令嬢リプカと六人の百合王子様。

令嬢リプカと六人の百合王子様。

last updateLast Updated : 2026-09-29
By:  羽羽樹 壱理Updated just now
Language: Japanese
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両親から「出来損ない」と蔑まれ、嫁ぎ先でも妹と比べられ続けた令嬢、リプカ・エルゴール。 三日で婚約破棄され、家からも見放された彼女は、すっかり自信を失って、妹フランシスだけを心の支えとして生きていた。 しかしある日、大切な妹の窮地を救った活躍をきっかけに、その運命は大きく変わる。 その後、リプカのもとへ各国から六人もの「王子」が婚約を申し込んできたのだ。 突然始まった、政略と私情が絡んだ縁談を巡る騒動。 個性豊かな六人の“王子”たちに振り回されながら、リプカの運命は思わぬ方向へ動き出す……!

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Chapter 1

第一話:神速の婚約破棄

 古今東西、婚約破棄の成なり行ゆきに様々なものがあるとはいえ、まさか三日天下ならぬ三日夫婦なんてものがあろうとは。 縁えにしを司つかさどる神々でさえ、これは予期しなかったことであろう。

 婚約破棄とは、通常、複雑な事情の末に起こる悲劇ではなかったのか?

 エルゴール家の令嬢リプカは、その唐突な宣告に茫然としてしまった。

「な、なぜですか……!?」

 心中では何·故·も·な·に·も·な·い·と予感を抱きつつ、少女は掠かすれた声を上げた。

 リプカ・エルゴール。

 背は低く、幼子のようで、髪は色気のない漆黒色。身体の起伏もほとんどない……。程々に整った顔の造りが、せめてもの生まれ持った慰なぐさめのような女――それが、鏡の前で自覚する姿見すがたみである、己に自信というものがない少女であった。

「どうして、こんなに突然に……」

 小さな叫びに、リプカが嫁とついだ夫、ハーレヴァンは冷たい目を向けた。

 ハーレヴァン・エイルムメイティル。

 彼はリプカが嫁とついできたその日から、新しい妻に冷たい態度を示していた。

「お前の妹、フランシスが来てくれれば文句はなかったのだがな」

 嫁とつぎ先で初めて交わされた言葉がそれであった。

 その後も、才女で美しいリプカの妹、フランシスと比べるようなことをハーレヴァンは事あるごとに口漏らした。――むしろリプカに対して、そのことでしか口を開かなかったというのが正しいか。

 あの美しいフランシスが我が元に来てくれればどれだけよかったか。リプカが何かに失敗するたびに、フランシスならば、フランシスであればそんなことは、と滔々とうとうと口にする。

 二人の関係は、最初から冷え切っていた。

 リプカはハーレヴァンに、人間とすら見られていなかった。であるから、婚約破棄の宣告は当然といえば当然の成なり行ゆきではあったのだが――。

 しかし、三·日·と·い·う·早·さ·で·それを宣告されるとは。

 どう考えても、それは不自然であった。

「なぜです、ハーレヴァン様! 至らぬ事の多い私わたくしですが、これはあんまりでございます……!」

 三日で嫁とつぎ先を追い出された女という噂が広まれば、どうなるか――。

 ハーレヴァンのそれは、虐しいたげるという言葉でも足りない、リプカを追害するようなものとしか思えなかった。

 ――すると。

 ハーレヴァンは途端に……額のみならず表情のあちこちに青筋を浮き立たせた、気でも違えたのではないかと疑う《鬼の形相》に変貌へんぼうし、恐ろしく飛び出した血走り目でリプカを睨にらみ据すえた。

「リプカ。私は女中から、ある密告を聞いたのだ」

「み、密告? それはなんでございましょう……?」

「リプカ……リプカお前……」

 ハーレヴァンは怒りに震えながら、言った。

「お前……下女げじょが清掃のため床を拭いた布から絞り取った汚水おすいを……私が口にする紅茶に混ぜて……素知そしらぬ顔で私と同じテーブルについてそれを見つめていたらしいな……」

