佐々木母は唯月には名家に嫁いだ伯母がいることを知り、後悔していた。息子に離婚させたことをだ。もし離婚しなければ、親戚の関係を利用して、俊介を神崎グループに転職させたら、収入がさらに上がったかもしれない。年収は億に届く可能性もあったのだ。彼女は息子に唯月を再び追いかけ、復縁するよう勧めたが、息子にきっぱり拒否され、莉奈もものすごく不機嫌になった。すると、佐々木母はこれ以上明言しなかったが、孫を利用しようと考え始めた。息子に陽を頻繁に迎えに行かせ、それから唯月のところへ返して、唯月と会う機会を作ろうとした。どういっても十二年の付き合いがあって、息子もいるから、夫婦二人が冷静になれば、また復縁できるかもしれないと思っていたのだ。「母さん、陽に会いたいなら姉さんに車で唯花の店まで送ってもらえばいいだろう。わざわざ陽を連れて来る必要はない。連れてきても陽の面倒をうまくできなかったら、また怖がらせるだけだぞ」俊介は母親の企みを見抜いていた。唯月の伯母が神崎夫人だと知り、俊介も驚いたが、離婚したのは後悔していなかった。彼は心から莉奈を愛していた。莉奈と生活して、年明けのバレンタインデーに一緒に結婚届を出すつもりだった。その後、結婚式を挙げようと考えていた。莉奈への約束はすべて果たすつもりだ。「母さん、今忙しいから、用事があるなら帰ってから話そう」俊介は母親の小言にはこれ以上聞く耳を持たず、母親がまた何か言う前に、電話を切った。顔を上げると、莉奈が不機嫌そうな顔をしているのを見て、急いで彼女を引き寄せ、彼の膝の上に座らせた。「莉奈、母さんの言うことなんか気にするな。彼女が何をやっても、俺が愛しているのは莉奈だということは変わらないんだ。結婚するのは俺で、母さんじゃないからね」「お母さんとお姉さん、今後悔してるでしょう?唯月に大金持ちの伯母がいるのを知ったから。彼女本当に運がよかったね、神崎夫人の姪っ子になったなんて。神崎夫人が何十年も妹を探していたのは皆知っている話でしょ。今唯月姉妹を見つけたんだから、きっとたくさん援助するよね。家や車を買ってあげて、何千万、何億のお金を渡すかもしれないよ」莉奈は唯月の話になると、嫉妬と悔しさに駆られた。どうして彼女にはそんな大金持ちの伯母がいないのか。「母さん
彼女は姉を心配させたくない。唯月は妹の普段と変わらない様子を見て、少し安心したように言った。「結城さんはあなたによくしてくれるから、些細なことで喧嘩したりしないと思うわ。喧嘩してないなら私は安心よ」唯花は心の中でぶつくさと不満を言っていた。理仁はまさに些細なことで彼女と喧嘩している。一日中、彼は彼女を無視している。彼女も先に仲直りしようと言い出したくないのだ。唯花は自分には非がないと思っているからだ。最初の冷戦の時は、彼女は特になにも感じなかったが、前回、琉生に告白されるところを見られた時はびっくりするほど乱れて、慌てて会社まで追いかけ説明した。今は、彼女はとても苦しく感じていた。多分、二人の間に少し愛が芽生えたからこそ、こんなに辛くなるだろう。「唯花、私は陽を連れて先に帰るわ。店を開くと決めたから、計画書とか作らないと」「わかった。じゃ清水さんも一緒に行かせるから。清水さんがいれば、陽ちゃん邪魔にならないでしょ」唯月は妹の提案を断らなかった。慣れた環境では陽はとてもわんぱくなので、確かに面倒を見てくれる人が必要だった。清水のほうは実は残りたかった。唯花と明凛二人が今夜バーに行ってお酒を飲むと言ったのを聞いていたからだ。どのバーに行くか知りたかったが、唯花に唯月と一緒に帰るよう言われたので、従うしかなかった。じゃないと怪しまれるかもしれない。「清水さん、車でお姉ちゃんと陽ちゃんを送ってくださいね」唯花は自分の車の鍵を清水に渡した。「私は後で明凛の車に乗りますから」いや、やはりタクシーで行くのだ。お酒を飲むから運転できない。「わかりました」清水は鍵を受け取り、唯月母子と一緒に本屋を後にした。唯月の借りた家に着くと、清水はトイレに行くのをチャンスだと思って、理仁にメッセージを送った。「若旦那様、若奥様は牧野さんとバーへお酒を飲みに行くそうですよ」理仁は昨日徹夜したから、午前中はまだ堪えていたが、午後になると限界を迎えた。椅子にもたれ、眠りに落ちてしまった。清水のメッセージが届いたが、夢の世界にいる彼は通知音に気づかず、返信できなかった。清水は返事をもらえず、とりあえず若旦那様に報告したから、後は彼の判断に任せようと思った。間もなく夕方になった。高校三年生が最後に学校を出て
