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8.行動

last update Last Updated: 2025-05-24 10:44:24

 面接室を飛び出した私は、そのまま廊下を突っ走った。

 止まらなかった。

 何も考えず、ただ走った。

 何かを振り払うように――。

「え、黒磯さん!? 待てよコラ!!」

 後ろから叫ぶ日比野先生の声も、聞こえないふりをした。

 私は社内を全力で走り抜け、玄関を目指す。

 なんだか走りながら凄く清々しい気持ちになってきて、湧き上がる感情を言葉に出してみたくなった。

「私ね、プログラミングが大好きだった!」

「黒磯さん、待てっ!!」

「プログラマーになれたこと、ほんとうに嬉しかったんだ!」

「黒磯っ!!」

「私が携わったパズルゲーム、評価4.6だったんだよ!」

「ちょ、誰か!! その人を止めて!!」

「思い出した。私、ユーザーの皆さんにゲームを楽しんでいただけるのが、やり甲斐だった……!!」

「黒磯由香里っ!!!!」

 廊下を歩くたくさんの人をスルーして、私は玄関のほうへと向かう。

 そして、気づけば外の光の中にいた。

 眩しさと同時に、目の前に現れたのは、片側三車線の大通り。

 車がひっきりなしに行き交っている。その多さを見て、また気持ちが高揚した。

 ——ここに、飛び込めば……。

「——ここまで、楽しかった。だから私ね、来世でも、絶対プログラマーになる!!」

 そう叫びながら、一瞬立ち止まったのが失敗だった。

「黒磯ぉ!!!!」

 ずっと私を追いかけて来ていた日比野先生は、私が立ち止まった隙に飛び込んできた。

「っ!」

 勢いのまま、アスファルトに倒れ込む。

 その上に、先生が覆いかぶさるようにして、私の体をしっかりと抑え込んだ。

「コラ、待てって言ってんだろ!! ったく、馬鹿なことしてんじゃねぇよ!!」

 大きな声で怒鳴りながら、先生は私の両手を握った。

 やがて周囲から、社員たちが駆け寄ってくる。

 状況を理解した誰かが、先生と一緒に私の体を押さえつけた。

「……だって、先生が死んでもいいって……」

「〝いい〟とは一言も言ってねぇだろ!! お前がそう言ったから、尊重してやっただけだ!!」

「……わかんない。先生、嫌い。大嫌い」

「いいよ、嫌ってくれて構わねぇよ。だけどもう、こんなこと二度とすんな。絶対にだ。馬鹿!!」

「……」

 怒鳴る先生の手から、じんわりと体温が伝わってくる。

 うるさくて、無神経で、冷たくて、乱暴で——それでも、確かに「人間の手」だった。

 大嫌いなはずなのに。

 どうしてだろう。

 その体温に触れた瞬間、堪えていたものがこぼれ落ちる。

 涙が止まらない。

 まだ、こんなふうに泣けるんだと、自分でも驚いた。

 その後、私は会社から休職命令を言い渡された。

 そして、日比野先生が勤務している総合病院に——強制的に、入院させられることになったのだった。

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  • 人生を諦めた私へ、冷酷な産業医から最大級の溺愛を。   7.死にたがり

     感情が蘇ってから、2か月が経った。 日比野先生との面接は変わらず続いていたし、プログラマーとしての仕事も、以前と大きくは変わっていない。 深夜残業の頻度はほんのすこしだけ減ったけれど、勤務時間はまだ長く、体は常に重たい。 それでも私は、感情のほとんどを取り戻していた。 笑ったり怒ったり泣いたり……それができるようになったことは、喜ばしいことだったはずなのに。 ——その代償として、感情の起伏がひどく激しくなった。 さっきまで楽しいと思っていたのに、ふとしたきっかけで急に悲しくなって涙が出る。 自分でもどうにもできない波に飲み込まれるたび、また別の悩みが生まれていく。 私は今、自分の感情に、振り回され続けていた。◇「日比野先生、もう嫌だ!! 辛いよ……死にたい!!」 いつものように14時に面接室に入った瞬間、私は自分の感情に押しつぶされた。 先生の顔を見た瞬間、堰を切ったように涙が溢れ、自分で制御もできずに叫び続ける。「もう嫌だ、生きたくない……つらい!!」「落ち着け、黒磯さん」 先生は私の様子を静かに見守りながら、タイミングを見計らっているような様子。 だが私の叫びは止められなかった。「もう、死にたいっ!!」 感情のままに叫び続けていると、日比野先生は一歩前に出て、真顔で私の肩を掴む。そして無理やり視線を合わせてきた。「何、もう死にたいの? そう、それは残念だね。でも、そう思うなら仕方ない」「……」 そっけなくて、ひどく冷たい言葉が耳に残る。 その一言で、私はぴたりと動きを止めた。 急激に高ぶっていた感情が、すこしずつ沈んでいく。 落ち着きを取り戻しながらも、胸の中に、今までにない別の感情が生まれていた。 悲しみではない。苦しみでもない。「……」 私は黙って、日比野先生を睨んだ。「え、なんで睨むの? 君が自分で言ったじゃない」「……先生は、止めないんですか?」「ん、別に止めないよ。僕には関係ないから」「……」 関係ない——その言葉が、胸に刺さる。 あまりにも冷たくて、逆に笑えてくるほどだった。「……前から思ってたけど、先生って最低ですよね」「お? なんだ、突然」 先生を睨んだまま、私の中にあった言葉が次々にこぼれ落ちていく。「死にたいって言ってる人の気持ちを、普通肯定しますか? ほんとうに死

