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第4話:全てを失う瞬間

Author: Sunny
last update publish date: 2026-04-29 17:32:13

会社を出て、しばらく歩いた。

足が止まる。

——私物が、まだ残っている。

デスクの引き出しに、たくさんある

無意識に、来た道を引き返していた。

フロアに入る。

見慣れた景色に、見慣れていたはずの場所。

なのに。

「……なんで」

そこにあったのは——

“私の席だった場所”だった。

名前プレートは、外されている。

引き出しは、開けられたまま。

中身は、何もない。

ファイルも、メモも、ペン一本すら残っていない。

——全部、処理されている。

「伊藤さん、戻ってきたんだ」

軽い声。

振り返らない。

「もう来ないって聞いてたけど」

まるで、最初からいなかったみたいに。

「引き継ぎ終わってるんで、大丈夫ですよ」

誰かが言う。

私のいないところで。

全部、終わっていた。

あの席で。

何度も夜を越えた。

終電を逃して、タクシーで帰った日もあった。

彼のために、プロジェクトのために。

2人の未来のために。

全部。

ここでやってきたのに。

「……あ」

声が出ない。

胸の奥が、じわりと痛む。

でも。

涙は、出てこない。

視線を上げる。

その先に——

樹と、みゆがいた。

並んで、笑っている。

窓際で、私の席からは見えにくい、部屋の死角に2人はいた。

距離は、婚約発表の日のまま、近い。

その距離は、私と樹の距離だった。

「会社にやっと、報告できたね」

みゆが言う。

小さく。

でも、はっきりと。

「色々あったし、急だったけど。もう、余計なこと考えなくて済むはず。」

樹が、間を少しだけ空けて頷くのが見えた。

「もっと早く、こうするべきだった。」

——小さいけれども、ハッキリとしたその言葉が聞こえた瞬間。

何かが、静かに崩れた。

音はしない。

でも、確実に。

胸の奥で、何かが終わった。

——全部、分かっててやったんだ。

裏切られた、馬鹿みたいだ。

恋も。

仕事も。

居場所も。

——全部、あの2人に奪われて、捨てられた。

でも、急すぎて。

まだ信じられない自分がいる。

それでも。

このまま終わる気は、ない。

まだ受け入れきれてない、だって昨日起きたことなのだから。

それでも、感情は、もう暴れない。

代わりに、冷たい思考が回り始める。

——何が起きたのか。

——なぜ、私がここまで追い込まれたのか。

まずは、それを全部知る必要がある。

深呼吸をして、息を整える。

視界が、はっきりしてくる。

私は、元あった自分の席に近づいた。

机の縁に、わずかな傷がある。

覚えている。

半年前、急いで資料をまとめていてぶつけた跡だ。

跡をなぞり、ふと思う。

——なぜ、樹とみゆはこのタイミングで、婚約発表をしたのか。

そうせざるを得ない、何かがあったのではないか。

もしかしたら、仕事や業務に関連する何かが。

私の異動を決定したのだとしたら。

ふと、自分の席であった自席で、パソコンを開く。

終業間際でほとんどの人は退勤していた。

だからこそ、私が元の席に座っていることを咎める人も、いなかった。

まだ、私が持っている部署内のデータへのアクセス権の全部は消しきれてない。

私は、この部署が持つ情報を見ることが出来る状況だ。

ログも。

データも。

評価履歴も。

プロジェクトの権限移動も。

痕跡は、必ず残る。

私にできることは、ひとつ。

何が起きているのか、調べる。

早く、確実に。

証拠を集める。

もし、業務に関連することが、今の状況を引き起こしていたのだとすれば。

あの二人が何をしたのか、誰が関わっているのか。

どういう意図で、ここまで仕組まれたのか。

全部、洗い出す。

そして——

正しい形で、明るみに出す。

仕事として。

事実として。

逃げ場のない形で。

私が持っていたものを奪われたのなら、取り返す。

仕事も。

居場所も。

感情じゃない。

手順で、戻すしかない。

「……分かった」

小さく呟く。

やることは、決まった。

あひるの支社への異動まで、残された時間はわずか。

もう、来週には、私はこの部署の人間ではなくなる。

——でも、それでいい。

むしろ、都合がいい。

人は、いなくなる人間には無頓着になる。

アクセス権も、引き継ぎも、雑になる。

その“隙”を使う。

静かに、端末を開いた。

社内のレポートを辿る。

樹のプロジェクト履歴。

私の分析ログ。

評価コメント。

承認フロー。

——いまになって違和感が、いくつも引っかかる。

「……なに、これ」

1つ、開く。

数字が、合わない。

もう1つ、開く。

承認者が、途中で変わっている。

さらに、ログを遡る。

——見覚えのない修正履歴。

誰かが、意図的に触っている。

そして。

その先に。

見たことのない名前が、ログ履歴に出てきた。

「……誰」

その瞬間。

背後から、聞こえていた足音が止まった。

「それ、やっと気づいたんだ」

低い声。

振り返る。

そこに立っていたのは——

見たことのない男だった。

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