「――――なッ!」

 その荒唐無稽な告発に、言葉を失うリプカ。

 ハーレヴァンの馬鹿舌は有名な話であった。

 肉を食っても、それが何肉であるのかも当てられない。どころか彼の舌にかかれば、紅茶の種類すら一緒くたであるようだ――という、もの笑いのタネに陰口かげぐちする類たぐいの噂は確かにあった。密告を受けたというその内容は、まるでそれを皮肉るようなものである。

 そんな噂が真実として広まれば、リプカの社交地位は底辺に落ちる。

 しかし……。

 嫁が夫の紅茶に汚水を混ぜたなど、いったい誰が信じるだろうか? もしそんな理由で婚約をふいにした、などという話が広まれば、むしろ信用が失墜しっついするのはハーレヴァンのほうであったはずだ。

 であったのだから。

 否定さえすれば、その場は収まりがついたかもしれなかったのだが――。

「え」

 もののはずみというやつだろう。

 驚きのあまりの動揺を突いて出た声が、その突飛を現実に映す最悪の返答が、茫然と開かれたリプカの口から滑り出てきた。

「なんでバレたの……?」

 ――それを聞いたハーレヴァンの表情たるや、仁王も身を引くが如しである。

 大広間にいた全員が身を凍らせる中、リプカは自分の失態を認めると、すんと真顔になり、続いて苦渋の表情で「ぐぐ、ぐ……」と詰まった声を漏らしながら、これから起こる様々を考え――。

 やがて、全てを諦めた表情を浮かべると。

 リプカは最後に、どうしても気になったことをハーレヴァンへ尋ねた。

「ハーレヴァン様、あのあと、お腹はちゃんと下されましたか……?」

 ――ハーレヴァンの平手が一閃し、それを頬に受けたリプカはオペラのワンシーンみたいに、後方の壁まで勢い良く吹っ飛んでいった。

 

