内海唯花は彼に起こされ体を起き上がらせた。まるで子供のように手で目をこすった後、彼を瞬きせずに、じっと見つめていた。突然、彼女は彼の方に手を伸ばし、瞳を輝かせてはっきりした声で言った。「お兄さん、抱っこして私を降ろして」結城理仁はイライラしながら手を伸ばし、彼女をポンと叩いて冷たい声で言った。「忠告しただろう。酔ったのをいいことに俺をからかうんじゃないって。君はほろ酔い状態だろ、頭がはっきりしていないわけじゃないはずだ。君が今自分で言ってることと、やってることは、心の中でははっきり分かってるはずだぞ」そうだ、内海唯花ははっきりと分かっている。しかし、酒が入っているので、彼女はその勢いに任せているのだ。結城理仁が彼女にふざけるなと警告すればするほど、彼女はつい彼をいじりたくなる。大の大人の男が、一人の女性にマウントを取られないか恐れるって?誰かに知られたら、笑われるだろう。結城理仁「......」内海唯花は、ひひひと笑って彼に尋ねた。「あなたもしかして結城御曹司とおんなじで、実は秘密があるとか?」彼は男女関係においては、彼女よりも純粋なのだ。内海唯花は酒の力を借りて、思わず彼をからかってしまいたくなった。「どんな秘密があるって?」「アレがダメなのか、それか女性よりも男性のほうが好きなのか」結城理仁の表情は暗くなっていった。「おばあさんはいつも私たちをくっつけようとしてるでしょう。私はずっと30歳になる男性に彼女がいないなんて、きっとブサイクなんだって思ってたの。あなたに会った後、誤解してたって気づいたわ。あなたはブサイクなんかじゃなくて絶世のイケメンなんだって。それから、また考えたの。あなたってもしかしてちょっと問題があるんじゃないかって......」内海唯花はケラケラ笑って、両手も忙しく結城理仁の顔に伸ばし自由気ままに彼の端正な顔を触った。「結城さん、あなたDVなんかしないよね?言っておくけど、私は空手を習ってたの。私にそんなことしてみなさい、完膚なきまでにあなたを叩きのめしてやるんだから。あらまあ、こんなにカッコイイんだもん。本当にちょっとキスしたいわ。なんならちょっとお姉さんにキスしてみてよ。ねえ、ねえ、記念にちょっとだけキスを......」内海唯花はやりたい放題、彼をからかい調子に乗ってい
結城理仁は別に怒ってはいなかった。ただ内海唯花に自分が笑っているところを見られたくなかっただけなのだ。彼はマンションに入ると、妻が後に続いて来ていないことに気付き、足を止めた。後ろを振り向き大きな声で彼女に尋ねた。「もしかして、今夜はずっとそこに突っ立って過ごすんじゃないだろうな?」内海唯花はハッとして、嬉しそうに彼のほうに走ってきた。「結城さん、怒ってないの?」結城理仁は冷ややかに彼女を一目見た。彼の目つきはいつも通り氷のように冷たかったが、手を伸ばして彼女のおでこをツンと突いて言った。「次はないぞ!」内海唯花はまるで間違いを犯した小学生のように、手を挙げて誓った。「次は絶対にしないと誓います!」結城理仁は何も言わず体を前に向けて歩いて行った。内海唯花は急いで彼に続いた。彼の逞しいその後ろ姿を見つめながら、内海唯花の酔いはだんだん覚めてきた。そして心の中で不満をつぶやいていた。おばあさんは彼女に彼を押し倒せと言ったが、彼のこの氷のように冷たい様子では、彼女は本当に彼を襲えるような自信はなかった。しかし、彼をからかって遊ぶのは本当に面白い。彼女もたった一杯のお酒でこのように彼をからかえるのだ。普段なら彼の顔に触れるのが限度だ。ただ顔を触っただけでも、痴漢を警戒するかのように彼女に警戒心を持っている。まるで彼の顔に触れたのではなく、彼のズボンを脱がせたかのようだ。家に帰り、結城理仁はそのままキッチンへと入って行った。内海唯花は彼が一体何をするのか分からず、一声尋ねたが、彼女に返事をしなかった。だからわざわざ返事をもらえず恥をかくような真似をしないようにベランダへ行き、ハンモックチェアに腰掛けた。体を椅子にもたれかけ、つま先で地面を蹴って椅子を軽く揺らした。その時考えていたのは姉の結婚についてだった。彼女と結城理仁はスピード結婚で、結婚する前はお互いに相手のことを知らなかった。スピード結婚をした後は、二人とも相手を尊重し合っている。たぶん、まだお互いによく相手を知らず、どちらも自分の欠点を見せていないからだろう。否定できないのは、彼女は姉よりも幸せな結婚生活を送っているということだ。少なくとも、結城理仁が彼女に対してどのような態度を取ろうとも、彼女が悲しむことはないのだ。だって愛していないんだから!しかし、
