機嫌が悪そうに部屋に入ってきて、お粥をベッドサイドテーブルに置いた。「何か用事ですか?」晴は立ち上がり、手元の資料を手に取った。「喬森さんがデザイン草案について説明したいことがあるそうです」「なかなか立派な言い訳を考えたね!」佳世子は軽蔑を隠さない目で彼を睨んだ。晴は眉を寄せ、紀美子を見て提案した。「外で話しましょうか?」佳世子は断りたかったが、仕事のことは避けられず、提案を受け入れるほかなかった。「森川社長、紀美子のお粥はこちらに置いておきますから、起きたら食べさせてあげてくださいね」そう言って、佳世子は病室を出ていった。晴もすぐに後を追った。コンビニエンスストア。佳世子はおでんを注文し、ガラス窓際の席に、晴は缶コーラを持って彼女の隣に座った。彼はファイルを佳世子に渡し、喬森からのメッセージも見せた。佳世子はバッグからスマートフォンを取り出し、喬森の注意点を真剣にメモした。晴は黙って彼女が仕事を処理するのを待っていた。佳世子が仕事を終えた後、晴は言った。「少し話さない?」「話すことなんてないわ!」佳世子はスマートフォンをバッグに戻し、少し冷めたおでんを食べ始めた。晴は「もし俺が佳世子の立場だったら、きっと同じ気持ちになると思う」と言った。佳世子は無視し、黙って食べ続けた。「佳世子。自分のこと、ちゃんと解決するから……」と諭すように言った。「晴」佳世子は彼を遮り、落ち着いた声で言った。「本当にこれ以上あなたと続ける気がないの」晴の胸は重くなった。「佳世子、もう一度チャンスを与えてくれない?」佳世子は手に持った食べ物を下ろし、真剣に晴を見つめた。「意味がある?」晴は少し戸惑った。「どういう意味?」佳世子は「私はただ平穏な生活が欲しいだけなのに、あなたの母親の介入で全てが壊れてしまった。こんな状況で続けても辛いだけでしょう?」「時間をくれ!絶対に解決するから!約束する!」晴は焦って言った。佳世子は首を横に振った。「もういいの、晴。本当に疲れちゃったの。仕事の後に感情的な問題に直面するのは辛すぎる。普通の人と結婚するのも悪くないと思うわ。少なくとも、あなたたちのような名家の複雑さには巻き込まれなくて済むから」晴は話を聞けば聞くほど傷ついた。今なら佳世子に殴られたり罵
紀美子の酸素マスクが外されたのを見て、子供たちと渡辺夫妻、そして翔太は一瞬固まった。翔太が晋太郎を見つめ、「紀美子さんは目覚めたのですか?」と尋ねた。晋太郎はうなずき、「ええ、一度目を覚ましてから10分も経たずにまた眠ってしまいました」と答えた。「お母さん、目覚めたって!」ゆみは興奮して佑樹に向かって言った。「兄ちゃん、聞いてたでしょ?」佑樹はうなずき、翔太を見上げて言った。「おじさん、お母さんと話せますか?」翔太が答えないうちに、ゆみはベッドサイドに身を乗り出して叫んだ。「お母さん、お母さん、聞こえる?私たちが来たよ」ゆみが言った。ゆみの言葉が終わるや否や、紀美子はゆっくりと目を開けた。一同は息を呑んで紀美子を見守った。紀美子は愛おしそうにゆみと佑樹を見つめた。乾いた唇を動かし、弱々しく呼びかけた。「ゆみ、佑樹」子供たちは何度も頷き、声を揃えて紀美子を呼んだ。紀美子は深く息を吸い、「うん、お母さんは聞いているわ」と言った。そして紀美子は子供たちの背後に立つ渡辺夫妻を見た。彼女の目には疑問が浮かんでいた。なぜ真由がここにいるのか理解できなかった。翔太は紀美子の疑問に気づき、優しく説明した。「紀美子、体力が少し回復したら正式に紹介するよ」翔太の言葉を聞いて、紀美子はそれ以上考えないようにした。紀美子のそばにしばらくいてから、翔太は渡辺夫妻と子供たちを連れて部屋を出た。晋太郎は立ち上がり、棚上の粥を確かめた。「冷めてしまったね。杉本さんに新しいのを買いに行かせよう」紀美子は目を閉じ、かすれた声で言った。「いいわ、何も食べたくないもの」晋太郎は眉をひそめた。「昼もほとんど食べていないでしょう。少しだけでも食べてから寝なさい」「あなた、ここにどれくらいいたの?」紀美子が静かに尋ねた。晋太郎は重々しい声で答えた。「三日だ」三日?紀美子は驚いて目を見開き、彼を見つめた。この病室で三日間過ごしていたというのか?潔癖症の晋太郎がそのベッドで寝るのは気にならなかったのだろうか?紀美子の胸は複雑な思いでいっぱいになった。視線を逸らし、「帰って」と言った。晋太郎は答えず、椅子を引き寄せ座った。「紀美子、一つだけ質問に答えてくれ」紀美子は頭の痛みをこらえて眉をしかめ、「何
