すらりとした立ち姿だが、然程高くはない。多分、170と少しくらいだろうが、小さな顔と長い手足が実際よりも長身に見せている。
「佑さん、これ。モンヴィーゾ」 「サンキュ。#慎__まこと__#、ここ頼むな」 マスターが真空パックされた何かを受け取り目の前からカウンターの隅へと移動する。代わりにそのマコトと呼ばれた男が正面に立った。すっと通った鼻筋に、ふたつの目は恐ろしいほどに均整がとれていた。これが黄金比というやつだろうか。地毛なのか染めているのか、明るい髪色は日本人離れした顔立ちによく似合っている。緩くウェーブのかかった長めの前髪の間から、切れ長のアーモンド形をした目がたっぷりの色気を湛えてこちらを見ていた。
店内の少しオレンジ色を滲ませた灯りの中でもよくわかるほどに白い肌と、ビスクドールのように整った双眸は、確かに『美人』だ。
「いらっしゃい浩平さん。珍しい時間帯ですね」 「ちょっとね、今日は散々コイツに振り回されてんの」 浩平と話す穏やかでしっとりと柔らかいアルトを聞きながら、思わずじっと凝視していると、その薄茶色の瞳がこちらを向いた。 「こちらは初めての方ですよね。いらっしゃいませ、ようこそbarプレジスへ」 「どうも。高見です」 澄ました顔で答えたものの、ちょっとびびった。いやいや落ち着け俺。
いくら綺麗でも男だから!っつかなんで苗字名乗ったの俺。
俺も名前で呼ばれたかった! 「何澄ましてんだよ陽介」 「たっ」 ばしん、と後頭部を叩かれて頭が前方に垂れる。 「何すんだよ」 「気取ってるからだろ」 「んなことないだろいつもこんなんだろ」 浩平と馬鹿なやり取りをしていたら結局化けの皮は剥がれてしまった。くそ、ちょっとくらい気取らせろ。
普段居酒屋ばっかりだから、微妙に緊張するんだよ。妙に小慣れた感じの浩平に敗北感を抱かされ横眼で睨んだら、目の前からくすりと含み笑いが聞こえた。
「何かお作りしますか?」 その声に視線を向けると、男の目がすっと下に落ちて空のグラスを示している。 「あー、じゃあ、同じもので」 「かしこまりました」 カクテルなんてそれほど詳しくもないし、咄嗟に思い浮かばなくて結局そう答えた。慣れてないのなんてきっとバレバレなんだろうな。いくら気取っても隣から破壊されるのだから、もう開き直るしかない。
「あ、あの……。慎さん?」「……聞きたいことは、幾つかありますが」「はいっ、なんでも答えますんで、まず離れて……」「いつの間に、篤と話したんですか」「あ……えーと……」「お正月。帰り際?」いつの間にか、本当に二人きりになっていた。っつっても、ロビーだし時折人は近くを通る。いつもなら、彼女の方が恥ずかしがって離れるのに、今は逆に俺の方が狼狽えていた。離れて、と頼んだのに未だ縋り付いてくる彼女の腰に、つい手を回してしまいそうになる。彼女の身体の感触と匂いと声にくらくらして、正月の時の出来事も全部綺麗に白状させられてしまった。「なんで僕に言わないんです」「あの日慎さんかなり動揺してたし、俺もめちゃくちゃ頭に来てたとこだったから……謝罪なんて聞くか、二度と慎さんの視界に入るなお前も入れるなって勝手に言っちゃって」「また、無茶苦茶なことを……披露宴があるのに」「わかってましたけど、どうしても慎さんの視界の中にアレが侵入するのが嫌だったんです。あんな奴の話を聞かせるのも嫌だし。でももしかしたら、慎さんは謝罪くらい、聞きたかったかもしれないと……」本当は、黙ってたことを悪いなんて思ってない。あの日の真琴さんに対する無神経な言葉を、悟られたくなかったからそれで良かったと思ってる。だけど結局、怖い思いまで、させてしまって。あいつに謝罪の気持ちなんてほんとは更々ないことを、慎さんは気づいてしまっただろうか。例え不審者扱いされても、あの場にかじりついて離れなければ良かったと、情けなくて、申し訳なくて。だけど
