Masuk千佳はどうにか気を取り直し、ようやく言葉を絞り出した。「ええっと……このアイデアは、私が最初に提案した……『視覚の錯覚を利用して虚無を表現する』という案がベースになっておりまして……」それを聞いた審査員たちは、一斉に眉をひそめた。あまりにも浅薄なその回答は、客席で感動に浸る観客たちの理解にすら遠く及んでいないように聞こえたからだ。「では、あの第七層――漆黒の壁面の素材は何を使っているのですか?光を浴びて透明に変化し、さらにその中で光の粒が流動する仕組みを教えてください」嘉乃が身を乗り出し、畳み掛けるように問い詰めた。「それは……っ」千佳の額に、じわっと冷や汗が滲む。彼女は慌てて笑顔を取り繕い、露骨な話題逸らしを図った。「あ、あの、そこはチームのメンバーが担当した部分ですので……ここは彼らに答えてもらおうと思います。私としては、メンバー全員の頑張りを皆さんに見ていただきたいので」しかし、カメラのズームアップに抜かれた彼女の視線は、泳ぎまくっていた。マイクを誰に渡せばいいのかすら分からず、オロオロとメンバーの顔を見回すばかりだ。その致命的な空気の中、滝沢希がスッと前に出た。彼女は千佳の手から半ば引ったくるようにマイクを取り上げると、実花の手に押し付け、耳元で小さく囁いた。「実花さん、ここは実花さんが話すべきだよ。一番頑張ったんだから」実花は少しも臆することなく、堂々とした態度でマイクを握り直した。そして、使用した特殊素材の選定理由から、光の屈折を利用したギミックの実現プロセスに至るまで、よどみなく、かつ緻密に解説し始めた。その明確で論理的な説明に、審査員たちは深く頷きながら聞き入っている。特に嘉乃は、あの花びらが空中で発火し、なおかつ安全に燃え尽きる構造に強い興味を抱いたようで、より専門的で踏み込んだ技術的な質問を投げかけた。実花はそれらに対しても、一切口ごもることなく完璧な回答を返した。審査員たちは、互いに意味深な視線を交わした。――どうやら、このチームの『真のリーダー』は別にいるようだ、と。質疑応答を終えた実花は、最後にチームのメンバーたちをぐるりと見渡して言った。「この作品は、一層ごとに担当者を分け、それぞれが全責任を持って制作しました。第一層は森山さん、第二層は翔くん、第三層はリ
息を呑む暇もなく、今度はその雄しべの部分が剥がれ落ち、同じように宙で燃え尽きた。続いて姿を現した第三層――『花托(かたく)』の部分には、青々とした草原で凧揚げをして走り回る少年の姿が描かれている。そして、花托もまた崩れ落ちる。第四層。第五層。第六層……外側から内側へと層が剥がれるたびに、全く異なる絵画が次々と浮かび上がる。それは、一人の人間がこの世に生を受け、成長し、老い、そして死を迎えるまでの『生涯』を描いた壮大な物語だった。最後に、第六層の『死』をテーマにした絵が静かに燃え尽きる。ステージ上には何も残らず、ただ漆黒の背景だけが広がっていた。――今大会の彼らのお題、『虚無』の完璧な体現だった。舞台はそのまま、まるでおよそ一分間にも及ぶ深い暗闇に包まれた。会場にいる誰もが言葉を発することすら忘れ、死に絶えたような沈黙の中で、ただ圧倒的な余韻と衝撃に浸りきっていた。その頃、沙耶の顔からはすっかり血の気が引いていた。――嘘でしょ。自分たちの第一位が脅かされている。その確信が、背筋に冷たい汗を伝わせる。お願い、あいつらの点数、私たちより少しでいいから低くあって……!沙耶は今や、必死にそう祈るしかなかった。全てが自分の思い通りに進んでいたはずなのに、初めて生じたこの全くコントロールできない事態。実花たちの底知れぬ才能に、沙耶は巨大な脅威を感じていた。ギリッと奥歯を噛み締め、沙耶は憎々しげに千佳の姿を探す。――あの女、本当に使えないゴミね!誰もが「これで終わりだ」と思ったその時――実花が再び、静かに手を挙げた。会場の天井に設置されていた遮光板がスライドして開き、一筋の太陽の光がガラス越しに、ステージの漆黒の背景へと真っ直ぐに差し込む。するとどうだろう。ただの真っ暗な壁だと思われていた背景が、光を浴びて瑠璃のように透き通り、眩い輝きを放ち始めたのだ!目を凝らすと、その中には無数の細かな光の粒がまるで生きているかのように泳いでいる。なんと、この漆黒の壁面さえもが作品の一部だったのだ!その光の粒たちは『希望』を、そして虚無の果てに訪れる『生命の循環と新たな誕生』を象徴していた。それと同調するように、BGMも再び明るく軽やかな旋律へと変わっていく。観客は完全に心を奪われていた。誰からともなく立ち上がり、会場は
