唯花は仕方なく引き続き甥っ子を追いかけるしかなかった。動物園の中は人でごった返していた。陽のように小さな子供がたくさん遊びに来ていたのだ。唯花は動物園を楽しむ余裕などなく、陽を追いかけ回して走り続けたので、疲れてしまった。陽は毎日母親と一緒に店にいて、仕事が終わると母親は彼を連れて帰って休むだけだ。だから彼を外へ連れて遊びに行く時間が一切なかった。それでこの日は遊びに出てこられて、遊びが大好きな子供の天性を大いに爆発させていた。唯花は以前空手をやっていたから、体力にしろ走り回る距離にしろ、どうにかなった。唯月は長期的にジョギングを続けてダイエットしていたので、体力もなかなかついてきていた。ただ、神崎家のお嬢様に関しては、このように走り回ることはないので、長く歩いていると、足の裏が痛くなってきたようだ。それから佐々木家については、今やどこに行ってしまったのか行方はわからない。陽はあまりに楽しくて、子供用のお遊戯場で汗まみれになるまで遊んでいた。彼の年齢で遊べる乗り物には全部何度も乗ってしまい、叔母に抱かれて動物たちを見に行くことになった。動物園はとても広かった。鳥類のいるブロックを見回ると、お昼の時間になった。一行はあるレストランに入って食事をした。「パパは?」陽はこの時ようやく父親がいないことに気がついた。唯月はそれに笑って言った。「あなたが走るのがとっても早いから、あっという間にパパを振り切ってしまったわよ」陽は周りを見まわしてみたが、本当に父親の姿が見あたらなかった。そして彼は「ママ、パパにでんわしてみてよ」と言った。唯月は電話をかけるふりをして、実際は俊介には電話をしなかった。そして息子をなだめるようにこう言った。「パパとおじいちゃんたちは他のところでご飯を食べてるって。後で会えるわよ」陽は母親のその言葉をそのまま受け取った。佐々木家のメンバーはこの時すでに唯花たちの前の方へ行っていた。彼らは恭弥にあの子供用の遊戯場で遊ばせるのは金が惜しくて行かせなかったから、時間をロスしていなかったのだ。莉奈は俊介と喧嘩していて、不愉快になり佐々木家を避けて、自分だけで回っていた。俊介は珍しいことに、彼女をなだめなかった。それで莉奈は俊介は釣った魚に餌はやらない奴なのだと思っていた。
姫華は唯月のほうを見て、佐々木家が本当に彼女たち親子を連れて遊びに出かけるつもりだということを確認すると、ようやく強張っていた顔を笑顔に変えた。しかしその笑顔は陽に向けたものであって、決して佐々木家に向けたものではない。彼女は佐々木家の誰を見ても、ただただ嫌悪感しか持たなかった。「陽ちゃんが動物園に遊びに行きたいって言うのなら、もちろん私も一緒に行くわよ」姫華は快く陽の誘いを受けた。陽はこの時まだ両親が離婚したことについては何も理解していない。唯月も善良な人間で、元夫側の家族にいくら不満を持っていたとしても、決して陽の前では俊介の悪口など言わなかった。俊介は陽の実の父親だからだ。陽に自分の父親を憎ませるようなことは、陽にとっても良いことではない。そんなことをすると陽の成長に暗い影を落としてしまうからだ。そして三十分後。唯花姉妹は陽と一緒に姫華の車に乗って動物園へと向かった。理仁が手配した唯花付きの二人のボディーガードももちろん専用車に乗って、黙ってその後に続いた。佐々木家は二手に分かれて車に乗り、ボディーガードの車の後ろからやって来た。莉奈はその途中ずっとぶつくさと俊介に愚痴をこぼしていた。「私たちが陽ちゃんと仲良くするために来たのに、あなたの母親は義姉一家まで呼んでくるし、陽ちゃんもたくさん呼んできてさ。私たちが陽ちゃんと仲良くできる機会なんてあると思う?」内海姉妹が一緒にいれば、陽は自然と母親と叔母のほうと一緒にいることだろう。莉奈は横に立っているしかない。しかも、かなり遠く遠くのほうにいなければならない。佐々木母は後部座席で莉奈の愚痴を聞いていて口を開いた。「英子一家を呼んできたって、別にあんたの金を使ったわけじゃないでしょうが。嫌いなら近づかないように距離を保っておけばいいでしょ。ずっとグチグチとうるさいねぇ」莉奈は振り向いて言った。「お義母さん、その言葉をしっかりと覚えていてくださいね。だったらあの一家には俊介のお金は使わせないでください。あの人たち、今は俊介よりもお金を持っているんだから」「俊介の金だって、別にあんたの金を使っているわけじゃないでしょ。あんたが今使ってるのは私の息子が稼いだ金じゃないか」佐々木母が不満に思っていることは、息子が家計の全てを莉奈に任せていることだった。「