晋太郎は拳を握りしめ、深く深呼吸をした。彼の体から力が抜け、冷静さを取り戻した。「子供の父親はどうでもいい。今俺が心配しているのは、紀美子、君自身の身体だけだ」その言葉に、紀美子は一瞬呆然とした。信じられないような目で晋太郎を見つめ、呟いた。「じゃあ、なぜ子供たちのことを聞いたのよ?」なぜかって?晋太郎には子どもたちが自分の子であるという確信があった。そうでなければ、なぜ紀美子が感情的に動揺したのか説明がつかない。しかし、晋太郎はもう紀美子を問い詰めるつもりはなかった。彼女が無事であれば、子どもの出自などどうでも良い!紀美子は視線を逸らした。彼女だって悩んでいないわけではなかった。真実を隠し続けることに心が痛まないはずがない。子どもたちから父親の愛情を奪うのは辛い決断だった。しかし、子どもたちの親権を失いたくなかったのだ。紀美子は目を閉じて、涙を押し殺した。病室の空気は重苦しく、息苦しいほどだった。晋太郎は紀美子の横顔を見て、諦めたように尋ねた。「紀美子、どうすればあなたに信頼してもらえる?」紀美子は唇を噛み、震える声を抑えながら答えた。「私にもわからない!」それを聞いて、晋太郎の目に寂しさが浮かんだ。「なら、これからは俺の方法であなたに寄り添うよ」紀美子は驚いて彼を見つめた。どういう意味だろう?もしかして再び始めようとしているのか?紀美子が質問する前に、晋太郎はすでに病室を出ていった。それから間もなく、泣き腫らした目をした佳世子が入ってきた。紀美子が目覚めているのを見て、佳世子は目をこすり表情を変えて言った。「紀美子、起きてたの?お粥、食べた?」紀美子は佳世子の目を見て眉をひそめた。「泣いてたの?」佳世子は鼻をすすり、紀美子の隣に座った。「大丈夫よ」「声が沈んでるわ」紀美子は言った。「心配させないで」そう言うと、佳世子の涙が止まらなくなった。「晴と別れたの」佳世子は泣きながら、晴との会話を紀美子に語った。紀美子は頭が痛くなり、「佳世子、よく考えて」と言った。「ちゃんと考えてるわ」佳世子は確信を持って言った。「よく考えて決断したの。今別れなければ、ずっと苦しむことになるって」紀美子もあまり強く説得する気力は残っていなかった。「分かったわ、あ
紀美子は反論しなかった。 なぜなら、晋太郎がどのような人間か知っていたからだ。 しかし、本当に過去のすべてを忘れて彼と一緒にいられるだろうか? 紀美子が考えをまとめないうちに、佳世子が続けた。「子どもたちのためにも、一度ちゃんと考えてあげて」紀美子は苦々しく笑った。「悟もいるわ」「悟ってどういうこと?」佳世子は言った。「あなたは悟を本当に好きなの?」紀美子は答えられなかった。「見なさい、答えられないでしょ。それは晋太郎がまだあなたの心の中に残っている証拠よ」紀美子は何も言えなかった。「恋愛なんて身勝手なものよ」佳世子は得意げに言った。「私のように、現実を見ているキュートな子は珍しいんだから!」紀美子は「自惚れはやめてよね」と言った。佳世子は大声で笑った。バーで。晴は晋太郎を飲みに誘い、涙ながらに佳世子がどのように自分を捨てたかを語った。 晋太郎は淡々とした顔で彼を見つめ、「きっと新しい出会いがあるさ」晴は一気に酒を呷り、「君はなぜその言葉を自分で戒めないんだ?」晋太郎は一口酒を飲んで、「私は新しい人間は必要ない。紀美子を追いかけて取り戻すつもりだ」「えっ?!」晴は驚いて晋太郎を見た。「紀美子を追いかけるって?!ついに動くのか?!」晋太郎はちらりと彼を見て、「何か問題でも?」「ないない!」晴は言った。「でも、本当に寄りを戻せる自信があるのか?紀美子は今、あまり話し相手にならないみたいだけど」晋太郎はゆっくりと手の中のグラスを回した。「それがどうした?彼女が彼女であれば、それで十分だ」晴の体は鳥肌立った。 晋太郎はいつの間に恋愛脳になってしまったんだ?とはいえ、これもいいかもしれない。今まで紀美子が犠牲を払ってきたのだから、今度は晋太郎が、愛されない苦しみを味わう番だ。 翌日。晋太郎は、新しく買った粥を持って、早朝から病院に向かった。病室のドアの前まで来ると、中で紀美子が電話をしている声が聞こえた。 紀美子の声は優しかった。「うん、今は随分良くなったわ。そんなに心配しないで」話が終わると、悟の声も聞こえた。 「あの二人、君を困らせたりしなかった?彼らがあまりにも心配していたから、結局止められなかったんだ」「大丈夫よ、彼ら
