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「あの女と一緒に行くというのなら、私は慎也に一銭たりとも財産は残さない」お義母さんはそう言い切った。その言葉を聞いた慎也はしばらく黙り込んでいた、ふと見ると彼の頬を一筋の涙が伝っていた。その涙が後悔なのかどうかは私にはわからなかった。綾香は何度も慎也に会いにきたが、慎也は一切会おうとせず、彼女は外で泣き叫び取り乱した。しかし慎也は部屋でただ呆然と座り込み、何を考えているのかわからない表情をしていた。ある日再び綾香がやってきて、慎也は会いに行った。二人が何を話したのかは定かではないが、戻ってきた慎也はまるで別人のようだった。「自分が間違っていたのはわかってる、でもここまできたらもう取り返しがつかない」と彼は言った。「財産はすべて結衣に残す、自分は何も持たずに出ていく」と。そして彼は有言実行した。離婚届受理証明書を受け取った時、私はどこか現実味がなくてぼんやりしてしまった。「俺はいい父親じゃなかったし、いい息子でもなかった。もし時間を巻き戻せるなら、こんな間違いは絶対に起こさない」そう言った慎也の言葉が今も耳に残っている。その時の私はその言葉を深く受け止めてはいなかった。ただ一晩で急に大人になったんだなと思っただけだった。しかし翌日私は警察からの電話を受けた。慎也と綾香が交通事故を起こしたと、調べの結果、それは事故ではなく心中だった。そこでようやく私は昨日の彼の言葉が何を意味していたのかを理解した。お義父さんの死が彼をずっと苦しめていたのだろう、その痛みから逃れるためにあんな究極の選択をしてしまったのかもしれない。お義母さんはその知らせを聞くとまたしても泣き崩れ気を失った。目を覚ました時にはお義母さんの病状はさらに悪化していた。子供達の世話もあって手がまわらず、私はお義母さんのためにヘルパーを雇うことにした。お義母さんはすでに家を子供名義にしてくれており、離婚の際には慎也が全ての財産を私に譲ってくれていた。お義母さんには他に頼れる家族もいない。だからこそ彼女の面倒を見るのは私の務めだと思った。慎也と出会い、結婚し、子供を産んだこの二、三年、私はあまりにも多くのことを経験した。これからは母を呼び寄せ、子供達を一緒に育ててもらうつもりだ。この先の人生はまだ長い。私は二人の子供
家に戻ってから、私は自分の生活を立て直すことに集中した。ここ最近はあまりにも色々ありすぎて、子供達はずっと家政婦に任せきりだった。私は自分がどれだけ子供を後回しにしていたか気付かされた。母親になって初めて、子供にはなんでも一番いいものをあげたいと思う気持ちがわかった。子供を見つめていると、「慎也と揉めていたあの時間を全部子供に使えばよかった」と思わずにはいられなかった。お金があれば、男がいようがいまいがどうでもいい。あとは慎也が早く義両親を説得して、離婚の手続きを進めてくれるのを待つしかない。厄介な人間達がいなくなると、毎日がとても穏やかだ。子供が少しずつ成長していく姿を見るのは本当に幸せだった。あの日の午後までは。お義母さんから泣きながら電話があり、「お義父さんが入院した」と告げられた。私は子供を母と家政婦に預け、急いで病院へ向かった。そこで初めてお義父さんが慎也に怒らされて心筋梗塞を起こしたことを知った。この数日、慎也はずっとお義父さんと対立していたらしい。しかしお義父さんはどうしても折れなかった。そして今日、慎也は綾香の助言に従い、彼女を連れて義両親の家へ押しかけた。お義父さんは彼女を見た瞬間に機嫌が悪くなったが、綾香は必死に説得を試みた。そして最後には「認めてくれないなら、慎也さんと二人で家を出ます。これからは息子はいなかったものと思ってください」と言い放った。慎也は幼い頃から義両親の誇りだった。成績優秀、仕事も順調、人柄も良くて礼儀正しい。綾香と関わるまでは、義両親にとって完璧な息子そのものだった。お義父さんは慎也は綾香に惑わされたのだと思っていた。怒ったお義父さんは杖で綾香を叩こうとし、慎也が庇おうとしてお義父さんを押しのけ、その拍子にお義父さんは倒れてしまった。床に倒れ、そのまま呼吸が乱れ始めた。家族は大慌てでお義父さんを病院へ運び、その途中で私にも連絡を入れたという。私が到着した時、お義父さんはすでに手術中だったが、残念ながら手術は成功しなかった。お義母さんは何度も気を失いかけるほど泣き崩れた。私も見ていて胸が入り裂けそうになるほど辛かった。お義父さんは普段厳しいところもあったが、私には本当によくしてくれた。私が妊娠すると、義両親は栄養価の高い滋養食品