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第一話:神速の婚約破棄
 古今東西、婚約破棄の成り行きに様々なものがあるとはいえ、まさか三日天下ならぬ三日夫婦なんてものがあろうとは。 縁を司る神々でさえ、これは予期しなかったことであろう。 婚約破棄とは、通常、複雑な事情の末に起こる悲劇ではなかったのか? エルゴール家の令嬢リプカは、その唐突な宣告に茫然としてしまった。「な、なぜですか……!?」 心中では何故もなにもないと予感を抱きつつ、少女は掠れた声を上げた。 リプカ・エルゴール。 背は低く、幼子のようで、髪は色気のない漆黒色。身体の起伏もほとんどない……。程々に整った顔の造りが、せめてもの生まれ持った慰めのような女――それが、鏡の前で自覚する姿見である、己に自信というものがない少女であった。「どうして、こんなに突然に……」 小さな叫びに、リプカが嫁いだ夫、ハーレヴァンは冷たい目を向けた。 ハーレヴァン・エイルムメイティル。 彼はリプカが嫁いできたその日から、新しい妻に冷たい態度を示していた。「お前の妹、フランシスが来てくれれば文句はなかったのだがな」 嫁ぎ先で初めて交わされた言葉がそれであった。 その後も、才女で美しいリプカの妹、フランシスと比べるようなことをハーレヴァンは事あるごとに口漏らした。――むしろリプカに対して、そのことでしか口を開かなかったというのが正しいか。 あの美しいフランシスが我が元に来てくれればどれだけよかったか。リプカが何かに失敗するたびに、フランシスならば、フランシスであればそんなことは、と滔々と口にする。 二人の関係は、最初から冷え切っていた。 リプカはハーレヴァンに、人間とすら見られていなかった。であるから、婚約破棄の宣告は当然といえば当然の成り行きではあったのだが――。 しかし、三日という早さでそれを宣告されるとは。 どう考えても、それは不自然であった。「なぜです、ハーレヴァン様! 至らぬ事の多い私ですが、これはあんまりでございます……!」 三日で嫁ぎ先を追い出された女という噂が広まれば、どうなるか――。 ハーレヴァンのそれは、虐げるという言葉でも足りない、リプカを追害するよ
last updateLast Updated : 2026-09-28
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第二話:フランシス・エルゴール
「アーッハッハッハッハッハッハ!」 爽やかでありながらもけたたましい笑い声が、高らかに響き渡っていた。 透き通るような可憐を備えながらも、生物としての圧倒を魅せる美しさを持つ女――スラリと伸びた長身に、一流の職人が彫刻したかのような女神の顔立ちをした彼女が、大口を開けて笑っているのだ。「さすがはお姉さま、みっ、三日で婚約破棄って! 三日ッ!」 城の中庭ほども広い部屋にでんと構える、縦にも横にも巨大なベッドの上を転げ回りながら、きめ細かな黄金が輝く髪を振り乱してけたたましい笑い声を上げる少女へ、リプカは沈んだ顔で声を向けた。「フランシス、お行儀が悪いですよ」「ぶふぉ、お姉さまに言われたくねぇえーーーッ!!」「…………」 リプカは重いため息を吐き出した。「なーんでバレたんでしょう……?」「バ、バレなくてもいつかは破綻してたって、そんなこと繰り返してたら」「だって、ハーレヴァン様って本当に腹の立つお人だったんだもの……」「――ま、私はお姉さまが帰ってきてくれたからいいんだけどねー」 と、フランシスは転げ回るのをやめて微笑み、ベッドの上で正座しているリプカに抱き付き、愛情の頬ずりをした。 その親愛表現の中でも、リプカの表情は、今日ばかりは優れない。「……妹の元から独り立ちする、いい機会だと思ったのに」「無理無理。お姉さまは一生私の傍を離れられないよ。私もそれでいいしー。心配しなくても、一生私が養ってあげるって」「それが心配事なのよ……」とリプカは呟きを漏らした。「えー、なんでー」 フランシスはむくれながらも、リプカに執拗な頬ずりを続けた。 フランシス。 フランシス・エルゴール。 リプカ・エルゴールの妹であり、貴族としての教養を十の歳で全て習得したとされる、天才の娘。 天賦の聡慧のみならず、その容姿さえも及ぶ者のない、まさに神に選ばれた人間である。 欠点といえば――決定的な玉の瑕はといえば、姉のリプカを『偏愛的にまで溺愛し過ぎていること』。 姉のためなら大体のことをしてしまう妹。一度目をかけたら、その愛情の深さには底が無い。 ――最初からこうではなかった。最初はむ