「自分でも来れたわ」と、入江紀美子は少し体を起こした。そしてそのままスプーンを手に取ろうとすると、森川晋太郎に押し返されたた。「早く治りたいなら、しばらくはその手を使うな!」晋太郎は冷たい声で言った。「……」確かに会社にはまだ沢山の仕事が残っておいるので、ずっとここで寝てはいられなかった。紀美子は無理やりに、晋太郎が運んでくるお粥を食べた。男の眼底に一抹の満足が浮かんだ。紀美子が二口目を食べようとした時、露間朔也が入ってきた。朔也は晋太郎が紀美子にお粥を運んでいるのを見て、彼は思わず目を大きく開いた。「き、君達……」驚いた朔也はまともに喋ることもできなくなった。紀美子と晋太郎も朔也を見て驚いた。数日しか経っていないのに、朔也の肌が随分と日焼けて麦色になっていた。朔也が真っすぐに晋太郎の手を見つめているのを見て、紀美子はやや気まずくなり、話題を移そうと、「向こうの状況はどうだった?」と聞いた。朔也が答えようとすると、晋太郎が厳しく鋭い目線を差した。そして晋太郎は続けて紀美子にお粥を運びながら、「先に飯食え!」と命令した。我に返った朔也も、なぜか「先に食べて」と晋太郎に合わせた。紀美子は従うしかなかった。ご飯を食べ終え、晋太郎は隣で資料を読み始めた。朔也はベッドの隣で紀美子にリンゴの皮を剝きながら、「向こうの方は安心していい、送るべきものは全部送り出した。しかしあの子たちは本当に可哀想だったな……」と報告した。紀美子は静かに朔也の報告を聞いていた。「この件、うまくひと段落したわね」紀美子は苦笑いをしながら言った。「怪我までしてしまったけど」「でもメディアの影響力が強かったな!」朔也は言いながら、携帯を出して紀美子に見せた。「君が昏迷していた数日、ネットではとんでもないことになっていた」当日のトレンドを開き、紀美子はざっと記事を読んだ。彼女を勇敢だと評価するものが一番多かった。「もういいわ。会社の為のなれば、それでいい」と紀美子は言った。「会社の為にどこまでやるんだ?」突然、晋太郎が横から聞いてきた。「評判をあげて、注文の数を増やさせるのか?」晋太郎は揶揄した。その話をされると、紀美子は晋太郎が自分の師匠を雇ったのを思い出した。「実力で
入江紀美子は渡辺夫婦の顔を見て頷いた。子供達は走って紀美子の傍に来た。入江ゆみは両手で頬を支え、微笑みながら紀美子に言った。「お母さん、今日はもっと元気になったね!」紀美子も笑って頷いた。「うん、順調に回復してるよ」入江佑樹はポケットを探って、一枚のお守りを出した。「お母さん、これあげる」紀美子はやや驚きながらも、よく見ると、お守りには「厄除」と書いてあった。彼女は感動して、優しい声で、「ありがとう、佑樹くん」と言った。「私達は昼頃松風さんと一緒に帰るけど、お母さんはちゃんと休んで、ちゃんと治ってから帰ってきてね」紀美子は頷き、「分かったわ。お母さんは、帝都の病院に転院しようとしてるの」と言った。彼女は渡辺翔太を見て、「お兄ちゃん、あと数日、子供達をよろしくね」と頼んだ。「苦労をかけるのは私ではないがな」翔太はそう言って、渡辺夫婦を見た。紀美子は翔太の視線を辿ると、すぐに分かった。彼女は二人に礼を言った。「子供達を見てくれて、感謝します」「家族同士だから、礼は要らないわ」長澤真由が微笑んで言った。紀美子は少し驚いて、それはどういう意味?彼女は翔太に説明を求める視線を送った。翔太は2人の子供の後ろに回って、彼らの肩を軽く叩きながら言った。「君たち、ちょっと松風さんと外で遊んできて、叔父さんはちょっとお母さんと話がある」子供達は物分かりよく答えて、松風桜舞と一緒に出ていった。渡辺夫婦は翔太と共に紀美子のベッドの隣に座った。翔太は真顔で口を開いた。「紀美子、事前の連絡なしで叔母さんに連絡を入れさせてごめん」「えっ?」翔太は渡辺裕也と真由を指さして、「こちらは私達の叔父さんと叔母さんだ」と紹介した。それを聞いた紀美子は、眉間の優しさが警戒への変わった。彼女は翔太と見て、冷たい声で言った。「お兄ちゃん、それは困るわ!」翔太は無力に説明した。「紀美子、叔父さんと叔母さんは、外祖父と違うから」隣の裕也も慌てて説明した。「紀美子、私は君が父との間にいろいろあったのを知ってるよ。でも安心して、私と真由さんはあんなことは絶対しないから」「申し訳ないけど!」紀美子は厳しい声で断った。「お兄ちゃん以外は、渡辺家の人間と関わりたくない!」
「彼は、君の父に、母と離婚して渡辺家から出るか、そうでなければ監獄へ送ると脅かした。君の父は気の強い方で、責任感も強いから、自分が監獄に入れられようと、君たち親子を守ろうとした。君の母がそのことを知って、外祖父と大喧嘩をして、君の父を残してくれないと、彼と親子関係を解除するとまで言い出した。こうして、君の両親は一銭ももらえずに渡辺家を出た。最初の頃は、私達は君の良心に従って戻ってくるように勧めていた。しかしその後、私達が勧誘しすぎていたせいか、彼達は私達と完全に縁を断った。私達は5年間も人を遣って彼達を探していたが、全く手掛かりが掴めず、警察が家に来るまでは、君の父が亡くなったことを知らなかった」入江紀美子は思わず布団を握りしめ、渡辺裕也に父の死因を聞いた。