ルールは簡単。
全く同じ酒を同じ量、同時に飲む。飲めなくなったら負け。酒の指定は交互に。この酒の指定が、結構くせ者だ。慎さんは、ギムレットやマティーニみたいな酒で酒を割るような強めのカクテルばかり指定してくる。やべえ。本気だ、と、危険を感じた俺は慎さんが苦手そうな酒を、と考えたがわからない。もしかしたら甘い系が苦手かとカルアミルクを指定してみたが、逆にこっちが悪酔いしそうになって、炭酸系に切り替えた。そしたら、慎さんは酒を考えるのが面倒になったのか、全部ストレートで指定するようになってしまった。
「マッカラン、ダブルで」
まじか。
量もシングルからダブルに増えやがった。しかも俺が頼むソーダ割だとかがチェイサー替わりになったのか、もはや水も飲まずに酒だけ飲んでいる。「ど……どんだけ……」
「大丈夫ですか?」
頭が、ぐらぐらする。
視界がはっきりしなくなって、つい泣き言が漏れた。大丈夫なわけねえ。
目の前にはずらっと並んだ、空のグラス。何杯飲んだか、もうわからね。「大丈夫、っす」
だけど、ここで引いたら。
もう二度と、会いに来れなくなる。「何か話しますか」
マッカランのグラスを煽ってなんとか空けて、俺はまた、モヒートを頼む。
好きだからってのもあるし、炭酸でちょっとでも慎さんの胃を膨らせようと狡い手段だ。慎さんの声に、返事をしたかあんまりさだかじゃない。頷いた気はする。<
小言の相手がその調子では毒気も抜かれるというもので、手を握られたまま離れることもできず、そのまま枕元の床に腰を下ろした。「暫く、居てくれるんすか」「そうですね。後でキッチンを借りてもいいですか」「キッチンでもなんでも。暇になったらDVDも結構並んでるんで自由に見てください」言いながら、握った僕の手を指でさらさらと撫でている。これが、すごく、くすぐったいのだ。手が、じゃなくて。気持ちが。「良かったんすか」「何がですか?」「妹に。俺は別に、なんて思われても気にならない性質だし、慎さん無理しなくて男で通してて良かったのに」「いくらなんでも、そんなわけには……」「俺にはちゃんと女の子だし、それで充分なのに」「……」ぼぼぼっ、と顔に熱が集まったのは、陽介さんにも見られただろうか。薄暗がりだから、バレなかったと思いたい。なんてことを、照れもせずに言うんだろう。聞いてる僕の方が、脳が沸騰しそうなくらいに恥ずかしい。「あ、貴方こそ」熱の引かない頬をそのままに、僕はちょっと彼を睨むようにして話を変えた。「貴方こそいいんですか。思ったより随分、かっこつけです。こっそり、飲み比べの代金支払ったでしょう」「あ……バレた。やった」「やった、ってなんですか」「だってバレた方が慎さんに「カッコイイ」って思ってもらえるじゃないすか」「……その下心を自分からバラしてどうするんですか」呆れた。けど、可笑しい。手を繋いでいる方の腕に顔を伏せ
冷えピタが斜めだ。案外、元気そうな表情で良かったけれど、熱の所為か少し顔が赤い気がする。目も少し潤んでいるのはやっぱり熱のせいだろうか。「来てくれたんすか……」「あ……うん。一人暮らしだと大変だろうと思ってつい……でも、妹さんがいるなら、帰ります」顔を見た途端、なんだか急に恥ずかしくなって視線を逸らす。意気込んできてしまったけれど、近くに妹さんがいるならほんとに余計なお世話だった。かー、と顔が熱くなるのを感じて慌てて下を向いた。「いや、すぐ帰ります、バイトあるはずだし。ああ、でも移したくないから昨日も店行くの我慢したのに……」「いや、三十九度あったんでしょう、何言ってんですか」帰ると言ったのに、話しながらしっかりと手を握られてしまって、逃げ出すこともできなくなった。「……遊園地、行きたかった。けほっ」「そんなの、熱が下がったらいつでも……」ケホコホと咳をしながら、僕の手を持ち上げてキスをしかけたものの躊躇って頬ずりに変えた。多分、風邪の菌が移ったら、とか色々考えたのだろうけど。最早、手にキスするのはこの男の癖か習慣のようになってしまっているらしい。「ちょ……お兄ちゃん?」その声に、はっと我に返る。陽介さんの影に隠れて全く見えていなかったが、すぐそこに妹さんがまさにドン引きといった顔で立ち尽くしていた。「ちょっ、陽介さん、手! 離して!」ぐいぐいと引っ張るも、少しも抜け出せそうにない。馬鹿力なのは熱があっても健在か!いくらなんでも妹にゲイだと思われるのはマズかろうと、必死で離れようとしているのに。陽介さんは相変わらず周囲には目もくれず手を握ったままで、ふと僕の鞄の中が目に入ったようだった。「こないだ置いてったワイシャツ、持ってきてくれたんすか」「あ、はい。一応アイロンはあてておきました……じゃなくて手を!」「ワイシャツを脱いで置いてくような……仲?」ああああ!彼女の勘違いが更に確信を深めて、愕然とした顔で僕と陽介さんを見比べている。「ちが……違います、これは」「……お兄ちゃん、その人、付き合ってる、とか?」「うんそう。こないだから」「ちょっ!」彼女の勘違いに、気付いてないはずないだろう!なんで何も言わないんだ!陽介さんはあっさりと認め、それ以上弁明しようとしないから。ああ、もう! 「女なんです
