようとする。
「おいまだ話は終わってないぞ」
「俺が今終わらせたんだよ、寝るよ蓮」
「さん付け……」
しゅんとした声が聞こえたがそれを無視し狸寝入りをかます。
落ち込んでいそうな声色が、可愛いと思ったのはヒミツだ。
◇
チュンチュンと、けたたましくも優しい雀の鳴き声で目を覚ます。
薄ら寒い空気に包まれた室内で枕元の時計を見ると、秒針は午前九時半を指していた。
「もうこんな時間……」
外に出てないから眠り続けるというのは良くない。たとえ遅かろうとしっかり朝に起きて夜に眠る生活のほうが、性に合っている。目を擦り起き上がろうとすると、腰に手が巻かれているのに気づく。
「蓮……邪魔」
腕を離してもらおうと耳元で話しかけるも、起きる気配は無い。それにこの腕の馬鹿力、簡単には抜け出せないだろう。まるでこいつの性格のようだ。
仕方ないので俺も二度寝を決め込もうとした時だった。
「ここらしいぞ」
「ああ、水郷蓮……だったか」
聞きなれない男の声が、窓の外からヒソヒソと聞こえてくる。
「窓から突入するか?」
「やめとけ……できる限り穏便に」
「闇の人間って時点で穏便に済ます気はないがな」
「まあ、それもそうだな……」
突入という言葉を聞いた途端、背中にヒヤリとした気持ちの悪い冷気を感じる。まずい。外に不審な男がいる。
「まずいな」
「蓮……起きてたのか」
いつの間にか目をがっつり開いた蓮も、聞き耳を立てて警戒している様子だった。
俺のかけた言葉に対し、耳に唇を寄せてくる。
「お前に、耳元で囁かれたらな。そりゃあ起きるさ」
「なっ……」
そう言うと……蓮は、ぎゅうぅと俺の身体に手を回す。
「今すぐにでもおっぱじめたいが、そう簡単には行かなそうだ」
きつく俺を抱きしめ、再度外の声に耳を傾ける。まるで俺を怖がらせないように、耳は二の腕の中に包まれていた。
「蓮……俺達、離れ離れに」
「やめろ」
冷たくピシャリと俺の言葉を封じる。
「そんなこと、あってたまるか」
「蓮……」
ひと呼吸おいたあとに、蓮は続けた。
「……ずっと黙ってたんだが」
「……え?」
「お前の父さんは……」
ガシャン!! バキイィッ!!
「くっ……!」
窓ガラスが割れると共に、侵入してきた男二人が土足で俺達の被っていた布団を剥ぐ。
俺の顔をまじまじと見つめると二人でアイコンタクトを取る。
「な、何だよ」
俺がそう睨んでみせても何も言わずに、蓮の腕を思い切りへし折ろうとしてくる。
「ぐっ、あぁぁ!」
「蓮!やめろ、てめえら!」
蓮の手が少し緩むと、男たちは俺のことを、蓮から引き剥がしてくる。
「蓮! 蓮…!」
こいつらは俺を横抱きにして、外へ連れて行こうとする。
「やめろ! なんだお前ら!」
俺が足をジタバタしようとも、男たちはズカズカと外に向かって歩く。
もう一人の男に目をやると、俺を取り戻そうと走り、隙を見せた蓮の腹部に拳を入れた。
「蓮!!」
地面で苦しそうに蹲る蓮の元に駆け寄りたくて、俺は男の股間を蹴り腕が緩んだ隙に蓮に駆け寄る。
「やめろ紫苑!!」
「蓮に手を出すな!」
俺が蓮の前で手を広げると、男達は呆れたような顔をする。
「ったく……手間かけさせやがって」
男がコキコキと肩を鳴らした後、俺を羽交い締めにし、窓から真横に停めていた外車に放り込む。
「ぐあっ!」
後から押し入ってきた男に素早く手足を拘束され、身動きが取れなくなってしまう。
「紫苑!!」
目尻でうっすら認識できるくらいに小さな蓮が、声を張り上げる。
「俺は必ず、お前をーーーー」
勢い良くドアが閉められ、急発進の音で全てはかき消された。
「やれやれ……坊っちゃん、大丈夫か?」