――その頃、舞台裏の第十チームのアトリエに、ようやく千佳が姿を現した。彼女は自らがチームの『救世主』となるつもりで戻ってきたのだ。千佳の予想では、今頃チームの制作は行き詰まり、全員が絶望のどん底で頭を抱えているはずだった。そこへ自分が、沙耶から渡されたホログラム投影装置を持っていけばどうなるか。上位入賞は無理でも、最下位だけは免れることができる。そうなれば、チームメンバーが以前自分に向けていた不満の目も、あっという間に称賛と感謝に変わるだろう――と。しかし、意気揚々とアトリエの扉を押し開けた千佳は、完全に言葉を失った。彼女の目の前にそびえ立っていたのは、高さ三メートルにも及ぶ、今にも命の鼓動が聞こえてきそうなほど精巧で巨大な花の立体模型だったのだ。千佳は呆然と立ち尽くし、ただそれを見上げた。他のメンバーたちは千佳の登場に気づいたものの、まるで事前に示し合わせていたかのように一斉に顔を背け、誰一人として彼女と目を合わせようとはしなかった。その冷ややかな態度に、千佳もまた彼らを無視することに決めた。もうすぐ本番の審査が始まる。今ここで揉め事を起こして事態を悪化させるのが得策ではないことくらい、この場にいる全員が理解していたからだ。---いよいよ、本選の審査が始まった。三人の審査員がそれぞれの席に着く。向かって左は、長年アート界の第一線で活躍してきた重鎮、許斐美由。中央には、文化芸術振興機構のトップである白川嘉乃。そして右側の席には、篠宮グループのアート投資部門を統括する篠宮誠が座っている。出場順は厳正な再抽選によって決まる。実花たちの第十チームは、八番目の出番を引き当てた。トップバッターを飾ったのは、沙耶のチームだ。彼女たちが引き当てたテーマは『栄華』だった。会場の照明がふっと落ち、静寂の中に異国情緒あふれるエキゾチックな音楽が響き始める。徐々にライトが点灯し、ステージ上に浮かび上がったのは――視界を埋め尽くすほどの巨大な壁画だった。そこに最先端のホログラム投影技術が組み合わさり、千年の時を超えた栄華の時代が、まるで生きた歴史絵巻のように目前へと蘇る。観客たちは音楽と光の渦に呑み込まれ、時代を超越するような圧倒的な没入感に酔いしれた。音楽が静かに止み、プレゼンテーションが終了した
「湊、本当にありがとう……!」実花は満面の笑みを彼に向けた。再会して以来、彼女がこんなにも心の底から嬉しそうな、純粋な笑顔を見せたのは初めてだった。そのあまりの眩しさに、湊は思わず見惚れてしまった。「俺の部屋にもまだある。さっき届いたばかりなんだ。後でこっちに運んでやるよ」なるほどな。歴史上の王たちが、傾国の美女の笑顔一つを見るためなら国を傾けても構わないと思った気持ちが、今なら分かる気がする。湊は密かに、そんな甘い喜びに浸っていた。二時間後。実花はようやく満足げに、ふうっと深い感嘆の息を吐いた。ふと傍らを見ると、湊がまだそこに座ったまま、実花が適当に放り出していた本を手に取ってページをめくっていた。「あ……ごめんなさい、まだいたのね」実花は少しバツが悪そうに言った。昔から、こうした貴重な美術品を前にすると、彼女は周りが一切見えなくなり無我夢中で没頭してしまう癖があるのだ。「慣れてるさ。お前は昔からずっとそうだったし、俺がお前を待つのはこれが初めてじゃないだろ」湊の口調は淡々としていたが、その声色には隠しきれない深い優しさが滲んでいた。思えば幼い頃も、二人はこうして数え切れないほどの穏やかな午後を共に過ごしてきたのだった。---アートコンクール本選の当日。会場の様子は、全編リアルタイムでライブ配信されていた。