LOGIN慌ててその身を支えたリプカの腕の中で、クインはものの見事に失神していた。 上目を剥いて気絶するクインが哀れで、撫でるようにすっと目を閉じさせたのち――リプカは再び内心で頭を振り乱し絶叫しながら、憐情からの謝罪を念じて繰り返していた。(あとでフランシスに頼み込んで、対価と引き換えにどうにかしてもらいましょう……)「しょーがないわねぇ、もー」 億劫そうな声を上げ、フランシスは腰を上げるとクインの元へ歩み寄り、腰辺りに手を回し、器用にその身を立ち上げた。「あ、わ、私が……」「私がいくわ」 慌ててクインを支えようとしたリプカへ、フランシスはきっぱりと断りを告げた。「お姉さまは晩餐会を楽しんでて」「え、えぇ……でも……」「主役が離れるとまずいわ。ね?」「――え、ええ。分かりました」 リプカの首肯を見て一つ頷き、フランシスは最後に客人へ顔を向けると、陽気に言ってみせた。「では皆様、不肖とする私どもの至らなさもあり、色々とお騒がせしましたが――どうぞお気になさらず、引き続き、お食事をお楽しみくださいませ」 それだけ言うと、真っ直ぐ出口の扉へ向かって、晩餐会の場から、クイン共々消えて行った。 ――音を立てて、扉が閉まる。 後に残されたのは、しんと静まり返った、耳に痛いほどの静寂。 滅茶苦茶になってしまった晩餐会。 折れた腰が上がらぬまま、ほとんど恐怖と同一である羞恥に顔面を蒼白にして、恐る恐る客人の方へ振り返ってみれば――。 ――てっきり、自身をぽかんと見つめ、人が通常形作ることのできない、心底の呆れを浮かべている顔が五つあるものとばかり思っていた。 せっかくの縁が、すべて滅茶苦茶になってしまったとすら。 しかし現実は、そうではなかった。
「…………」「…………」「…………」「…………」「あ、あーっ、お料理、美味しいっ! ね!」「ええ、とても。こういった香草を使用しない肉料理は、アリアメル方面では珍しいのですが――食べてみるものですね。美味しいです」「ウィザ連合の料理にも興味湧いてきた! 要所要所が独特でオモシロイな! ビビちゃんはどの料理が印象に残った?」「私はこの香草のスープがどうにも舌に合わなかった」「でゅぇ!? ――そ、そっか……」「確かにこの香草のスープは、舌触りからして独特ですね。あくまで習慣的な好みの問題で、合わない場合もあるかもしれません」「そ、そぅだねぇ……。……ク、クインちゃんはー……」「………………………………」「ぁう……うぅ、と……」「…………」「…………」「お、お料理、美味し……」「ええ、とても……」「…………」「…………」 カチャリ、カチャリ……。 食器が立てる音が虚しく響く。会話を主導して盛り上げようと頑張っていたアズも、今やガックシと俯き、ただ食事を口に運んでいた。 大勢で食卓を囲むと楽しいし、食事も美味しく頂ける。 そんな話を噂じみた伝聞として耳に挟んだことのあるリプカであったが――今日このとき、初めてその機会に恵まれて感じたことは、『地獄のよう』だった。 席にはフランシス、ミスティアを含めて、七人が食卓を囲んでいる。 始まる前は、所用があっての離席でクララが参加しないことを残念に思っていたリプカだったが、この沈黙に満ちた恐怖の食卓、その有り様を目にすると、むしろそれは、せめてもの幸いであるように思えた。 とてもじゃないが晩餐会とは呼べない凍りついた食卓には、必死で場を明るくしようとするアズの喋りと、あくまで冷静を失わないセラの、的確な受け答えだけがあった。 他の面々は、基本、無言。 ビビはこんな場でも我関せずと、マイペースに食事を進めている。 ティアドラは興味深げに、食卓の面々を観察していた。 ミスティアは、場の空気にすっかり恐怖し、セラの隣で縮こまっている。 そして、この地獄のような、重い沈黙の元凶――。「……………………」 ――クインは、死んだように光彩の失せた瞳で空虚を見つめながら、葬儀でも浮かべぬであろう闇を纏って、静かに、機械的に、食事を進めていた
