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第87話

Auteur: 酔夫人
last update Date de publication: 2026-09-20 19:00:00

――朝比奈総合病院は小春の母親が継いだものだと知らないのか?

樹の言葉に千夏は首を傾げた。

「どういうこと?」

本当に分かっていないらしい。

樹は面倒そうに肩を竦めると、悠真を見る。

説明する気はない。

そう察した悠真は小さく息を吐いた。

「先代の朝比奈病院長は、小春さんの母親、花乃さんの父親なんだ」

「……え?」

「朝比奈家の直系は花乃さんだ。院長は花乃さんと結婚して、朝比奈家に入った」

千夏の表情が固まる。

「お父様が病院を継いだんじゃ……」

「花乃さんと結婚したから、後継体制の中に入ったんだ」

悠真自身、門倉家との縁談を通して聞かされていた話だった。

いま理事会に強い影響力を持つ皆川隆盛も先代院長の親友であり、先代から頼まれて娘婿である崇道を支えてきた。

その説明をしながら、悠真は別のことに驚いていた。

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    千夏が顔を上げた。「お姉ちゃん……」「私があの家に戻らないことと、千夏たちを追い出すことは別の話でしょう?」千夏は何も言えなかった。「でも」小春は穏やかなまま続ける。「私のものを、私のものではないことにされるのは、もう嫌なの」その言葉に樹の目元がわずかに緩んだ。「権利については必要になったときに整理すればいい」樹が言う。「今すぐ誰が出ていくという話ではない」「……そう、ですね……」千夏は俯いた。少しずつ、自分が理解しなければならないことが見えてきた。自分が知っていた朝比奈家とは何だったのか。父親から聞かされていたことは、どこまで本当だったのか。そして――いま一番大事なこと。「お父様がお姉ちゃんを連れてこいって言ったのは……」千夏が顔を上げる。「病院を継がせるためなの? 私じゃ駄目だから?」「……それは、違うと思う」悠真は目を閉じた。これまでのことを思い返しても、朝比奈崇道が小春に病院を継がせるつもりはないと分かる。ただ、そう振る舞っていた。誰かに向けたパフォーマンス。その誰か――思い当たるのは一人しかない。「皆川隆盛氏が、小春さんに会いたいと言った……としか考えられない」千夏の顔から血の気が引く。すっかり忘れていた。「お父様は……」千夏の認識では、皆川隆盛は先代院長の親友で、息子のように思っている崇道のやることに口出しているのだと思っていた。力関係では、崇道のほうが上。でも、違った。後ろ盾。崇道が院長でいるために必要な存在。

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    ――小春に事実を確認しなかったのですか?その質問に、悠真はすぐには答えられなかった。頭の中で婚約していた頃の記憶が次々と蘇る。病院で耳にした小春の悪評。千夏の涙。自分はそのどれもを疑わなかった。「……ありません」ようやく絞り出した声は掠れていた。「どうして?」確認したことがなかったことは、樹にはお見通しだったのだろう。なぜなら、この短時間ですぐに小春が悪女なんかではないことが分かった。穏やかな空気を纏ってこの場に現れた瞬間には分かっていたかもしれない。そのくらい小春は悪意からかけ離れている。だから樹が聞きたいのは、こっち。――どうして?(……意外とお人好し?)柔らかな雰囲気の小春とは対照的。表情がなく、樹の端正な顔立ちのどこにも穏やかさなどない。見ただけでは『冷酷』という表現がピタリと合う。だが、それならばこんなキッカケは作らない。(……いや、違うな)言葉をかけた先は悠真だが、樹が見ているのは小春だけ。小春は樹も悠真も見ていない。心配そうに小春が見ているのは千夏だった。小春が千夏を気にかけているから。悠真になんて一切興味がないくせに、「どうして?」などと聞いたのだ。(全く……)「俺にとって都合が良かったからですよ」樹は静かに頷いた。「小春さんが千夏を虐めていたなら、婚約者が代わりに謝罪することはおかしくない」婚約者である小春の代わりに謝る――それだけなら良かった。小春が汚した服の代わりに。小春が奪ったアクセサリーの代わりに。小春を言い訳にして物を贈る。「ありがとう」と言って笑う千夏を可愛いと思った。お

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