四月 九日
俺は誘拐されました。
中学校の始業式の帰りに、見知らぬ男に車の中に連れ込まれました。
そして今、男の家にいます。
誰か。誰か……
誰か、助けてください。
始業式の日、俺はまた始まる学校生活にため息をついた。
やはり休みというのは終わって欲しくない。ずっと休みで、家でゴロゴロして、意味もなく眠ることができたらいいのに。
「よお」
全く、なぜ休みというのは終わるのだろう。
「おい」
まあいいか。ゴールデンウィークまでの辛抱だ。ゴールデンウィークが来れば、俺はまた起きては眠り、の生活ができる。
「……じっとしてろ」
ぐいっと腕を引かれたと思いきや、そのまま勢いよく車の中に放り込まれる。
「ぐぁっ!」
「よお、さっきから無視しやがって」
真横から頭を乱雑につかまれ、強制的に視線を上に向けさせられる。その先には、顔の良い鷲鼻の男がいた。三十代くらいで、目の奥が深く青い色をしている。
「遠藤紫苑くん、これからよろしくな」
「なんで、俺の名前を……」
言い終わる前に頭を後部座席に勢いよく打ち付けられ、動かないように腕を麻縄で固定された。
「行くぞ」
いつの間にか男は運転席に座っていて、何事もなかったかのように発進する。下を向いていることと見知らぬ車の匂いに、俺は頭がクラクラした。
「おい、ここで死ぬなよ」
バックミラーに映る男の目は確実に俺を捉えていた。
「これからが楽しいんだよ」
にっこりと笑う男の顔を最後に、俺は意識を手放した。
なんだか眠れない。 やっと家に帰ってこれたというのに、家に帰ってきてから三日も経っているというのに。 隣にあいつがいないから? あいつが頭を撫でてくれないから? そんなことはないと頭をふるふる揺さぶり、気分を変えるために台所で水を飲もうと思いたち布団からはい出る。 とんとんとんと階段を降りると、なんだか話し声が聞こえて、思わずゆっくりと足音を忍ばせる。 声の出処はリビングルーム、煌々と輝く電灯の下で、父さんと母さんがひそひそと話している。「あの子、帰ってきたわね」「そうだな……一時はどうなることかと」「怪我の痕が無いか、明日隅々まで調べるわ」「ああ……クソッ、あいつ……」「あなた……紫苑が起きるわ……」 父さんが机を叩き、母さんが宥める。なんの話をしているのか分からず、直に聞こうと俺は部屋に入ろうとした。「あいつさえいなければ……紫苑をすぐに売買できたのに……」 今、なんと言った。「そうすればあなたの会社も、潤沢な資金が入って倒産しないで済むわよね……」「そうだ、子供の臓器は高く売れるからな……クソッ」 倒産、臓器。「もう寝ましょう……あの子も帰ってきたことだし」「そうだな……おやすみ、凛子」「ええ……おやすみなさい、あなた」 ちょっと待て。 俺は、もうすぐ死ぬのか? 蓮は、それを知ってて。 俺を、助けるために。「ーーーーーッ!!」 真相にたどり着いてしまえば、もう逃げるしか無い。どこに逃げるかなんてわからないのに、遮二無二玄関に向かいドアを開け外へ逃げようとする。「おい、どこへ行く」 ドスの効いた声が後ろから聞こえる。聞いたことない父親の声。まるで他人のように声をかけるんだな。「まさか紫苑、全部聞いてたの?」 母親の冷たい声。こいつらは本当に家族なのか。握りこぶしを作り振り返ると、そこには血も涙もないような顔で俺を傍観する両親が立っていた。「拘束しろ」 父親が顔色一つ変えず呟くと、母親が素早く動き目に見えぬ速さで俺を床に押さえつけた。「バレてしまっては仕方ない、予定を早くしよう」「もう明日の朝にでも……」「そうだな」 嘘だと言ってくれ。俺が売られるなんて。こいつらのために、売られるなんて。「なあ、俺は本当に出荷されるのかよ!」「そうだが?」 即答とはこのことなのだろう。素早すぎる返答
最近、男に無理やり犯されることは無くなった。 むしろ何が食べたいだとか、お前はどんな花が好きなんだだの、俺の趣味を根掘り葉掘り聞いてくる。 一体どういうことなんだろうか。与えられる優しさが妙に誠実で、理由のわからない不安を抱く。「お前本当によくわからないよ……」 ぽつりと呟いた言葉に返事はない。座椅子に座る男はうたた寝をしていて、俺は天井のシミを見つめていた。 ふいに玄関で奇妙な気配を感じて、俺は男を起こさないようにそろりそろりと向かった。「紫苑くんかい?」「え、あ、えと」「迎えに来たよ、扉を開けてくれる?」 扉の覗き穴から見る限り、全身真っ黒の服装にマスクにサングラスという、いかにも怪しい奴がそこに立っていた。