「大丈夫じゃねえよ、ていうか……坊っちゃんってなんだよ、蓮はどうなるんだ!」
俺が食って掛かると、そんな怖い顔するなと窘められる。
「まあ……殺されるだろうな」
「そんな……!」
蓮が死ぬ。俺のせいで、蓮が。でも、どうして蓮が殺される必要があるんだ? そりゃあ監禁してきたのはあいつだけど。
「ずっと思ってたんだが、お前らはどうしてそんなに相思相愛なんだ?」
「え……?」
重い頭をフル回転して考え込んでいると、隣に座る男が顔をのぞき込んでくる。
「お前は監禁されてたんだろ? 怖いとは思わなかったのか?」
「確かに最初は嫌な奴だったよ、でも」
「何されたか知らないけどよ」
男が手を伸ばしてきて、思わず俺の体はたじろぐ。
「ひっ……!」
「ほら、トラウマになってんじゃねえか」
そんな俺の姿を見て、男は面白いものを見たようにニタリと口角を上げる。
「俺がちょっと肩に手を置こうとしただけでこのザマだろ?」
「今は、ちょっと驚いただけで」
「嘘つけ、嫌悪感溢れる顔つきだったぞ」
嫌悪感が勝手に表情に出ているとでも言うのか。俯いて顔をペタペタ触っていると、視界に男が入ってくる。
「お前は、洗脳されてんだよ」
ゆっくりと語りかける男の顔を、俺もゆっくりと見返す。
「結局人間、自分の命が惜しい生き物だからな。今回も、逃げ切れずに渋々リークしたんだろ」
「でも、俺を守ろうと」
「建前ってやつ知らないのか?」
反論する語彙が無くて、きゅっと唇を噛み締める。男は淡々と続けた。
「あれが演技かもしれねえじゃねえか」
「……でも」
「人は浅はかな生きもんだ。ちょっと優しくされただけで信用してちゃ、いつか殺されるぞ」
確かに蓮は、俺を監禁した理由を頑なに話してくれなかった。きっと下心で監禁したのが、だんだん恋心に勘違いしていったのだろう。結局俺じゃなくても良かったのだ。俺じゃなくても、他の同年代の男の子に欲情するのなら、俺である必要はない。
虚しい事実に気づいてしまったらもう、涙は止まらなかった。
「ま、忘れるのがいいさ」
ぽんと男に頭を優しく叩かれた。目から落ちる涙を拭うこともせず、俺は声を殺して泣いた。
◇
家についたのは、夜の九時頃だった。
「紫苑!」
玄関を開けてすぐ、母さんに抱きしめられた。俺の頬をぺたぺたと触ってきて、生死の確認をしているようだった。
「怪我はしていない? お腹は空いていない? 辛かったでしょう?」
「わかった、母さん落ち着いて」
玄関先にも関わらずわんわん泣く母さんを俺は宥める。
いつの間にか俺を家へ連れ戻した男たちは消え、代わりに久しぶりに見る顔が姿を現す。
「紫苑……」
「父さん」
少しの間沈黙が訪れたかと思うと、一気に駆け寄ってきて俺と母さんをまとめてぎゅうと抱きついてくる。
「良かった……本当に良かった……」
二人でぼろぼろと涙を流す姿を見て俺はもらい泣きしたのか、目から暖かいものが溢れる。
「ほら、部屋に行きましょう」
「そうだな、腹減ってないか?」
「それさっき母さんに言われたよ」
三人でけらけら笑った。またいつもの日常に戻れるのか。少しの安堵をした。
その後遅い時間ということもあってか、みんなで晩御飯を食べた。
母さんは俺が好きな生姜焼きを作ってくれた。ご飯もたくさんおかわりした。
父さんもいるのは珍しくて、ずっと三人で談笑して笑っていた。久しぶりの家族三人での晩御飯も本当に楽しかった。
なのに、何なのだろう。
この一抹の、拭えないもやもやの正体は。
◇
なんだか眠れない。
やっと家に帰ってこれたというのに、家に帰ってきてから三日も経っているというのに。
隣にあいつがいないから?