数分経ってから、内海唯花はつぶやいた。「私があなたの部屋に入りたいとでも思ってるの?いつか、懇願されても絶対に入ってやらないんだから」自分も部屋に入ると鍵をかけることを思い出し、内海唯花はつぶやくのを止めた。つまるところ、これはスピード結婚の後遺症のようなものだ。結城理仁自ら作ってくれたあさりの味噌汁を飲み終えて、内海唯花は部屋に戻って休んだ。この夜はもう二人に会話はなかった。次の日、内海唯花が目を覚ますと、太陽はすでに昇っていた。彼女がベットサイドテーブルにある携帯を見ると、すでに七時過ぎだった。早起きに慣れている彼女はこの時間に起きることはあまりない。彼女は普段明け方六時くらいに起きているのだ。昨晩お酒を飲んだせいだ。幸いなことに、起きても二日酔いにはなっていなかった。しかし、お腹がとても空いていた。昨夜は姉に心を痛め、姉の家で夕食を食べる時に彼女はあまり食べていなかったので今お腹ぺこぺこだったのだ。素早く服を着替え、洗面を終えると部屋を出た。キッチンに行って朝食を用意しようと思っていた時、食卓の上にすでに並べられた朝食が目に入ってきた。それは彼女の好きなイングリッシュ・ブレックファーストで、美味しそうな食べ物が食卓に並んでいた。結城理仁はスクランブルエッグを二皿持ってキッチンから出てきた。内海唯花が起きて来たのを見て、淡々と言った。「俺が起きた時、君はまだ起きてなかったから、外でいろいろ買って来たんだ。それからスクランブルエッグは今作った」「全部あなたが作ったのかと思ったわ」危うく彼の料理の腕が高級レストランのシェフみたいだと褒めるところだった。外で買って来たものだったのか。内海唯花はお腹が空いていたので、夫に遠慮せず食卓に座り箸を持ってまずはソーセージを挟んで食べた。「これとっても美味しいわね。コンビニで買ったんじゃないでしょ?」イングリッシュ・ブレックファーストを作るなら、確かにコンビニでもその材料は揃っているが、そこまで美味しくはないだろう。やはりホテルで食べる朝食には負ける。「車でスカイロイヤルホテルまで行って買ってきたんだ。あそこの朝食はいろいろあるし、味もとても良いって有名だしな。食べないなら食べないで済むけど、食べるならやっぱり一番美味しいものを食べないとと思って」実際は、彼
「俺も別に義姉さんのために、君がケリをつけに行くのを止めようとしているわけじゃないんだ。だけど、もし義姉さんと旦那さんが完全に決裂してしまって、関係を修復できないような状態にまでなってしまえば、俺だって君が佐々木俊介のところに行くのは賛成だよ」内海唯花は面白くなさそうに、ベーコンをひと噛みしてから言った。「あなたのその言葉は理にかなってるわ。衝動で突っ走るようなことはしないから安心して。直接的じゃなくて、もっと違う方法であいつらに分からせてあげるわ。でも、しっかり警告だけはしておかないと。お姉ちゃんには頼れる実家がなくて、簡単にいじめられる存在だなんて奴らに思わせないわよ」結城理仁は彼女が自分の意見を聞き入れたのを見て、それ以上は何も言わなかった。朝食を食べてお腹いっぱいになった後、少し休んでから夫婦二人は一緒に出かけて行った。内海唯花が姉のことをとても心配しているのが分かっているので、結城理仁は彼女を店に送る前に、少し寄り道して佐々木唯月の家まで車を走らせた。唯花に姉の様子を確認してもらうためだった。彼のその気遣いに唯花はとても感動した。昨夜、これ以上は結城理仁をからかってはならないと、自分自身を戒めたばかりなのに、彼のこの優しさに唯花はその戒めの言葉を空の彼方に放り投げてしまった。明凛はこう言っていた。結城理仁はとても良い人だから、唯花たち二人がまだ夫婦関係であるうちに、彼の心を掴みなさい。半年後に離婚するという約束は、結婚してからすでに一か月経ち、残り五か月になった。その残りの時間に結城理仁との仲を深め、愛情を芽生えさせて本当の夫婦になりなさいと。そうしないと、将来後悔するかもしれないから。神崎姫華が言うように、誰かを愛したら追いかけるのだ。たとえ、その想いが相手に届かなくても自分は努力したのだから、結城理仁が自分のものにならなくて後悔したりはしないだろう。唯花は彼にあげた手作りの招き猫が車の中にあることに気づき、何気なく言った。「あなたにあげた招き猫、まだ車にあるのね」「後で会社に着いたら、デスクの上に飾るよ」それを聞いて唯花は微笑んだ。「もし誰かに聞かれたら、商品を宣伝しておいてね」「わかったよ」結城理仁は快くそれに応じた。彼は九条悟に彼女のネットショップでたくさん商品を買わせることにした。九
