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第66話

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なんと、顔見知りだった。

ただし、「知り合い」は一方的なもので、彼女は霞を知っていたが、霞は彼女を知らなかった。

仁がドアを開けると、彩乃が入ってきた。

霞は物音に視線を向け、彩乃の姿を見ると、席を立つこともなく、軽く会釈した。

彩乃は霞の向かいに座り、仁に紹介するよう目で合図した。

「一条社長、こちらは夏目霞さんです。A大学コンピュータ科学科の名誉卒業生で、M国の名門大学の博士課程に在籍しています。大学時代は私と同級生で、一条社長の5期先輩にあたります」

大学時代の霞の成績は中の上だったが、卒業論文は優秀で、海外の名門大学からの合格通知を受け、優秀卒業生代表となったのだ。

霞は美人で、学科のカリスマ的存在だった。

仁は当初、彼女に片思いをしていたが、身分の差を知ってからは諦めた。

だから彼にとって、霞は憧れのような存在なのだ。

その憧れ人から助けを求められたのだ。仁が断るはずもなかった。

経歴紹介が終われば、次は彩乃が霞と会話をする番だ。これが普通の社交の場での流れだ。

しかし、彩乃は霞を一瞥すると、彼女を無視して仁に尋ねた。「彼女の用件は何?」

霞は眉をひそめた。

仁も驚き、場の空気がおかしいと感じ、冷や汗をかいた。「私……私は知りません」

彼は霞を見て、少し照れくさそうに言った。「あ……あの、自分で説明して」

霞は、彩乃の冷淡な視線に平静な視線を返した。熱意も好奇心もなく、親しくするつもりは全くないようだった。

この若い一条社長は、まさか自分のことを知らないのだろうか?

ここ数日、霞は静真と常に一緒にいたので、K市の上流社会では、彼女と入江グループの関係はほとんど知れ渡っており、ご機嫌取りに来る人が後を絶たなかった。

あの大富豪の息子、颯太でさえ、彼女に頼みごとをするほどだった。

だから彩乃の態度は、彼女にとって実に意外だった。

上流社会の仲間入りをする資格がないのか、それとも若気の至りで、わざと尊大な態度をとって、自分に釘を刺し、みじめなプライドを守ろうとしているのだろうか?

霞は彩乃をじっくり観察した後、苛立ちを抑え、平静な表情で言った。「御社にちょっとしたお願いがあって来ました」

相手が自ら口を開いたのだから、ついでに用件を尋ねるのが当然の流れだ。

彩乃は依然として口を閉ざしたままだった。

霞の苛立ちは募
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Comments (2)
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Yuka Murata
綾乃かっこいいー 月子の味方だもんね。 霞は敵だよねー
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桜花舞
綾乃、気持ちいい〜! 霞の顔知っててよかった
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