Masukしかし、暫くしてもドアが開くことはなかった。綾芽はドアの前で三十分待ったが、夜遅く気温は下がっており冷気が身に染みてしまい、もう帰ろうとした。「何しに来たんだ?」するとこの時、ドアがようやく開いた。慶はだぼっとした黒のセーターを羽織り、憔悴した様子で彼女を見つめた。慶は頭に包帯を巻いていて、顔にある青あざは薄くはなっていたが、それでも一目でわかるほどだ。歩くときには足を引きずるような形で、よろけている。髪もボサボサだったが、見た感じさっき起きたばかりというわけではなさそうだ。綾芽はすぐに振り返り、すぐにドアから中へと入った。すると慶から濃い酒の匂いが漂ってきた。「お酒を飲んでいたの?」「……」慶は綾芽の言葉には構うことなく、背を向けて家の中へ戻っていった。彼は体が震えていて、ずっとピンと伸ばしていた背筋はこの時、曲がっていて、まるで別人のようだった。彼はリビングの奥までそのまま進み、カウンターキッチンの椅子に腰かけた。家の中は散乱していて、至る所にさまざまなゴミが落ちており、空になった酒のボトルが散らばっている。「慶、あなた、これは一体どうしたのよ……」自分が離れてから、慶が頑なに離婚すると言い張っていたが、身だしなみはちゃんとしている。それがまさかここまで落ちぶれてしまうとは、綾芽も全く予想していなかった。「いつ手続きに行く?」慶は引き続き酒のボトルを手にし、濁った声を出した。「どうしても私と離婚するっていうの?」数日会っていなかったのに、彼の第一声が離婚だとは思っておらず、綾芽の心は谷底に突き落とされたような気分だった。「柚葉さんからあなたが殴られたって聞いてすっごく心配したんだからね。今日はわざわざあなたの様子を見に来たのよ!」「ああ、君のおかげで、死にきれないな」慶は冷たく笑った。彼はただ手に持っているボトルだけを見つめ、陰険な口調で吐き捨てた。「なによその態度、黒崎グループだって再起不能になったわけじゃないでしょ。私と離婚しないで、あなたはおばあ様からまとまった資金が得られなくても、私たち本当にもう何もできないと本気に思っているの?」綾芽は慶がお金で頭を悩ませていると思い込んでいた。しかし、慶は彼女の話には耳を傾けず、上を向いて引き続き酒を飲んだ。綾芽は
確かに、話としては筋が通っている。だが柊馬は、どうしても安心できなかった。「あなたの体なら行けないわ」一花は小声で言った。「安静にしなきゃ」「俺は行ける」柊馬が譲らないのを見て、一花は二人の約束を持ち出さざるを得なかった。「私の言うこと、聞かないっていうの?さっきの約束、全部認めないつもり?」「君とは離れたくない。一日だって嫌だ。俺は」柊馬は眉間に皺を強く寄せ、声に焦りが混じった。何度も口を開けたが、言葉が詰まってしまった。彼は怖かった。いつも、不安で仕方がなかった。自分の中の不安がまた騒ぎ出したのか、それとも本当に不吉な予感なのか、分からなかった。「私だって、あなたと離れたくないの。でも今回は特別な事情だから。怪我人を連れて、あんな遠くまで一緒に行けるわけないでしょ。妻としての私の気持ちも、少しは尊重してよ」以前、柊馬が彼女に怪我人の気持ちを尊重してくれと言った時、彼女はちゃんと彼の意思を尊重した。今度は彼の番だ。柊馬は反論できなかった。無理に彼女を引き留めることも、強引について行くこともできない。それに、彼の今の体の状態では……確かに、足手まといだ。たとえ自分では調子がいいと思っていても、旅の途中で何かあるかもしれない。柊馬は黙り込んでしまった。一花が彼の頬を両手で包み、そっとキスをすると、彼の表情には少し寂しげな色が浮かんでいたが、それで折れた証だった。しばらくして、柊馬が口を開いた。「数人、ボディガードを連れて行って」「うん」「何かあったら、すぐに俺に連絡するんだぞ。隠さないで」「分かったわ」「西園寺家が君に難癖をつけるようなら、もうこれから一切付き合わなくていい。君には、うちにもじいちゃんとばあちゃんがいるんだから」「……」一花は目がきらりと輝いた。しばらく、彼の自分をじっと見つめる深い瞳を見つめ返してから、ようやく重々しく「知ってる」と答えた。柊馬は深く息を吸い込んだ。彼の声はとても重苦しかったが、一花の耳には、温かく響いていた。彼女は、彼の自分への過剰なまでの心配をこっそりと噛みしめ、ふと、これから先にどんな難関があろうとも、もはや怖くないと思った。ただ、気持ちが沈んだ男に対して、少し酷な気もした。そこで一花は、柊馬の手を握りながら、ベッドの上で