「結城社長、のろけないでもらえますかね。俺は結婚する予定ないんで」結城理仁は独身を卒業したので、彼が独り身であるのが見ていられないのだ。いつも妻がいる良さを自慢しているが、九条悟が独身貴族の生活から抜け出すための手助けでもしようというのか?「おや、今日はどうしてそんな服を着ているんだい?」九条悟の目は鋭い。彼は結城理仁が着ているスーツはいつものブランドではないことに気づき、好奇心を持って尋ねた。「どうしてブランドを変えたんだ?」結城理仁はこだわりが強い人間だ。彼は気に入ったブランドがあると、長年それを愛用する癖がある。簡単に他のブランドに変えたりはしない。結城理仁の目に留まるものと言えば、普段着ているスーツもとても高価なものだった。彼がこの日に着ているような数千円ほどのスーツとはわけが違う。これは、結城理仁のスタイルではないぞ。九条悟は結城理仁のすぐ後に続き、興味津々で尋ねた。「結城社長、もしかして我々結城グループは財務危機に陥ってるのでは?だから節約のために、その辺のモールで服を?」ひとセット数千円のスーツは九条悟のようなお坊ちゃんの目には、まさにそこら辺に売っているものなのだ。結城理仁は社長オフィスに入ると、九条悟の質問に答えた。「結城グループが財政赤字にでもなってるというなら、おまえのような社長専任秘書がそれを知らないとでも?これは妻からもらった新しい服だ。なんだ、見栄えが良くないのか?俺は結構気に入ってるんだが、サイズもぴったりだし、動きやすいぞ」九条悟「……」もう質問しないほうがいいだろう。質問すればするほど、のろけ話を聞かされるだけだ。社長夫人が社長にプレゼントした新しい服を、妻の顔を立てるためにも彼は着て回るつもりだ。九条悟は彼のこの上司兼親友は、妻に対してだんだんと好感を持ってきていると感じていた。そうでなければ、たとえ結城理仁は死んでもこのような服を着るのを拒んでいたはずだ。ただこの上司の様子を見るからに、自分では妻に対する感情に気づいてはいないようだった。九条悟はこの時、面白いものが見られると思った。さて、結城理仁のこの時の様子を内海唯花が知る由もなかった。彼女が店に入って奥の部屋まで行くとすぐ、姉の義母と義姉が座って彼女を待っているのが見えた。親友の明凛が彼女たち母娘に水を入れ
内海唯花は佐々木姉の話を聞いて、今までに溜まるに溜まった怒りが抑えきれなくなったが、それでも物腰は柔らかくして机をバンバン叩いている佐々木姉に突っかかっていくようなことはしなかった。彼女は落ち着いてレジの方へと向かって行き、座って佐々木姉を見ながら聞き返した。「佐々木さん、姉がお義兄さんを殴ったって言いましたか?あなたはそれを見たんですか?姉が先に手を出したんですかね?お義兄さんは殴り返したりしてないと?殴られてどうなりましたか?入院しました?」それを聞いて佐々木姉は図々しくもこう言った。「うちの俊介が先に手を出したんだとしても、それが何だって言うんだい?あんたの姉はね、しっかり躾されるべきだったんだよ。あの日、俊介は彼女にちょっと教育してあげようと思ってたけど、あなたが旦那さんを連れて来たから、唯月の面子を考えて、私たちが俊介に止めるように諭してあげたんだからね。あんたの姉がやった事を考えれば、一発叩かない男がこの世のどこにいるっていうんだ?自分が間違いを犯したんだから、夫に殴られて当然だろう。それなのに俊介にやり返すとか、有り得ないでしょう?しかも俊介の顔が腫れ上がるほど殴り、青あざまで作らせて、あの子はもう何日も家に帰る勇気なんてないんだよ。唯花、あんたはお姉さんより何歳か年下だけど、もう結婚して一人前になっただろう。つまり、あんたはお姉さんの保護者的存在でもあるわけだ。だから今回の件について、私たちはあんたと話し合いに来たんだよ。お姉さんに何か手厚い贈り物でも買って、うちに来て俊介に謝罪するように言いなさい。それから、今後は絶対に俊介に手を上げないって誓約書も書かせるのよ。そして俊介を家に連れて帰るの」佐々木姉のこの話を聞いて、内海唯花と牧野明凛は認識を新たにした。内海唯花は佐々木姉がかなりのクズ人間だということは、前回姉が来て彼女に不満をぶちまけた時に知っていた。今こうやって実際目の前にしてみると、この人間は本当に愚劣の極みであった。彼女は怒りで呆れ笑いしてしまった。佐々木家の母娘は内海唯花が口を挟む間もなく、姉のほうが話し終わると、今度は続けて母親が話し始めた。「唯花さん、うちの子がさっき言ったのは道理にかなってるでしょ。どこの嫁入りした女が仕事もせず家にいて食事の用意すらしないのよ。俊介は働かなきゃいけないし、仕事も
そこへ佐々木姉は口を挟んだ。「自分で産んだ子なんだから、責任を持つべきなのは自分自身でしょ。祖父母が面倒見る義務はないわ」「そうよ。自分で産んだんだから、自分で責任持たなきゃね。じゃあ、そういうあんたはどうなのよ?」佐々木姉は口を大きくパクパクさせた後こう言った。「私のお父さんとお母さんは喜んで私の子供を見てくれてるのよ。できるもんなら、あんたの姉にも自分の両親にお願いして子供の世話でもしてもらえば」内海唯花は佐々木姉の目の前に置いてあったコップを持ち上げ、中身を彼女の顔に勢いよくぶちまけた。「ちょっと!唯花、あんた何すんのよ!」「あんたの口は臭いし、毒ばかり吐くようだから、私が代わりに洗ってやったまでよ」内海唯花は冷ややかな目でこの母娘二人を睨みつけていた。佐々木姉は怒りで手が出そうになったが、母親がそれを制止し、娘にこう言った。