LOGIN7歳のとき、父が家に連れてきたきれいな女の人が、私にマンゴーをひと箱くれた。 その日、母は私がマンゴーをおいしそうに食べているのを見ながら離婚届にサインして、窓から飛び降りて自ら命を絶った。 それから、マンゴーは私にとって一生忘れられない悪夢になった。 だから結婚した日、私は夫の横山隆(よこやま たかし)にこう言ったんだ。「もし離婚したくなったら、私にマンゴーをひとつちょうだいね」って。 隆は何も言わずに私を抱きしめてくれた。そしてその日から、彼にとってもマンゴーは禁句になったんだ。 結婚5年目のクリスマスイブ。隆の幼馴染・田村蘭(たむら らん)が、彼の会社の机にマンゴーを置いた。 隆はその日のうちに、蘭と絶交すると宣言し、彼女を会社からクビにした。 あの日、この男こそが私の運命の人なんだって、心からそう思った。 けれど、そんな幸せは、半年後、私が200億円規模の大型契約をまとめて、海外出張から帰ってきた時、脆くも崩れ去った。 契約成立を祝うパーティーで、隆が私にジュースを一杯渡してくれた。 それを半分くらい飲んだ時、会社をクビになったはずの蘭が、私の後ろでにやにや笑いながら聞いてきた。 「マンゴージュース、おいしい?」 私は信じられなくて隆の顔を見た。すると彼は、笑いをこらえて言った。 「怒るなよ。蘭が、どうしてもお前に冗談をしかけたいって聞かなくてさ。 マンゴーを食べさせたわけじゃない。ただのマンゴージュースじゃないか。 というか、俺も蘭の言う通りだと思う。お前がマンゴーを食べないなんて、ただのわがままだよ! ほら、さっきだっておしいそうに飲んでたじゃないか!」 私は無表情のまま、手に持っていたジュースを隆の顔にぶちまけて、その場を立ち去った。 絶対に、冗談にしてはいけないことがある。 マンゴーのことも、そして、私が離婚を切り出すことも。
View Moreヴィクトリア・プロジェクトの契約を取れなかっただけでも失敗だったのに、私が彼の不倫と蘭の不倫相手という立場を徹底的に暴いたことが、さらに彼らを追い打ちをかけた。隆の会社も彼自身も、業界での評判はがた落ち。もう誰にも相手にされなくなった。最初のころ、蘭はまだやる気に満ちてたみたい。残業して企画を練りながら、海外にいる私の活躍をこっそりチェックしていたそうだ。でも、私の仕事がうまくいくほど、蘭の心は穏やかじゃなくなって、嫉妬がふくらんでいった。そして横山グループが火の車になって3ヶ月目、とうとう彼女の我慢は限界に達した。「あなたはちゃんと会社を経営する気あるの?このままだと会社は潰れちゃうわよ!そうなったら社長夫人どころか、あなたと一緒に路頭に迷うしかないじゃない!」隆はパソコンに次々と表示される専門用語がちんぷんかんぷんで、イライラしていた。そこに蘭から怒鳴られて、さらに頭に血がのぼったようだ。「お前こそ、どの口が言うんだ!直美と比べて、お前のどこがいいって言うんだよ?彼女はこんな細かいことで、俺を悩ませたりしなかった!俺はただ書類にサインするだけでよかったのに、こんなに疲れることなかったぞ!」二人はお互いをののしり合い、まったく容赦がなかった。でも、いくら二人が言い争っても、会社の危機がなくなるわけじゃない。それから間もなく、隆の会社は倒産した。会社の穴埋めのために、かつて私と彼が一緒に暮らしていた家は競売にかけられることになり、二人は裁判所から強制的に追い出された。暮らしがこんなに変わってしまったのに、二人は地道に働いて生活を立て直そうとはしなかった。それどころか、それまでの贅沢な暮らしをやめられずギャンブルに手を染め、あっという間に全財産を使い果たしてしまった。彼らの消息を最後に聞いたのは、窃盗で逮捕されて懲役6年の判決が下った、というニュースだった。ニュースは、かつて世間の注目を集めた二人の、悲しい結末を報じていた。……その一方、私の仕事もプライベートも、日に日に充実していった。2年後。私は仕事ぶりが評価されて、いくつも大きなプロジェクトを成功させた。そしてついに、DMグループ国内支社の社長に昇進した。正式な就任の日、会社はたくさんの記者を招待した。その中には、昔、隆が記者会見を開いた時にいた人た