十月の東京は残暑でまだ汗ばむほど暑く、朝夕だけ秋の気配があり涼しさを感じられた。 内海唯花は朝早く起きると姉家族三人に朝食を作り、戸籍謄本を持ってこっそりと家を出た。 「今日から俺たちは生活費にしろ、家や車のローンにしろ、全部半々で負担することにしよう。出費の全部だからな!お前の妹は俺たちの家に住んでるんだから、彼女にも半分出させろよ。一ヵ月四万なんて雀の涙程度の金じゃ、タダで住んで飲み食いしてるのと同じじゃないか」 これは昨夜姉と義兄が喧嘩している時に、内海唯花が聞こえた義兄の放った言葉だった。 彼女は、姉の家から出ていかなければならなかった。 しかし、姉を安心させるためには結婚するのがただ一つの方法だった。 短期間で結婚しようとしても、男友達すらいない彼女は結城おばあさんの申し出に応えることにした。彼女がなんとなく助けたおばあさんが、なかなか結婚できない自分の孫の結城理仁と結婚してほしいと言ってきたのだった。 二十分後、内海唯花は役所の前で車を降りた。 「内海唯花さん」 車から降りるとすぐ、内海唯花は聞きなれた声が自分を呼ぶのが聞こえた。結城おばあさんだ。 「結城おばあさん」 内海唯花は速足で近づいていき、結城おばあさんのすぐ横に立っている背の高い冷たい雰囲気の男の姿が目に入った。おそらく彼が結婚相手である結城理仁なのだろう。 もっと近づき、内海唯花が結城理仁をよく見てみると、思わず驚いてしまった。 結城おばあさんが言うには孫の結城理仁は、もう三十歳なのに、彼女すら作らないから心配しているらしかった。 だから内海唯花は彼がとても不細工な人なのだと勝手に思い込んでいたのだ。 しかも、聞いたところによると、彼はある大企業の幹部役員で、高給取りらしいのだ。 この時初めて彼に会って、自分が誤解していたことに気づいた。 結城理仁は少し冷たい印象を人に与えたが、とてもハンサムだった。結城おばあさんのそばに立ち、浮かない顔をしていたが、それがかえってクールに見えて、人を近づけない雰囲気を醸し出していた。 目線を少しずらしてみると、近くに駐車してある黒い車はホンダの車で、決して何百万もするような高級車ではなかった。それが内海唯花に結城理仁との距離を近づけされてくれた。 彼女は同級生の友人と一緒に公立星城
「もう決めたことですから、後悔なんてしませんよ」 内海唯花も何日も悩んだうえで決断した。一度決めたからには決して後悔などしないのだ。 結城理仁は彼女のその言葉を聞くと、もう何も言わずに自分が用意してきた書類を出して役所の職員の前に置いた。 内海唯花も同じようにした。 こうして二人は迅速に結婚の手続きを終えた。それは十分にも満たない短い時間だった。 内海唯花が結婚の証明書類を受け取った後、結城理仁はズボンのポケットから準備していた鍵を取り出し唯花に手渡して言った。「俺の家はトキワ・フラワーガーデンにある。祖母から君は星城高校の前に書店を開いていると聞いた。俺の家は君の店からそんなに遠くない。バスで十分ほどで着くだろう」 「車の免許を持っているか?持っているなら車を買おう。頭金は俺が出すから、君は毎月ローンを返せばいい。車があれば通勤に便利だろうからな」 「俺は仕事が忙しい。毎日朝早く夜は遅い。出張に行くこともある。君は自分の事は自分でやってくれ、俺のことは気にしなくていい。必要な金は毎月十日の給料日に君に送金するよ」 「それから、面倒事を避けるために、今は結婚したことは誰にも言わないでくれ」 結城理仁は会社で下に命令するのが習慣になっているのだろう。内海唯花の返事を待たず一連の言葉を吐き捨てていった。 内海唯花は姉が自分のために義兄と喧嘩するのをこれ以上見たくないため喜んでスピード結婚を受け入れた。姉を安心させるために彼女は結婚して姉の家から引っ越す必要があったのだ。これからはルームメイトのような関係でこの男と一緒に過ごすだけでいいのだ。 結城理仁が自分から家の鍵を差し出したので、彼女も遠慮なくそれを受け取った。 「車の免許は持ってますけど、今は車を買う必要はないです。毎日電動バイクで通勤していますし、最近新しいバッテリーに交換したばかりです。乗らないともったいないでしょう」 「あの、結城さん、私たち出費の半分を私も負担する必要がありますか?」 姉夫婦とは情がある関係といえども、義兄は出費の半分を出すように要求してきた。いつも姉のほうが苦労していないのに得をしていると思っているのだろう。 子供の世話をし、買い物に行ってご飯を作り、掃除をするのにどれほど時間がかかるか知りもしないだろう。自分でやったことのない男