げほん、ごほんと、痰の絡んだ咳が携帯電話の向こうで聞こえる。「風邪?!」『す……すんませっ、なんとか気合で治そうと思ったんす……け……ど……』語尾に力が無くなったかと思うと、数秒の沈黙の後、またげほごほと激しい咳の音がした。「ちょっ……大丈夫ですか?」『けほっ……すんません。すげー行きたいのに、慎さんに移したら、と思うと』「熱は? 病院は行ったんですか」ところどころに鼻を啜る音と咳が混じっていて、声が全体的に弱々しい。結局既読が付かないまま朝を迎えて、電話が鳴ったと思ったら風邪を引いてしまったと言う。『昨日、仕事早めに終わって病院行って、インフルエンザではなくって、薬は貰ったんすけど……』「は?!……昨日から?! なんで言わないんですか!」『すんません……だって、どうしても、遊園地が……熱さえ下がったら行けるかもって』「そんなことはどうでもいいんです馬鹿!」めそめそと泣きそうな声に一言「寝てなさい!」と付け足して、通話を切った。馬鹿だ、ほんとに馬鹿!昨日なら僕も休みだったのに、なぜ言わない!男の一人暮らし、体温計はあるんだろうか。なんか、「俺は風邪引かないっすから!」とか言って何も持ってない気がする。念のため体温計と水枕と。どれくらいの熱なのかを結局聞きそびれたけど、途中でスポーツドリンクとゼリーを買って。あ、冷蔵庫に冷えピタがあった。トートバッグの中に必要な、思い付く限りのものを放り込んで、一番上に返せていなかったワイシャツをビニール袋に入れてから乗せる。陽介さんのマンションの場所は、ちゃんと覚えている。よくもあの時、連れてってもらっていたものだ。駅を降りてから、一本道だったはず。外観はあまり覚えてないけど、なんとかなるだろう。コートを羽織って真新しいスニーカーを引っ掛けるようにして履くと、僕は慌てて部屋を出た。スポーツドリンクのペットボトルやらゼリーやら、水物ばかりで重たいスーパーの袋を引っ提げて、迷わずに陽介さんのマンションの前に着いたものの。携帯にメッセージを送っても反応が無い。熟睡してしまっているのかもしれない。「……しまった」勢いで来てしまったけれど、よく思い出せば僕は「寝てなさい」と言っただけで、今から行くとは一言も言わなかった気がする。インターホンを押してもやっぱり反応はなく、余り何度
貴方に比べれば大抵のものは小さくて可愛く見えるでしょうけど。一般的に、僕は可愛らしい部類には入らないと思うけど。それでも、彼が嘘やお世辞を言ってるようには見えなくて、本気で可愛いと思ってるんだろうと信じてしまう。それが、すごく、くすぐったい。二つ並んだ大小の手を見ていたら、いつも大型犬さながらに嬉しそうに懐いて来る姿が浮かんで頬が緩んだ。約束の遊園地には、きっと並んで歩いても僕と彼は普通のカップルには見られない。友人かゲイカップルといったところだ。多分それでも陽介さんは、楽しそうに笑ってる。そんなことを考えながら、手とか服越しに触れてる肩や腕に伝わる体温が心地よくて、いつの間にか僕もすっかり寝入ってしまい。次に目が覚めた時には僕はベッドに寝かされていて、陽介さんは帰ってしまった後だった。”ワイシャツが見つかんなかったのでスエットの上借りて行きます”と置手紙を残して。もしかしたら見つからなかったんじゃなくて、洗濯機の中だろうと気が付いても開けちゃいけないと思ったのかもしれない。中には陽介さんのワイシャツしか入ってなかったから、開けてくれて構わなかったんだけど。それに、起こしてくれたらよかったのに。少し首を傾げたけれど、きっと彼もいい加減疲れが溜まっていて早く帰って休みたかったのだろうと、納得した。―――――――――――――――――――十二月というのは、ただでさえ客の多い稼ぎ時で、特に九時以降くらいから忙しくなる傾向にある。忘年会シーズンで、一次会若しくは二次会まで終えた後での来店が多いからだが。クリスマスイブ前後はカップル客も多く、その後すぐに十二月最後の土日があり、立て続けの忙しさに僕の方も余り余裕がなくなっていた。陽介さんもさすがの忙しさに遠慮したのか終電を待つことなく帰って行って、ゆっくり話すこともできないまま。二十八日の朝方、年末最後の客が帰り、漸く仕事納めとなった。「はいよ、十二月分」「ありがとうございます」佑さんから、給料袋を受け取った。当然の如く、今どき現金手渡しだ。然し乍ら、今月は少ないはずである。先日の飲み比べの代金を、給料天引きでお願いしていたからだ。「あれ?」「なんだ? 少ないとかいうなよ」「少ないのはいつものことだけど、此間の飲み代が引かれてない」正味酒代程度にしてくれたとしても