慎也には冷徹、人でなしというレッテルが貼られた。一方、綾香はもともとネットで多少知名度があったため、矛先はより彼女へ向けられた。ネット民は口々に、偽善的なぶりっ子作家だと罵り、【見た目は弱々しいくせに裏では一番腹黒い女だ】【典型的なあざとい女だ】と書き立てた。さらにネット民は綾香の母親がかつて愛人だった過去を掘り返し、【親が歪んでいれば子も歪む】【一家揃ってとんでもない】と噛みついた。特に卵子のすり替えを図ったことは、多くの妊婦の怒りに火をつけた。女性は共感力が高い分、余計に許せなかったのだ。それから綾香の家には不審なものが送りつけられるようになった。自体は驚くほど早く炎上した。確かに私は二人にもう顔を上げて歩けないほど恥をかかせたいとは思っていたが、ネットでここまで叩かせるつもりはなかった。それでも結局は自業自得だろう。慎也の一家もこの騒動でてんやわんやだった。特に慎也は嫌がらせのものを何度も受け取り、何度か暴れ出しそうになっていた。しかし義両親に制止された。慎也は全ての責任を私に押し付けた。「どうしてこんなことをした?噂が人を殺すこともあると知らないのか?」「確かに昔は代理母にしようとしたが結局やらなかっただろ?結婚してから俺にどこか悪いところがあったか?なぜ俺をこんな目に遭わせる?綾香まで巻き込むなんて」怒りで血管を浮かせる慎也を見て、私はまるで知らない人間のように感じた。知り合ってからずっと、たとえ演技が混じっていたとしても、彼は優しく穏やかな顔しか見せてこなかった。こんなふうに怒り狂う姿を見たのは初めてだった。私は何度も「私がやったわけじゃない」と言ったが、慎也は信じようともしなかった。これまで私の味方だった義両親さえ、騒ぎに疲れ果てて、私への態度が冷たくなった。全て私のせいだと思っているようだった。でも私は明らかに被害者なのに。母がずっと味方でいてくれたから、私はなんとか踏みとどまれていた。事態はますます手がつけられなくなっていた。綾香が自殺を図ったのだ。その知らせを聞いた慎也は服もろくに着ずに飛び出して行った。もちろん綾香は死ななかった。十八階に上って数分も経たないうちに慎也が駆けつけ、彼の姿を見たん瞬間綾香はすぐに降りてきた。綾香は泣きながら慎也の
だからこそ、義両親が綾香を家系に入れたがるはずがなかったのだ。お義父さんは顔を真っ青にしながら言い放った「今すぐあの女と縁を切れ、二度と会うな」慎也は首を強張らせ「父さん、綾香は不倫相手なんかじゃない、俺が一番愛している人だ」と言った。お義母さんが駆け寄ってもう一発ビンタをくらわせて言った「あんた、本気で私たちを怒らせる気なの?」それでも慎也は折れず、「子供はもういるんだから、跡取りの心配はない」と開き直った。そして「これからは綾香と一緒に暮らす」と宣言した。お義母さんは嘆き顔で慎也を問いただした「不倫相手のために妻子を捨てるって?慎也、私たちはあんたをそう育てたかい?」「結衣さんを見なさいよ。あの子があんたの妻なのよ。出産してまだ一ヶ月よ、これからどうさせるつもりなの?」慎也は一瞬だけ申し訳なさそうに私を見たが、それもその一瞥だけで、すぐに決意を固めた顔に戻った。「結衣……すまないとは思っている」「でも俺と綾香は本気で愛し合っている。子供は結衣が連れて行っていいし、もし望まないのなら俺達が育てる」さらに「子供を置いていくなら2000万円と家を渡す」と言った。子供を連れていくなら「1000万円と今の家を渡す」とも。私は冷静に考えた、もう慎也とは無理だ、離婚するしかない。なら私は少しでも多くの金を取るべきなのでは?さもないと子供達をどうやって育てるというの。ただ、今はそれを口にする場面ではないと判断して黙っていた。しかしお義父さんは断固として反対し、「石井のやつと一緒になるのはお前が死んでからだ」と吐き捨てた。慎也は頭を掻きむしりながら崩れ落ちた。義両親は慎也を叱りつけてはいたが、血のつながった実の息子であり、誰を庇うかは明確だった。彼らは慎也を叱った後、矛先を私に向けて「今日は軽率だった」と責めた。「たとえ慎也に非があっても、家の中で処理すればいいこと。外にまで晒してどうするの?周りがどう見ると思ってるの?」私が口を開く前に母が激昂した。一日中怒りを押し殺していた母は、ついに義両親に怒りをぶつけた。「自分の息子のことばかりで、うちの娘の気持ちを考えたことがあるか?ここまで傷つけられたのに発散もさせないなんて、うちの娘を狂わせたいの?」「娘をここまで育てたのは、誰かに踏