「唯花さんの両親は十数年前に亡くなってるでしょう。あんたが言ってはいけないことを言ったんだから、彼女が怒って当然よ」「でも、こいつだって私に水をかけて、服がびしょびしょになっちゃったじゃない。唯花、あんたこの服が一体いくらするかわかってんの?あんたに弁償できる額だと思う?」牧野明凛は横で力を込めて掃き掃除をしていて、やっと口を挟む隙を得てこう言った。「あなたのその服がブランド物なら、何万円もするでしょうね。でも残念ね、それって似せて作られたものだから価値なんてないですよ。もしそれを二万ちょっとで買ったのなら、騙されたようなものだわ。そんなに払っていないなら、二千円ちょっとでしょうね」佐々木姉は顔色を変え、牧野明凛を指差して怒鳴った。「あんたに何がわかるのよ。そっちこそブランドを真似して作ってる廉価版の店で買ったやつでしょ?私のは正真正銘ブランド物よ。一着二万円以上する服なんてあんたに着られる?自分じゃ買えないからって私に嫉妬して、私が着てる服を貶すわけ?」牧野明凛はふんと鼻を鳴らして言った。「私が着てる服はね、適当に選んでも数万円するものなの。ブランド物って何十万もするわ。あなたが今着てる服は、うちだったらテーブル拭き用の雑巾でしかないわね」「あんた……」佐々木姉は激怒して顔を真っ赤にさせた。彼女は心の内では自信がなかった。実際、数千円でこの服を買ったのだ。彼女はこのブランドのサイト
「もちろん、あなたが自分の夫を下僕と称して奴隷にするんだったら、私は何も意見はないけど、私の姉は奴隷ではないので。現代は男女平等、夫婦平等、どちらのほうが偉いなんてないからね。この時代の風潮に逆らうのはあなたの勝手だけど、私の姉にまでその考えを押し付けないでよ。喧嘩の件に関しては、佐々木俊介のほうが先に手を出してきたよね。あの人、手加減せずお姉ちゃんを殴ったのよ、自分を守るためにそれに抵抗したんだから、姉は正当防衛ですけど!お姉ちゃんに謝罪させろだなんて、有り得ない話ね!逆に佐々木俊介に言って、お姉ちゃんに謝罪させるのが筋ってもんでしょう」内海唯花は氷のように冷たい様子で、一歩も譲る気はなかった。義理の相手家族を怒らせるかもしれないなど気にもせず、全く臆していない様子で言った。「あなた達が姉がお金を稼がず浪費してばかりだと言うのなら、姉を返してもらいましょうか。暴力に訴えないでちょうだい。あなた達は自分の家の子供が大事なんでしょ、なら私内海唯花も家族である姉がとても大切なの。それから、あの日、姉が一日に二万円以上使って服を買ったのは、私が夫を連れて来て両家の初めての顔合わせをするって言ったから、体面を保つために家族に新しい服を買っただけよ。あのお金はお姉ちゃんが自分のためだけに使ったわけじゃないの。ただこれだけのことで、姉を浪費家だと決めつけないでいただきたいね。姉が佐々木家に嫁いでから、今までずっと新しい服なんて買ってなかった。ただ姉があの日服を買っただけで、あなた達はいつまでもネチネチ、ネチネチと。そうね、佐々木家って本当に思いやりがあるわ。とっても親切な一家ですこと。嫁のことをこんなに思ってくれて、あなた達を表彰させていただきたいくらいよ」佐々木家の母娘は内海唯花の言葉に恥や怒りを感じていたが、もちろん怒りのほうが勝っていたのは言うまでもない。この二人はずっと自分達こそ正しく、内海唯花は間違っていると思っていた。「お姉ちゃんが一日ご飯を作らなくて、あなた達は佐々木俊介には妻がいるのにいないのと同じだと言ったわよね。じゃ、それと逆に姉も夫がいるのにいないのと同じじゃない?妻子を養えないのに、結婚するの?それなら、あんた達と一生一緒に過ごせばいいんじゃない。それにお姉ちゃんは何もしてないわけじゃないわ。おばさん、あなたって娘の家
清水は自分が仕える結城家の坊ちゃんをかばった。「内海さん、私があなた方のところで働いてそう時間は経っていませんが、私の人を見る目には自信があります。結城さんと唯月さんの元旦那さんとは全く別次元の人間ですよ。結城さんは責任感の強いお方ですから、彼があなたと結婚したからには、一生あなたに対して責任を負うことでしょう。結城さんは女性をおだてるのが得意な方ではないですし、若い女性が自分に近づくのを嫌っていらっしゃいます。見てください、牧野さんに対しても会った時にちょっと会釈をする程度で、あまりお話しにならないでしょう。このような男性はとてもスペックの高い人ですけど、誰かを愛したらその人だけに一途です。内海さん、お姉さんの結婚が失敗したからといって、自分の結婚まで不安になる必要はないと思いますよ。愛というものは、やはり美しいものだと思います。結婚だって、幸せになれるものなんですよ。みんながみんな結婚してお姉さんのような結婚生活を送るわけではありませんでしょう。私は以前、結城さんの一番下の弟さんのベビーシッターをしていました。