16話ルール
遠くから見る事しか出来ない。僕の側に行こうと覚悟を決めても、体が動かない。罪悪感からくるものか、恐怖からくるものなのか、それは彼にしか分からない。「いいのですか、社長」「いいんだ。ここで」 ゲンは秘書にそう伝えると、それ以上踏み込んでこないように、一線を張った。仕事上、プライベートに口出しするつもりはなかった。しかしタミキの兄であり、ゲンの息子でもある、カケルからしたら、昔の事を振り返すのではないのかと心配でたまらなかった。仕事の話は家には、持ち込まない。そしてプライベートの詮索も同様。ミナモト家はそうやって切り分けながら、立ち回る事で個々を大切にしようとしている。そのルールを破ろうとしたカケルに対して、失望とやるせなさが顔を出し始めた。「話は終わりだ。お前から連絡があって、何かと思えば、昔の事を掘り返すつもりなのか?」 苛立ちを隠せないのだろう、口調が少しずつ厳しくなっていた。落ち着いた空間も、僕の姿を見た瞬間に、ピリついた空気感が纏い、支配しようとしている。「そんなつもりは……申し訳ありません」 何も知らないままで、時が過ぎていく前に、対策は必要だ。その事を誰よりも知っている二人の複雑な思考が絡みあっていく。 それ以上、言葉は必要ない。全てはタミキの将来の為。僕があの時の事を覚えていない事を知っているゲンからしたら、好都合だった。だからこそ、これ以上、揺さぶってはいけない。「行くぞ」 簡潔に話を終わらすと、プレッシャーを放ちながら、その場を立ち去っていく。 複数の糸が絡みつきながら 二度と解けないパズルのように 複雑に組み合わさっていく それを阻止する事も なかった事にするのも もう遅いんだ 病室でスマホを触れない。僕の状態が通常ではないのもあるが、杉田が医者に告げ口したからだった。タミキに通じる通信網は、全て遮断させたかった。いつもの日常に戻る前に、杉田の知っている僕に戻す為でもあったのだろう。そんな気持ち31話 体も心も洗脳された僕 悪夢に魘される事が極端に増えた。タミキの語る内容に連動して、調子が崩れていく。最初は、ただの創作話だと思っていたのに、妙に現実味がある内容に、本当にあった話じゃないかと思うようになっていた。 最近は彼の言う事が少しずつ分かってきた気がする。過去の自分はどれだけ、他者に甘えていたんだと思い知る程に。 「頭、痛い」 抑えようとしても、感じないように意識を注いでも、痛みからは逃れられない。まるで呪縛のように感じた。こうやって侵食されていくんだろうか。これから自分がどんな姿になっていくのか、不思議と不安はない。環境に慣れてきたからかもしれない。 「今日も頭痛、ひどいの?」 僕の顎を上げると自分の口の中に錠剤を入れ、水を含んだ。そこには抵抗はない。ただ流されるように受け入れた。溢れないように唇で蓋をすると、ゴクンと飲み込んだ。薬を飲めた事を確認すると、口内を舐め尽くし、離す。 「効き目には時間がかかるよ。今日は激しい事はやめとくから、ゆっくり休めよ」 急にあの時のタミキが戻ってきたような気がした。僕の前から姿を消していたはずなのに、狂気の間に隠れながらも、顔を出した。その時、自分自身でもいいようのない感情が溢れていった。 「ありが……とう」 一つの面だけ見れば、僕の知っていたタミキの姿は見えない。狂気に塗れながらでも、こうやって与えられる飴がじんわりと心を満たしていく。 彼は変わらない。きっと僕が見えていなかっただけだった。 自分の中で何かが生まれようとしている それは彼の全てを受け入れたいと言う 一つの欲求に変わりながら 時は流れていく あれから何回も派遣されてきた探偵の姿を見る。この廃墟に入れろうと
30話 もしもの世界 考える力が無くなっていく。それでも一つの希望を目指して這いあがろうとしている自分がいた。 もしも違う道を選んでいたら、僕はどんな日常を手に入れていたのだろう。 ゆっくり呼吸をすると、安心感が体を満たしていく。自分の描いた妄想が形になり、もう一つの現実を僕に知らしめようとしているのかもしれない。 僕とタミキしかいない、この世界よりもずっと清らかで、温かい日々が映り込んでいく—— 目を覚ますと僕はベッドに横になっていた。辺りを確認すると、そこは僕が生活していた部屋だった。昨日、杉田から聞かされた話を全て鵜呑みには出来ない。それでも説得力のある言葉達に、心が揺れているのも事実だった。 