「おばあちゃん、頼りにしてるよ」 内海唯花は適当に答えた。 結城理仁は血の繋がった孫で、彼女はただの義理の孫娘だ。結城おばあさんがいくら良い人だといっても、夫婦間で喧嘩した時に結城家が彼女の味方になるだろうか。 内海唯花は絶対に信じなかった。 例えば彼女の姉の義父母を例に挙げればわかりやすい。 結婚前、姉の義父母は姉にとても親切で、彼らの娘も嫉妬してしまうほどだった。 しかし、結婚したとたん豹変したのだ。毎回姉夫婦間でいざこざがあった時、姉の義母は決まって姉を妻としての役目を果たしていないと責めていた。 つまり、自分の息子は永遠に内の者で、嫁は永遠に外の者なのだ。 「仕事に行くのでしょうから、おばあちゃんは邪魔しないことにするわね。今夜理仁くんにあなたを迎えに行かせるわ。一緒に晩ご飯を食べましょう」 「おばあちゃん、うちの店は夜遅くに閉店するの。たぶん夜ご飯を食べに行くのはちょっと都合が悪いわ。週末はどうかな?」 週末は学校が休みだ。本屋というのは学校があるからこそやっていけるもので、休みになると全く商売にならなくなる。店を開ける必要がなくなって彼女はようやく時間がとれるのだ。 「それもいいわね」 結城おばあさんは優しく言った。「じゃあ、週末にまたね。いってらっしゃい」 おばあさんは自分から電話を終わらせた。 内海唯花は今すぐ店に行くのではなく、先に親友の牧野明凛にメッセージを送った。彼女は高校生たちが下校する前に店に戻るつもりだった。 人生の一大イベントを終え、彼女は姉に一言伝えてから引越しなければならなかった。 十数分が経った。 内海唯花は姉の家に戻ってきた。 義兄はすでに仕事に行って家にはおらず、姉がベランダで服を干していた。妹が帰ってきたのを見て、心配して尋ねた。「唯花ちゃん、なんでもう帰ってきたの?今日お店開けないの?」 「ちょっと用事があるから後で行くの、陽ちゃんは起きてないの?」 佐々木陽は内海唯花の二歳になったばかりの甥っ子で、まさにやんちゃな年頃だった。 「まだよ、陽が起きてたらこんなに静かなわけないでしょう」 内海唯花は姉が洗濯物を干すのを一緒に手伝い、昨晩の話になった。 「唯花ちゃん、あの人はあなたを追い出したいわけじゃないのよ。彼ストレスが大きいみたい
「お姉ちゃんもさっき言ったでしょ、あれは彼の結婚前の財産であって、私は一円も出していないのよ。不動産権利書に私の名前を加えるなんて無理な話よ。もう言わないでね」 手続きをして、結城理仁が家の鍵を渡してくれたおかげで、彼女はすぐにでも引越しできるのだ。住む場所の問題が解決しただけでも有難い話だ。 彼女は絶対に結城理仁に自分の名前を権利書に加えてほしいなんて言うつもりはなかった。彼がもし自分からそうすると言ってきたら、彼女はそれを断るつもりもなかった。夫婦である以上、一生覚悟を決めて過ごすのだから。 佐々木唯月もああ言ったものの、妹が自分で努力するタイプでお金に貪欲な人ではないことをわかっていた。それでこの問題に関してはもう悩まなかった。一通り姉の尋問が終わった後、内海唯花はやっと姉の家から引っ越すことに成功した。 姉は彼女をトキワ・ガーデンまで送ろうとしたが、ちょうど甥っ子の佐々木陽が目を覚まし泣いて母親を探した。 「お姉ちゃん、早く陽ちゃんの面倒を見てやって。私の荷物はそんなに多くないから、一人でも大丈夫よ」 佐々木唯月は子供にご飯を食べさせたら、昼ご飯の用意もしなくてはいけなかった。夫が昼休みに帰ってきて食事の用意ができていなかったら、彼女に家で何もしていない、食事の用意すらまともにできないと怒るのだ。 だからこう言うしかなかった。「じゃあ、気をつけて行ってね。昼ご飯あなたの旦那さんも一緒に食べに来る?」 「お姉ちゃん、昼は店に戻らなくちゃいけないから遠慮しとくね。夫は仕事が忙しいの、午後は出張に行くって言ってたし、もうちょっと経ってからまたお姉ちゃんに紹介するわね」 内海唯花はそう嘘をついた。 彼女は結城理仁のことを全く知らなかったが、結城おばあさんは彼が忙しいと言っていた。毎日朝早く出て夜遅くに帰ってくる。時には出張に行かなければならず、半月近く帰ってこないそうだ。彼女は彼がいつ時間があるかわからなかった。だから姉に約束したくてもできないのだ。適当に言って信用を裏切るようなことはしたくなかった。 「今日結婚手続きをしたばかりなのに、出張に行くの?」 佐々木唯月は妹の旦那が妹に優しくないのではと思った。 「ただ手続きしただけ、結婚式もあげてないのよ。彼が出張に行くのは仕方ないことよ。なるだけお金を稼いだほうがい
結城理仁は何事もなかったかのように言った。「会議を続けよう」 彼に一番近いところに座っているのは従弟で、結城家の二番目の坊ちゃんである結城辰巳だった。 結城辰巳は近寄ってきて小声で尋ねた。「兄さん、ばあちゃんが話してる内容が聞こえちゃったんだけどさ、兄さん本当に唯花とかいう人と結婚したのか?」 結城理仁は鋭い視線を彼に向けた。 結城辰巳は鼻をこすり、姿勢を正して座り直した。これ以上は聞けないと判断したようだった。 しかし、兄に対してこの上なく同情した。 彼ら結城家は政略結婚で地位を固める必要は全くないのだが、それにしても兄とその嫁は身分が違いすぎるのだ。ただおばあさんが気に入っているので、内海唯花という女性と結婚させられたのだから、兄が甚だ可哀想だ。 結城辰巳は再び強い同情心を兄に送ってやった。 