あいつが頭を撫でてくれないから?
そんなことはないと頭をふるふる揺さぶり、気分を変えるために台所で水を飲もうと思いたち布団からはい出る。
とんとんとんと階段を降りると、なんだか話し声が聞こえて、思わずゆっくりと足音を忍ばせる。
声の出処はリビングルーム、煌々と輝く電灯の下で、父さんと母さんがひそひそと話している。
「あの子、帰ってきたわね」
「そうだな……一時はどうなることかと」
「怪我の痕が無いか、明日隅々まで調べるわ」
「ああ……クソッ、あいつ……」
「あなた……紫苑が起きるわ……」
父さんが机を叩き、母さんが宥める。なんの話をしているのか分からず、直に聞こうと俺は部屋に入ろうとした。
「あいつさえいなければ……紫苑をすぐに売買できたのに……」
今、なんと言った。
「そうすればあなたの会社も、潤沢な資金が入って倒産しないで済むわよね……」
「そうだ、子供の臓器は高く売れるからな……クソッ」
倒産、臓器。
「もう寝ましょう……あの子も帰ってきたことだし」
「そうだな……おやすみ、凛子」
「ええ……おやすみなさい、あなた」
ちょっと待て。
俺は、もうすぐ死ぬのか?
蓮は、それを知ってて。
俺を、助けるために。
「ーーーーーッ!!」
真相にたどり着いてしまえば、もう逃げるしか無い。どこに逃げるかなんてわからないのに、遮二無二玄関に向かいドアを開け外へ逃げようとする。
「おい、どこへ行く」
ドスの効いた声が後ろから聞こえる。聞いたことない父親の声。まるで他人のように声をかけるんだな。
「まさか紫苑、全部聞いてたの?」
母親の冷たい声。こいつらは本当に家族なのか。握りこぶしを作り振り返ると、そこには血も涙もないような顔で俺を傍観する両親が立っていた。
「拘束しろ」
父親が顔色一つ変えず呟くと、母親が素早く動き目に見えぬ速さで俺を床に押さえつけた。
「バレてしまっては仕方ない、予定を早くしよう」
「もう明日の朝にでも……」
「そうだな」
嘘だと言ってくれ。俺が売られるなんて。こいつらのために、売られるなんて。
「なあ、俺は本当に出荷されるのかよ!」
「そうだが?」
即答とはこのことなのだろう。素早すぎる返答に俺は何も返せなかった。
「睡眠導入剤を打ちなさい」
どこからか母親が注射を取り出し、喉元に打とうとする。
「こんなことするのは、俺の知ってる父さんじゃない!」
「そうか」
何を言っても聞かない。この男は、本当に俺の親なのか。
母さんの掴む力が強くなる。
「母さん、もう父さんに従わなくても」
「無理」
一言呟かれ俺の首に痛みが走る。冷たいものが流れてくる感覚とともに、俺は意識を失った。
◇
「……ぐ」
拘束も何もなしに、俺は一面アスファルトのいわば独房に放り込まれた。
実の父さんが、あんなにも冷酷無比で残忍な男だったとは。
悔しくて涙が出てくる。悲しくて、痛くて、寒い。
こんなに暗いんだ、きっと地下深い所なのだろう。体が震えて仕方がなくって、俺は深くため息をついた。
きっともうすぐ体に詳しい業者が来て、俺は殺される。そして解剖されて、臓器を売られて……最悪の結末だ。
最後に、あいつの声でも聞きたかったな。
最後の、最後まで。
「紫苑!」
頭の中に思い描いていた人物が固い扉を勢い良く開け、俺に駆け寄る。
「れ、ん」
閉じかけの瞼の中、夢じゃないかと疑う頭を働かせる。
「良かった……! 無事だったんだな!」
蓮は俺を優しく起き上がらせて、自身のコートをそっとかけてくれた。
「どうして……」
「どうしてって、お前……」
両肩を掴む蓮の手に力が入り、にっと歯を出して笑いかけてくる。
「必ず助けるって、言ったじゃねえか」
蓮はそう告げた。