彼の家でもう何年も働かせてもらって、結城家の家風はとても良いということをよく知ってるんです。結城さんのご両親世代は愛や結婚というものに対してとても真剣に受け止めていらっしゃいます。とても責任感の強い方々ですよ。結婚したら、一生奥さんに誠実でいます。結城さんもそのようなご家庭で育ってらっしゃったから、責任感のあって、誠実な結婚というものをたくさん見て来られたでしょうし、彼自身も一途な愛を持っていることでしょう。今後、内海さんが結城さんと何かわだかまりができるようなことがあったり、結城さんが内海さんに何か隠し事をしていて、それが発覚したりした時には、しっかりと彼と話し合ってみてください。立場を逆にして、相手の立場に立ってみれば、それぞれの人にはその決断をした理由というものがあるんですから」唯花は理仁のあのプライドが高い様子を思い出し、確かに佐々木俊介よりも信頼できるだろうと思った。それに、結婚当初、彼女に何か困ったことがあった時に、彼女と理仁は一切の感情を持っていなかったが、彼はいつも彼女のために奔走して解決してくれた。今までのことを思い返してみれば、理仁が俊介よりも責任感が強いということがすぐ見て取れた。そして、唯花は言った。
夜十時半、唯花はやっと姉の家から自分の家に帰ってきた。玄関のドアを開けると、部屋の中は真っ暗だった。おばあさんは家にいないのだろうか?それとも、もう寝てしまったのか?唯花は部屋に入った後、明りをつけて玄関のドアを閉め、内鍵をかけた。そして少し考えた後、またドアを開け理仁のベランダ用スリッパを玄関の前に置いておいた。人にこの家には男がいるのだと主張するためだ。そうしておいたほうが安全だ。「内海さん、おかえりなさい」この時、清水が玄関の音が聞こえて、部屋から出てきた。唯花は「ええ」と答えて彼女に尋ねた。「おばあちゃんはもう寝ましたか?」「おばあさんはお帰りになりましたよ。お孫さんが迎えに来たんです。おばあさんは内海さんが今晩お戻りにならないかと思って、明日お話するよう言付かっていたんですが」唯花は驚いた。「おばあちゃん、家に帰っちゃったんですか?」清水は言った。「おばあさんが当初、ここに引っ越して内海さんたちと一緒に住むのは、息子さんと喧嘩したからだとおっしゃっていました。今、お二人は仲直りしたそうで、また家にお戻りになったようですよ」清水はおばあさんが神崎家にばれてしまうかもしれないと考え、先に自分の家に帰ったのだろうと思っていた。結城家の若奥様は神崎詩乃の姪であると証明されたのだから、今後、神崎家との関わりは多くなっていくことだろう。若旦那様が自分の正体を明かしていないので、おばあさんは神崎家を避けておく必要があるのだ。だから、おばあさんはさっさと姿をくらましたのだ。唯花は「そうですか」とひとこと返事した。彼女はおばあさんが彼女と一緒に住んでいて楽しそうにしていたので、こんなに早く自分の家に帰ってしまうとは思っていなかった。「内海さんは、伯母様のお家にお泊りにならなかったんですね?」唯花はソファのほうへ歩いて行き、腰を下ろして言った。「神崎家には行かなかったんです。佐々木家の母親と娘がまたお姉ちゃんのところに騒ぎに来て、警察署に行ってたんです。だから伯母さんの家には行かないで、明後日の週末、休みになってからまた行こうって話になって」それを聞いて清水は心配そうに尋ねた。「お姉さんは大丈夫ですか?佐々木家がどうしてまたお姉さんのところに?もう離婚したというのに」「姉が前住んでいた家の内装
俊介が母親を抱き起こすと、今度は姉のほうが床に崩れ落ち、彼はまたその姉を抱き起こして本当に困っていた。もう二度と唯月に迷惑をかけるなと二人には釘を刺していたというのに、この二人は全く聞く耳を持たず、どうしても唯月のところに騒ぎに行きたがる。ここまでの騒ぎにして彼も相当頭が痛かった。どうして少しも彼に穏やかな日々を過ごさせてくれないのか?彼は今仕事がうまく行っておらず、本当に頭の中がショートしてしまいそうなくらい忙しいのだ。仕事を中断してここまでやって来て、社長の怒りはもう頂点に達している。俊介は家族がこのように迷惑をかけ続けるというなら、唯月に二千万以上出してまで守った仕事を、家族の手によって失いかねない。陽はこんな場面にかなり驚いているのだろう。両手で母親の首にしっかりと抱きつき、自分の祖母と伯母には見向きもしなかった。そんな彼の目にちょうど映ったのが東隼翔だった。隼翔はこの時、唯月の後ろに立っていて、陽が自分の顔を母親の肩に乗っけた時に目線を前に向けると隼翔と目が合ったのだ。隼翔の陽に対する印象はとても深かった。彼はすごく荒っぽく豪快な性格の持ち主だが、実はとても子供好きだった。陽の無邪気な様子がとても可愛いと思っていた。彼は陽の頭をなでなでしようと手を伸ばしたが、陽がそれに驚いて「ママ、ママ」と呼んだ。