「溺死だ」紀美子は目を大きく開いて、「つまり、自殺?」と聞いた。裕也は首を振りながらため息をつき、「私達は彼が自ら命を絶つような人だと信じられない。彼は自分よりも君たち親子を愛していた。だから彼は、どんなに辛くても君たち親子を捨てるようなことを、絶対するはずがない。」「自殺じゃないなら、犯人は誰なの?!」紀美子は焦って聞いた。渡辺夫婦は辛い顔色が浮かべ、「手掛かりはまだ何も掴めていない」と言った。「有り得ないわ!」紀美子は激昂した。「殺人事件であれば必ず手掛かりがある!或いは……」紀美子の話は途中で止まった。或いは父を殺害した人が大金持ちで、金を使って裏で権利を握っていた人なら……でないと手掛かりがないことはない。裕也は苦笑いをして、「ほら、その点は皆も思いついているが、証拠がない」と言った。紀美子は必死に気持ちを抑えて、「私の母は?」と尋ねた。裕也は固まり、目元が赤く染まった。彼は苦痛を帯びて泣きそうな声で言った。「紗月ちゃんは自殺をした。私達が彼女を見つけた時には、既に大量の睡眠薬を飲み込んでいた」長澤真由は涙がこぼれながら言った。「私達が紗月さんを見つけた時、既に君の姿は無く、君が一体何処に連れていかれたのかは分からなかった。君の身分が分かった後、翔太が君は孤児院にいたのを教えてくれた。君の両親の死は私達が一番悔しい出来事。あの時、私達がもっと強く彼達が家を出るのを止めていたら、或いは……」
「商業管理局と警察署だ」この時、森川晋太郎がいきなり入ってきて、淡々と告げた。病室にいた全員の目線が一斉に晋太郎に集まった。渡辺翔太は眉を深く寄せながら、「まさか盗み聞きの趣味があったとは」と皮肉った。晋太郎は目を細くして、「ドアが開いていたし、聞きたくなくても声が耳に届いていた。」と答えた。長澤真由は翔太の皮肉を気にせず、「商業管理局がどうしたの?」と晋太郎に聞き返した。晋太郎は椅子に座り、「他殺であれば、紀美子の父親が、他の誰かが狙っていたものに手を出した可能性がある」と言った。入江紀美子は眉を寄せ、晋太郎に聞き返した。「つまり、父は他人の利益に触れていた可能性があるということね?ただの商業競争の関係であれば、すべての受注契約書は記録があるはず。そこから切り込んで調査するべきだと?」「そうだ、流石は秘書出身だな」晋太郎は感心した様子で頷いた。紀美子は晋太郎の肯定を気にせず、「お兄ちゃん、父が勤めていた間のその会社の受注記録を、調べてもらえる?」と翔太に聞いた。「分かった、任せて」「紀美子、調査のことは私達に任せて。君は無理しないでちゃんと休んで、怪我を治してくれればいい。」紀美子は頷き、「分かったわ……叔父様、叔母様」真由は感動して紀美子の手を握り、「いい子ね!叔母さんは、君が認めてくれれば、死んでも心残りはないわ!」と言った。紀美子は微笑んだ。翔太と渡辺夫婦が帰った後。紀美子は晋太郎に、「昼ご飯食べに行かないの?」と聞いた。晋太郎は携帯でメッセージを編集しながら、「肇に買ってくるように指示した」と答えた。紀美子は暫く晋太郎の携帯を見つめてから言った。「もし忙しいなら、先に帝都に帰ってくれていいわ」晋太郎は手を止め、口元に笑みを浮かべて言った。「忙しくなければ残ってもいい、ということか?」「……」紀美子は、晋太郎がそう返してくるとは思っていなかった。彼女は晋太郎の話を無視した。30分後、杉本肇が昼ご飯を持ってやってきた。今回はお粥だけではなく、豪華なおやつも入っていた。美味しそうな匂いは、紀美子の食欲を大きく掻きたてた。肇は料理を一品ずつテーブルに置いて、「入江さん、これは全部晋様のご指示で買ってきたもので、みんなが入江さんが好きなも
紀美子は翔太に事情を簡単に説明した。話を聞いた翔太は深くため息をついた。「あの子たちはみんなしっかりした子たちだ。自分で決めたことなら、無理に引き止めるわけにはいかない。尊重してやらなきゃな。だが……こんな場所で気分転換するべきじゃない」「そういえば、翔太さんはここで何を?」佳世子は話題をそらすように尋ねた。翔太はバーの入口を一瞥しながら答えた。「あの連中は舞桜の遠縁の親戚たちなんだ」二人は顔を見合わせ、紀美子は怪訝そうに聞いた。「どうして舞桜の親戚と一緒に?」翔太は苦笑し、鼻をこすりながら答えた。「実はな、舞桜と一週間後に婚約する予定なんだ」「えっ!?」二人は声を揃えて叫んだ。「そんな大事なこと、どうして教えてくれなかったの?」紀美子は驚きを隠せなかった。佳世子は舌打ちした。「翔太さん、私たちより早いじゃない!」「彼らが帰ってから紀美子に話そうと思ってたんだ」紀美子は軽く眉をひそめた。