母親は髪の毛を一束切られただけじゃないか、という単純なものではない。莉奈もそれを聞いた時はかなり恐怖に驚いていたのだ。彼らが本気で莉奈の実家の家族の命を奪おうと思えば、それはいとも簡単なことだということではないか。確かに結婚の件で、莉奈と家族は喧嘩をして不愉快な気持ちになっていた。それでも彼らは彼女の血の繋がった家族なのだ。彼女は他人である陽のために、自分の家族を巻き込んで危険にさらすことはできない。今日は最もあの計画を実行できる絶好の日だというのに。唯花は陽に尋ねた。「ママも行くの?」「うん、ママも一緒だよ。おばたんも一緒に来る?」唯花は少し考えてから言った。「いつ出発するの?おばちゃん、時間に余裕があるか見てみるわね」「ママが、だいたい三十分したら出かけるって言ってたよ。おばたん、僕たちと一緒に行こうよ。僕、どうぶつえんでトラさんが見たいんだ」陽は前回動物園に行きたいと思っていたが、結局叔母と一緒に出かけることに決めたので、まだ行けていないのだ。この小さな子供はずっとそれを覚えていたのだった。そして今日そのチャンスが巡ってきたものだから、彼はとてもとても行きたいと思っていた。「わかった。おばちゃんも一緒に行くわね」唯花は佐々木家の人間とは一緒に遊びに出かけたくなかったが、姉のことが心配だったのだ。佐々木家は明らかに後悔していた。彼らは陽との仲を深めて親権をまた争うつもりだった。相手は一族総出で、気持ちを一つにしてやって来ているのに、姉だけ一人で行けば、はめられたりいじめられたりするだろう?唯花は自分にはなんの力もないと思っているが、きっと前世に徳を積んだおかげだろうか、理仁と結婚してその妻となったことで、その身分と地位があるため、佐々木家を大人しくさせることができる。そんな彼女が一緒に遊びに行けば、佐々木家がいくらどんな企みをしていたとしても、そう大胆に行動に移すことはできないはずだ。陽はとても嬉しそうに満面の笑みで言った。「おばたん、じゃ、早く来てね。あ、ひめはおばたんが来たよ、一緒に行くか聞いてみる。おばたん、早く来てね、でんわ切るよ」唯花は愛おしそうな声で返事した。「うん、おばちゃん今すぐ駆けつけるわ」陽は電話を切った後、携帯を母親に返して、小走りで駆けだしていった。姫華がちょうど
唯花は夫が運転するロールスロイスで店までやって来た。彼女が雇ったハンドメイド作成のスタッフがちょうど出来上がった商品を持って納品に来ていた。彼女はそれを見てよくできていると思い、彼女たちの腕を何度も褒めて当初約束していた通りに給料を計算して渡した。「店長、私たち家で子供の面倒を見ながら、時間がある時に作品を作って結構お金を稼ぐことができてます。家族もこのバイトを応援してくれてて、姑も嫌な顔をすることがなくなったんですよ」「私も、お義母さんったら、なんと子供の世話を積極的に見てくれるようになっちゃって、すごく驚きました。店長、また新しい仕事をくださいね。もっと仕事が来ても私たちちゃんと仕上げられますから」彼女たちは手芸教室で一緒に学んだ仲間たちだ。普段はあまり会うことはなかったが、ずっと連絡は取り合っていた。唯花が今結城家の御曹司と結婚したことは、彼女たちも知っているのだ。羨ましいと思っていることは言わずともわかるだろう。唯花はそんな彼女たちに仕事を頼み、出来上がった商品を納品してお金を稼がせてあげることができる。これは彼女たちのように家で子供の世話をしている専業主婦にとっては、とても魅力的な仕事だった。それにあの結城家の若奥様と交流することもできる。彼女たち夫側の家族も結城家の若奥様のところで働いているのだと知り、彼女たちに対する態度ががらりと変わったのだった。もちろん、彼女たちがお金を稼ぐことができるからだ。唯花は笑って言った。「昨年末に一部の予約の期日を延ばしたものがあるの。それにこの間は手を怪我したせいで、もっと期日を延ばしてもらった予約の商品が溜まっているわ。みんなが手伝ってくれて本当に良かった。もっと材料を渡しておくね。それからお客様が予約した商品のデザインもみんなに送るわ」「ええ、わかりました」彼女たちは商品を渡してお金が稼げたことでとても嬉しそうにしていた。唯花は材料を彼女たちに振り分けた後、店の外まで見送った。彼女たちが次々と帰っていくのを見送って、宅急便に電話をして荷物を取りに来てもらうことにした。ようやく第一弾目の商品の発送ができた。宅急便に店まで荷物を受け取りに来てもらう連絡をした後、姉から電話がかかってきた。「お姉ちゃん」「おばたん」電話が繋がると、陽が母親のところから携帯に近寄