「おはよう、よく寝れたか?」 ソファーに座っている杉田は一睡もしていないようだ。僕の様子を見る為に、無理をしていた。こんな長時間、彼と一緒にいる事は、初めての経験で、新鮮さが溢れている。 「ありがとう、杉田は起きてたの?」 あえて指摘をすると、部が悪そうに、頬を掻きながら、照れくさそうに笑う。その姿が少年のように輝いて見えたのは、内緒。 「昨日の話さ。全てを信用は難しいけど……僕もタミキには違和感を抱いてるんだ」 ふとした時の表情や、時折見せる表情がどうも引っかかっている。その事を杉田に、正直に伝えてみると、悲しそうに微笑んでくる。その瞳は揺らいでいて、僕の立場を考えたら、やるせない気持ちになった。 「そうだな。自分の目で確認して、付き合い方を決めればいい。それでも念のために距離は空けた方がいいと思う」 親友の提案を頭の片隅に入れると、複雑そうな表情で受け入れる。人には表と裏がある。中には素直に自分を表現している人もいるが、本性を隠して生きている人がいるのも、事実だ。警戒心の薄い僕にとっ
29話 新しい自分 あれからどれぐらいの時間が経ったのだろう。食事と飲み物の時は両手の鎖を外してくれるようになった。最初は逃げようとタイミングを見ていたけど、どうしてだろう。こんな日々を送っているせいか、外の世界がとてつもなく恐ろしいものに思えて、自分から逃げ出せなくなってしまった。 タミキの命令は絶対だ。少しでも反発すると複数の媚薬を混ぜて作った速攻に効き目が高まるものを飲まされる。あれを飲まされる時は、現実の境目が分からなくなってしまう。自分の知っている自分が消滅していく感覚が、恐怖として記憶の一部として上書きされていく。力で支配されるよりも、精神的に支配されている感じだった。 「いい子だね。俺の恋人は」 タミキの愛は歪んでいる。愛してるから苦しめる、愛しているから泣かす、愛しているから支配する、理解出来なかった僕も、彼の当たり前の考えを受け止めるしか出来なかった。そうじゃないと、生きていけないと思ってしまったんだ。 「まだ、怖いかな。だいぶ俺の事、理解してきたんじゃない? ずっと見ていたんだ。君が俺の前から消えた、あの時から」 どうやって声を出していいのか分からない。かなりの間、話す事を放棄していた僕は、いつしか自分の持つ言葉の意味も、使い方も、全てが異次元のもののように思えるようになってしまった。 「ゆっくりでいいよ、君の声を聞きたいんだ」 話すなと言ったり、喋ろと言ったり、タミキは何を求めているのだろう。今まで見てきた、彼の優しさは僕を陥れる為の、嘘だったのだろうか。 今になっては、どうでもいい事なのかもしれない。僕は自分から彼の用意した鳥籠に、足を踏み入れたのだから—— 「あ……ああ」 「そうそう、上手じゃないか。上手く出来たね、ご褒美をあげようか」 首輪は僕の全てを縛る。久しぶりに出した自分の声は、今まで聞いた事のない音をしている。真っ暗な視線の先に、光のは憎しみの混じった
28話 予知夢と現実 気に入らない人間とのコンタクトを全て遮断していくタミキの姿に気づく事はない。すやすやと夢の世界へ入り込んでいる僕をチラリと確認すると、作業の続きを再開する。杉田を含め、僕に悪影響を与える人物をブロックしていく。電話は勿論、その他の連絡手段も。これ以上、邪魔が入らないように、先に手を打つと、ドッと疲れが出てきた。 集中していたのだろう。僕を起こさないように配慮をしながら、作業を続けていく事は、大変だった様子。「これでいいかな」 タミキの知らない所でグループには入っていた僕をよく思わないタミキは、今までの履歴を全部削除した。連絡先は消すよりも、置いておく方がいいと判断した。じゃないと気づかれる可能性があるからだ。 例え、気づかれたとしても、スマホがバグったとか言えばいい。単純な僕を操作する事なんて、タミキからしたら簡単だったらしい。 熟睡している僕の髪を撫でると、疲れも癒しに変わっていく。サラサラと手にまとわりつきながら、軽く握りしめた。 二度と離すものかと誓いながら—— ◻︎◻︎◻︎◻︎ 最初は素敵な夢だった。タミキと抱き合いながら毎日を幸せに過ごしていく宝物のような夢。その夢がガラスのように、壊れた瞬間に、全く正反対の映像が現れたんだ。 狂気に狂ったタミキが僕をモノ扱いしながら、追い詰めて弄ぶ夢だ。タミキは沢山の言葉達を巧みに使いながら、僕の思考を変えていった。当たり前と思っていたものが、異変になり、異変だと思う事が当たり前に書き換えられていく。「誰にも渡さない。君は俺のものだ」 瞳孔が開いたタミキは、まるで獣のようだ。その姿は僕の知っている彼とは違う、別次元に生きる魔神のように思えてしまう。 言う事を聞かないと、力づくで押さえ込まれてしまう。この環境には僕の意志なんて必要ないと知らしめるように。 夢ならいいのに、夢なら。「なん……で」 揺さぶられながら、目を開けると、そこには心配したよう