俺は、その優しい笑顔がもう一度見れただけで、また蓮と話せただけで、もう十分なくらい嬉しいよ。
そう言おうとした矢先、蓮の背中に回した手に生暖かい感触を感じ、恐る恐るそこに視線を向ける。
「蓮! 背中、血だらけ……!」
べっとりと赤黒い液体が、俺の手を染めていた。
「俺のことはいいんだ、お前が生きててくれればいい」
そう言いながら俺の頭を肩にぐっと寄せ、包み込むように抱きしめてくる。
俺はこんなに優しい人を、自分のためにここまでしてくれる人を疑っていたのか。
たとえ一ミリでも疑った自分が恥ずかしい。
「蓮、蓮……! 疑ってごめん……!」
「いいんだ……無事なら、それで」
「蓮、死なないで……! 俺と一緒に生きてくれよ!!」
「はは……ありがたいなあ」
ぼろぼろと溢れる涙を、人差し指でそっと拭ってくれる蓮がかっこよかった。
最後までかっこいいなんて、ずるい。
「茶番は終わりか」
乾いた革靴の音と共に、見慣れた男が現れる。
「父さん……」
「久しぶりだな……兄貴」
聞いたことない事実に、俺は耳を疑う。
「え、兄貴、って」
「そうか紫苑、お前には説明してなかったな……」
父さんは徐に咳払いをし、腰に手を当てる。
「俺は優秀だ」
「は?」
「俺は優秀で頼れる父で社長、対してろくでもない弟がいてな、頭も俺に劣るわ運動神経も遅れを取るわ……」
ろくでもない弟。それはつまり、今俺の体をを支えてくれてる、隣の男のことを意味しているのか。
「まあそいつは俺の父さんが養子に出して、俺達とはもう縁を切ったんだがな……どういうつもりだ」
「……え?」
「ロクデナシな蓮よ、どうして戻ってきたんだ?」
父さんの見下すような視線が、蓮に刺さっている。
「血を分けた兄弟の感動の再会が地下倉庫だなんて……お前も昔ここに軟禁されたはずだ」
父さんはなんてことだと言わんばかりに、頭に手を添える。
「今も震えが止まらないんじゃないか? それに兄の子供に手を出すなんて」
「クソ兄貴よ」
静かに主張を聞いていた蓮が、父さんに向かってほくそ笑む。
「ガキ助けて何が悪い」
父さんは鼻で笑うと、ポケットから銃を取り出し弾を詰める。
「さて……今からこいつを殺すが、お前はどうするんだ?」
父さんが銃口を向けた先は、俺だ。
「どうする、って?」
「一緒に死ぬか、服従し己の臓器を売り飛ばすか」
「……そんなの」
俺は口角を上げ、父さんの方を睨みつける。
「一緒に死ぬに決まってる……!」
「そうか」
父さんは銃に人差し指をかけ、俺を打とうとする。それと同時に、蓮が俺を最後の力を振り絞り抱きしめる形で守ろうとした。
そんなの、わかっていた。
俺が蓮を守ろうとすることなんて、わかっていた。
だから、俺は。
「ぐあっ!」
わざと蓮を避けて、銃弾を迎えるように手を広げたのだ。
「紫苑!」
蓮がすぐさま駆け寄ってきて、横向きにうずくまる俺の顔を両手で包む。
「こんどは俺が」
とぎれとぎれに、言葉を繋ぐ。
「蓮を、まもる、よ」
ゴホッと喉奥から血の匂いがして、だんだんと苦しくなっていく。
「紫苑! 紫苑!!」
「はぁ……心臓はキツイかもしれねえが、四肢は売れるな……次はお前だ」
銃の音。蓮の手が、離れていく。
「お前らは、本当に金のことしか考えねえんだな……」
蓮の靴底が目に入る。今蓮は俺のそばで立っているのか。
「……何が悪いんだ?」
「一回ぐらい、愛に忠実に生きてみやがれ!!」
「死ね」
バンッ。鈍い音と共に、蓮の苦しそうな顔が俺の視界に入ってくる。
「さてと……こいつらをどうしようか」
蓮が、息をしていない。蓮が、死んでしまったかもしれない。俺は父さんに一矢報いるため、起き上がろうとする。