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第三話:自称天使の孫娘と七人の王子の予言
「はぁ……」 威勢のよい露店の客引き声。 談笑しながらそれらの店を見て回る、晴れた顔の若い男たち。 店先まで香る焼き立てパンの良い香りに釣られ、夫人の服を引き駄々をこねる子供の喚き声。喫茶の奥外テーブルで品良く話を交わす淑女たち。 そんな明るい街並みに似合わぬ、重いため息を漏らす少女がいた。リプカだ。 貴族娘に似つかわしくない紙の買い物袋を小脇に抱えて、彼女はとぼとぼ、街並みを歩いていた。 ――仮にも貴族の娘であるにも関わらず、付き人も付けずに街中を一人歩く不用心であったが、しかしリプカ・エルゴールという少女に限り、その心配は無用の杞憂であった。不必要な才能ばかりを持ち合せているという点も、彼女が周囲から出来損ないと呼ばれる要因の一つである。「お家の中が、まるで息詰まりする監獄のようです……。まあ私が原因なのですが……」 ぼそりとひとりごち、また鬱々と暗くなる。 今朝方の空気も最悪であった。 リプカも同席を許され、久方ぶりに家族揃って食事を取る機会に恵まれたのだが、そこで待っていたのは両親からの嫌味と侮蔑、そして決別の宣言であった。 勘当の言い渡しである。(はぁ……勘当……) 青褪めるようなその宣告は幸いなことに、それを聞いた瞬間父親へ歩み寄り、胸倉を掴むと親であるにも関わらずまるで親の仇のように全霊を込めてその顔面を拳で殴打しまくったフランシスの暴挙で有耶無耶になったけれど……しかし、改めて、自分の出来損ないを突き付けられる事としては十分な悲惨であった。 両親を恨んではいなかった。 何を取っても駄目な自分が原因の全てであることは理解していた。それは歩んできた十五年越えの人生において刷り込まれた事情だったから。――それに、先程までフランシスと一緒になって父に膝蹴りを叩き込んでいたからという理由もある。鬱憤は晴れていた。(勘当を言い渡される貴族娘など、聞いたことがない……)(私はいったいどんな生涯を送るのかしら。碌でもないものには違いないだろうけれど、フランシスを悪戯に悲しませる人生だけは歩みたくない……) だが今のところ、その可能性は大いにあり得る未来で、それを思うと、夜の帳が下りたように
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第四話:雲蒸竜変
 あの、何もかもが陳腐であるにも関わらず、奇妙な印象を振り撒いていた占い師がリプカへ告げた行く末は、少なくとも、直近を見通した未来ではなかったようだ。 勘当騒ぎが起こった、その三日後のことである。 勘当などというミクロな悲惨の比にならない凶報が、その日、オルフェア領域に広まった。 戦争である。 発端は、祈りの国エレアニカ連合と、帝国の国オルエヴィア連合との小競り合いであった。 その争いの余波が、オルフェア領域を抱える、中立の国ウィザ連合に飛び火したのだ。 領域とは、つまり一国一城。貴族はいくつかのお家が集まり、所有する領土を管轄、支配する。それが領域。それがこの大陸の在り方。 そして領域は必ず、一つの国に属している。国とはつまり身の寄せ合い、領域同士が結ぶ連合を意味する。 オルフェア領域で言えば、その一帯はオルフェア家、そしてエルゴール家を含む七つの家……先日消滅したエイルムメイティル家を除いた6つの貴族家が管轄する領地であり、クロロルリス領域やラクリマ領域が同じく属する、ウィザ連合に属している。 そのウィザ連合の端、エレアニカ連合と隣接する【フォローライン領域】において、祈りの国エレアニカ連合との争いに向け領地拡大を目指す、オルエヴィア連合が宣戦布告の宣言を行ったとの知らせが入ったのだ。 戦火の報告に、皆が、初動を僅かに遅れさせる愕然の情から免れなかった。 この大陸の社交界という存在意義の、否定。ついに破られた英知、舞台上で振りかざされた慟哭の刃、その意味する理外を飲み込めない「まさか」の先行。万人、急くべき足が半歩遅れる。 しかし、そのような中で。「これは好機」 ウィザ連合は。中立の国といえば聞こえはいいが、内実は平和的な貿易交渉のみで存続を続けている、軍事力に関しては圧倒的な弱小を自覚する寄り合いである。 故に、オルエヴィア連合の宣戦布告に皆が戸惑う中――その報告に対し不敵に、獰猛な笑みを浮かべ、瞳に煌々とした光を灯して瞬時に腰を上げた者がいた。フランシス・エルゴールである。 オルフェア領域は、代表家名こそオルフェア家であるものの、フランシスが十一の若さで手腕を振
