LOGIN《魔女》の娘フリス・ホーエンペルタは、幼なじみの青年シオンと結婚した。《雷光の騎士》《王権守護者》の燦然たる二つ名を戴き、立身出世も貴族の姫との結婚も思いのままだったはずの青年は、それら栄光の一切を放り投げてフリスの手を取ってくれた。 そして迎えた、由緒ある聖堂での、祝福に満ちた幸いなる婚礼の日。 「汝、新しき妻フリス――今日これより妻として夫を支え、夫を慈しみ、終生これを愛することを誓いますか」 「ひゃ……いっ! 誓いまきゅ」 《魔女》の娘は、思いっきり舌を噛んだ。 内気で引っ込み思案でおしゃべりが大の苦手で、けれど幼なじみの旦那さまが大好きな魔女のフリスと、その夫シオンとの。 相思相愛系×異世界ロマンス・ファンタジー
View Moreわたしことフリス・ホーエンペルタの結婚は、二十二の春でした。
お相手――旦那さまは、幼なじみの男の子です。
本当のところ、十歳からのつきあいを――それ以来、ずっと一緒だったとはいえ――『幼なじみ』と呼んでいいのかと問われると、ちょっと返答に困ってしまうのですが。とにかくわたしと彼の間では、そういうことになっています。
彼。
旦那さま。 シオンくん――シオン・ウィナザード。わたしの幼なじみで、旦那さまになるひと。わたしという『
式を挙げたのはトスカというちいさな町の、
天なる主神ライオスとその妻、地なる女神ウルリカの夫婦神を奉る、この国ではもっとも一般的な形式の聖堂。それは、この地において夫婦の婚姻を祝福するための聖堂でもありました。
まっしろな花嫁さんのドレスを着て、すてきな礼装のシオンくんとふたりで並んで。
祭壇の前で目を伏せ、頭を垂れて。
「――これを以て、新しきふたりの婚姻は天と創造の主神ライオスの定めし法のもと、大地と夜明けの女神ウルリカの祝福が与えられるでしょう」
祝詞が終わり、あとは婚礼の誓いのことば。
聖堂の神さまの前で、愛を誓うことばを捧げるのを残すのみです。どきどきと激しく跳ねる心臓の音を体の奥に聞きながら、わたしは息を呑む心地でそのいちばん大切な瞬間を待っていました。「汝、新しき妻フリス――今日これより妻として夫を支え、夫を慈しみ、やがてその眠りに安らかなる《
「ひゃ……いっ! 誓いまきゅ」
…………………………。
噛みました。
はい。噛みました。
噛みました! 舌を!
あまりの痛みといたたまれなさに、両手で口を押えてぷるぷる震えるしかできないわたしでした。
聖堂へ集まってくださった列席者のみなさまの間が戸惑いはじめたのが、背中越しにぴりぴり伝わってきます。
あと――どなたかわたしの状況を正しく察した方がいたようで、クスっと笑いを零すのが聞こえたりもしました。消えてしまいたくなりました。
いたまれない空気が、ざくざくと背中に刺さります。
司祭さまは辛抱強くわたしのことばを待ってくださっていましたが、それでも突然黙ってしまったわたしに困っているのは伝わってきます。ごほんごほんとわざとらしく咳払いして、しらけて緩みはじめた聖堂の空気を
(ば……かっ! ばか、ばか! 何してるの、わたし……!)