彼自身は長男でなくてよかった。もし長男に生まれていたらそのおばあさんの命の恩人と結婚させられていただろう。 内海唯花はこの事について何も知らなかった。彼女は新居がどこにあるのかはっきりした後、荷物を持って家に到着した。 玄関のドアを開けて家に入ると、部屋が非常に広いことに気づいた。彼女の姉の家よりも大きく、内装もとても豪華なものだった。 荷物を下ろして内海唯花は家の中を見て回った。これはこれからは彼女のものでもあるのだ。 リビングが二つに部屋が四つ、キッチンと浴室トイレが二つ、ベランダも二箇所あった。そのどれもがとても広々とした空間で、内海唯花はこの家は少なくとも200平方メートル以上あるだろうと見積もった。 ただ家具は少なかった。リビングに大きなソファとテーブル、それからワインセラー。四つある部屋のうち二つだけにベッドとクローゼットが置いてあり、残り二つの部屋には何もなかった。 マスタールームはベッドルームとウォーキングクローゼットルーム、書斎、ユニットバスがそれぞれあるのだが、非常に広かった。リビングと張るくらいの広さだ。 この部屋は結城理仁の部屋だろう。 内海唯花はもう一つのベッドが置いてある部屋を選んだ。ベランダがあり、日当たり良好でマスタールームのすぐ隣にある。部屋が別々であれば、お互いにプライベートな空間を保つことができるだろう。 結婚したとはいえ、内海唯花は結城理仁に対して本物の夫婦関係を求め
内海唯花は笑って言った。「あなたの従兄は彼女がいるじゃない。彼を紹介してどうするのよ?結婚手続きはもう終わったんだから、後悔しても遅いでしょ。ただこのことは秘密にしてちょうだい、お姉ちゃんが本当のことを知ったら悲しむから」 牧野明凛「......」 彼女の親友は、とても勇ましい人だ。 「小説の中の女主人公はいつも大金持ちとスピード婚するけど、唯花、あなたの結婚相手もそうなの?」 そう言い終わると、内海唯花は親友をつつき、笑って言った。「うちの店にある小説、あなた何回読んだのよ?夢なんか見ないでよね。そんな簡単に玉の輿に乗れるわけないでしょ。お金持ちがそこらへんに転がってると思ってる?」 牧野明凛は親友につつかれた場所をさすり、彼女が言っていることはその通りだと思った。彼女はかすかにため息をついた後、また尋ねた。「あなたの旦那さんが買った家はどこにあるの?」 「トキワ・フラワーガーデンよ」 「あら、良い場所じゃないの。あそこの環境は良いし、交通も便利だしさ。この店からもそんなに遠くないし。旦那さんはどの会社で働いてるの?東京で家を買えるくらいだし、トキワ・フラワーガーデンはお金持ちが買えるのよ、旦那さんの収入はきっと高いに決まってるわ。毎月のローンはいくら?あなたもローンのお金を出す必要があるの?」 「唯花、もしあなたもローンを払う必要があるなら、不動産権利書にあなたの名前も付け加えなきゃ。じゃないと損しちゃうでしょ。こう言うのはあまり聞こえがよくないけど、もしあなたたちが喧嘩でもして離婚することになったら、その家は彼のものだし、あなたには家の権利がなくなるのよ」 内海唯花は親友の瞳を見つめ言った。「あなたの考えって私の姉とほぼ一緒よね。家は彼が一括で購入したから、ローンを返済する必要ないのよ。私は一円も出してないわ、不動産権利書に私の名前を加えるなんてできないわよ」 牧野明凛は「夫婦間の仲が良いなら、まあ問題はないんだけど」と言った。 内海唯花はふと思い出した。彼女の姉が住んでいる家は義兄が結婚する前に購入したもので、今も毎月ローンの返済をしていた。内装の費用は姉がお金を出したのだが、不動産権利書には姉の名前は書いていなかった。唯花は義兄がいつも姉に金を使うだけで、能力がないと責めていることを思い、心配になった。 日を
彼女は姉を心配させたくない。唯月は妹の普段と変わらない様子を見て、少し安心したように言った。「結城さんはあなたによくしてくれるから、些細なことで喧嘩したりしないと思うわ。喧嘩してないなら私は安心よ」唯花は心の中でぶつくさと不満を言っていた。理仁はまさに些細なことで彼女と喧嘩している。一日中、彼は彼女を無視している。彼女も先に仲直りしようと言い出したくないのだ。唯花は自分には非がないと思っているからだ。最初の冷戦の時は、彼女は特になにも感じなかったが、前回、琉生に告白されるところを見られた時はびっくりするほど乱れて、慌てて会社まで追いかけ説明した。今は、彼女はとても苦しく感じていた。多分、二人の間に少し愛が芽生えたからこそ、こんなに辛くなるだろう。「唯花、私は陽を連れて先に帰るわ。店を開くと決めたから、計画書とか作らないと」「わかった。じゃ清水さんも一緒に行かせるから。清水さんがいれば、陽ちゃん邪魔にならないでしょ」唯月は妹の提案を断らなかった。