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第五話:戦後政略の渦中・1
「ふう。――もうすっかりいつもの日常ねぇ」 戦争終結から七日が経った。 リプカの呟き通り、たった一週間の経過ではあったが、ほとぼりが冷めたように、状況はもう戦争前の日常と変わらなくなった。 そもそも、ウィザ国内ではほとんど戦火は上がっていない。フォローライン領域での防衛戦、リヴァレーエリン領域が破られフランシスが本腰を入れ指揮に回った【リヴァレーエリン領域の防衛・奪還戦】、そしてリプカが状況を収めたあのときを除き、国内は平和なものだったのだ。故に戦争前の日常に戻るのも早かったのだろう。「フランシスは相変わらず忙しそうだけれど……大丈夫かしら?」 妹が世界的に名を馳せる指導者になったという、幼少から予期はしていた大事が過ぎる現実にそわそわした気持ちを抱きながら、リプカはフランシスの健康無事を祈った。(意外と無理をする性分だから、あの子は……) そんな、外側の遠い場所で起こっている大事を思うように、心配を向けるリプカだったが――それはとんでもない思い違いを孕んだ話であった。 事は他人事ではなく、むしろ世紀の騒乱は内々で始まろうとしている、我が事であったことを、リプカはその後、すぐに理解することとなる。 奇妙な運命が始まる。
last updateLast Updated : 2026-09-28
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戦後政略の渦中・2
「縁談……ですか?」 リプカは目をぱちくりさせ、その信じられない告げ事を、口の中で転がした。 真昼間から父に呼び出され、何事かと身構え赴いてみれば、難しい顔をした父から告げられたのは驚きの題目であった。 縁談。 婚約破棄最速記録を持つ少女にである。しかもそれは奇跡的なたった一つの申し入れなどではなく、このたび国を跨ぐほどの広くから、多くの良い話が寄せられた、らしい。 ――しかし考えてみれば、それは当然の話でもある。 何といってもリプカはあの、フランシス・エルゴールの姉であるのだから。 つまり。(……フランシスと強い関係を結びたい各国の代表家が、こぞって私に婿を寄こしにくるというわけですか……) リプカは今更に、戦後の政治騒乱は他人事ではなかったことを悟った。 ――思い出すのは、ハーレヴァンに冷たく蔑まれ続けた記憶。暗い毎日。 内心で頭を抱えながら、思わず憂鬱な表情を漏らした。 リプカが僅かに浮かべた暗雲に父はギロリと目を剥き、それを目ざとく咎めると、いつものように滔々と、親とは思えない蔑み事を口にし始めた。 何もかもが粗末なお前だが、何の因果かフランシスの姉であるのだから――。 出来損ないのお前といえど役割があり、それは喜ぶべきことであり決して嘆いてよいことではなく――。 お前といえど役割があるのだからそれを――。 そもそもお前は――。 いつも――。 昔から――。 だいたい――……。 無駄に長い蔑みがついにリプカの人間性を否定する段階に入ったところで、リプカは父のこめかみに膝蹴りをお見舞いし、今度は現実でも頭を抱えながら、静まり返った部屋を後にした。
last updateLast Updated : 2026-09-28
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第六話:第一の王子・1