早くなんとかしなきゃいけない。わかってました。
けれど舌が痛くて、口の中はうっすら血の味がしていて、頭の中は嵐に巻き込まれた小舟みたいにぐるぐるごうごうしていて。
何をどうすればいいか考えがまとまりまらないまま、わたしの理性と思考は完全に目詰まりを起こしていました。
早く言わなきゃ、という焦りだけははっきりしているのに。
何を言えばいいか、その最初のことばが出てこないのです。ぎゅっと閉じた瞼の隙間から、涙が出てきました。痛いのと、情けないのとで。
だって、だってわたし、よりもよってこんなたいせつな時に。こんな、みっともない失敗なんかして――
「フリス」
――と。短い呼びかけに続いて。
ほっぺたに触れた手が、ぐいと私の
思わず目を開けて、「わ」と零したわたしの口を。
彼の――シオンくんの唇が、塞いでいました。あんまりびっくりして、最初の数秒くらい、自分の目に見えているのがなんなのかよくわからないくらいでしたが。
ほっぺたに触れた手と、重なった唇から伝わってくる体温、肌をくすぐるかすかな息遣いで、自分がどういうことになっているかが後から遅れてわかってきました。
痛かったのも忘れて、真っ白になってしまいました。
真っ白になった頭の中へ泡のようにぷかりと――真っ先に浮かんだのは、「神前の口づけって、ほんとは誓いのことばのあとだったよね……」という、つまらない段取りのことでした。
やがて。
唇が離れて。シオンくんの顔が見えました。
わたしにとっては誰よりも素敵なかんばせ。
いつもは左目を隠している長い前髪を上げていて、目の下で横一文字に走る古い傷跡が見えました――むかし強盗に襲われたときについた傷なのだと、いつだったかに教えてもらったことがありました。
しっかり顔を上げて上を見ないと視線を合わせられないくらい背が高い彼は、聖堂を見渡して、通りのいい声で言いました。
「失礼しました。これが俺達の誓いです――なにぶん育ちが
冒険者。そう、彼は冒険者でした。
冒険者で、戦士。《雷光の騎士》、あるいは《王権守護者》シオン・ウィナザード――と聞けば、きっとご存知の方も多くいらっしゃることでしょう。
わたしも冒険者でした。
彼や他のみんなにくらべたらちっぽけなつまらない冒険者でしたけど、それでもシオンくんやたいせつで大好きなお友達と一緒に、この《ええと、でも――その、さすがにそれウソですよね?
だいぶん苦しいウソですよね? ね、シオンくん。わたしなんかはそんな風に思ってしまうのですけれど、でもシオンくんは自分に一切恥じるところなんかないと宣言するみたいに堂々と胸を張って言い、それから綺麗な所作で深く頭を下げました。
「ご列席の皆様には、若輩者の不調法をお詫びいたします。ですが俺は、いえ、このシオン・ウィナザードは今の誓いを
聖堂は静まり返っていました。
呆気にとられたような顔つきが半分、若いふたりのことと思ってか穏やかに苦笑する顔が残り半分の半分、さらに残った半分の半分が、痛快とばかりに笑う顔――くらい、だった気がします。
ごめんなさい。実はうろおぼえです。
だって、わたしもこの時はシオンくんの方ばっかり見ていて、ちゃんと聖堂の方を見るなんて心の余裕はなかったのです。
面を上げて、彼は微笑みました。
見れたのはその横顔だけだったけれど、聖堂の奇跡をいっぱいに散りばめたみたいに輝く、すてきな微笑みでした。
「大いなる十二
願わくば今日この日にあなたがたの祝福を以て結ばれる比翼の絆が、遥か時の果てまで我らの手と手を結びつづけますように」
深く
心当たりはいくつか思い当たるのですが、わたしは今もその答えを知りません。ちゃんと見て確かめられなかったのは、今でもちくりと胸を刺す後悔のひとつです。
そして、この時は――まるで最初のひとりが呼び水になってくれたみたいに、ひとつ、またひとつと拍手の音が増えていって。
やがて聖堂の高い天井まで埋め尽くすような万雷の拍手に変わった頃、彼はもう一度、深く一礼しました。
わたしはそれで、ようやく我に返って――隣に立つシオンくん、これからわたしの旦那さまになるひとへ倣って深く深く頭を下げ、聖堂に満ちるいっぱいの拍手、その祝福に心から感謝していました。