慣れた環境では陽はとてもわんぱくなので、確かに面倒を見てくれる人が必要だった。清水のほうは実は残りたかった。唯花と明凛二人が今夜バーに行ってお酒を飲むと言ったのを聞いていたからだ。どのバーに行くか知りたかったが、唯花に唯月と一緒に帰るよう言われたので、従うしかなかった。じゃないと怪しまれるかもしれない。「清水さん、車でお姉ちゃんと陽ちゃんを送ってくださいね」唯花は自分の車の鍵を清水に渡した。「私は後で明凛の車に乗りますから」いや、やはりタクシーで行くのだ。お酒を飲むから運転できない。「わかりました」清水は鍵を受け取り、唯月母子と一緒に本屋を後にした。唯月の借りた家に着くと、清水はトイレに行くのをチャンスだと思って、理仁にメッセージを送った。「若旦那様、若奥様は牧野さんとバーへお酒を飲みに行くそうですよ」理仁は昨日徹夜したから、午前中はまだ堪えていたが、午後になると限界を迎えた。椅子にもたれ、眠りに落ちてしまった。清水のメッセージが届いたが、夢の世界にいる彼は通知音に気づかず、返信できなかった。清水は返事をもらえず、とりあえず若旦那様に報告したから、後は彼の判断に任せようと思った。間もなく夕方になった。高校三年生が最後に学校を出て
佐々木母は唯月には名家に嫁いだ伯母がいることを知り、後悔していた。息子に離婚させたことをだ。もし離婚しなければ、親戚の関係を利用して、俊介を神崎グループに転職させたら、収入がさらに上がったかもしれない。年収は億に届く可能性もあったのだ。彼女は息子に唯月を再び追いかけ、復縁するよう勧めたが、息子にきっぱり拒否され、莉奈もものすごく不機嫌になった。すると、佐々木母はこれ以上明言しなかったが、孫を利用しようと考え始めた。息子に陽を頻繁に迎えに行かせ、それから唯月のところへ返して、唯月と会う機会を作ろうとした。どういっても十二年の付き合いがあって、息子もいるから、夫婦二人が冷静になれば、また復縁できるかもしれないと思っていたのだ。「母さん、陽に会いたいなら姉さんに車で唯花の店まで送ってもらえばいいだろう。わざわざ陽を連れて来る必要はない。連れてきても陽の面倒をうまくできなかったら、また怖がらせるだけだぞ」俊介は母親の企みを見抜いていた。唯月の伯母が神崎夫人だと知り、俊介も驚いたが、離婚したのは後悔していなかった。彼は心から莉奈を愛していた。莉奈と生活して、年明けのバレンタインデーに一緒に結婚届を出すつもりだった。その後、結婚式を挙げようと考えていた。莉奈への約束はすべて果たすつもりだ。「母さん、今忙しいから、用事があるなら帰ってから話そう」俊介は母親の小言にはこれ以上聞く耳を持たず、母親がまた何か言う前に、電話を切った。顔を上げると、莉奈が不機嫌そうな顔をしているのを見て、急いで彼女を引き寄せ、彼の膝の上に座らせた。「莉奈、母さんの言うことなんか気にするな。彼女が何をやっても、俺が愛しているのは莉奈だということは変わらないんだ。結婚するのは俺で、母さんじゃないからね」「お母さんとお姉さん、今後悔してるでしょう?唯月に大金持ちの伯母がいるのを知ったから。彼女本当に運がよかったね、神崎夫人の姪っ子になったなんて。神崎夫人が何十年も妹を探していたのは皆知っている話でしょ。今唯月姉妹を見つけたんだから、きっとたくさん援助するよね。家や車を買ってあげて、何千万、何億のお金を渡すかもしれないよ」莉奈は唯月の話になると、嫉妬と悔しさに駆られた。どうして彼女にはそんな大金持ちの伯母がいないのか。「母さん
「佐々木、お前一体何をやったんだ。顧客全員に嫌われるようなことをしたのか?」俊介は会社のために多くの契約を取って、たくさん稼いでくれた。それに、彼は大学卒業後すぐにスカイ電機株式会社に入り、数年も働いてきたベテラン社員だった。社長は彼を信頼し、重要視しているのだ。社長の多くの部長の中で、俊介は最年少だった。彼が会社にもたらす利益が大きかったから、破格のスピードで部長に昇進できたのだ。他の管理職たちは嫉妬していたが、文句は言えなかった。社長の俊介への信頼は厚く、自分が出席できないビジネスパーティーにも彼を行かせて、上流社会を見させると同時に、会社により多くの顧客を取らせた。俊介も社長を失望させることなく、そのビジネスパーティーに参加して、会社に多くの利益をもたらしてきた。しかし今、俊介が契約した注文はキャンセルされたか、取引中止となっている。他の人が担当したケースもキャンセルされたことがあるが、俊介が担当した分が特にひどかった。「社長、俺は顧客を怒らせていません。お得意様たちを神様のように扱っていますから、そんな怒らせるようなことはしませんよ」俊介は弁解した。「社長、もう一度顧客たちと話し合います。注文を取り戻して、会社の損失を減らすよう頑張りますから」「その話、何度も聞いたぞ。全く効果がないじゃないか。スカイ電機が今までこんな危機に陥ったことはなかったぞ。