「さっき見かけたけど、舞桜と同世代くらいの人たちみたいね。難しい人たちなの?」「なんというか……」翔太は小さくため息をついた。「茂の親戚と似たような連中だ。だから君には早く知らせたくなかったんだよ。彼らは本当に面倒を起こすから」「舞桜が止めないの?」佳世子は聞いた。「いつまでも我慢してばかりじゃダメよ!」「止めないわけじゃない」翔太は言った。「舞桜の父親からの試練のようなものだ。舞桜は彼らのことで父親と大喧嘩したんだ。でも、父親は自分だけでは決められないと言ったらしい。舞桜の祖父の意向もあるみたいで」紀美子は話の裏を読み取って聞いた。「もしかして、その祖父って……舞桜と兄さんの関係に反対してるの?」「そうだ」翔太は率直に認めた。「舞桜の祖父は、海軍の偉いさんでさ。我々のような商人のことを、なかなか認めてはくれない」「今どきそんな家柄を気にするなんて!」佳世子は呆れたように言った。紀美子はしばらく考え込んでから言った。「でも、そうでなければ、舞桜もここまで来て兄さんと出会うこともなかったわね」「うん、その通りだ。前に舞桜が俺に会いに来たことが、余計に彼女の祖父の反感を買ったらしい」「舞桜は良い子よ」紀美子は翔太を見つめて言った。
「結婚を発表する日に、この件も公表する」晋太郎はペンを置いてから答えた。今のところ、自分はまだ紀美子を正式に口説き落としていない。いきなりこんな話をしても、笑いものになるだけだ。夜。紀美子は佳世子に連れられ、帝都に新しくオープンしたバーに来ていた。入り口に入った瞬間耳をつんざくような音楽が聞こえてきて、紀美子は鼓動が早くなるのを感じた。彼女は佳世子の手を引き寄せ、耳元で叫ぶように言った。「佳世子、ここはやめようよ。あの人たちに知られたら、飛んでくるに決まってる」「どうしていけないの?」佳世子は紀美子の手を引っ張って中へ進んだ。「あの人たちはあの人たち、私たちは私たちよ。付き合ってるからって、こういう場所に来ちゃいけないルールでもあるの?正しく楽しんでるんだから、平気でしょ!」紀美子は佳世子が気分転換のために連れてきてくれたのだとわかっていた。だが、こういう騒がしい場所は苦手だった。理由は主に二つあった。一つは環境が乱雑なこと、もう一つは晋太郎の性格だ。彼が知れば、このバーごとひっくり返しかねない。自分でトラブルを起こすつもりもなければ、晋太郎に誰かに迷惑をかけさせるつもりもなかった。ボックス席に着いても、紀美子はまだ佳世子の手をしっかり握っていた。「佳世子、やっぱりここは嫌だわ。静かなバーに変えようよ?」「え、何?!」佳世子は聞き取れなかった。紀美子はもう一度繰り返し言った。「紀美子、まず座って落ち着いて話を聞いてよ」佳世子は言った。紀美子は彼女の意図を察し、しぶしぶ一緒に座った。佳世子は紀美子の耳元に寄った。「晋太郎、まだ記憶が戻ったって認めてないでしょ?」紀美子は彼女を見て尋ねた。「それがここに来ることと何の関係が?まさか、彼を刺激したいの?」佳世子は激しく頷いた。「男ってのはみんなそうよ。何か起こさないと本当のことを言わないのよ!」「だめだめ」紀美子は慌てて首を振った。「言わないのは彼の勝手よ。私がどうするかは私の自由。佳世子、本当にここにいたくないの」佳世子はまだ何か言いたげだったが、ふと目の端に映った人影に気づき、言葉を止めた。そしてじっとその見覚えのある姿を見つめながら言った。「紀美子、あの人……あなたのお兄
二人は涙を見せれば、ゆみがますます別れを惜しんでしまうことを恐れていたのだ。「ゆみ、待ってるから!毎日携帯見て、お兄ちゃんたちからの連絡を待ってるからね……ゆみはちゃんと大きくなるよ。ご飯もいっぱい食べて、悪さしないで……うう……早く帰ってきてね……」紀美子も、堪えきれず涙をこぼした。晋太郎がそっと近寄り、彼女を優しく抱き寄せた。この別れは、誰の胸にも重くのしかかっていた。ゆみは学校に行かなければならなかったので、佑樹と念江を見送った後、昼食を取るとすぐに急いで飛行機で帰って行った。紀美子は、がらんとした別荘を見回し胸の奥にぽっかりと穴が空いたような感覚に襲われ、ソファに座ったまま呆然としていた。今にも、子供たちが階上から駆け下りてきてキッチンで牛乳を飲むような気がしてならなかった。そんな紀美子の様子を見て、晋太郎は携帯を取り出し佳世子にメッセージを送った。1時間も経たないうちに、佳世子が潤ヶ丘に現れた。ドアが開く音に、紀美子がさっと振り向いた。佳世子と目が合うと、一瞬浮かんだ期待の色はすぐに消えていった。佳世子は小さくため息をつき、紀美子の隣に座った。「紀美子、まだ子供たちのことで頭がいっぱいなの?」紀美子は微かに頷いた。「うん……なかなか慣れなくて。