急に頭の中に広がったいっぱいの想い出とか、堰を切ったみたいに溢れ出したぐちゃぐちゃの気持ちとか、そんなものでいっぱいで。
それ以外のこと、それ以上のことなんて、わたしは何一つできなかったし、何をすればよかったかも考えられなくて。
そう――それが、はじまりの日。
みっともなくて恥ずかしくて、けれど振り返ればすべてがあまりに懐かしい。《魔女》のわたしが幼なじみの、大好きな彼のもとへとお嫁入りした、その――何より誰より幸福な、はじまりの日のことでした。
――気が付いたら、目の前に天井がありました。 ぼけーっと天井を見上げて、「ああ、朝かぁ」なんてのんきなことを思いながらごろんと寝返りを打って、「わぁ!!」 跳ね起きました。我に返って。 魔女の長衣を着たまま、わたしはベッドで横になっていました。 帽子やケープ、あと腰に巻いていたポーチなんかはサイドボードにまとめて置いてあって、丈の短いブーツもベッドの足元に置かれていましたが。「ぁっ、え? あれ……あれぇ!?」 ぜんぶ夢だったのでしょうか。いいえ、それはないはずです。わたし、ちゃんと儀式をしてきました。長衣にほんのり移ってしまったらしい香袋の香りからでもそれは分かります。 じゃあ――もしかして、わたし、あのまま眠っちゃった? シオンくんに、抱きしめてもらった……まま? 窓の外を見ると――陽はすっかり高くなっていました。「ぁ……わ、わ。わわわっ!」 あたふたとベッドを降り、狼狽のあまりあやうくこけそうになりながら。 皺になりかけたスカートのすそをぱたぱたと叩いて直し、髪も適当になでつけて。もたもたと靴を履いて、部屋を飛び出しました。 血の気が引く思いで真っ青になりながら、廊下を駆け抜けて、お店へ。「シオン、く――おはよ……!」「あらぁ、フリスちゃん。おはよう」「昨日も大変だったみたいねぇ。ちゃんと眠れた?」「あ。あたし達のことは気にしないで頂戴ね。しっかり休んでなさい?」 ほほほ、と笑いながら口々に挨拶してきたのは、お店に来ていたトスカの女性たち、主婦のみなさんでした。「あ、はひ。おはよ――ござい、ますっ! ぇと……」 あわあわと頭を下げて、挨拶を返すわたし。 みなさんは「ほほほ」と声を合わせて笑うと、三人で囲んでいたもう一人の腕や背中をべしべしと叩きました。 シオンくんでした。困ったみたいな顔で口の端を引きつらせながら、主婦のみなさんに囲まれていました。「……おは
葬送の祝詞を終え、儀式の道具を片付けて――とぼとぼとおぼつかない足どりで森から引き返した頃には、白々と夜が明けはじめていました。 徹夜のせいで頭がぼんやりしていました。 ふたりが旅立った後、祝詞の最中にわたしは一度泣いてしまっていて、ただでさえ徹夜してしまったうえにそんなことまであったせいで目がしぱしぱしていました。 目の前に映るすべてが、何もかもが頼りなく覚束ないような、そんな感覚。 薄明の日差しが差す森を出て、家の前に着いたときは、思わず安堵の息が零れていました。わたしはお店の裏手に回って、音をたてないようにそっと扉を開けます。「おかえり」「ぁ……」 裏手の玄関のすぐそこで、シオンくんが待っていました。 とっさに何を言えばいいかわからなくなってしまって、あわあわと顔を赤くしながら慌てふためいて。そんなふうにみっともなくうろたえた末に、わたしはようやく、虫が鳴くような声を絞り出すことができました。「ただ……ぃま……」「おかえりなさい」 のろまなわたしの挨拶に、もう一度答えを返してくれます。「疲れたろ。風呂と朝食、どっちから先にする?」「ぁ、う……えと」 お風呂に入ってさっぱりしたい、と真っ先に思いました。 けれど、おなかもとても空いていて、今にもぐうぐうと不平の声を立てそうです。 何より――眠いです。このままベッドに飛び込んで思うさま寝てしまいたい。「あの」「ん?」 けれど。シオンくんの顔を間近で見上げたとき、わたしの胸に去来したのはそれらのどれとも違う、まったく別の答えでした。「ぎゅっ……て、してもらって、いい?」「いいけど」 苦笑混じりに小首をかしげて。声にはしなかったけれど、「どうして?」と不思議がっているのが分かります。「おねがい」「……わかった。おいで」 両腕を開いてくれる、その胸の中へ。 身体を寄せて、額を擦り付