工場の社員がもうすぐ正月の休みに入るから。このまま注文が戻らなかったら、年明けになっても仕事を再開できないぞ!佐々木、もう一度よく考えてみろ。本当に誰かの恨みを買ったことはないか?うちは今明らかに誰かに狙われているんだ。もともと結城グループの子会社と競争関係だったのに。今俺らはうまくいかず、仕事は全部相手に奪われてしまったんだぞ!」本当にイラつく!俊介は注文のため頭を抱えていた。社長も同じぐらい焦っていた。誰かに狙われていることはわかっていたが、肝心なそれが一体誰なのかがわからなかった。取引先は誰も本当のことを言わず、ただもう協力できないと言うだけだ。裏でスカイ電機を谷の底に落とした黒幕は、彼らに真実も教えず、暗闇の中に葬るつもりなのだ。俊介は額の冷や汗を拭きながら言った。「社長、俺は本当に誰かを怒らせるようなことをしていません」本当に誰か
「どうする?借りるか?もし借りたいなら、理仁の義姉さんだということで、平均以下の価格で貸してやるよ。でも、誰にも言わないでくれ。他の連中が知ったら、値下げを要求してくるからな」唯月はこの時、確かにその気になっていた。彼女は毎日通勤であの通りを通って、人がどれほど多いかよく知っている。あそこにある軽食喫茶やレストラン、スイーツ店までも全て繁盛している。彼女はあの通りの店舗が借りられる人が羨ましかったが、まさかそれらの店舗は隼翔が所有しているとは思わなかった。「一ヶ月の家賃はいくらですか」「星城の中心部の店舗はどこでも家賃が高い。俺のところの店は一番狭いので四十平方メートルあって、一番広いのは百以上ある。君は何をやるつもりだ?」「弁当屋です」「なら大きい店は必要ないかな。弁当の価格もそんなに高くないから。四十から五十平方メートルくらいで十分だと思うぞ。あの老夫婦がやった店の広さを後で確認しておく。毎月の家賃に関しては、十六万でいい。でも絶対内緒だぞ?他人には二十万以上取ってるからな」唯月はすぐ頷いた。「東社長、絶対誰にも言いませんから、ご安心ください。それと、そんなに安くしてもらっても大丈夫なんですか?」「店舗を購入する際かかった金ならとっくに回収した。今はいくら家賃をもらっても儲けが出る。気にせずにやってくれ。元手が取れて、気が向いたら家賃を上げてくれればいいだろう」彼はやはりビジネスマンだった。利益を大事にしている。唯月は笑った。「わかりました。元手が取れたら、他の人と同じ家賃でお支払いします。東社長、その店舗貸してもらえませんか。今すぐ戻って上司に辞職の話をします」「ああ、後で契約の手続きをする担当者を紹介するな」隼翔はあっさり頷いた。「君はまだ試用期間中だから、上司に伝えればすぐにこの期間の給料を清算してくれるはずだ」「東社長、本当にありがとうございます」唯月は心から感謝していた。「礼はいらないよ。君の義弟である理仁の面子を考慮して平均以下の家賃にしてやるから。その弁当屋が開店したら、俺も行くよ」理仁によれば、内海姉妹は料理がうまいらしい。「では、東社長、私はこれで失礼します」唯月はさっきは暗い顔をしてオフィスに入り、今は笑顔で出ていった。彼女が去った後、隼翔は携帯を取り出し
返事をもらえず、隼翔は話し続けた。「私が君を採用したことで、会社内で苦労させてるのは知っている。だが、他人の言葉は気にせず、自分の仕事に集中すればいいから」「東社長、私は仕事を辞めたいと思っています」隼翔はじっと彼女を見つめた。「理由は?」唯月は暫く黙った後、顔をあげて言った。「あの時は離婚して息子の親権を得るため、会社でどんな陰口を叩かれても、他人から嫌がらせをされても我慢できたんです。それは陽の親権を得るため、仕事が必要だったからです」「今は離婚して、親権も得られたから仕事を辞めたいってことか?まだ試用期間も終わってないぞ」隼翔は彼女の話を遮った。「内海さんには実力がある。職場の人間関係は複雑だということをきっと知っているだろう。他人の言葉は気にせず、自分が後悔しない生き方をすればいいと思う」「でも、私が東社長を取り入ろうとしていると言われて、私は東社長の評判に傷をつけたくないんです」人がいる所には必ず争いがあるものだ。唯月はそれを理解している。元財務部長だった彼女が直接に東社長の採用で入社したため、誰もが彼女がツテを使って入社したと噂をしていた。上司や上の管理職たちは彼女が自分の役職を奪うのを恐れていた。だから、オフィスの同僚たちは裏で彼女をいじめ、排斥し、罠を仕掛けてきた。さらに、東は独身だった。彼が一人の女性社員に注目すれば、その女性はすぐに多くの人の標的になるのだ。唯月は彼女たちと争いたくなかった。だから仕事を辞めて、自分の計画通りに起業しようと考えていた。隼翔「……誰が言ったんだ?」「内海さん、自分の仕事だけに専念したっていいんだ。その連中は俺が対処する。今後誰かがまた君にそういうことを噂したら、全員クビにする。大勢の人がそうしたって責められないと思ってるようだが、俺を怒らせたら全員解雇だな」彼が唯月を採用したのは、確かに理仁の面子を考えてのことだ。まあ、これに関しては、唯月がコネで採用されたというのも事実ではあるのだが。しかし唯月が彼を誘惑する気があるという……あまりにも非常識だった。離婚したばかりの唯月がそんなことするはずがないのに。社員同士のいざこざなど、多忙な東社長はあまり気にしないし、手も出したくなかった。しかし、度が過ぎれば処分せざるを得ない。「東社長、ありがと