「業者に説明せねばな」
ここじゃ何だ、外でトランシーバーを操作しようという声と共に、重い扉が開く音がした。
体が動かない。声も出ない。右手の指先が微かに暖かい。無機質な部屋の中での暖かさという違和感を感じて、目を開けようとした。
「まだ……生きてるか?」
蓮の目の奥に俺がいる。お互いに酷い顔だ。俺は小刻みに、震えるように頷いた。
「俺も、もうすぐ……向こうに行く」
深く息を吐く蓮のまつげが、静かに揺れる。
「お前と一緒の所に行けるように……」
右腕が動いたかと思うと、俺達の間に手が二つ現れた。重なり合う俺の右手と、蓮の左手。
最後の力を振り絞り、ゆっくりと、お互いの掌にキスを落とした。
「な……!?」
すると、扉の向こうで父さんの焦る声が聞こえてくる。
「警察だ!! 発砲音が聞こえたぞ!!」
重苦しい扉の開く音が、明るく聞こえた気がする。扉の方を向きたいのに、もう目も動かない。ただ蓮が、俺を向いたまま彼らに話す。
「助けて、くれ……」
蓮に続くように俺も声を振り絞るけど、出てくるのはか細い吐息だけだ。
「紫苑が、紫苑が……」
「大丈夫ですか!」
「すごい血の量だ、救急車を!」
色んな人が慌てている。俺はそんなに血を流しているのか。もうわからない。苦しくて、頭がボーッとして、でも蓮の手は暖かかった。
「紫苑を、紫苑を助けてください……」
最後に聞いたのは、蓮の声で。
それに安らいだのは、俺で。
安堵したのと同時に、俺は意識を手放した。
◇
「いやー……一時はどうなることかと」
俺が撃たれた直後に、元々近くにいた警察が発砲音を聞き突撃したそうだ。倒れてる俺達を見つけた警官が、心臓マッサージや応急処置をしてくれたことが救いだったらしい。
俺達は既に退院し、今は蓮の車の中で他愛もない話をしていた。
「警察に届け出て無かったのが、良かったというか悪かったというか」
「闇の仕事してて警察に被害届出す方が馬鹿だろ、暴走族とかの方が話がわかる」
「って警察の人が言ってたよな」
自分の意見のように喋る蓮が面白おかしくて、俺はけらけらと笑った。
「で、お前はどうするんだよ」
話を誤魔化すように、蓮は俺に目を向ける。
「親戚に引き取ってもらう、ってのが一般的なんじゃない?」
「……そうか、俺は叔父だったな」
「今気づいたのか誘拐犯」
誘拐犯は言わない約束だろと頭をデコピンされた。
おでこを抑えながら、俺は唐突にあることを聞きたくなった。
「ていうか、甥っ子ぶち犯したことにならないか? キンシンソーカン、ってやつ」
そう言うと、蓮はぎこちなさそうな表情で、目を横にやる。
「……いや、実は……その……」
もごもごと話す蓮に、もっとはっきり言えよと言ってみせると、蓮はシャキッとする。
「あの…クソ兄貴と俺、全く血のつながりが無かったんだ!! サツが言ってた!」
「……へ?」
どうやら……蓮は孤児だったようで、それを俺の祖父母が連れてきたようだ。冷徹な父さんに、弟をあてがえば、優しくなるだろう……というだけの意味で。
だと言っても、キンシンソーカンしたことには変わりないけど……まあ、いいか。
「一つ聞いていいか」
「なんだ?」
なんでもいいぞと鼻息を荒くする蓮に、俺は曇りなき眼で聞く。
「なんで最初レイプしまくったんだ?」
俺の発言に、蓮は石のように固くなる。
「あれは……その」
はくはくと金魚のように口を動かした後、蓮はきまりが悪そうにぼやいた。
「気持ちよさを覚えれば、俺のこと好きになってくれると思ったんだ……」
「は!?」
考えるよりも先に声が出た。この男、あまりにも恋愛というものをわかっていない。わかっていなさすぎだ。