「風神セイディ・愛神シェトレイエ――男女の恋情・男女の愛欲を盤上に転がす二柱。その加護・その御手に、我は伏して感謝を奏上いたします」 儀式の構成から、セイディとシェトレイエの二柱を除きます。 代わりに、同じく二柱――わたしは伏せかけていた面を上げ、能うる限りの朗々たる声で呼びかけました。「天秤の柱に我は立つ。天秤の右腕に貴きもの・天と創造の主神ライオス照覧あれ。天秤の左腕に深きもの・大地と夜明けの女神ウルリカ祝福あれ。 比翼の絆を言祝ぐ天神・連理の絆を言祝ぐ地神・魔女の呼び声に応ずるものあるならば、どうかその手を引いていざない給え。此処なる白光の下、比翼連理の在処《ありか》まで――!」 ――ああ。 ああ――ああ! ――掴んだ! そうだったんだ――ああ、そういうことだったんだ。 なんてことだろう、わたしは本当にどうしようもない。心配性で不安ばっかりの、疑りやのバカな娘だった。 彼も、彼女と同じだった。 いつかは、彼女と結ばれて――家庭を持って、共に暮らす日を想っていた。 いつかは、彼女の望みと同じに、ふたりの子供がいる未来を思い描いていた。ただ、そこに至るまでに見ていた道程が、違っていたというだけ。 彼の夢想は、未来は、冒険者としての大望――二人で見てきた夢の先にあった。 冒険者として大功を得て、彼女に何不自由ない暮らしを用意できるように。 いつか生まれる新しい家族が、立派な父親だといつだって胸を張って誇りに思えるような、ただそれだけで人生を越えてゆく支えになれるような、ひとかどの男であれるように。 子供を産んで、それで幸福な幕引きになど、なりはしないから。 その先へ。さらにその先まで。願わくば少しでも穏やかに護られる、長く安穏たる道を敷いてやりたいと――彼は。 ――ああ、だからこそ。 男女の恋情と愛欲を司る二柱ではだめだったの
夜の森――その奥まったところに、頭上の枝がぽっかりと開けて、白々とした月明りの差し込む空間があります。 まるで劇場のステージに明かりが降るようなそこは、森に住まう誰かのためにあつらえたみたいな、天然の舞台です。 けれど、魔法の技を深く修めた者にとって、ここはただそれだけの場所ではありません。 大地の霊脈――《龍脈》が幾重にも交わり、強い魔力を宿した土地。 魔術士達の間では、霊穴――あるいは《龍穴》と呼ばれる、見えざる魔力の泉。一種の霊地です。 強い魔力を宿した霊地はその魔力を養分として霊草や霊木が育ち、のみならず、魔術儀式に適した土地ともなります。 魔術儀式。あるいは《儀式魔術》。 土地や道具、魔法陣の力を借りて、通常の魔術の範疇では行使し得ない大きな力を振るうための術式です。 荷物運びと道中の護衛のために来てもらったパペットくんを伴って、その夜のわたしは、そこにいました。 ラウグライン大森林の外縁近くに位置するその場所、わたしが知る《龍穴》のひとつです。 裾の長い長衣に縁の広い三角帽子。肩にはケープをかけて、もしかしたらあなたも絵本や物語で見たことがあるかもしれない、魔女そのものの姿です。 月明りが差し込むその場所に魔法陣を描き、朝露を清めた水を小瓶に詰めたものへわたしの魔力を込め、瓶の口から振りまきます。 杖の先端で線を掘っただけの魔法陣がぼぅっと青褪めた光を放ち、舞台を月色に照らしだしました。 わたしの傍ら――敷布をかけた小ぶりの台座には、火を焚いたちいさな香炉。 これらの道具はすべて、今は少し離れたところで待ってくれているパペットくんに運んでもらったものでした。 あと、魔法陣を書いてくれたのもパペットくんです。その……硬い地面にしっかりした線を引くのが、わたしの腕力だと難しかったせいなんですけれど。「………………ふぅ」 支度は整いました。 腰に巻いたポーチから、香袋をひとつ――『素敵な恋に出会えるおまじない』の香り袋を香炉の火にくべ