唯月は振り返り、オフィスに戻った。その同僚はまだ他の人たちと楽しそうにおしゃべりを続けていた。唯月はまっすぐに相手のデスクの前に行った。その人はようやく唯月が戻ってきたことに気づいた。他人の悪口を言う時、その本人に聞かれるのはどれほど気まずいことか。その人は今まさにこの気まずい状態にいて、どうしたらいいかうろたえていた。「あなた、東社長に片思いしているんでしょう?」唯月が発した最初の言葉は、その女性の顔を赤くさせた。「そんなことありませんけど」彼女は否定した。「じゃあ、どうして私と東社長の噂を流すんです?面白いですか。あなたの話からジェラシーしか聞こえないんですけど。東社長に片思いしているから、こうやって私に敵意を向けてるんでしょう。信じてもらえなくてもいいですけど、私は東社長に何の気もありません。私が離婚したのは、クズ男が浮気したからよ。あんなクズと離婚しないで、そのまま一緒に生活し続けるとでも?私が離婚したから必ず東社長を誘惑するって言い切るわけ?東社長は公明正大なお方ですよね。私と何かあったら、隠したりしないでしょう」唯月は冷たい視線で相手を睨んで、何の感情もこもっていない声ではっきり言った。「これからもそのでたらめな噂を流し続けるなら、名誉毀損で訴えますから」言い終わると、彼女は踵を返した。その女性の顔色が暗くなったり赤くなったりして、最後に真っ青になった。他の人も唯月が冷たそうな表情で去っていたのを見て、彼女が言ったこともきちんと聞こえていた。それは彼らへの警告でもあるとわかった。会社で、唯月に関する悪い噂が多すぎるのだ。もし唯月が本当に名誉毀損で訴えたら……。唯月は冷たい表情のまま隼翔のオフィスのドアをノックした。「……顔の傷、大丈夫か?」隼翔は唯月の顔にまだ傷が残っているのを見て、心配そうに尋ねた。「あと二日もすれば治りますよ。お気遣いありがとうございます」唯月は彼のデスクから二メートル離れたところに立ったままだった。「座って」隼翔は彼女にそう言った。唯月は言われた通りに座らず、距離も詰めようとしなかった。ただそこに立ったまま顔をあげ、隼翔を見つめて静かに尋ねた。「東社長、何がご用でしょうか」「ああ、実は……妹さんのことをちょっと聞きたいんだが」
悩んだ結果、彼女は恥を忍んで姫華に悟のことを聞いたのだった。悟が本気で誰かを懲らしめようと思ったら、その相手には生きるより死んだほうがましだと思わせるほど辛い目に遭わせるのだということを知った。彼は人を懲らしめる時、相手が少しずつ全てを失い、絶望をじっくり味わわせるような非常に残酷な手段を取るのが好きだった。そのため、明凛はもし自分が直接悟の好意を拒否したら、彼の逆鱗に触れて、理仁がいじめられるのではないかと心配していたのだ。「そうね、まず付き合ってみるわ。だめだったら無理しないから安心して」明凛は確かに心配していたが、自分を犠牲にするようなことをするつもりはない。彼女はそういう性分じゃないのだ。「唯花、昨晩神崎家に行かなかったの?さっきお姉さんが陽ちゃんを連れてきた時、彼女の様子を見てびっくりしたよ」その話になると、唯花はひどく腹を立てた様子で、また佐々木家のクズどもを罵った。もし佐々木家の二人のクズが姉のところへ行かなければ、彼女と理仁も喧嘩にならなかったはずだ。いや、まあ、理仁のあの性格なら、遅かれ早かれまた喧嘩になるだろう。一体何度の衝突を過ぎれば、お互いの鋭い棘がなくなり、傷つけ合わなくなるのか、未だにわからないことだ。「明凛、今晩仕事が終わったら、バーに行って一緒に飲まない?」明凛は笑った。「結城さんが出張に行ったから、誰も見てないって大胆になったわね」「彼がいたって、私は行きたい場所に行くわ。私は彼を縛り付けないから、彼にもそうさせないからね」彼女の口調がおかしいと感じて、明凛の笑顔が消えた。親友の表情を注意深く見つめながら口を開いた。「唯花、結城さんとまた何かあったの?」彼女が風邪で寝込んだ日も、夫婦二人は危うく喧嘩になるところだった。その原因は琉生が唯花に花を贈るのを理仁に見られたからだった。そのせいで、彼女はまた従弟ともう一度真剣に話し合ったのだ。琉生の悔しそうな様子を思い出すと、明凛はどこか不安を感じていた。彼女の忠告なんて、琉生は全く聞く耳を持たなかった。彼は今もう道の突き当りに閉じ込められ、前へ進む道もなく、後ろへ戻るのも拒んでいて、ただあそこに無意味に止まるしかできないらしい。「ないわよ。ただ最近すごくストレスが溜まっているから、バーで少し飲んで発散したいだけ」彼