「なんでお前そういう所で不器用なんだよ! 顔は良いのに!」
俺は隣で、ここぞとばかりに騒ぎ立ててやった。それと同時に蓮もびくりと肩を震わせる。
「仕方ないだろ! 今まで人を好きになったことなんて、一度も」
蓮はそう言いかけたところで我にかえり口に手を当てた。
「え?」
耳まで朱に染まっている蓮を前にして、俺はぽつりと呟く。
「俺が、ハツコイってこと……?」
黒目を左右に泳がせ、あーだのうーだのどもった後、蓮は俺に向き合う。
「……そうだが?」
大きな右手で口を覆い、伏し目がちになる と比例するように、俺の顔も熱くなっていく。
「はあ!? ハツコイが、中学生って、犯罪者ー!!」
気持ちをごまかすように大声で叫ぶと、蓮も叫び出す。
「い、いいだろ別に! ほっとけ!!」
ギャーギャー喧嘩して、数分後にはお互い肩で息をしていた。自分を誘拐した男とこんなことになるなんて、四月の俺は考えてもいなかっただろう。
「お前……本当に、俺と一緒でいいのか?」
「は? どういうこと?」
首を傾げる俺に対し、蓮は淡々と話し出す。
「俺は……お前が十八になるまでは一緒に住んで、そっからは好きにさせようと思ったんだ」
そんなことを考えていたのか、と俺は少し驚いた。檻を作って監禁するタイプの人間だろ、お前は。
「クソ兄……貴と一緒に暮らしてたら、お前は殺される所だったんだ。それを回避できれば何でも良かった、何でも良かったけど……」
蓮はそう言いかけて、俺の方を向いた。
「お前のこと、好きになっちまったから……離したくない」
さっきみたいにお互いに顔を火照らせ、お互いの視線が合った。
「ふ」
「ふ?」
「ふざけんな! 俺が出て行くとか、好きにすればいいとか、勝手に俺の人生決めんな!!」
「な……!」
わなわなと震えだし、弁解する蓮を前に、俺は続ける。
「お、俺はお前のことを想って」
「俺だってお前のこと想ってるよ!」
俺が想像以上にに大きな声を出したのか、蓮は少し戸惑ったような顔を見せる。
「そりゃあ最初は、イカれたレイプ野郎だと想ってたけど……でも、お前は父さんから俺を救ってくれたじゃねえか!!」
心なしか目に涙がたまっていき、話している途中で目線を下に向ける。
「それに、俺だって」
蓮の顔を見たいけど、俺の顔を見られたくない。もどかしさでいっぱいで、でもこれは、これだけは伝えたくて、蓮の方にゆっくり顔を上げた。
「……蓮と、離れなくない……」
いわゆる上目遣い、というものになってしまった。目の前の蓮は固まっていて、口をようやく動かしたと思いきや衝撃的な言葉を言い放つ。
「勃った」
「馬鹿じゃねえの!? 良いムードぶち壊すの大好きだな!!」
騒ぐ俺とは逆に、蓮はずっとにやにやしている。でもまだ、少し表情は暗い。
「いや……嬉しい、けど」
「けど?」
まだ何かあるのかと、俺は頬を膨らませた。
「レイプとか、しといて……俺はお前に顔向けできない」
「顔向けできないならこれから俺を甘やかしてくれよ」
考えるよりも先に言葉が出た。蓮は言葉の意味を理解してないようで、よくわからないような、困った顔をする。
「俺の父さん、馬鹿真面目で……お前なら分かると思うけど、テーブルマナーとか、勉強とか、色々と厳しかったんだ」
困惑気味の蓮を放っといて、俺は続けた。
「だからさ……俺を、適度に甘やかして?」
蓮に、俺は大丈夫と言わんばかりに、柔和に微笑んでみせた。
またほわほわとしたムードが流れ出す。
「セ」
「せ?」
実際に言うのは恥ずかしいことも、蓮の前なら言える気がする。俺はすうっと息を吸い込み言葉を発した。
「セックスも、しても、いいし」