「分かったわ、降参する」一花は、柊馬の前ではもう嘘がつけないと悟った。嘘がつけないわけではなく、ただ柊馬にだけは嘘をつくことに、心が痛むのだ。「私、おじい様に一度会いに行くつもりなの、あの、実の祖父に」一花の口調は、少し沈み込んでいた。「西園寺幸雄さんだよね?」柊馬は瞳を、少し暗くさせた。匠の父である幸雄は、もう何年も前からM国に移住している。噂では、海外でのんびり隠居生活を送りたいからではなく、匠と関係が悪かったため、顔を合わせるのを避けているという。匠が重体の時でさえ、幸雄は帰国しなかった。彼が亡くなってから、やっと慌ただしく帰国し、匠の葬儀に参加しただけだという。だが、その日のうちに帰ってしまったようだ。一花はこっくりとうなずく。今日、サミットからの帰り道、彼女は和香から電話を受けた。幸雄が、自分に会いたがっているというのだ。和香からの電話に、一花は非常に警戒していた。だが相手は、ほんの挨拶をしただけで、電話を幸雄に代わった。どうやら、和香が出張でM国へ行ったついでに、幸雄のところに尋ね、西園寺グループの状況も簡単に報告したらしい。匠が西園寺グループを引き継いでから、和香は毎年、定期的に見舞うという名目で、幸雄に会社のことを話していた。時には、意思決定の際に彼の意見を参考にすることもあった。匠が去った後、この役目は本来、一花に引き継がれるはずだった。「聞くところによると、彼が海外に出たのは、君の父である匠さんと生前、不仲だったかららしい。君が西園寺家に戻ってからも、それなりに時間が経っている。どうして今になって、急に会いたいと言い出したんだ?」柊馬は一言で、核心をついた。一花も実際、勇から聞いていた。匠と幸雄の経営理念はかなり違ったそうで、仲が悪かった。さらに匠の性格は、冷たく、頑固で、気性は最も幸雄に似ており、二人はうまくやっていけなかった。その後、幸雄は娘のところで暮らし始めたのだという。幸雄が去ると、匠もまた、何年も彼とほとんど交流しなかった。そして、匠の死は突然すぎた。隠し子の存在も、幸雄も、他の皆と同じように、つい最近知ったばかりだった。勇の話によると、幸雄が帰国して葬儀に参加した際、こう宣言した。匠が重体なのに彼に教えず、それどころかこんなとんでもない遺
「はいはい、泣いてないね」一花はこっくりとうなずき、子供をあやすように柊馬の肩をポンポンと軽く叩いた。「一緒に映画見られて楽しかったわ。また今度も一緒に見よう」そう言うと、彼女は手際よくテレビを消し、テーブルの上の物を片付け、鼻歌交じりに寝室へ戻って服を脱ぎ始めた。これからシャワーを浴びるつもりだ。一花がバスタオルを体に巻きつけると、柊馬も後をついて入ってきた。彼女はすぐに体をひねって言った。「柊馬さん、私、シャワー浴びるから、ちょっと出て行って……」「見たことないわけじゃないのに、何を緊張してるんだ?」彼はわざとしているようで、後ろから彼女の腰を抱きしめ少し手を動かし、そのバスロープが地面に落ちてしまった。彼女は慌ててバスロープを拾い上げろうとしたが、柊馬に止められた。「一緒に風呂に入ろう」「ちょっと……」「俺は怪我してるんだ、手伝って?」柊馬は切り札を出し、一花の同意も得ず、自ら服を脱ぎ始めた。ルームウェアは脱ぎやすい、脱がれた服がそのまま床に捨てられ、一花のバスローブを覆った。彼がわざとやっていると分かっていても、一花は拒絶することはできない。いくら避けても、やはり彼の手から離れず、そのままその優しい動きに溺れてしまった。温かい蒸気とともに、体もともに軽くなり上昇しているような気分になった。柊馬の体力は結構回復しているが、一花は彼に気をかけているので、できるだけ負担をかけないように……あまり長い時間をかけないようにした。少しだけ、じゃれ合った。柊馬はまだその余韻に浸っているようだ。「これから、毎晩、少し回数増やす?」「柊馬さんのバカ」一花は軽く笑い、唇を噛みしめ、頬を赤らめていた。だが、「バカ」という二文字が彼の耳に届いた時、やはり彼の心を動かした。二人がシャワーを終えて出てくると、一花は柊馬に、来週海外出張に行くと伝えた。「出張?どうして急に出張なんだ?」柊馬は心が敏感だ。西園寺グループの業務の大部分は国内にある。だが、一花が言ったのはM国だった。「安心して、ここ数日はまだ一緒にいるから……出張は、せいぜい二、三日くらいで、すぐ戻ってくるわ」一花は言葉を濁し、柊馬の質問には正面から答えなかった。しかし柊馬は、ドライヤーを取りに行こうとした彼女の手首を掴んだ。