隼翔が伸ばしたその手は気まずそうに空中で止まってしまっていて、唯月が息子をなだめた時にそれに気がついた。「お、俺はただ、お子さんがとても可愛いと思って、ちょっと頭を撫でようとしただけだ。しかし、彼は俺にビビッてしまったようだが」隼翔は行き場のない気まずいその手を引っ込めて、釈明した。唯月は息子をなだめて言った。「陽ちゃん、この方は東お兄さんよ、お兄さんは悪い人じゃないの、安心して」それでも陽はまだ怖がっていて、隼翔を見ないように唯花のほうに手を伸ばして抱っこをおねだりしようと、急いで彼女を呼んだ。「おばたん、だっこ、おばたん、だっこ」そして、唯花は急いで彼を抱きかかえた。唯月は申し訳なくなって、隼翔に言った。「東社長、陽は最近ちょっと精神的なショックを受けたので、あまり親しくない人は誰でも怖がってしまうんです」隼翔は小さな子供のことだから、特に気にせず「いいんだ。俺がお子さんを怖がらせてしまった
「母さん」俊介が警察署に駆けつけた時、母親が椅子から崩れ落ちているのを見て、すぐにやって来て彼女を支え起き上がらせようとした。しかし、母親はしっかり立てずに足はぶるぶる震えていた。「母さん、一体どうしたんだよ?」俊介は椅子を整えて、母親を支え座らせた。この時、彼の母親が唯月を見つめる目つきは、複雑で何を考えているのかよくわからなかった。それから姉の表情を見てみると、驚き絶句した様子で、顔色は青くなっていった。「おば様、大丈夫ですか?」俊介と一緒に莉奈も来ていて、彼女は心配そうに佐々木母にひとこと尋ねた。そして、また唯月のほうを見て、何か言いたげな様子だった。離婚したからといって、このように元義母を驚かすべきではないだろうと思っているのだ。しかし、姫華を見て莉奈は驚き、自分の見間違いかと目を疑った。彼女は神崎夫人たちとは面識がなかったが、神崎姫華が結城社長を追いかけていることはみんなが知っていることで、ネットでも大騒ぎになっていたから、莉奈は彼女のことを知っていたのだ。その時、彼女は姫華が結城社長を追いかけることができる立場にある人間だから、とても羨ましく思っていたのだ。「神崎お嬢様ですか?」莉奈は探るように尋ねた。姫華は顎をくいっとあげて上から目線で「あんた誰よ?」と言った。「神崎さん、本当にあの神崎お嬢様なんですね。私は成瀬莉奈と言います。スカイ電機の佐々木部長の秘書をしています」莉奈はとても興奮して自分の名刺を取り出し、姫華にさし出した。姫華はそれを受け取らず、嫌味な言い方でこう言った。「なるほど、あなたが唯月さんの結婚をぶち壊しなさった、あの不倫相手ね。それ、いらないわ。私はちゃんとした人間の名刺しか受け取らないの。女狐の名刺なんかいやらしすぎて、不愉快ったらありゃしないわ」莉奈「……」彼女の顔は恥ずかしくて赤くなり、それからまた血の気が引いていった。そして悔しそうに名刺をさし出した手を引っ込めた。俊介は母親と姉がひとこともしゃべらず、また唯月と姉が傷だらけになっているのを見て、二人がまた喧嘩したのだとわかった。見るからに、やはり母親と姉が先に手を出したらしく、彼は急いで唯月に謝った。「唯月、すまん。うちの母さんと姉さんが何をしたかはわからないが、俺が代わって謝罪するよ。本当に
神崎詩乃は冷ややかな声で言った。「あなた達、私の姪をこんな姿にさせておいて、ただひとこと謝れば済むとでも思っているの?私たちは謝罪など受け取りません。あなた達はやり過ぎたわ、人を馬鹿にするにも程があるわね」彼女はまた警察に言った。「すみませんが、私たちは彼女たちの謝罪は受け取りません。傷害罪として処理していただいて結構です。しかし、賠償はしっかりとしてもらいます」佐々木親子は留置処分になるだけでなく、唯月の怪我の治療費や精神的な傷を負わせた賠償も支払う必要がある。あんなに多くの人の目の前で唯月を殴って侮辱し、彼女の名誉を傷つけたのだ。だから精神的な傷を負わせたその賠償を払って当然だ。詩乃が唯月を姪と呼んだので、隼翔はとても驚いて神崎夫人を見つめた。佐々木母はそれで驚き、神崎詩乃に尋ねた。「あなたが唯月の伯母様ですか?一体いつ唯月にあなたのような伯母ができたって言うんですか?」唯月の母方の家族は血の繋がりがない。だから十五年前にはこの姉妹と完全に連絡を途絶えている。唯月が佐々木家に嫁ぐ時、彼女の家族はただ唯花という妹だけで、内海家も彼女たちの母方の親族も全く顔を出さなかった。しかし、内海家は六百万の結納金をよこせと言ってきたのだった。それを唯月が制止し、佐々木家には内海家に結納金を渡さないようにさせたのだ。その後、唯月とおじいさん達は全く付き合いをしていなかった。佐々木親子は唯月には家族や親族からの支えがなく、ただ一人だけいる妹など眼中にもなかった。この時、突然見るからに富豪の貴婦人が表れ、唯月を自分の姪だと言ってきたのだった。佐々木母は我慢できずさらに尋ねようとした。一体この金持ちであろう夫人が本当に唯月の母方の親戚なのか確かめたかったのだ。どうして以前、一度も唯月から聞かされなかったのだろうか?唯月の母方の親族たちは、確か貧乏だったはずだ。詩乃は横目で佐々木母を睨みつけ、唯月の手を取り、つらそうに彼女の傷ついた顔を優しく触った。そして非常に苦しそうに言った。「唯月ちゃん、私と唯花ちゃんがしたDNA鑑定の結果が出たのよ。私たちは血縁関係があるのあなた達姉妹は、私の妹の娘たちなの。だから私はあなた達の伯母よ。私のこの姪をこのような姿にさせて、ひとことごめんで済まそうですって?」詩乃はまた佐々木親子を睨