綾香は早々に来て、慎也の友人たちのテーブルに座り、失意に満ちた顔で、より一層か弱く見えた。まさか本当に来るとは思わなかった。慎也も綾香の姿を見て驚いたようで、何度も彼女の方へ視線を投げていたが、綾香は一度も慎也を見なかった。二人が今喧嘩中なのは明らかだった。ということは綾香はわざと来たのかもしれない。このクズな二人の思考なんて理解しようとするだけ無駄だ。碌でもない人間の行動はいつだって理解不能だ。でも来てくれたおかげで助かった、綾香がこなければこれからの舞台が始まらなかったのだから。ちなみに義両親も綾香を見て驚いた様子だった、特に義父は表情が一瞬で険しくなった。どうやらこの二人の間には私の知らない事情がまだありそうだ。お祝いの盛り上がりが最高潮に達した時、司会者が私に新米ママとして一言求めてきた。私はマイクを受け取り、妊娠中の苦労や母になった喜びなどを話した。そして話題を変え、「皆さんに見て欲しいものがあります」と言った。その瞬間会場のスクリーンが点灯した。全員の視線が一斉にスクリーンへ向けられる。そこに映ったのは慎也と綾香の写真。街角で手を繋いでいる写真、キスしている写真、見つめ合っている写真、綾香がSNSに載せたベッドの写真。モザイクを入れたが、それが慎也であることは誰の目にも明らかだった。さらに綾香のSNSの投稿も表示された。彼らが私を、代理母にして子供を産ませたら離婚するつもりだったと書いていた部分を特に強調しておいた。そしてあの日、綾香がうちに来た時、二人がトイレで交わした会話の録音も流した。【どうして?どうして私を騙してたの?あの女を好きになったの?】【違う、綾香、愛しているのは綾香だけだ。あの女と一緒にいるのは子どものためだ】【信じてくれ、子どもの授乳が終わったら必ず離婚する。そしたら綾香と結婚して、ずっと一緒だ】会場の全員の顔がその場で凍りついた。慎也の両親も、綾香も。綾香は私がすでに全て知っていたことも、今日暴露するつもりだったことも知らなかったようだ。彼女は怯えたウサギのように立ち上がり、テーブルの皿をひっくり返してしまい、会場中の視線を集めた。最初に動いたのは母だった。母は一直線に慎也のところへ行き、思い切り頬を叩いた。慎也の顔は横に大き
私は思わず声を上げた「誰が言ったの?うちの子が体外受精だなんて」「そんなデタラメ、誰が流したのよ?私たち自然妊娠だけど」綾香は完全に固まった。慎也も同じように、凍りついたように動けなくなった。その場の空気が一気におかしくなった。頭の中で、何かが殻を破って飛び出したような感覚がした。結婚して長い間妊娠しなかった頃、慎也は私を友達が経営しているという市立病院へ連れ行った。その時医者は体外受精を勧めてきた。慎也も何度も私にやってみようと急かした。でも私は自分の身体に問題はないと思っていたから断った。その後、自分で身体を整えていたら、自然に妊娠したのだ。あの時慎也の言葉を信じていたら、私はあの二人の代理母にされていたかもしれない。綾香の卵子が私の身体にこっそり移植されていたかもしれない。だからこそ、あのサブ垢で【あの女のお腹の中の子供は私と佐藤さんの子なんだ】と書いていたのだ。そういうことか。思っていた以上に彼らは狂っていた。その場にいた三人のうち誰の表情が一番ひどかったのかはわからない。長い嘘の中で生きていた私か、今ようやく真実に気づいた綾香か、それとも二人を同時に騙していた慎也か。帰る時の綾香は今にも倒れそうなほどふらついていた。元々細くて弱々しい上に、ショックを受けたせいか余計にか弱く見える。慎也の目には彼女に対する痛ましさが溢れかえっていた。私は奥歯を噛み締め、胸の中の怒りを必死で抑え込んだ。階段を降りる時、綾香は足を滑らせ、慎也が一歩で駆け寄ってきて抱きとめた。「気をつけて」私は冷ややかな目でその光景を見つめ、後ろから落ち着いた声で言った。「来週の水曜日、うちの子の生誕一ヶ月記念のお祝いがあるの。綾香さん、ぜひいらしてね」綾香は振り返り「必ず行くわ」と答えた。彼女の目は典型的な華やかな目だ。深い水色のように潤み、花のように艶やかで、その奥には強情なくらいの輝きが宿ってる。その夜、慎也は理由をつけて外出した。家政婦は何か言いたげで、遠回しにほんの少しだけ忠告をくれた。そうだ、他人ですら気がつくのに、当事者の私が気づかないはずがない。私の目の前で堂々とこんな真似をするなんて、馬鹿にするにも程がある。その夜綾香のSNSを見ると、また更新されてい