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人生を諦めた私へ、冷酷な産業医から最大級の溺愛を。
人生を諦めた私へ、冷酷な産業医から最大級の溺愛を。
Author: 海月いおり

1.好きな仕事

last update Last Updated: 2025-04-26 14:38:10

「黒磯!! 一昨日メンテしたスマホ向けパズルゲーム!! 形の違うピース同士をくっつけても消えるってクレームが殺到しているぞ!!」

「えぇ!?」

 プログラマーとして働いている私、黒磯由香里。情報専門学校を卒業後してこの会社に入り、気づけば10年経っていた。31歳、まだまだ現役。

 小学生のころからパソコンが大好きで、与えられた古いパソコンで簡単なゲーム作りをして遊んでいた。自分の打ち込んだコードが画面上で動くのが、ただただ楽しかった。

 高校は商業科を選んだ。その中でも情報コースを選んで、プログラミングをいっそう極めた。情報処理の先生には「ホワイトハッカーだな」と笑われたこともある。ちょっと照れたけれど、それ以上に嬉しかった。

 ——とにかく、プログラミングのことがずっと〝大好き〟だった。

 この好きな気持ちを、仕事にできたらどれほど最高だろうか。

 そう思って進学した情報専門学校では、誰よりも夢中で勉強した。資格も取ったし、コンテストや大会なんかにも出た。作品もたくさんつくって、とにかく実績を積んだ。

 その甲斐あって、大手ゲーム開発会社に第一志望で内定。

 内定通知書を見たとき、飛び跳ねながら喜びの感情を爆発させた。

 ——これで私の人生は安泰だ。

 入社が決まったあの日、私は心の中でそう叫んでいた。そして入社してからも、本気でそう思っていた。

 ……入社して、5年目くらいまでは。

「おら、みんな! 緊急メンテだ!! 直るまでは絶対に帰さないからなっ!!」

 現在、時刻は19時32分。

 今夜22時から放送される歌番組に、私が長年推しているアイドルグループが生出演する。しかも、新曲を披露するらしい。

 リアタイできるの、久しぶりだなって——昨日から、すこしだけワクワクしていた。

 だからこそ、落胆も大きい。

 放送が始まるまで、あと2時間半。その間にメンテナンスが終わる可能性は、限りなくゼロに近い。

 思わず溜息が漏れる。

 私は握っていた拳をゆっくりとほどき、天井を見上げた。

 ——これも、プログラマーの使命か。

 終わりの見えない、パズルゲームの緊急メンテナンスが始まった。

《この前メンテしていたのに、またメンテ!?》

《緊急メンテは草。詫び石はよ》

《今日ログインしてーねのに! 運Aはログイン補償を絶対に用意しろよ!》

 緊急メンテナンスのさなか、ほんのわずかな休憩時間。

 私はスマホを取り出し、140字で呟けるアレでエゴサをしていた。やらなければいいのに、ついやってしまう。自分から心を削りにいくスタイル。

 現在は0時16分。すでに日付が変わっていた。

 22時に生出演したアイドルグループは、予定どおり新曲を初披露したらしい。

 国内トレンド1位にもなっていて、タイムラインには動画やスクリーンショットが溢れている。

「……」

 ——誰かが上げた動画なんて、見たくない。

 リアルタイムで観たかった。タイムラインを見ながら、ネット友達と感情の共有をしたかった。

 それができなかった事実が、やけに悔しくて。私は無言でアプリを閉じた。

 今の修正進捗は20%弱といったところか。終わりはまったく見えない。

 このパズルゲームの担当チームは4人。そのうち1人が私。

 私は閉じたはずのアプリを再度開き、エゴサで心をすり減らす。残りの3人は天井を仰ぎながら、黙ってシミの数を数えていた。

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