27話 移り変わる世界 一部の噂に尾鰭がついて、歪んで捻じ曲がって真実が書き換えられていく現実を目の当たりにしている杉田は、否定こ肯定もせずに、周囲がどう動くかを見ている。自分に押し付けられたスキャンダルを利用する手は今しかないと、人間関係に振るいをかけ始めたのだ。どんな状況に陥ったとしても、それでも自分を見てくれる人達を見ていこうと考えていた。その中には勿論、庵もいる。そう彼は信じてやまなかった。 例えタミキの毒牙にやられても、庵は庵のままなのだからと、形のない信頼と信用を心の中で抱いている。それが杉田を支える、大きな力になっていたとも知らずに—— 信じる事がどれだけ大変な事かを 忘れていた僕達は 全てを失ってからやっと そのかけがえのなさに気づいていく パリンと窓ガラスが飛び散ると、その破片がタミキめがけて攻撃を開始した。正気を失った僕を見下ろしながらも、邪魔ばかりしてくる外野に怒りを抱きながら、兄に電話をかける。「この場所特定されてんの? 邪魔してくる奴がいるんだけど」 面倒くさそうに言葉を吐き捨てると、要件だけを伝え、荒々しく電話を切った。壊れつつある僕を弄びながら、身体中にキスマークをつけていくと、満足そうに悦に浸った。タミキの言葉は、もう僕の耳には届かない。最初は豹変したタミキを落ち着かそうと抵抗していた僕も、何ヶ月も自由を失い、牢獄の中でしか生きれないと思い込んでしまうと、簡単に彼の指示を受け入れてしまう、ただの下僕に成り下がっていった。首には何度も何度も絞めらつけられた跡が、痛々しく浮き彫りになっている。「本当可愛いね、庵は」 食事に混ぜられていた媚薬が、今日も僕を発情させていく。悪い夢を見ていると、現実を受け止められなくなった僕は、どんどん弱っていった。「つっ、きつ」 解す事もせず、急に僕の中へと入ってくる。メキッと肉壁が悲鳴を上げると、涙を流すように、血が滲んでいった。「痛くないでしょ、薬が効いてるから。ああ、やべ」 荒々しく腰を打ちつけると、無意
26話 切り捨てと信用 二人で昼ごはんを食べていると、急にテレビをつけた。タミキはテレビをあまり見ないが、自分の番組や情報を取り入れる為に見る事はあるらしい。二人でいる時はなるべく、仕事の事を考えたくないようで、見ない事が殆どだ。 「珍しいね。タミキがテレビを見るなんて」 「そう?」 「うん。僕といる時は見ないじゃない」 いつもと違う行動を見せるタミキを見つめると、少し恥ずかしそうにしている。どうしたんだろう。 「そんな見つめられると、恥ずかしいだろ」 人の目に慣れているタミキから、そんな言葉が出てくるなんて、と軽くカルチャーショックを受ける。そんなに見つめていたのかと、こちらが照れてしまう。顔に出ている感情を隠そうと、ご飯を思い切りかき込んでいくと、テレビの音から溢れた音が、僕に衝撃を与えた。 「え」 聞こえてきた名前を再確認すると、自分がよく知っている人の名前が表示されていた。テレビには彼の経営する美容室が映っている。 「なんで」 その店は、僕がよく知っている店だった。そう、杉田の店だ。場面は切り替わると、違う会社の映像へと映った。二つの顔を持つ、会長の真の姿と表現されている。 「杉田だな」 全てを知っているように、呟くタミキは、何の動揺もない。僕だけが蚊帳の外で、何も知らなかった事にショックを受けた。 「噂は本当だったんだな。男性タレントをおもちゃにしてるって」 見せつけるように、現実を語るタミキからは冷酷さしか感じられない。そりゃそうだろう。信じていた人に、こんな裏側があると知ってしまえば、軽蔑するのもおかしくない。 「何かの間違えとか……」 「それはないだろうな。確証がないとこんなふうにはならないよ。今までは上手く隠していたのかもしれないけど、そう簡単