「ごめん、直美。本当に知らなかったんだ。過去のことは俺が悪かった。お願いだから許してくれ。俺が馬鹿だったんだ。さあ、俺を殴ってくれよ」隆はそう言って、私の手を掴んで自分の体に何度も打ち付けた。その芝居じみた行動に、私の怒りは頂点に達した。私はためらうことなく、彼の頬に平手打ちをおみまいした。「いい加減にしてよ!私がこんな話をしたのは、あなたに謝ってほしいからじゃないの。あなたとはもう終わりだって、伝えたかっただけ。あのマンゴーの件は、私にとって絶対に譲れないことだった。あなたはあの女のためにそれを破った。だから、私たちの関係はもう元には戻らない。わかった?」でも隆は、まるで私の話が本当にわかっていないみたいだった。すごく悲しそうに言った。「そんなに俺を憎んでるのか?復讐のためにヴィクトリアを持ち出して、俺たちが一緒に立ち上げた横山グループを潰そうとしてるんだろ?」「考えすぎよ。ヴィクトリアはもともと私が担当してたんだから。自分のものを持っていくのは当たり前でしょ。もうこれ以上、付きまとわないで」隆は私の言葉を聞いていなかった。まるで魂が抜けたみたいに、ぶつぶつと呟きはじめた。「もし俺が、お前がヴィクトリアを持っていくのを気にしなかったら。もし、蘭がいなかったら。それから……」彼の声が急にかすれた。「あの日のマンゴーさえなければ……お前は俺のところに戻ってきてくれるのか?」もしも、ね。この世界に、そんな都合のいい「もしも」がいくつあるっていうの?私は隆の手を振りほどいて、きっぱりと答えた。「絶対に、ない」そう言い捨てて、私はカフェをあとにした。背後の彼がどんな顔をしていたのかは、私にはわからなかった。……あの日以来、隆は会社まで来て私に付きまとい、なかなか帰ろうとしなかった。英樹は、私が隆とよりを戻すんじゃないかと心配して、毎日私に言い聞かせてきた。あの男は絶対にあの200億円規模のプロジェクトが目当てで来ている、と。本当に私を愛しているわけじゃないから、絶対によりを戻してはダメだ、と言い聞かせてきたのだ。そして、隆を追い払うのは自分が引き受ける、とまで言ってくれた。もちろん、英樹が私のために言ってくれているのはわかっていた。それに、「ヴィクトリア」の共同事業はもう始まっていて、半分以上進んでいる。たとえ私が
この人は、誰かに何かを与える必要がない。だから、誰かに何かを求めるなんてこと、するはずもなかった。隆の口から、他にどんなひどい言葉が出てくるんだろう。急にそんなことが気になった。私は手を振りほどくのをやめて、近くのカフェに入って、これからの10分間を待つことにした。「直美、今までいったいどこに行ってたんだ?ずっとお前を探してたんだぞ!」隆は、昔と少しも変わらない。口先だけのきれいごとを、ぺらぺらと並べ立てる。あの時、私がヴィクトリア・プロジェクトを持って公然と移籍した。どこにいるかなんて、誰だってわかるはずなのに。私のことを深く愛していると思わせたい一心で、よくも、そんな嘘が平気でつけるものだ。私は冷たく笑って、腕時計に目を落とした。