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  • 人生を諦めた私へ、冷酷な産業医から最大級の溺愛を。   4.産業医

     問診票を記入した日から、半月後。  ついに、産業医面接の日がやってきた。 その間、私はいつも通り働いていた。 いや、働いている『つもり』だった。 自分ではあまり実感がないけれど、ここ最近、私の状況はさらに悪化しているらしい。 総務部の人が不定期に様子を見に来ていたのも、今思えばそのせいだったのだろう。「黒磯さん、こちらが会場です」 昼休憩もそこそこに、総務部の加賀さんが私を呼びに来た。 本社の奥、ほとんど人の出入りがないエリアへと向かう。  長い廊下を抜けた先に、ひっそりとその部屋はあった。 『面接室』と書かれた銀色のプレートが視界に入る。 こんなところ、今まで一度も来たことがない。 加賀さんはドアの前で小さく深呼吸をしてから、静かにノックする。「日比野先生、失礼いたします」 「……はい」 中から返ってきた声は、驚くほど感情のない、淡々としたものだった。 先に加賀さんが入室し、それに続いて私も面接室へ足を踏み入れる。 部屋の中央、白衣を着た若い男性がひとり、無言で座っていた。 これが——あの〝冷酷な産業医〟、日比野先生だ。「本日の面接者、システム部の黒磯由香里さんです。よろしくお願いいたします」 そう告げた加賀さんが部屋を出ると、先生はすぐに眉間に皺を寄せ、私をじっと見つめた。「黒磯さん、生気がない。廃人か」 「……」 想像以上にストレートな第一声だった。  でも、反論する気力も、怒る気力も湧かない。 ただ無言で立ち尽くしていると、先生は手元の書類をめくりながら、事務的に声をかけてくる。「まぁいいや、座って」 「……はい」 促されるまま椅子に座る。 顔を上げた先生は、端正な顔立ちをしているのに、その目は驚くほど冷たい。「黒磯由香里、31歳ね」 ぼそりと呟き、重い溜息をひとつ零す。 手元の問診票に視線を落とし、それから私の顔へと目を移す。  その視線もまた、どこか他人事のように淡々としていた。「仕事内容は、プログラミング?」 「はい」 「毎月100時間超えの残業?」 「はい」 「なんでこの仕事、続けているの?」 「……」 プログラミングが大好きだったから。 だけど今は、そんな感情があったことすら思い出せない。 言葉にできず、黙り込む。 先生は問診票に何かを書き加えた。 「次。

  • 人生を諦めた私へ、冷酷な産業医から最大級の溺愛を。   3.心の悲鳴

     チームメンバーがひとり、退職した。  理由は——鬱病の診断だった。  たしかに、最近は表情も乏しくなっていたし、言葉にも覇気がなかった。 でも、まさか。本当に鬱だったなんて。 そして当然、ひとり抜けた分の皺寄せは、残った私たちに降りかかる。  私も例外ではなかった。「……」 毎日、深夜まで残業。 限界まで働いた末に、デスクに突っ伏してそのまま眠る——そんな日も珍しくなかった。 朝から夜中まで、パソコンと睨み合う日々。 それを繰り返しているうちに、私の中の何かも、すこしずつ死んでいった。   まず、あんなに大好きだったアイドルグループへの興味が消えた。 リアタイなんてしたいと思わない。  それ以前に、推しが出る番組だって、録画をする気力すら湧かない。 次に、食べ物への興味も消えた。 忙しい日々のなかでも、「たまには美味しいものでも食べよう」と、小さな楽しみにしていたはずだったのに。 今はもう、何を食べても味がしない。  お腹が空く感覚すら、忘れかけている。 ただ、生きるために、機械的に食べ物を口に運ぶだけ。 ——もう、何もかもがどうでもいい。 何が楽しいのか。 なぜ、こんなにも働いているのか。 そもそも、なぜ、生きているのか。 最後に心から笑ったのは、いつだっただろうか。  大好きだったはずのプログラミングは、いつのまにか、私を殺すための武器に変わっていた。 ◇ 「黒磯さん、お願いします。産業医の面接を受けて下さい」 「え?」 ある日の仕事中、不意に声をかけられた。 目の前には、総務部の加賀朱里さん。 彼女は問診票と予約表を手に、深々と頭を下げた。「加賀さん……私よりも他に、大変な人はたくさんいますよ。そちらを優先してあげてください」 「違うんです。黒磯さんが危ないから、言っているのです。他の誰でもなく、貴女自身が」 加賀さんはまっすぐ、強い声で言った。「面接は本来、労働者の申し出により行われるものです。でも……黒磯さんの場合は違います。会社として、貴女には面接を受けるよう、正式に指示します」 「……冷酷な産業医、ですよね」 「……はい。すみません。でも、どうか……」 加賀さんの目は真剣だった。 そこに打算や業務的なものは、あまり感じられない。 ——これ以上、無理に突っぱねるのは

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