セックスと言った所で羞恥心がこみ上げてきて俺はふいっと顔を背ける。
「ありがとう、じゃあ今から」
「性欲に忠実だな!! 頻度は一週間に一回な!?」
欲に忠実な男をまくし立てると、上に手を上げ降参のポーズを取る。
「わかってる、わかってる」
その言葉があまりにも棒読みで、俺は思わずため息をついた。
「ねえ、あの時の返事だけど」
「あの時?」
蓮は思い当たる節がないようで、こちらを向いて首をひねる。
「保留にしてたやつ……」
「あ、あれか」
もごもごと俺が続けると、唇に人差し指を当ててくる。
「いいよ、言わなくて」
「え」
まさか俺からの返事が欲しくないのか。俺の意思を聞く気はないのかなと、一瞬虚しさが心をよぎる。
表情に出ていたのか、悪い意味じゃないんだと蓮は訂正する。
「これから教えてくれよ、言葉じゃなくて仕草で」
ふと蓮の顔を見ると、降参のポーズを取ったまま俺の顔を見てにやにやしていた。
その顔があまりにも格好良くて、視線を逸らそうとすると、蓮の両手が優しく俺の頬を捕まえる。
「もう逃げれないぞ」
「望むところだ」
「もう逃がさないぞ」
「望むところだ」
挑戦的に返していると、蓮の顔が近づき、数秒間唇が重なる。
「……もう、離さない」
扇情的な目でそう囁かれては、もう逃げられない。ムカついたから、
「……望むところだ」
全く同じセリフで、返してやった。
END
四月 九日 俺は誘拐されました。 中学校の始業式の帰りに、見知らぬ男に車の中に連れ込まれました。 そして今、男の家にいます。 誰か助けてください。 始業式の日、俺はまた始まる学校生活にため息をついた。 やはり休みというのは終わって欲しくない。ずっと休みで、家でゴロゴロして、意味もなく眠ることができたらいいのに。「よお」 全く、なぜ休みというのは終わるのだろう。「おい」 まあいいか。ゴールデンウィークまでの辛抱だ。ゴールデンウィークが来れば、俺はまた起きては眠り、の生活ができる。「……じっとしてろ」 ぐいっと腕を引かれたと思いきや、そのまま勢いよく車の中に放り込まれる。「ぐぁっ!」「よお、さっきから無視しやがって」 真横から頭を乱雑につかまれ、強制的に視線を上に向けさせられる。その先には、顔の良い鷲鼻の男がいた。三十代くらいで、目の奥が深く青い色をしている。「遠藤紫苑くん、これからよろしくな」「なんで、俺の名前を……」 言い終わる前に頭を後部座席に勢いよく打ち付けられ、動かないように腕を麻縄で固定された。「行くぞ」 いつの間にか男は運転席に座っていて、何事もなかったかのように発進する。下を向いていることと見知らぬ車の匂いに、俺は頭がクラクラした。「おい、ここで死ぬなよ」 バックミラーに映る男の目は確実に俺を捉えていた。「これからが楽しいんだよ」 にっこりと笑う男の顔を最後に、俺は意識を手放した。◇「う、あ」「静かにしろ……」 あれから一週間、飲まず食わずで男に犯される日々が続いている。 いや、飲みはした。汚いものだけれど。 ぐちゅぐちゅと解されていく卑猥な音が、テーブルとベッドのみの簡素な部屋に響き渡る。「喜んでるじゃねえか」「よろこんでなんか、ない……」 にやりと笑う男は、本当の畜生で、サディストで、屑だ。 名前も知らない男に犯される未来など、予想していなかった。父親と母親に愛され、ごく普通に育ったのに、なんでこんな仕打ちを受けなければならないのだろうか。「いれるぞ」「まって、おねが────」 ゴチュッ。 一気に奥を突かれ、視界が一瞬白くなる。ちかちかして、気味が悪い。 激しくガツガツとしているこの男の犯し方は、なんの体験もない俺にとって地獄以外の何でもなかった。女子と付き合ったことも