 母も、父と同じような難しい表情を作りながら、リプカに事の次第と小言を述べた。 ――なんと、もうすでに第一の候補者、祈りの国エレアニカ連合を代表とする王子が来ているらしい。 あまりに急な話に目を白黒させながら、ただコクコクと頷いたリプカ。その態度が気に入らなかったのか母は顔を顰めると、今から私たちと共に昼食を取るから父はどこかと尋ねてきた。 リプカは文字通り親切に、あちらの部屋にいらっしゃいますと教えてあげた。(どうしよう、……嗚呼、でも会うしかない。まだ縁談を申し込んだ王子は沢山いるわけだし、ここで逃げたところで意味がない……) 背後の部屋で上がった母の悲鳴を背に、リプカは背を丸めながら、王子が待つという広間へ、とぼとぼと歩を進めた。(……優しそうな人だといいな。私に意地悪しない人がいい)(でも、そんな人……)(…………) 考えているうちに、広間の扉前まで来てしまった。 もはや考えても仕方あるまい。 リプカは覚悟を諦めると、暗い顔のまま、扉を開いた。 ――見慣れた実家の一部屋であるにも関わらず、どこかの、見知らぬ場所へ来てしまったかのような錯覚に陥った。 その人がそこにいるだけで、牢獄のように冷たかったはずの屋敷の間は、柔らかで神性な雰囲気に満たされた、不思議な安らぎを感じる場所へと様変わりしていた。 明るい絵画の世界みたいに輝く光景にたじろぐリプカに気付き、待ち人はリプカへ顔を向けて、にこりと微笑んできた。 美しい。 フランシスとはまた違う、とても柔らかな美を、その人は体現していた。 この人は、私を馬鹿にしないだろう。リプカはなぜか、直感よりも確かな確信として、それを悟ることができた。 優しそうな人。 私に意地悪しない人。 ……私を、受け入れてくれる人。 リプカが望むおおよその願いを、その人はきっと抱き留めてくれるだろう。 そのことも、なぜだか瞬間の間に理解できた。 ――そのような意味では是非も無い相手ではあったのだが。 一つ、問題があるとするのなら――。「リプカ・エルゴール様ですね?」 澄んだ声色でリプカの名を呼ぶと、椅子から立ち上がり、ゆったりとした歩調でリプカへ近付くと、リプカの手を取り、その甲へ口付けをした。「お初にお目にかかりま
last updateLast Updated : 2026-09-28
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第一の王子・2
 悲鳴を上げ父を引き摺ってゆく母をぼんやりと眺めていると、後ろから、淡く笑いを含んだ柔らかな声がかけられた。「随分なお父様をお持ちのようですね」 振り向くと、少しだけ眉を下げたクララの微笑みの顔があった。 一瞬クララのことが頭から吹き飛んでいたリプカは赤面し、おどおどと頭を下げた。「ご、ごめんなさい。お恥ずかしいところを見せました……本当に……」「いいえ。噂通りのお方のようですね、リプカ様は」 クララはにこりと微笑み、そんなことを口にした。 噂通り。 いったい国を跨いだ規模でどのような噂が流れているというのか。リプカは青ざめた。「悪い噂ではありません。本当ですよ」「そ、そうなのでしょうか……?」「ええ。――さて、リプカ様、せっかくですし腰を落ち着けて、色々お話ししませんか?」「は、はい。ええと、じゃあ、すみません、今すぐお紅茶を用意致します……」「え? 使用人の方は…………いえ、申し訳ない、なんでもありません」 クララはすぐに何かを察し、リプカの手を引いて席に導くと、懐から水音のする小さな保管容器と、手のひらにちょこんと乗るサイズの水飲みを取り出した。「携帯のもので申し訳ございませんが、私が一番に好きなお茶なんです。是非お試しになってください」「あ、ありがとうございます、頂きます」 注がれた、一口で空になる量のお茶をどきまぎしながら口に含むと、リプカは思わず「ほう」と息をついた。 甘くも苦くもないが香り高い、不思議な味のお茶だった。「お、美味しいです。初めて口にする味です……!」「気に入っていただけたならよかった!」 にっぱり笑ったクララの明るい顔を、リプカは不思議な面持ちで見つめた。 いったい彼女は、どういった心境でここを訪れたのだろう? これからどうするつもりなのか。どういった経緯でこのような事になったのかは計り知れないが、このあり得ぬ縁談をどう収めるつもりなのだろうか? ――疑問は尽きない。「――さて、リプカ様。少しだけ、此度の事についてお話しさせてください」 空になったリプカのグラスにお茶を注ぎながら、クララはまさにリプカが疑問に思っていたことについて言及する姿勢を見せた。 水筒容器を丁寧な手つきで脇に置くと、吸
last updateLast Updated : 2026-09-28
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第七話:第二の王子