……布団だ。ぽん、と頭に浮かんだのはそれだった。年末、慎さんが家に泊まった時に、ベッドの譲り合いになり結局ソファに寝かせてしまう結果になった。その時に、慎さんが気兼ねなく安心して泊まれるように布団を買おうという話になっていたのに、まだ買えず仕舞いだったのだ。慎さんの、あの可愛い誘惑については今は考えるな。考えるほどに、我慢が利かなくなる可能性がある。とりあえず、一緒のベッドで寝ることだけは避けなくては。今夜ばかりは、『我慢してみせます』とはとてもじゃないが約束できない。帰りにホームセンターかどっかに寄って、布団を買おう。向こうに戻ってからでもいいけど、この近辺にももしかしたらあるかもしれない。検索してみようと携帯電話をポケットから手に顔を上げた時だった。「お客様、何かお困りでしょうか」と、男性従業員がすぐそばまで近寄ってくる。「あ、いえ。すみません、ちょっと人を待ってるもんで」その表情はにこやかだったが、若干不審に思われていたのかもしれない。もう二時間近く、ここで頭を抱えたり貧乏ゆすりを続けていたのだ、確かに不審すぎる。「それでしたら、あちらのラウンジもございます。どうぞこちらへ」従業員の態度は極めて柔らかく笑顔を絶やすことはないが、明らかに不審者かどうかを確かめに来ているような空気を感じる。当然といえば当然だ。確かに、待ち合わせならラウンジカフェなど利用する。『じゃあ、”夕鶴の間”の前で待ち合わせな』なんて、披露宴に無関係の人間がそんな約束の仕方はしないだろう。不審者かどうか確認できるまで、目の届くところに誘導しようとしているのじゃないだろうか。
「それじゃ、行ってくる」披露宴会場前のロビーで、慎さんが振り向いて小さく手を振った。まだ少し照れを残した表情に、少しの不安も混じり合わせて複雑な顔だった。だけど多分、俺の方がずっと狼狽えた顔をしていたと思う。ついさっき慎さんに耳元で囁かれた言葉に、なんて返すべきかおろおろしているうちに、受付前まで来てしまって。それ以上に、この披露宴を慎さんが嫌な思いをせずに乗り切れるだろうか、それも心配で。どれだけ心配しても仕方ないことは重々理解していたから、結局出た言葉は。「ここで、待ってます」と、それだけ。もっと何か、彼女を力づけるような言葉を言えば良かったとすぐに後悔したけれど、そんな言葉も浮かばなかった。彼女の後姿を見ながら、背筋伸ばしてちゃんと歩けてるとか、ヒールに慣れてないけど大丈夫だろうか、とか心配は尽きなくて。ただ、はらはらしながら見送った。ロビーは広くて、ところどころにソファも設置してあり待機する場所がないわけではない。かといって、フロント前のロビーのようにチェックインやチェックアウト待ちの人間がいるわけでもないから、この場にとどまっているのは俺だけだった。立っても座っても落ち着かず、無意味に歩き回ったりしているうちに時間は経過して、漏れ聞こえる音で披露宴が始まったのだと理解する。それからまた暫く時間が過ぎても、手に持っている携帯にはなんの連絡もないし、彼女が逃げ出してくる様子もない。六年ぶりに幼馴染の顔を見るのだ、動揺しないだろうかと心配したけれど。とりあえず、今のところは大丈夫のようだ、と少し気が抜けた。途端に、頭の中でリピートされたのは―――もしも、今日僕が途中で逃げ出さないで最後まで披露宴を終えて戻ってきたら 今夜、貴方の部屋に泊めてくださいさっきの、慎さんの囁きだった。―――その時は陽介さんも、今度は途中で逃げ出さないでくださいねそれは明らかに、あの日トイレに逃げ込んだ時のことを示していて、彼女があの出来事を随分気にしていたのだと気が付いた。多分、俺が心配したのとは違う意味で。自分のせいで俺が逃げ出したのだと、彼女はずっと気に病んでいたんだろうか。このところの誘惑は、焦りだけでなく俺への申し訳なさ?彼女がそんな引け目を持つ可能性は、ちょっと考えればわかることなのに。多分、その重さを俺は理解してな
◇◆◆◇ホワイトデーの前日から、慎さんは店にきた女性陣に小さな包みにリボンをかけたものを、カクテルに添えていた。「中身は全部、お菓子なんですか?」「はい。全部クッキーですよ」後で俺にもくれたりするのかな。いや、今日は俺が彼女に贈り物をする日なんだけど。日付が変わると同時に一番に渡したいけれど、まだ客がいる時には渡せない。それがもどかしくて、最後の客が帰るのを今か今かとそわそわしながら待つ。「……あの、佑さん」「わーってるよ消えてやるよ。ってか、ここ俺の店なのに段々居場所なくなるんだけど」「へへ。すんません」慎さんがカウンターを離れた隙に、佑さんにもこっそり念押ししておく。早く二人きりになりたかった。「じゃあ、俺は帰るからな!」「お疲れさまです!」最後の客が帰ってすぐだった。カウンター内を粗方だけ片付けると、佑さんは約束通りさっさと店を出てくれて、漸く二人になれた。「ったく、佑さんは最近店閉めサボり過ぎです」「まあまあ。