「開けないなら力ずくだ」 ギシギシという気持ち悪い金属音と共に扉が悲鳴を上げる。警察とは到底思えないし、出てはいけないという俺の本能が仕事をしていた。 俺がどうすればいいのかわからずあたふたしていると、後ろから低い声が聞こえる。「下がれ」 俺は男に後ろにいるように促され、言われるままに従う。「お前か……ガキを出せ」「紫苑くんとか言いましたよね?」 声のトーンを少し上げ、男は外の不審者に告げた。「残念、うちの息子は太郎っていう名前なんです」 男が適当に嘘をつくと、扉の向こうから不審者がぶつくさ言いつつも去っていく音が聞こえた。「……なあ」 俺に向かって男が振り向く。うつむいたまま俺は続けた。「なんで俺を助けた」 自殺しようとしたときからずっと思っていた。なんで俺を助けるんだ。なんで俺を犯さなくなったんだ。疑問が多すぎて頭がおかしくなりそうだ。「なんで俺を……」 ぎゅ、と握りこぶしを作り、男を睨む。男は眉間にしわを寄せ、困ったような表情をしている。「お前が好きだからだ」 男の口から漏れた言葉に思わず耳を疑う。好き? こいつが、俺を?「ふざけんな!」 そっと頭に乗せられそうになった手をパシっとはねのけ、俺は続ける。「好き、だと思ってるなら、監禁なんて、しない……!」 途切れ途切れに言葉をつむぐ。唇を噛み締めていると、男もまた同じような顔をし俺の前にしゃがみこむ。「……すまない」 こんなに上目遣いをしてきたことは今までなかった。懇願の視線を真に受けれず、俺はたじろぐ。「……保留にさせてくれ」 返
「う、あ」「静かにしろ……」 あれから一週間、飲まず食わずで男に犯される日々が続いている。 いや、飲みはした。汚いものだけれど。 ぐちゅぐちゅと解されていく卑猥な音が、テーブルとベッドのみの簡素な部屋に響き渡る。「喜んでるじゃねえか」「よろこんでなんか、ない……」 にやりと笑う男は、本当の畜生で、サディストで、屑だ。 名前も知らない男に犯される未来など、予想していなかった。父親と母親に愛され、ごく普通に育ったのに、なんでこんな仕打ちを受けなければならないのだろうか。「いれるぞ」「まって、おねが────」 ゴチュッ。 一気に奥を突かれ、視界が一瞬白くなる。ちかちかして、気味が悪い。 激しくガツガツとしているこの男の犯し方は、なんの体験もない俺にとって地獄以外の何でもなかった。女子と付き合ったこともないのに、なんで男にハジメテを奪われなければいけないのだろう。「はっ……なんだ、嬉しいのか」 目尻から溢れていく涙も、こいつの前だと嬉しそうに見えるのだろう。大層目が腐っていて、下品極まりない。「やめ、ろ、んぁ」「嬉しくなけりゃ、そんな雌の声、出さねえだ、ろ」 自分の発言のテンポと同じようにリズムを取って、男の一物は俺の中で暴れる。「やめて、おねが、い」「出すぞ」 俺の声は無かったことのようにあしらわれ、今まで以上に打ち付ける速度を早めていく。 やめてくれ、中に出されると腹が気持ち悪くなるんだ、ここだけは抵抗しなければ。「……なんだ?」 やめてほしいという意思を伝えたくて、目の前にある逞しい胸襟を小さくグーで叩く。中だけはやめてくれ、もうこれ以上中にやられたら、壊れてしまう。 男の速度は突然停止した。萎えたのか、萎えてくれれば俺にとっての地獄は終わるのだが。 だけど俺の中にあるものは熱をもったまま、更にずんと大きくなる。「滾った」 舌なめずりをし、男は俺に覆いかぶさる。これは、まずい。逃げれなくなってしまう。上に起き上がろうとするも、男が体重をかけてきて俺はなすすべもなくなる。「出す、ぞ」「や、めて、おねがい、う、あ」 どくどくと、熱が打ち込まれる。それと同じように男もうめき声をあげながら、満足したような表情を浮かべる。「イイ表情じゃねえか……」
「食べないのか?」 男が食事をしながら聞いてくる。俺と男の前には色とりどりの料理が並べられている。肉じゃが、つみれ汁、ほうれん草の煮浸し……でも、俺の食欲は湧かない。こんな奴が作ったもの、食えるわけがない。「安心してくれ、毒は入ってない」 あの一件以来、男はよそよそしくなった。俺がそんなに大切なのか、大切ならもっと誠意を見せてほしい。「ほら」 肉じゃがを差し出してくる男の目は、子犬のように寂しげに潤んでいた。部屋を漁ったとき毒物はなかったが、やはり怪しい。俺は小さく首を振った。「……そうか」 立ち上がって俺の横に来たかと思うと、ご飯をつみれ汁にぶち込み、ぐるぐると混ぜ始めた。「これなら、食べれそうか?」 全く話を聞かないやつだ。