話は、リプカの元へ集った六人の婚約者候補が各々抱える、それぞれの事情についての詳説へ移行した。 フランシス個人の知見、その内実。リプカにとってこれ以上なく信頼のおける――真実の内訳ともいうべき参考意見である。「まずねー、エレアニカ連合セラフィア領域の娘、クララ、だっけ? 彼女、ガチだから」 だらしない格好で紅茶を飲みながら、フランシスはのんべんだらりとした態度のままに、特に感情を強調するでもない、ただの世間話のような口調でそう切り出した。 リプカは目を見開き、どきまぎに押されて息を上気させながら、鼓動する胸をおさえた。「そ、そう……」 口にした声は震えている。 ――真実の内訳と表現してもいい、参考意見。 心の底から嬉しく思い、思わず未来を想像してしまったほど浮かれていたとはいえ――どこかでは、その唐突な奇跡に対する疑心もあったのだろう。 都合の良すぎる奇跡であると、心の片隅では。 私なんかに……。 その疑心が溶けたとき芽吹いたのは、雪解けを待ち、歓喜と共に背を伸ばす若草のような、力強く青々とした感情だった。「もうほんとしつこかったかんね。実はさあ、縁談禁止令を解いた理由の大半も、あの女にあるんだよね」「――え?」「ぜひ、リプカ様との縁談の許しを、つって、何度も頭下げてきてさあ。何回あったっけ、途中で私マジギレ一歩手前までいったかんね」 暴君じみた口調とは裏腹に、フランシスの表情は穏やかだった。「そしたら、どうしてお姉さまを好きになったか、とか、私は如何にリプカ様を愛するか、とか、滔々と膝を折りながら熱弁してきて。プチギレとうんざりを通り越して納得してきちゃって。目を見ても本気だったし……そのうち、さ。……まあ、そんな感じ」「……そう。そうだったの」 瞳に涙を浮かして――リプカは俯きながら、呟いた。(……。…………。……………………)(私を、好いてくれる人がいた) クララを想いながら、リプカは頬を伝いそうになった滴を拭った。 そんなリプカをちらと見て――フランシスは、一瞬だけ寂しそうな表情を浮かべた。「まあ後は、はっきり言ってお国の事情ね」 瞬間で表情を戻して、フランシスは話を続けた。「アルファミーナ連合の目的は、婚約と
両親への挨拶もそこそこに、フランシスは自室へリプカを招き、二人きりで、テーブルを挟んで向かい合った。 綺麗に整頓の行き届いた部屋。しかし長い間留守にしていたためか、僅かながらに人間味に欠ける空気感……私室であるのに、倉庫に似た乾いた印象を受ける。「それで、フランシス」 その空気に僅かばかりの寂しさと心細さを覚えながら、温かい紅茶を一口頂くと、リプカは早速、話を向けた。「あなたの企みは関係しないということは分かったけれど――でも、今回の一連は、あまりにも急すぎる。いきなり、こんな示し合せたようにどっと押し寄せるなんて。なにか理由があるとしか考えられないのだけれど……」「あー、それね」 はしたなく円形のテーブルに頬をつき寝そべりながら、フランシスは呟くように漏らした。「まあ、それは私の判断が関係している」「判断?」「うん。実は、お姉さまへの婚約話はね、私のほうで全部塞き止めて、無いものにしてきたの」「そ、そうなの……?」「そー。お姉さまは婚約破棄を交わしたばかりで、自由になったばっかだから、まだそういうのは億劫かなーっていうのもあったし、お姉さまはできるだけ私の傍にいてほしいっていうのもあったしー」 おそらく後半の主張こそ主だなと感じながらも、リプカは驚いていた。 フランシスが、あのフランシスが、自身の意思――我儘を撤回するなんて。 お姉さまはできるだけ私の傍にいてほしい。 その言葉からリプカは、フランシスが最近、実家に寄り付く暇もなかったという事情を思った。傍にいれないから、いいかなと思った、ということだろうか……。胸の奥に痛みが走る寂しさを感じながら、リプカはそんな想像を巡らせたが――。 続いて口にされたフランシスの答えは、リプカにとって意想外の理由であった。「でもさー、お姉さまさー、…………私を助けてくれたじゃん? あのとき」 ――あのとき。 リプカはすぐに察した。 フランシスが自宅で刺客に狙われた、あのとき。 リプカが助けなければ歴史が終わっていた、あの場面――。 フランシスは、テーブルにべったり頬を付けながら、ここではないどこかを見つめるようにして、続きを語った。「あの時さー、お姉さまを私だけのものにするのは、