「ママ、ひなたがおもちゃを僕に遊ばせてくれないんだ。ママ、僕もおもちゃ欲しい。ひなたが持ってるやつが欲しいの」恭弥も自分の母親の元に走って戻り、英子の服を引っ張って、あのおもちゃを持ってくるようにせがんでいた。英子は昔から自分の子供は宝のように思い、他人の子は道端の草程度にしか思っていなかった。それで、彼女は手を伸ばして言った。「陽ちゃん、あなたのおもちゃをお兄ちゃんに貸してちょうだい」「これは僕のだ!」陽はぎゅっとその箱を抱きしめて離さなかった。英子は数歩前に出て陽のところからその箱を奪おうとしたが、唯月にバシッとその手を叩かれてしまった。手首をきつく叩かれたので、痛くて急いでその手を引っ込めた。「唯月、なにすんのよ?」唯月は冷たい顔をして言った。「それはこっちのセリフでしょ?陽のおもちゃをその子に貸したくないって言ってるんだから。それなのに、伯母であるあんたはそれを勝手に奪うつもりなわけ?」英子「……」この時、佐々木父は顔色を暗くさせて娘を叱責した。英子が息子の手を引いて店の隅に行ってから、彼は申し訳なさそうに唯月に言った。「唯月さん、陽君がおもちゃを貸したくないっていうなら、それでいいよ。それは陽君のおもちゃなんだからね」「あんたたち一家揃って、一体何の用?」唯月は彼ら一家をサッと見渡して尋ねた。俊介はこの時口を出した。「昨日の夜、うちの父さんと母さんがお前んとこ行って話しただろう。今日は陽と一緒に虎を見に動物園に行くって」そう言い終わると、彼は息子に尋ねた。「陽、パパと一緒に動物園に行かないか?」陽はキラキラと瞳を輝かせて尋ねた。「パパ、ママも一緒?」俊介は唯月のほうをちらりと確認して笑って言った。「ママも一緒だよ。唯月、今日は早めに店を閉めろよ。俺らがここでちょっと食べてから、動物園に出発するぞ。ここから車で一時間はかかるからな。早めに着けば、子供たちだって長い時間遊べるだろう」星城アニマルパークは非常に広大で、その中には本当に多くの動物たちがいる。俊介は唯月と付き合いたての頃、週末を利用して動物園に行ったことがある。あの頃はまだ未成年だった唯花も一緒に行ったのだ。唯月は本来息子には元夫家族たちと一緒に動物園に行かせるつもりだったが、恭弥を見てまた不安になった。彼女が一緒に行かない
隼翔の母親である美乃里は琴音の前で唯月の話題を出したことがある。琴音は特に唯花のほうに注目していた。唯花があの結城家の若奥様になったのだから、交流を深めてみたいと思っていたからだ。それでもちろん唯月のことも気にはなっていた。唯月はなんと言おうが結城家の若奥様の姉だからだ。「これは俺のテナントで、貸しているんだ」隼翔はひとこと付け加えておいた。彼が店の人に代わって店が綺麗などと庇っていると琴音に思われないようにするためだ。琴音は微笑んだ。「なるほど自分の店舗だから、ここで朝ごはんを食べたわけね」「俺はもう腹いっぱいになっている。もう何も食べられない。樋口さん、それを持って帰ってくれ。わざわざどうもありがとう」隼翔は琴音を連れて会社に出勤したくなかった。琴音は笑って言った。「後で持って帰るわ。これから隼翔さんの会社をちょっと見学したいの。今回星城に来て、やる事がある以外に、あなたの会社のような大企業との提携の話もしたかったから」樋口家のビジネスもかなり大きい。美乃里は樋口家と親戚関係になりたいと期待している。琴音は星城での市場開拓をしたいと考えていて、東グループのような大企業と提携を結ぶことができれば、樋口グループにも利益となる。それに、この提携関係により、隼翔との距離を縮めて仲を深めたいと思っている。彼女から見て、東隼翔は確かに荒っぽく大雑把な性格ではあったが、繊細な一面も持っていると思っていた。隼翔を落とすことに成功すれば、彼女は将来絶対に幸せになれるだろう。ビジネス界を長年渡り歩いてきて、琴音は挑戦することが最も好きだった。隼翔を落とすことこそ、最近の彼女の興味を駆り立てることになっていたのだ。これは最も挑戦のし甲斐があることと言える。琴音の東グループを見学するという名目の下、隼翔もそれを無理にでも断ることができなかった。彼の母親の親友の娘であるからだ。彼は仕方なく車に乗ると、アクセルを踏み込み、車を発進させてあっという間に走り去っていった。琴音はすぐに彼の車の後ろに追いついた。このシーンを唯月は店の中から見てはいなかった。隼翔が店を出てからすぐに佐々木家の面々が大勢でグループになって店に押し寄せてきたからだ。大勢というのも、佐々木家は全員出動してきた。英子夫妻に、子供の恭弥まで佐々木母は市内