一花がチラリと柊馬のほうを見ると、彼の口元に浮かんでいた微笑みが消えていた。眉をひそめてもおらず、落ち着いた眼差しでじっと携帯の画面を見つめていて、感情を少しも感じさせない。「怒ってるの?」一花が探るような口調で尋ねた。「違う」柊馬は小声で言った。「俺が何に怒るんだ?妻が褒められて、喜ぶべきじゃないか」だが声には、少しも喜びの色が感じられない。一花はすぐに携帯の電源を切った。「じゃあ、返事しない。見なかったことにする」「……」柊馬は答えなかった。明らかに、気分が良くない。一花がひじで彼の胸を軽くつついた。「やきもち焼かないでよ。彼、私より年上なんだから」「俺も、君より年上だ」「……」一花は言葉に詰まった。「彼のほうが、あなたより年上だし、老けて見える。あなたのほうが、ずっとカッコイイよ」「よく見てたんだな」柊馬の視線がゆっくりと一花の顔へと移った。一花はまた言葉を失った。もういい、話せば話すほど、やきもちの焦げたにおいが強くなる一方だ。「柊馬さん、やきもちなんか焼かないで。あなたのことしか見えてないって、分かってるでしょ?」この言葉は、どんな説明よりも効果的だった。柊馬の視線が横へとずれ、口元に微かに微笑みを浮かべた。「ギャロップか……この会社、俺は好きじゃない」「分かってる。あなたたちと競合関係にあるんでしょ?どうやら、南関市に支社を設立するらしいわ」一花は純粋に柊馬のことを考えていた。今日、その知らせを聞くとすぐに、彼に尋ねたのだ。柊馬は確かにうんざりしていた。ギャロップが最近、伊集院グループと国際的な事業を争っており、彼らは新エネルギー分野ではかなり早くから参入していて、少しだけ優位に立っていた。だがこの事業は、修治が結構前から狙っていたものだ。伊集院グループも巨額の資金を投じていた。最後の最後で、人に奪われるのは御免なのだ。一花と柊馬がその話をしている最中、インターフォンが鳴った。注文したデリバリーが届いたようだ。一花は柊馬を押しのけ、ウサギのようにぴょんぴょん跳ねながらスリッパを履き、玄関へ向かった。二人とも、すでにお腹が空いていた。一花は食器を取りに行き、一本の映画を選んでスクリーンに映し出した。柊馬と一緒に、映画を観ながら夕食をとっていた。だが今
一花は柊馬の唇に軽くキスをした。「キャンディでも食べたの?すっごく甘いわ」彼女が離れるやいなや、柊馬がまたキスをしてきた。前回のような深いキスではなく、本当にただそっと触るだけだった。「なら、もっと味わってもいい」「……」一花はもう耐えられない。柊馬は一体、どうやってあの冷酷すぎる顔で、人の骨まで解かせるほどの甘い囁きが言えたのだろう?「お腹空いたわ」一花は甘えた声で言い、瞬きしながら柊馬を見つめた。「でも私……まだ動きたくないの」外はすっかり暗くなり、彼らはまだ電気もつけていない。二人も、お互いから離れたくない、立ち上がりもしたくない。一花はまだコートを脱いだだけで、服すら着替えていなかった。「分かった。じゃあ、俺が作ってあげる」柊馬がそう言って立ち上がろうとすると、一花にまた腕をつかまれた。「あなたは怪我人よ、疲れちゃダメ。料理してくれたら、私が心配しちゃう」一花はわざとらしく、柊馬の耳元に口を寄せてこう言った。柊馬の耳の後ろが赤くなり、体がまた熱くなってきた。彼はすぐに手を伸ばし彼女の腕を押さえつけた。「心配しなくていい。俺はそうしたいんだ」「……」しかし、口では「そうしたい」と言いながらも、そのまま離れるそぶりは見せず、むしろまた何かをしたがっているようだ。一花も、柊馬をあまりからかわない方がいいと知っていた。医者からは何度も、激しい運動は絶対に避けるようにと言われているのに。彼女はすぐに体をひねり、手を伸ばして携帯を取りながら言った。「デリバリーを頼みましょ」「……」柊馬は止められたが、まだ諦めず、一花の体を引き寄せてまた抱きしめた。「俺も見る」「じゃあ、何が食べたい?」食べ物を見ようと言うくせに、一花が彼に尋ねると、柊馬は上の空で、少しも気にかけておらず、まるで彼女の顔のほうが食べ物より魅力的なようだ。彼は息をのみ、一花が何を言っても、すべて「いいよ」「美味しそうだ」「まあね」としか答えない。これでは永遠に決まらない。一花は結局、自分で決めることにした。デリバリーが届くまでの間、二人はソファの中でイチャイチャしていた。柊馬は背が高く、二人で寝転がっているとベッドよりもずっと親密に感じられる。最初、一花は身動きが取れず少し居心地が悪かったが、