唯花が店に着いた時、ちょうど悟が店を出てきたところだった。彼は歩きながら振り返って手を振り「じゃあ、また」と言った。聞くまでもなく、それは明凛に言った言葉だった。唯花を見かけると、悟は丁寧に挨拶した。唯花は挨拶の代わりに微笑んだ。彼女は悟と親しいわけではなく、彼の身分も知ったので、少し緊張していた。悟も唯花とは気安く話せる話題がなく、何より彼女は親友の妻なのだ。その親友がいない場合は長くお喋りするのはよくないと考えた。「内海さん、俺はこれから会社に戻ります」「九条さん、お気をつけて」悟も彼女に笑って、車に乗り、すぐ離れていった。彼が去った後、唯花は店に入った。店に入ると、レジの上にバラの花束が置かれているのが目に入った。見た目からかなり大きな花束だ。花束だけでなく、明凛が普段好きなお菓子が大きい袋に詰められていて、レジの上に置いてあった。お菓子とバラ以外、悟は明凛が普段愛用しているスキンケア用品も何セットか贈ってきた。明凛は陽を抱いてレジの奥に座っていて、お菓子の袋を開けて陽と一緒に食べようとしていた。そして、唯花が入ってくるのを見て、明凛は笑った。「おばたん」陽は唯花を呼んだ後、またすぐに明凛の手にあるお菓子に視線を戻した。明凛は袋を開け、お菓子を取り出し陽に食べさせた。陽は食べながら小さい手で袋を掴もうとした。「陽ちゃん、食べ過ぎはよくないよ、ご飯が食べられなくなるよ」明凛はもう少し陽にあげた後、これ以上食べさせなかった。おやつを食べすぎて、ちゃんとしたご飯が入らなくなるのを心配していたのだ。唯花はお菓子の入った袋とスキンケア用品を見て、親友をからかった。「九条さんはもうあなたの好みを完全に把握してるわね。好きな食べ物と普段使ってるブランドの化粧品ばかりじゃない?」理仁は彼女にお菓子を買ってくれたのも、スキンケア用品を買ってくれたこともなかった。姫華からもらったフェイスパックを使ったら、彼は怒ることしかできなかった。それに、これから好きなブランドを彼に言ったら、買ってくるから、姫華からもらったものを使っちゃだめだとも言った。結局口だけで言って、何の行動もしてくれていない。実は、理仁は唯花にお菓子を買ったことがある。ただその時は、まだまだ余計なプライドが邪魔して、素直になれず、それ
唯花は清水が掃除しようとするのを見て、特に気にせず先に出かけた。清水は彼女を玄関まで見送り、エレベーターに乗ったのを確認してから、家に戻り急いで携帯を取り出して理仁に電話をかけた。最初、理仁は電話に出なかった。清水は連続三回もかけたが、それでも出てくれなかった。仕方なく、清水は彼にメッセージを送った。「若旦那様、若奥様が薬を飲みました」すると、一分も経たず、理仁は自ら電話をかけてきた。「唯花さんが何の薬を飲んだんです?」理仁の声はいつものように感情が読めないくらい冷たくて低かったが、彼をよく知っている清水はわかったのだ。彼は今緊張している。「若奥様は寝不足で、頭と目が痛いと言って、鎮痛剤を飲みましたよ」理仁は一瞬無言になった。びっくりしたじゃないか!清水がはっきり説明してくれなかったせいで。彼は唯花が薬を飲んで極端な行動をしたのかと勘違いしたのだった。いや、これは彼の考えすぎだ。唯花は明るい性格だから、他の誰かがそんな極端な行動をしようとも彼女はしない。ましてや理仁が原因でそんな行動をすると思うなんて、自意識過剰にもほどがある。彼女の心の中で、彼は明凛とも比べられないのだ。「若旦那様、若奥様は朝食を食べた時いろいろ話してくださいました」清水はため息をついた。「若旦那様、どうか考えてください。若旦那様は一体若奥様のどこが好きなんですか。もし若旦那様の思う通りに彼女を変えようとしたら、変わった若奥様はまだ若旦那様が好きな彼女でしょうか」「彼女は何も話してくれなかったんですよ。隼翔も知っていることを、俺が知らないなんて」「若旦那様こそ、あらゆることを若奥様に話しているんですか。どうか忘れないでください。若旦那様はまだ正体を隠しているではありませんか。若旦那様のほうが多くのことを隠しているでしょう」理仁は暗い顔をした。「清水さん、どっちの味方なんだ?」「もちろん若旦那様の味方ですが、だからこそ、こんな身分に相応しくないことを口が酸っぱくなるぐらい言ってるんです。でないと、ただの使用人である私が、こんなことを言いませんよ」「清水さんのことはちゃんと尊重していますよ」理仁は確かにプライドが高く横暴だが、使用人に対する礼儀はきちんとしていた。「おばあ様は実家に帰ったばかりなのに、ま