俺何か手伝いますよ」「いえ、もう終わりますけどね」カウンターの中でビニール袋の音がする。多分、最後のゴミをまとめているんだろう。その間、俺は今か今かとスツールに座って待っている。いつも、俺がすごく心待ちにしている一瞬が、実はあるのだ。やるべきことを終えたら、慎さんがカウンターを出てくる。ほんのちょっとだけ照れを滲ませた表情で、けれどなに食わぬ顔を装ってすとんと隣に座るのだ。一番最初は初めてキスをしたあの日。それから時々、こんな風に自分から隣に座るようになって、その時のちょっと不自然な感じがたまらなく可愛くて好きだ。「今夜もお疲れさまです」「陽介さんも、お疲れさまです。はい、これ。ホワイトデーです」こん、と目の前に置かれたのは、片手サイズの瓶に詰められた色とりどりのキャンディだった。「やった、俺にもくれるんですか」「陽介さんもチョコくれましたしね」「あざっす! 嬉しいです」なんで俺だけキャンディなんだろう。この時は、余り深く考えなかった。じゃあ俺も、とアクセサリーの箱を慎さんに渡すことで、頭がいっぱいで。「えっ……なんですか、これ」「へへ。ホワイトデーです」四角の赤い箱が、薄いレースのリボンで留められている。慎さんは訝しい顔で、リボンを解く。どう見たってアクセサリーが入っ
【ホワイトデーには愛の言葉を】俺の好きな人はとにかくめちゃくちゃ綺麗で、かわいいひと。「ベタぼれなのねえ。逆にチョコあげちゃおうって思うくらいだもんねえ」「もう、ほんと可愛いっす。優しいとこはあるんですけど、あんまり素直に言わないし」「うんうん」「そのくせ、これが好き、これが嫌いっていうのが結構はっきりしてて」「ふうん?」「嫌いってか苦手が多いんですかね? そういう時は眉間にきゅーって皺が寄ってそれがまた可愛くて」「おばちゃんにはどこが可愛いかわからないわー。ツンデレ?」「ツンデレ……素直にはデレてくんないですけど」「……どこが可愛いの?」くそぅ!彼女の可愛さを口で説明しようとするのは、とても難しい!チョコレートの行列で一緒になったおばちゃんには結局理解してもらえず、「まあお食べよ」と義理チョコを一個もらえた。事前にバレンタインの話をした時に、「ああ慎さんはすっかり貰う側なんだな」と思わされ、それがまた山ほどチョコレートに囲まれているところを想像するとやたらと似合うのですっかり納得してしまっていた。だから思いもよらずチョコレートを貰えた時は、すっかり舞い上がってしまって。しかも、「あーん」とか無意識の行動だったんだろうけどほんと、たまに出るそういうところがたまらなく可愛い。あれは、危険だ。俺の暴走は至極当然で仕方ないと思う。後でグーで殴られたけどそれでも幸せだった。ああ、そうだ。苦手なものは多くて好きなものは少ないけれど、その分一つの「好き」が結構深い。パンにはほんとに目がないらしくて、普段はそれほど食べないのにパンだと本当に美味しそうに食べる。多分、毎日買っていっても飽きずに食べてくれると思う。
注文したものと違うことに気がついたんだろう、 不思議そうに顔をあげた彼に他の客には聞こえないよう小さな声で告げた。「僕から、です」薄い琥珀色の液体に、ミントの葉を浮かべたそれを、陽介さんは一度、二度と口に運ぶ。そして、はっと何かに気づいて顔を上げた。「…………チョコレート?」「ば……バレンタインですから」さらりと、告げた。けれど内側は心臓がバクバクだった。良かった。気づいてもらえなければ、チョコレートグラスホッパーにギムレット、モーツァルトの午後、と思い付く限りのチョコレートカクテルを並べてやろうと思っていたのだが。僕が彼に作ったのは、チョコレートモヒートだった。百貨店で途方に暮れた僕の目に止まったのが、チョコレートリキュールが豊富に並んだ棚で。僕はそこから、何種類かのリキュールを手に取った。これなら、さりげなく渡せるかもしれない。それに何より、他のチョコレートよりも自分らしいと思ったのだ。「嬉しいです、こんなチョコレート初めてだ」きらきらと目を輝かせて、何度も味わうようにグラスを傾ける。彼の言葉や表情は、いつも感情が溢れていてわかりやすい。照れくさくてつい目を逸らしてしまう僕とは、本当に正反対だ。「甘ったるくはないでしょう? もっとも、色々あるので甘いのも作れますけど」こん、こんこん。とリキュールの小さな瓶を三つ並べる。ブラック、ホワイト、クリームの三種類。「陽介さんの名前でキープしときますね。それとも持って帰られます?