【神崎慎】ただでさえ、しょっちゅう店に来て大丈夫なのかと思っていたのに。この頃の陽介さんは毎日来店し、毎日深夜遅くまで店に居て、僕は客がいれば相手をすることもできないのにそれでも居る。休日前は当然の如く、閉店まで居て朝まで……つまり僕が部屋に戻るまで一緒に居たがって、最初は付き合うとはこういうものかとも思ったが。これでは、陽介さんは寝る時間が殆ど取れてない。寝れるときに寝てます、とかなんとか言っていたけれど、どうだか。身体を壊しちゃ、元も子もないではないか。今夜も一時間で帰れと言ったのに、結局終電を逃すまで、居た。翔子さんが来た辺りから何かそわそわした視線が飛んで来るから、僕のことを気にしているのは伝わってきたけれども。全く気にならないと言えば嘘になるけれど、気にしたって仕方がないし普通に接客するしか僕にはできない。漸くラストの客が帰って、軽く伸びをしてから肩を回す。「陽介待ってるだろ、後は片付けとくから部屋行ってやれば」「いい。寝てるはずだし、片づけぐらいやる」「どうだかなー……好きな女の部屋に居て寝れるほど無欲なタイプにも見えないけどなー……」……だったら尚更ここにいる。部屋に二人きりになって、そういう雰囲気になる勇気はない、まだ。全部片付けてから、そーっと部屋に様子を見に行くと。「ベッドを使ってくださいと、言ったのに」気が引けたのだろうか、それとも僕が終わるのを待っているつもりだったのだろうか。出しておいたスエットには着替えているけれど、ソファの足元に座って大きな身体を凭せ掛けて眠っていた。近くでしゃがんで顔を覗き込むと、すー、と静かな寝息が聞こえる。起こすのは可哀想になるくらい、気持ちよさそうに熟睡して見えた。かといってベッドに運ぶなんて芸当ができるわけもない。仕方なく毛布を引っ張ってきて足元から肩まで、かけようとしたのに足りなかった。ついでに言うなら、佑さんのお古のスエットもつんつるてんだ。全く丈が足りてない。……サイズ、幾つくらいなんだろう。脱いであったワイシャツを洗濯乾燥で回しておいて、シャワーを浴びて戻ってきても、彼はまだ眠っていた。当然と言えば当然なのだ、彼の寝不足はもう慢性化しかけているのじゃないだろうか。また近寄って、起こさないように気を遣いながらも彼の目の下に少し触れた。ぴくん、と
時間を確認して、すぐに悟る。「だめだ、走っても間に合わねっす……あのOLさんがまだ居るから、てっきりまだ時間あるもんだと……」「あの方は家が近くなので、終電も関係ないんです」まあ、でもそれならそれで、始発までここに居座る理由が出来た、と俺は逆に喜んでいたくらいなんだけど。慎さんは、怖い顔をして数秒黙り込み。「……暫く、待っててください」と言い残して、ふいっとカウンターの奥の慎さんの部屋の方へ一度消えてしまう。やべ、いよいよ本気で怒らせたかもと気が気じゃなくて、すぐに戻って来た慎さんに話しかけようとしたけれど、彼女はそのままOLさんの方へ行ってしまった。それから数分程、変わらず話をしていた様子だったが、女性が席を立って化粧室に向かった時だった。「陽介さん」とカウンターの中から手招きをされた。「え、なんすか」「こっち。今なら、誰も見てないですから」カウンターの中へ入るように促され、近寄ると手を引っ張られて、前にも一度だけ入ったことのある扉の奥へと押し込まれる。「あの、慎さん?」「一度入ったから知ってるでしょう? あのお客さんは多分、朝方まで帰らないのでまだ長くなります。スエットも出してあるし、ベッド使ってもらっていいです」言われたことを把握するのに、一瞬時間がかかってしまった。が、つまり。ベッドを使っていいから休んでいろ、ということらしい。休めるか!余計興奮するわ!じゃ、なくて!そりゃ、どうせ休みだし朝までいたら慎さんと一緒に居られる、とか考えてはいたけれど。「いや、大丈夫っすよ。慎さんまだ仕事してるのに」「僕は貴方が仕事してる時に寝てるんですちゃんと!」どん、と胸を突かれて迫力負けしてしまう。その一瞬で下から睨みあげられて、また言葉を飲み込む羽目になる。「さっきから貴方が何か申し訳なさげなのは伝わってますが、僕はバーテンダーだし貴方の元カノが来たところでちゃんといつもどおり接客するだけのことです、貴方が気に病むことではありません、それと」それと。とそこで、一旦言葉を区切り、彼女は目線を落とすと眉間に皺を寄せたまま、少し頬を染めた。「……心配してるんですこれでも。伝わりませんか」「え……」「少し、隈が出来てるし。この前は、僕のせいで無茶な酔わせ方をしたし、心配してはいけませんか」いけないことなんてありませ