一行が人だかりの中に入っていった時、唯花が「お姉ちゃん」と叫ぶ声が聞こえた。陽も「ママ!」と叫んでいた。唯花は英子たち親子が一緒にいるのと、姉がボロボロになっている様子を見て、どういうわけかすぐに理解した。彼女はそれで相当に怒りを爆発させた。陽を姉に渡し、すぐに後ろを振り向き、歩きながら袖を捲り上げて、殴る態勢に移った。「唯花ちゃん」詩乃の動作は早かった。素早く唯花のところまで行き、姉に代わってあの親子を懲らしめようとした彼女を止めた。「唯花ちゃん、警察の方にお任せしましょう」すでに警察に通報しているのだから、警察の前で手を出すのはよくない。「神崎さん、奥様、どうも」隼翔は神崎夫婦が来たのを見て、とても驚いた。失礼にならないように隼翔は彼らのところまでやって来て、挨拶をした。夫婦二人は隼翔に挨拶を返した。詩乃は彼に尋ねた。「東社長、これは一体どうしたんですか?」隼翔は答えた。「神崎夫人、彼女たちに警察署に行ってどういうことか詳しく話してもらいましょう」そして警察に向かって言った。「うちの社員が被害者です。彼女は離婚したのに、その元夫の家族がここまで来て騒ぎを起こしたんです。まだ離婚する前も家族からいじめられて、夫からは家庭内暴力を受けていました。だから警察の方にはうちの社員に代わって、こいつらを処分してやってください」警察は隼翔が和解をする気はないことを悟り、それで唯月とあの親子二人を警察署まで連れていくことにした。隼翔と神崎夫人一家ももちろんそれに同行した。唯花は姉を連れて警察署に向かう途中、どういうことなのか状況を理解して、腹を立てて怒鳴った。「あのクズ一家、本当に最低ね。もしもっと早く到着してたら、絶対に歯も折れるくらい殴ってやったのに。お姉ちゃん、あいつらの謝罪や賠償なんか受け取らないで、直接警察にあいつらを捕まえてもらいましょ」唯月はしっかりと息子を抱いて、きつい口調で言った。「もちろん、謝罪とか受け取る気はないわよ。あまりに人を馬鹿にしているわ!おじいさんが彼女たちを恐喝してお金を取ったから、それを私に返せって言ってきたのよ」唯花は説明した。「あの元義母が頭悪すぎるのよ。うちのおじいさんのところに行って、お姉ちゃんが離婚を止めるよう説得してほしいって言いに行ったせいでしょ。あ
佐々木親子二人は逃げようとした。しかし、そこへちょうど警察が駆けつけた。「あの二人を取り押さえろ!」隼翔は親子二人が逃げようとしたので、そう命令し、周りにいた社員たちが二人に向かって飛びかかり、佐々木母と英子は捕まってしまった。「東社長、あなた方が通報されたんですか?どうしたんです?みなさん集まって」警察は東隼翔と知り合いだった。それはこの東家の四番目の坊ちゃんが以前、暴走族や不良グループに混ざり、よく喧嘩沙汰を起こしていたからだ。それから足を洗った後、真面目に会社の経営をし、たった数年だけで東グループを星城でも有数の大企業へと成長させ、億万長者の仲間入りをしたのだった。ここら一帯で、東隼翔を知らない者はいない。いや、星城のビジネス界において、東隼翔を知らない者などいないと言ったほうがいいか。「こいつらがうちまで来て社員を殴ったんです。社員をこんなになるまで殴ったんですよ」隼翔は唯月を引っ張って来て、唯月のボロボロになった姿を警察に見てもらった。警察はそれを見て黙っていた。女の喧嘩か!彼らはボロボロになった唯月を見て、また佐々木家親子を見た。佐々木母はまだマシだった。彼女は年を取っているし、唯月はただ彼女を押しただけで、殴ったり手を出すことはしなかったのだ。彼女はただ英子を捕まえて手を出しただけで、英子はひどい有り様になっていた。一目でどっちが勝ってどっちが負けたのかわかった。しかし、警察はどちらが勝ったか負けたかは関係なく、どちらに筋道が立っているかだけを見た。「警察の方、これは家庭内で起きたことです。彼女は弟の嫁で、ちょっと家庭内で衝突があってもめているだけなんです」英子はすぐに説明した。もし彼女が拘留されて、それを会社に知られたら、仕事を失うことになるに決まっているのだ。彼女の会社は今順調に行ってはいないが、彼女はやはり自分の仕事のことを気にしていて、職を失いたくなかったのだ。「私はこの子の義母です。これは本当にただの家庭内のもめごとですよ。それも大したことじゃなくて、ちょっとしたことなんです。少し手を出しただけなんですよ。警察の方、信じてください」佐々木母はこの時弱気だった。警察に連れて行かれるかもしれないと恐れていたのだ。市内で年越ししようとしていたのに、警察に捕ま