何なんだこいつは。ふいっと視線をそらすと、男はグイッと白飯の入ったつみれ汁を飲み干す。「……食べないお前が悪い」 顎を掴んだと思うと、ぐっと顔が近づきキスをされる。食事中にキスなどご法度にも程がある。俺が全力で抵抗していると、にゅるりと舌が入ってきて、思わず声が漏れる。「ん、う」 すると出汁の味がふわりと鼻腔を漂い、俺は思わず驚く。 その反応をくぐり抜けるように、男はより多くの食べ物を口に入れてくる。性的なキスというより、ものを食べてほしいという懇願のキスと言ったほうが良いだろう。「やめ、ろ!」 男の体を突き放し数メートル離れたあとに、心底不安そうな顔が目に入ってくる。「……こうでもしないと、食べないだろ」「だからって、お前」「……すまん」 男の今までの自意識過剰な態度とは打って変わって、しょげた顔で俺を見上げる。そんな顔をしたいのは俺の方なのに。「美味しかったか?」「わかんねえよ!」「そうか……」 なんで突拍子もなくキスをした後にそんなことを聞けるのだろうか。戸惑っているだろうとか、ちょっとは考えなかったのだろうか。この男が、わからなすぎる。「その……よかったら、まだあるから」 男はそう言いつつ、すとんと椅子に座った。落ち込んでいるのは目に見えて分かる。それにこんな野蛮な男は嫌いなのもわかる。だがさっきの出汁の匂いは、かなり美味しそうな匂いだったのも事実で。「……はあ」 食べ物に罪は無いのも、事実で。「……一口だけな」 そう男に言い、立ったまま肉じゃがを口に含む。「ど、どうだ!?
「気持ち悪……」 今日は五発、中に出された。 中に出した当の本人は外出中だ。鍵はカードなので、俺が外に出るのは男が一緒でない限り無理な話である。 最近、こうして一人状況を分析できている。 前までは男が常に一緒で、終始犯されていたのでそんなことを考える余裕もなかった。なかったというか、与えられなかった。それが男が外出するようになってから一人の時間が増えて、こうして部屋の中をうろうろしたり、本を読んだりもできている。 あいつがいない間にわかったことは、この家は平屋で鍵がカードであり玄関からの脱出は難しいこと、窓から見た景色ではこの辺りは住宅街というわけではなく、近くの建物は右斜め前に洋風住宅が一軒建っているだけ、窓を割ろうにも、この部屋の中に鈍器や俺が持ち上げれるくらいの重さのものは存在しないこと。「脱出は不可能そうだな……」 うんうんと唸っているとガチャリと扉が開く音がする。ビクッと思わず体が跳ね、強張ってしまう。「起きてたのか」「別に……」「体はどうだ?」 この男は自分で俺を苦しめているのに、悠長に俺の心配をしてくる。苛立ちと恐怖が混ざって吐き気がする。「別に、お前には関係ない」「……そうか」 男はギッとソファーを軋ませ座ったと思うと、ピッとテレビを点けぼんやりと液晶を見始めた。 俺はすることもなくベッドに入った。こいつと一緒のベッドで寝ることが癪に障るが、ここ以外で寝るといつもの倍犯される。一種の諦めのような感情を持ちながら、俺は半ば強引に眠りについた。
四月 九日 俺は誘拐されました。 中学校の始業式の帰りに、見知らぬ男に車の中に連れ込まれました。 そして今、男の家にいます。 誰か。誰か…… 誰か、助けてください。 始業式の日、俺はまた始まる学校生活にため息をついた。 やはり休みというのは終わって欲しくない。ずっと休みで、家でゴロゴロして、意味もなく眠ることができたらいいのに。「よお」 全く、なぜ休みというのは終わるのだろう。「おい」 まあいいか。ゴールデンウィークまでの辛抱だ。ゴールデンウィークが来れば、俺はまた起きては眠り、の生活ができる。「……じっとしてろ」 ぐいっと腕を引かれたと思いきや、そのまま勢いよく車の中に放り込まれる。「ぐぁっ!」「よお、さっきから無視しやがって」 真横から頭を乱雑につかまれ、強制的に視線を上に向けさせられる。その先には、顔の良い鷲鼻の男がいた。三十代くらいで、目の奥が深く青い色をしている。「遠藤紫苑くん、これからよろしくな」「なんで、俺の名前を……」 言い終わる前に頭を後部座席に勢いよく打ち付けられ、動かないように腕を麻縄で固定された。「行くぞ」 いつの間にか男は運転席に座っていて、何事もなかったかのように発進する。下を向いていることと見知らぬ車の匂いに、俺は頭がクラクラした。「おい、ここで死ぬなよ」 バックミラーに映る男の目は確実に俺を捉えていた。「これからが楽しいんだよ」 にっこりと笑う男の顔を最後に、俺は意識を手放した。