事前のネタバレを防ぎ、番組としてのサプライズ感を保つため、運営側は徹底した対策を取っていた。制作六日目以降、ネット上で公開されるメイキング映像からは意図的に「作品の全貌」が排除されていたのだ。画面に映し出されるのは、専らチームメンバー同士のやり取りや作業風景といった人間模様ばかり。その焦らすような演出によって、視聴者の期待感はまさに最高潮へと達していた。そして、熱気に包まれるコンクール会場。今大会の最大スポンサーである篠宮グループには、当然ながら最前列のVIP席が用意されている。とはいえ、巨大なコングロマリットである篠宮の事業全体から見れば、アート業界への投資などほんの些細な一部に過ぎない。世間もメディアも、まさか篠宮の現当主が直々にこの場へ顔を出すとは微塵も思っていなかった。これまでの慣例に従えば、分家の人間か適当な役員を代理として派遣すれば済む話である。――だが、人々の予
だが、自室のドアをバタンと閉めようとした瞬間――スッと伸びてきた大きな手が、強引にドアの隙間にねじ込まれた。実花の部屋のドアを片手で押さえつけながら、湊は開けっ放しになっている隣の自室へと顔を向け、中にいる女に冷淡に言い放った。「届け物は受け取った。もう帰っていいぞ」「もー、当主様ったら!用が済んだら即ポイ捨てなんて、本当に薄情なんだから」女は甘ったるい声でからかいながら、優雅な手つきで自分のバッグを手に取った。「これ以上一言でも喋ったら、今すぐお前の夫に電話するぞ」湊は一切の表情を崩さず、氷のような声で脅した。「わ、わかったわよ!絶対言わないでね!せっかくP国からこっそり逃げてきて、数日くらい羽を伸ばしたかったのに!」女はそう言い返すと、実花の方を向いて艶やかに髪をかき上げた。「それじゃあね、可愛いお隣さん。また今度」女が去っていくのを見届けると、湊は実花の部屋の玄関にずかずかと上がり込み、そのまま背手でドアをガチャリと閉めた。彼はスッと頭を下げ、実花の髪に鼻先が触れるほどの至近距離まで顔を近づけてきた。「さっき、俺とは親しくないって言ってたが……」低く甘い声には、明らかなからかいの色が混じっている。「もしかして、ヤキモチ妬いてたのか?」唐突にゼロ距離まで詰め寄られ、実花の心臓はドクンと大きく跳ねた。先ほどの二人の会話を聞いて、自分が完全な勘違いをしていたことにはすでに気がついている。実花は耳の裏まで一気に熱くなるのを感じながら、必死に強がって言い返した。「ヤ、ヤキモチなんて妬いてないわよ!変なこと言わないで!」強張った実花の顔を見つめ、湊の喉の奥から低い笑い声が漏れた。彼はさらに意地悪く追及してくる。「夫のことをあんなに愛してるんじゃなかったのか?せっかく向こうから会いに来たってのに、どうして引き止めなかったんだ?」「私の家庭の事情に、篠宮社長が首を突っ込まないでくれる?」立て続けにからかわれ、実花の中の反骨心がチリチリと刺激された。彼女はわざと小悪魔のように目を細め、言い返した。「いいわよ、そこまで言うなら今から夫を呼び戻して、二人で『あまーい夜』を過ごさせてもらうから!」実花はわざと『あまい』という言葉を強調して、挑発するように言い放った。「お前っ……!」
「……実花ッ!」和真の中で、これまでの不吉な予感が最悪の形で裏付けられた瞬間だった。どうりで、あんなにも頑なに離婚を要求してくるわけだ。僕が最近になってあれだけ下手に出て機嫌を取ってやっているのに、まったく見向きもしないはずである。外で、別の男を作っていたからか!嫉妬と怒りに完全に理性を焼き尽くされた和真は、勢いよく拳を振り上げ、狂ったようにドアを乱打した。「開けろ!!」室内の声がピタリと止み、やがてガチャリと鍵が開く音が響いた。内側からドアが引き開けられ、男の姿が見えた瞬間、和真は怒りのままに拳を振り下ろそうとした。――だが、その男の顔をはっきりと認識した瞬間、和真は雷に打たれたように全身を硬直させた。篠宮湊。彼はダークグレーのシャツの胸元をラフに開けた姿で立っており、その表情には明らかな苛立ちと危険な気配が漂っていた。