「ごきげんよう。お、お姉さま、お疲れーん。お久しぶりのハグ。――相変わらずちっちゃ!」「ほっときなさいな……」 街中でもよく見かける、いたって普通の外見を装った馬車に乗って、フランシスは現れた。 見る者を圧倒する佇まいで座についていたフランシスだったが、門の内で待っていたリプカの姿を認めると、微笑みと――僅かばかりの疲労の色を浮かべて、表情を和らげた。(やっぱり、相当な無理をしているのね……) いくらこの子といえど、無尽蔵ではない。 世間には意外に思われるかもしれないが――これまで幾度と見てきた、フランシス・エルゴールの、疲労の色。――しかしさすがに、今回ほど色濃い疲弊は始めて見る。 過労への心配、そこから見える世界情勢の不安、フランシスのこれから――。 そんな心配を胸の奥底に隠しながら、リプカはただフランシスにモフられ続けた。「ハス。ハスハス。――はー、お姉さま成分補充」「私から何らかの成分が漂ってるみたいな見出しはやめて……」 そう言いながらも、リプカは引っ付くフランシスの背に手を回し、軽く添えた手で優しく抱き留めていた。 ――ふと、フランシスの背後、馬車の中から、見知らぬ二人が姿を見せた。 一人は長身の男性。 一人は細身の女性。 二人は地に降りるとすぐさま、リプカに恭しく礼をした。――リプカもおずおずと、首だけの中途半端な礼を返した。(――護衛) 腰を折る二人をじっと見つめる。(男性はかなり腕が立つ。足周りの肉が特に、戦う形に発達している。女性は、緊急時の臨機応変に長けているタイプに見える。そして、暗器の扱いに長けた者の体つきをしている――)「スターップ、お姉さま」 自然と目の前に立つ者の分析に思考を割いたリプカへ、フランシスは不機嫌な声を投げかけた。「私が目の前にいるのに、他のことに思考を割かないで」「あ、ええ、ごめんなさ――いや乱暴者の考えじゃないの、それ」「なに? なーにー? ご不満がー?」「はいはい、今は目の前の貴方に集中するわね。――フランシス」「なに?」「何か、隠し事なんかしてない?」「――してないわ。何もないわよ」「そう」 リプカは笑顔になった。「なら、よかった」 その笑顔を見て、フランシスもまた、|屈託《
木立の隙間に挟まるようにして、彼女は身を隠していた。 隠す気もなく近付く足音に振り向いた彼女は、足音の主を認めると、牙を剥くように表情を険しくした。「そこでなにをしているのですか? ……クイン様」 敵対心を露わにするクインに物怖じすることなく、リプカは真っ直ぐな視線を彼女へ投げかけた。 蝋よりも青白い顔に煌々と灯る、燃ゆる瞳でリプカを睨むクインは、歯軋りの音を立てながら、腹の奥底からの声を漏らした。「どこにいようと私の勝手であろう。お前に指図を受ける謂れはない。この家の内ですら、まるで冷笑されるためだけに存在しているような、腫れモノ扱いを受けているお前には、特にな」 最後は蔑むように言いながら、クイン自身も冷笑を浮かべた。 そんなあからさまな見下しを受けても、リプカは表情を変えることなく鋭い視線を見つめ続けた。「他者がどれだけ私を蔑み見下そうと、私が貴方様にお伝えしなければならない忠告が無意味となる理由にはなりません。聞いて頂けますか?」「ほう? いったいなに――」 ――クインの言葉は萎むように消えた。 豹変したリプカの瞳を見つめてしまった瞬間、彼女から一切の余裕が剥奪されてしまったのだ――。「お伝えしたいことはたった一つ」 手の届く距離まで詰め、足腰の折れてしまったクインを見下ろしながら、リプカは平時と変わらぬ声色で先を続けた。「貴方様程度に遅れをとるあの子ではないでしょうが、ですがもし万が一、貴方様がフランシスに直接的な害意を向けた場合――私は貴方を決して許しません」 決して許しません。 リプカがそれを口にすると、クインの瞳が恐怖で揺れた。「クイン様。確認致しますが、貴方様がここにいたのは、あともう僅かでここを訪れるであろうフランシスを待ち伏せし、害意を及ぼすため――などではありませんよね?」「――――ち、違う! 違う……!」 必死に首を振るクインに、リプカはこくりと一つ頷いた。「ならよかったです。私の勘違いでした、ごめんなさい。――そう、しかし、今は国政的な理由の心配は、どうか捨ててください。私が貴方を許さないという、そのたった一つの事実にどうか注視してく