佑樹と念江も行っちゃったし、ゆみもすぐ帰っちゃったし……」「あの子たち、本当にあなたに似てるわ」佳世子は言った。「あなたが帝都を離れてS国に行った時も、こんな風に自分の目標に向かって突き進んでたもの」紀美子はぽかんとし、思わず苦笑した。「あれは状況に迫られてのことよ」「そんなこと言ったら、まるで子供たちがあなたから離れたくてたまらないみたいじゃない」佳世子は紀美子の手を握った。「そんな話はやめましょう。午後はショッピングに行くわよ!」「ちょっと!」紀美子は驚いたように彼女を見つめて言った。「どうして急に来たの?」佳世子はきょろきょろと周りを見回し、晋太郎の姿がないのを確認すると、小声で言った。「実は、あなたのご主人に頼まれて来たのよ!」紀美子は、ご主人様という言葉を聞いて顔が赤くなった。「え、え?ご主人なんて……私、彼とはまだそんな関係じゃないのよ……」「遅かれ早かれ、そうなるんだから!」佳
俊介は淡く微笑んだ。「晋太郎、子供たちは俺にとって実の孫同然だ。心配する必要はない」その言葉を聞いて、紀美子は少し安心した。一行は保安検査場の目の前まで来ると、紀美子は子供たちの前にしゃがみ込んだ。彼女は無理に笑顔を作りながら、子供たちの腕に手を置いて言った。「一時間後には搭乗よ。誰と一緒でも、自分のことはきちんと守って。無理しないでね」佑樹と念江は頷いた。「ママ、心配しないで。僕たち、できるだけ早く帰るから」佑樹は言った。「ママも体に気をつけてね」念江は笑みを浮かべて言った。「パパと一緒に、今度は妹を作ってよ」紀美子は一瞬固まり、念江の鼻をつまんで言った。「ママとパパはまだ何も決めてないの。その話はまた今度ね」ゆみを待っている晋太郎は、周囲を見回しながらふと紀美子の方を見た。口を開こうとした瞬間、背後から慌ただしい足音が聞こえてきた。「お兄ちゃん!!念江お兄ちゃん!!」ゆみの声が響き、一同が振り返った。ゆみは小さな体で次々と乗客の間を縫うように駆け抜け、全力で佑樹と念江の元へ突進してきた。そして両手で二人の首にしっかりと抱きついた。「間に合ったよ!」ゆみは泣きながら二人の肩に顔を埋めた。「お兄ちゃんたちの見送り、間に合って良かった」佑樹と念江は呆然と立ち尽くした。まさかゆみがこんなに遠くまで見送りに来てくれるとは思ってもいなかったのだ。二人の目が一瞬で赤くなった。これ以上の別れの贈り物はないだろう。二人はゆみをしっかりと抱きしめ、必死に冷静さを保ちながら慰めた。「もう、泣くなよ!」佑樹はゆみの背中を叩いた。「人がたくさんいるんだぞ。恥ずかしくないのか」念江の黒く大きな目は優しさに溢れていた。「ゆみ、わざわざ来てくれてありがとう。大変だったろう」ゆみは二人から手を放した。「向こうに行ったら、絶対に自分のことをちゃんと気遣ってね。時間があったら、必ず電話してよ。分かった?」佑樹と念江は、思わず俊介を見た。その視線に気づいたゆみは、俊介を睨みつけた。「あなたのくだらない規則なんて知らないよ!お兄ちゃんたちを連れて行くのはいいけど、連絡を絶たせるなんてひどいよ!ゆみは難しいことは言えないけど、家族は連絡を取り合うべきだってわか
紀美子は箸を握る手の力を徐々に強めながら、優しく言った。「念江、大丈夫よ。本当にママに会いたくなったら、会いに来ればいい」念江はぽかんとした。「でもあそこは……」紀美子は首を振って遮った。「確かにルールはあるけど、抜け道だってあるはずでしょう?」念江はしばらく考え込んでから頷いた。「うん。僕たちが認められれば、きっとすぐにママに会える」紀美子は安堵の表情でうなずいた。子供たちと食事を終えると、彼女は階上へ上がり、荷造りを手伝った。今回は晋太郎の部下に任せず、自ら佑樹と念江の衣類や日用品をスーツケースに詰めていった。一つ一つスーツケースに収める度に、紀美子の胸の痛みと寂しさは募っていった。ついに、彼女は手を止め俯いて声もなく涙をこぼし始めた。部屋の外。晋太郎が階下へ降りようとした時、子供たちの部屋の少し開いた扉から、一人背を向けて座っている紀美子の姿が目に入ってきた。彼女の細い肩が微かに震えているのを見て、晋太郎の表情は暗くなった。しばらく立ち止まった後、彼はドアを押して紀美子の傍へ歩み寄った。足音を聞いて、紀美子は子供たちが来たのかと慌てて涙を拭った。顔を上げ晋太郎を見ると、そっと視線を逸らした。「どうしてここに……」「俺が来なかったら、いつまで泣いてるつもりだったんだ?」晋太郎はしゃがみ込み、子どもたちの荷物をスーツケースに詰めるのを手伝い始めた。「手伝わなくていいわ、私がやるから」「11時のフライトだ。いつまでやてる気だ?」晋太郎は時計を見て言った。「もう8時半だぞ」紀美子は黙ったまま、子供たちの服を畳み続けた。最後になってやっと気付いたが、晋太郎は服のたたみ方すら知らないようだった。ただぐしゃぐしゃに丸めて、スーツケースの隙間に押し込んでいるだけだった。紀美子は思わず笑みを浮かべて彼を見上げた。「あなた、本当に基本的なことさえできないのね」晋太郎の手は止まり、一瞬表情がこわばった。彼は不機嫌そうに顔を上げ、紀美子を見つめて言った。「何か文句でもあるのか?」紀美子は晋太郎が詰めた服を再び取り出しながら言った。「文句を言ったところで直らないだろうから、邪魔しないでくれる?」「この2日間で、弁護士に書類を準備させた。明日届く