 自分に愛を注いでくれる、フランシス・エルゴールが妹であったこと。 そしておそらく今生三度目はない、もう一つの奇跡とたった今邂逅したことを、リプカはぼんやりと思っていた。 クララ。 クララ・ルミナレイ・セラフィア。 私を愛してくれると言った人。 私が、他でもないこの場所で、幸せになれる……? クララの言葉を疑うことなく心から信じられる自分がいて、リプカは初めて、自身の幸せを明確に想い描くことができた。 いつも怯えていた、フランシスとの別れの先の、仄暗い未来を。 その先を照らす未来を確かに想像できる、そのことが信じられなかった。 女性であることなど関係がなかった。妹以外で初めて、自分が必要であると言ってくれた人に出会えた。 もう、決定を下していいのではないか? ふとそんな思いが、にわか雨のように過った。(………そうだ、そうだわ!)(もう悩むことなんてない……! 私の人生にこんなことが訪れるなんて信じられなかったっ!)(お父様に報告しましょう。駄目だと言われたら、いいと言うまで願い続けよう! それでも駄目だと言われたら、いいと言うまで殴りましょう――!)(もしクララ様との婚約が難しいというのなら、フランシスに頼みましょう。無理を言うのは心苦しいけれど……それでも言いましょう) いつの間にか溢れんばかりに浮いていた目尻の涙にようやっと気付きながら、リプカは屋敷の廊下を駆けた。 ――そして、にわか雨は止んだ。「あんたが、リプカ・エルゴールかい」 中庭の通路を駆けていたそのとき。 庭のほうから、高圧的な声がかけられた。 立ち止まり、声のした方を向いてみると――。 威圧を纏った人だった。 眉、口元、顔立ちの全てから覚えのある自信が漲った、眼圧の強い人。 後ろで縛り上げた赤い髪は、この世の全てに挑戦を挑む証であるように強い、原色だった。服の上からでもわかる筋肉質から、生気が立ち上っているように見える。また赤褐色の肌は、日に焼けた強靭なものだ。 その人はクララとはまた違う、ゆったりとした歩調でリプカに歩み寄ると、上背高い目線からリプカを見下ろした。「……ふーん?」 顔、腕、足、胴体。 リプカの様々な個所をじろ
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第八話:第三の王子
 今自分がどこを歩いているのかも分からないまま、ふらふらと危なっかしい足取りで彷徨っていたリプカは、前方から人が歩んでくることに気付かなかった。 肩に、尋常ではない衝撃が走った。「痛っ……!?」 ほとんど突き飛ばされるように押されながらも、その凄まじい体幹により軽くよろめくだけで済んだリプカは、ひたすら地面に向けていた視線をようやっと上げた。 そこは大広間前の廊下だった。 軽々に婿を決めてはならないという助言に対する混乱の後の茫然が、少女にある種の冷静をもたらしたのだろう。 そういえばと、つい先程父を昏倒させたことを思い出して――衝動の消えた虚脱状態のまま、無意識のうちに、足は後戻りの道を選んでいたらしい。 目の前には、品格の十全を表したかのような女性が立っていた。 ティアドラの我を示すような明確な赤とは違う、日に透けて輝く、美しい巻き毛の髪が何よりも印象的だった。 容姿はまるで精巧な人形のようで、ハッと息を呑むほど整ったものであったが――ただし、顔色は幽鬼のように青白く、それこそ人形のように、度を越えて生気がなかった。 美しいがあまりに重い雰囲気を放つ彼女は、リプカよりほんの少し高い目線から、こちらにじっと視線を注いでいた。「――あ、あの、大変失礼しました……! 不注意でしたわ、お怪我はありませんか……?」 状況を完全に理解しないまま、リプカは慌てふためき女性の傍に寄ろうとした。 の、だが。「…………」 女性は自分から、リプカに向かい一歩を踏み出した。 そして――。「死ネ」 端的な一言を放った。「…………――。……え?」 リプカは頭が空白になるのを感じながら、茫然と呆けた表情を浮かべた。 侮蔑の言葉に慣れているリプカといえど、面と向かって「死ネ」と告げられたことは初めてであり、そのあまりに直線的な悪意を理解できず、硬直してしまった。 遅れながら、気付く。 こちらを見つめ、睨み据える女性の瞳には――明確な敵意が宿っていることに。 あまりに大きな肩への衝撃。あれはリプカの不注意が原因で衝突したのではない、この女性が害意をもって、向かいから歩いてきたリプカに勢いよく肩をぶ
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