東隼翔は顔を曇らせて尋ねた。「これはどういうことだ?」英子は地面から起き上がり、まだ唯月に飛びかかって行こうとしていたが、隼翔に片手で押された。そして彼女は後ろに数歩よろけてから、倒れず立ち止まった。頭がはっきりとしてから見てみると、巨大な男が暗い顔をして唯月を守るように彼女の前に立っていた。その男の顔にはナイフで切られたような傷があり非常に恐ろしかった。ずっと見ていたら夜寝る時に悪夢になって出てきそうなくらいだ。英子は震え上がってしまい、これ以上唯月に突っかかっていく勇気はなかった。佐々木母はすぐに娘の傍へと戻り、親子二人は非常に狼狽した様子だった。それはそうだろう。そして唯月も同じく散々な有様だった。喧嘩を止めようとした警備員と数人の女性社員も乱れた様子だった。彼らもまさかこの三人の女性たちが殴り合いの喧嘩を始めてあんな狂気の沙汰になるとは思ってもいなかったのだ。やめさせようにもやめさせることができない。「あんたは誰よ」英子は荒い息を吐き出し、責めるように隼翔に尋ねた。「俺はこの会社の社長だ。お前らこそ何者だ?俺の会社まで来てうちの社員を傷つけるとは」隼翔はまた後ろを向いて唯月のみじめな様子を見た。唯月の髪は乱れ、全身汚れていた。それは英子が彼女を地面に倒し殴ったせいだ。手や首、顔には引っ掻き傷があり、傷からは少し血が滲み出ていた。「警察に通報しろ」隼翔は一緒に出てきた秘書にそう指示を出した。「東社長、もう通報いたしました」隼翔が会社の社長だと聞いて、佐々木家の親子二人の勢いはすっかり萎えた。しかし、英子はやはり強硬姿勢を保っていた。「あなたが唯月んとこの社長さん?なら、ちょうどよかった。聞いてくださいよ、どっちが悪いか判定してください。唯月のじいさんが私の母を恐喝して百二十万取っていったんです。それなのに返そうとしないものだから、唯月に言うのは当然のことでしょう?唯月とうちの弟が離婚して財産分与をしたのは、まあ良いとして、どうして弟が結婚前に買った家の内装を壊されなきゃならないんです?」隼翔は眉をひそめて言った。「内海さんのおじいさんがあんたらを脅して金を取ったから、それを取り返したいのなら警察に通報すればいいだけの話だろう。内海さんに何の関係がある?内海さんと親戚がどんな状況なの
その時、聞いていて我慢できなくなった人が英子に反論してきた。「そうだ、そうだ。自分だって女のくせに、あんなふうに内海さんに言うなんて。内海さんがやったことは正しいぞ。内海さん、私たちはあなたの味方です!」「こんな最低な義姉がいたなんてね。元旦那が浮気したから離婚したのは言うまでもないけど、もし浮気してなくたって、さっさと離婚したほうがいいわ、こんな最低な人たちとはね。遠く離れて関わらないほうがいいに決まってる」野次馬たちはそれぞれ英子を責め始めた。そのせいで英子は怒りを溜め顔を真っ赤にさせ、また血の気を引かせた。唯月が彼女に恥をかかせたと思っていた。そして彼女は突然、力いっぱい唯月が支えていたバイクを押した。バイクは今タイヤの空気が抜けているから、唯月がバイクを押すのも力を入れる必要があった。それなのに英子が突然押してきたので、唯月はバイクを支えることができず、一緒に地面に倒れ込んでしまった。「金を返せ。あんたのじいさんがお母さんから金を受け取ったのを認めないんだよ。じいさんの借金は孫であるあんたが返せ、さっさとお母さんに金を払うんだよ」英子はバイクと一緒に唯月を地面に倒したのに、それでも気が収まらず、彼女が持っていたかばんを振り回して力を込めて唯月を叩いた。さらには足も使い、立て続けに唯月を蹴ってきた。唯月はバイクを放っておいて、立ち上がり乱暴に英子からそのかばんを奪い、狂ったように英子を殴り返した。彼女は英子に対する恨みが積もるに積もっていた。本来離婚して、今ではもう佐々木家とは赤の他人に戻ったので、ムカつくこの佐々木家の人間のことを忘れて自分の人生を送りたいと思っていた。それなのに英子は人を馬鹿にするにも程があるだろう、わざわざ問題を引き起こすような真似をしてきた。こんなふうに過激な態度に出れば、善悪をひっくり返せるとでも思っているのか?この間、唯月と英子は殴り合いの喧嘩をし、その時は英子が唯月に完敗した。今日また二人が殴り合いになったが、佐々木母はもちろん自分の娘に加勢してきた。この親子は手を組んで、唯月を二対一でいじめてきたのだ。「警察、早く警察に通報して!」その時、誰かが叫んだ。「すみません警備員さん、こっちに来て喧嘩を止めてちょうだい。この女二人がうちの会社まできて社員をいじめてるんです」