「それは――龍介さんが自分で瑠美とちゃんと話すしかないんじゃない?」紀美子は微笑みながら言った。「紀美子、今夜は瑠美を呼んでくれてありがとう」龍介はグラスを持ち上げた。紀美子もグラスを上げて応じた。「龍介さんにはお世話になりっぱなしなんだから、こんな簡単なことでお礼言われると困るわ」夜、紀美子と晋太郎は子供たちを連れて家に戻った。紀美子が入浴を終えたちょうどその時、ゆみから電話がかかってきた。通話を繋ぐと、ゆみはふさぎ込んだ声で聞いてきた。「ママ、明日お兄ちゃんたち行っちゃうんでしょ?」紀美子はぎょっとした。「ゆみ、それは兄ちゃんたちから聞いたの?」「うん」ゆみが答えた。「ママ、お兄ちゃんたち何時に行くの?」浴室から聞こえる水音に耳を傾けながら、紀美子は言った。「ママも正確な時間わからないの。パパがお風呂から出たら聞いてみるから、ちょっと待っていてくれる?」「わかった」ゆみは言った。「ママ、それまで他の話しよっか」紀美子はゆみと雑談をしながら、十分ほど時間を過ごした。すると、晋太郎がバスローブ姿で現れた。ゆみの元気な声が携帯から聞こえてきたため、晋太郎は髪を拭きながらベッドの側に座った。「もう11時なのに、まだ起きてるのか?」紀美子が体を起こした。「佑樹たち明日何時に出発するのか知ってる?」晋太郎は紀美子の携帯を見て尋ねた。「ゆみはもう知ってるのか?」「知ってるよ!」ゆみは即答した。「パパ、私お兄ちゃんたちを見送りに行きたい」「泣くだろう」晋太郎は困ったように言った。「だから来ない方がいい」「嫌だ!絶対に行くの。だって次に会えるのいつかわからないんだもん」ゆみは強く主張した。その声は次第に震え始め、今にも泣き出しそうな顔になった。晋太郎は胸が締め付けられる思いがした。「分かったよ……専用機を手配して迎えに行かせる」そう言うと彼はベッドサイドの携帯を取り上げ、美月に直ちにヘリコプターを手配するよう指示した。翌日。紀美子は早起きして、子どもたちのために豪華な朝食を用意した。子供たちは、階下に降りてきてテーブルいっぱいに並んだ見慣れた料理を目にすると、驚いたように紀美子を見つめた。「これ全部、ママが一人
龍介は瑠美に笑いかけて言った。「瑠美、この前は助けてくれてありがとう」彼がアシスタントに目配せすると、用意してあった贈り物が瑠美の前に差し出された。「ささやかものだけど、受け取ってほしい」瑠美は遠慮なく受け取り、龍介に聞いた。「開けていい?」「どうぞ」瑠美は上にかけられていたリボンを解き、丁寧に箱のふたを開けた。中身を目にした瞬間、彼女は驚いて目を見開いた。「えっ!?これどうやって手に入れたの?!瑠璃仙人の作品でしょ!?」「前に君が玉のペンダントしてたから、好きなんだろうと思って」「めっちゃ好き!!」瑠美は興奮して紀美子に言った。「姉さん!これ梵語大師の作品よ!前に兄さんに探させたけど全然ダメだったのに!」紀美子は玉のことには詳しくないため、梵語大師が誰なのかもわからなかった。彼女はただ穏やかに微笑んで言った。「気に入ってくれて良かったわ」一方、晋太郎の視線は龍介に留まった。龍介の目には、かすかな熱意のようなものがある。紀美子を見る時には決して見せたことのない眼差しだ。もしかして、龍介は瑠美に気があるのか?晋太郎は探るように口を開いた。「吉田社長の狙いがこんなに早く変わるとはな」龍介は瑠美の笑顔から視線を外し、晋太郎の目を見つめて言った。「森川社長、それはどういう意味だ?」晋太郎は唇を歪めて冷笑した。「吉田社長、新しい対象ができたのに、なぜまだ紀美子に執着してるんだ?」それを聞いて、瑠美は驚いて顔を上げ、龍介と紀美子を交互に見た。紀美子は瑠美の視線を感じ取って、説明した。「私と吉田社長は何もないから、誤解しないで」「誤解なんてしてないよ」瑠美は言った。「でも晋太郎兄さんが言ってた『吉田社長の狙い』って、私のこと?」紀美子も、晋太郎のその言葉の真意はつかめていなかった。龍介のような、感情を表に出さず落ち着いていて慎重なタイプが、活発で明るい瑠美に興味を持つのだろうか。もしかすると、あの時瑠美が龍介を助けたことがきっかけなのか?二人の年齢差は10歳ほどあるはずだ。でも、性格が正反対なほど惹かれ合うって話もある。もし瑠美が龍介と結婚したら、みんな安心できるだろう。「もしよければ、瑠美さん、連絡先を教えてくれないか?」