湊は見下すような冷ややかな視線を和真に向け、面倒そうに片眉を吊り上げた。「……瀬戸社長。深夜に人の家の前で大声で騒ぎ立てるとは、一体どういうご用件で?」和真は呆然と立ち尽くした。「し、篠宮さん……?どうしてあなたがこんな所に?」湊は鼻で冷たく笑った。「ここは俺のプライベートな住居だ。俺が自分の家にいて何かおかしいか?」和真がハッとしてドアの上に視線をやると、そこには『1802』のプレートが掲げられていた。さらに、湊の肩越しに室内の様子が目に入る。そこには、タイトなミニスカートを穿いた、色気のある派手な顔立ちの女が、床に落ちたプレゼントの箱を身を屈めて拾い上げているところだった。その瞬間、和真はすべてを悟った。自分は取り返しのつかない勘違いをしてしまったのだ。あまりの気まずさに、和真は今すぐこの場から消え去りたい衝動に駆られた。ちょうどその時、隣の『1801』のドアがガチャリと開いた。外の騒ぎを聞きつけた実花が、何事かと様子を見に出てきたのだ。彼女は柔らかなベビーピンクのルームウェアに着替えており、髪からはまだ微かな湯気が立ち上っている。どうやら風呂上がりらしい。コンシェルジュからの内線電話に出られなかったのも、これで説明がつく。彼女が姿を現した瞬間、二人の男の視線は一斉に実花へと釘付けになった。湊は、実花が着ているルームウェアが、あの日自分が
胸の奥がひどく重くなるのを感じ、実花は深く息を吸い込んだ。次に、和真のスケジュール管理ツールを開く。画面に並んでいたのは、目を疑うような記録の羅列だった。【凛:人間ドック】【凛:航空券・ホテル手配】【凛:誕生日】【凛:……】実花に関する記述を探そうと画面をスクロールし続け、ようやく最下部で見つけたのは、三年前に入籍した日の短いメモだけだった。実花は背もたれに身を預け、冷え切った指先を見つめた。感情を無理やり押し殺し、別のフォルダへと手を伸ばす。和真が最近購入した不動産、株式の取引履歴――専門的な数字の羅列は完全には理解できなかったが、構わなかった。見つけ
夜、七時半。瀬戸家の邸宅にあるキッチンは、温かな湯気に包まれていた。白身魚の蒸し物が湯を上げ、牛肉の煮込みが照りよく仕上がっていく。綺麗に切り揃えられた豆腐が、コンロの上の出汁のなかでことことと心地よい音を立てていた。そこへ、リビングのドアを開けて和真が帰ってきた。ダークカラーのチェスターコートに、仕立ての良いスーツ。首元のネクタイは少しだけ緩められている。夕食の準備をしている実花の姿を目にして、彼の鋭い目元がほんのわずかに和らいだ。実花はキッチンで手を動かしたままだ。帰宅の気配に気づいても、振り返りもせず、作業の手を止めることもしない。以前の彼女なら、和真が時
場内は水を打ったような静寂に包まれた。和真の顔が瞬時に険しくなり、周囲の参列者たちは思わず息を呑む。言葉を失った凛は、目に涙を溜めていかにも「悲劇のヒロイン」といった体で震えていた。和真は結局、無言のまま焼香台へと進んだ。遺影の前に立つ彼の背筋はあくまで真っ直ぐだったが、どういうわけか、胸の奥が妙に締め付けられるような感覚に襲われていた。実花は最後まで、一度も彼の方を見ようとはしなかった。香炉に線香を立て、和真は振り返る。床に膝をつく実花の細い背中を見つめ、迷った末にようやく言葉を絞り出した。「実花……僕は、ここに残るよ」「和真くん……っ」その時、凛が不意に額を押さ
斎場の中は、芯まで冷え切っていた。弔いの音楽が延々と繰り返され、香炉に落ちる灰の音さえ聞こえてきそうなほど、静寂が重くのしかかっている。瀬戸実花(せと みか)は父の遺影の前で膝をついていたが、とうに感覚は消え失せていた。指先を掌に強く食い込ませ、辛うじて自分を繋ぎ止めている。今ここで糸が切れたら、そのまま崩れ落ちてしまいそうだった。背後から、参列者たちのひそひそ話が刺すように届く。「和真さんはどうしたんだ?まだ姿を見せないが」「知らないのか?空港だよ。ニュースになってる」「空港?こんな時に、一体誰を迎えに行ってるんだ。今日は義理の父親の葬儀だぞ」「例の『忘れられない