そう言うと、晋太郎はさりげなく紀美子から車の鍵を受け取った。佑樹が傍らで晋太郎をじっと見て言った。「パパ、違うよ。ママが誰かとお見合いするわけじゃん」晋太郎は生意気な佑樹を見下ろしながら聞き返した。「じゃあ、何だって言うんだ?」佑樹は笑いながら紀美子を見て言った。「ママみたいな美人、お見合いなんて必要ないじゃん。ママに告白したい人を並ばせたら、地球を一周できるよ」念江も付け加えた。「前におばさんから聞いたけど、ママの会社の重役や課長さんたちもママに気があるらしい」晋太郎の端整な顔に薄ら笑いが浮かんだが、その目には陰りがあった。「ろくでもない奴らだ。君たちのママはそんなやつらに興味ない」重役と課長か……晋太郎は鼻で笑った。計画を早める必要がありそうだな。「そろそろ時間よ。遅れちゃうわ。三人とも、もう出発できる?」紀美子は腕時計を見て言った。一時間後。紀美子と晋太郎は二人の子供を連れてレストランに到着した。龍介が予約した個室に入ると、彼はすでに待っていた。紀美子を見て龍介は笑顔で立ち上がった。「紀美子、来たね」紀美子が前に出て謝った。「龍介さん、ごめん。渋滞でちょっと遅れちゃった」「気にしないで」龍介は晋太郎を見上げて言った。「森川社長、久しぶりだな」晋太郎は鼻で嗤い、皮肉をこめて言った。「永遠に会わなくてもいいんじゃないか」龍介はその言葉を無視し、子供たちにも挨拶してから席に着いた。紀美子が子供たちに飲み物を注いだ後、龍介に尋ねた。「今日は何の用?」「じゃあ単刀直入に言うよ」龍介の表情が急に真剣になった。「紀美子、瑠美は君の従妹だよね?一度彼女に会わせてくれないか?」紀美子は驚き、晋太郎と視線を合わせてから龍介を見た。「この前の件で瑠美に会いたいの?」龍介は頷き、率直に答えた。「ああ、命の恩人に対して、裏でこっそり調べたり連絡するのは失礼だと思ってね」「紹介はできるけど、彼女が会ってくれるかどうかはわからないよ」「頼むよ。あれからずっと、ちゃんとお礼も言えてなかったから」紀美子は頷き、携帯を取り出して瑠美の番号を探し出した。「今連絡してみる」電話がつながると、瑠美の声が聞こえた。「姉さん?どうした?
どっちみち焦っているのは晋太郎の方で、こっちじゃないんだから。これまで長い年月を待ってきたのだから、もう少し待っても構わない。2階の書斎。晋太郎はむしゃくしゃしながらデスクに座っていた。紀美子が龍介と電話で話していた時の口調を思い出すだけで、イライラが募った。たかが龍介ごときに、あんなに優しく対応するなんて。あの違いはなんだ?ちょうどその時、晴から電話がかかってきた。晋太郎は一瞥してすぐに通話ボタンを押した。「大事じゃないならさっさと切れ!」晋太郎はネクタイを緩めながら言った。電話の向こうで晴は一瞬たじろいだ。「晋太郎、家に着いたか?なぜそんなに機嫌が悪いんだ?」晋太郎の胸中は怒りでいっぱいになっており、必然と声も荒くなっていた。「用があるなら早く言え!」「はいはい」晴は慌てて本題に入った。「さっき隆一から電話があってな。出国前にみんなで集まろうってさ。あいつまた海外に行くらしい」「無理だ!」晋太郎は即答した。「夜は予定があるんだ」「午後、少しカフェで会うだけなのに、それも無理か?」午後なら……夜の紀美子と龍介の待ち合わせに間に合う。ついでに、あの件についても聞けるかもしれない「場所を送れ」30分後。晋太郎は晴と隆一と共にカフェで顔を合わせた。隆一は憂鬱そうにコーヒーを前にため息をついた。「お前らはいいよな……好きな人と結婚できて」晴はからかうように言った。「どうした?また父親に、海外に行って外国人とお見合いしろとでも言われたのか?」「今回は外国人じゃない」隆一は言った。「相手は海外にいる軍司令官の娘で、聞くところによると性格が最悪らしい」晴は笑いをこらえながら言った。「それはいいじゃないか。お前みたいな遊び人にはぴったりだろ?」「は?誰が遊び人だって?」隆一はムッとして睨みつけた。「お前みたいなふしだらな男、他に見たことないぞ!」「俺がふしだらだと?!」晴は激しく反論した。「俺、今はめちゃくちゃ真面目だぞ!」隆一は嘲るように声を上げて笑った。「お前が真面目?笑わせんなよ。佳世子がいなかったら、まだ女の間でフラフラしてたに決まってるだろ!」「お前だってそうだったじゃないか!よく俺のことを言える