「もし、そんなくだらない話しかしないんだったら、残りの8分間も無駄にする必要はないと思うわ」隆は言葉に詰まって、気まずそうに言った。「直美、そんなにケンカ腰になる必要はないだろ。俺は本当に、ずっとお前を探してたんだ。あまりに突然いなくなるから、心の準備もできてなかった。夫婦喧嘩なんて、よくあることだろ?俺はお前に何をしたわけでもないのに、どうして離婚だなんて、そんなひどいことを言うんだ?どうしても離婚したいって言うなら、せめて理由くらいは教えてくれよ。まさか蘭のせいじゃないだろう。あれはただの冗談じゃないか。そんなに嫌なら、会社に戻ったらすぐにクビにする。もうお前の前に現れないようにすればいいんだろ?それとも、本当にあの海外のプロジェクトが目当てなのか?もしそうなら、俺は……」結婚してもう何年も経つのに、隆は私のことを全然わかっていない。彼の勝手な憶測をこれ以上聞きたくなくて、私は話を遮った。そして、単刀直入に切り出した。「隆、結婚式の日に私がなんて言ったか、まだ覚えてる?」隆は眉をひそめて、しばらく必死に思い出そうとしていたけど、結局は思い出せなかったみたい。やっぱり。彼が、あの日の私の言葉を覚えているなんて、期待するだけ無駄だった。たかがマンゴーひとつ。たかが冗談ひとつ。そう、大げさに騒いでいるのは私の方だ。冗談の通じない、面倒な女なんだ、私は。でも、隆、世界中の誰だっていい。あなただけは私を傷つけちゃいけなかったのに。私が黙っていると、彼は何かを思い出したように、はっ
「何?」隆は険しい顔で問い詰めた。「田村部長が先日、SNSに載せていた投稿のことです。嵐のような7年間を、一緒に乗り越えられて本当によかったって……」相手の声はどんどん小さくなり、最後には聞き取れなくなってしまった。でも、その場にいたみんなには、言いたいことがはっきりと伝わった。その言葉に、蘭はまるで夢から覚めたかのように隅から飛んできた。彼女は問いただすように叫んだ。「何だって?!あのクソ女!誰がそんなことを許したっていうのよ!」蘭は人の愛人になるくらいの度胸があるのだから、分かっていたはずだ。ひとたび関係がバレてしまえば、ネットでみんなから袋叩きにあうことくらい。そして、私のあのツイッタへの投稿が、あの二人にとどめを刺すことになった。だから私がヴィクトリア・プロジェクトを手にしたことも、世間の目には冷たい仕打ちだなんて映らない。むしろ、やられたらやり返す、頭の切れる女だって思われることだろう。その言葉が終わるか終わらないかのうちに、蘭は隆に平手打ちを食らった。それはとても強い一撃で、頬はたちまち赤く腫れあがり、そのまま地面に倒れ込んだ。彼女は、隆に本当に叩かれたことが信じられない様子だった。「誰がお前に直美を罵ることを許した?直美は俺の妻だ。お前は一体何様のつもりだ?」私がこれまで、何度も失望させられながらも、結局、許してきたことを、隆は思い出していた。そして、そんな私をないがしろにしてきた日々を、今になって後悔している。彼は、何があったにせよ、私の気持ちは変わっていないと思っている。だから隆は、必ず私を取り戻し、もう一度私の心を手に入れると心に誓っていた。絶対に離婚なんかしない。今まで起きたことは、二人の人生にとって、ほんのささいな試練に過ぎない、と。……海外に出てから、私はDMグループで順調にやっている。英樹は私を高く評価してくれて、たくさんのプロジェクトを任せてくれた。それに、転職の際に大きな「手土産」を持ってきたので、私の入社を快く思っていなかった役員たちも、文句は言えなかったようだ。ここでは、働いた分がきちんと収入に反映される。安い給料で、責任だけが重い仕事をさせられるなんてことももうない。とても気が楽だった。仕事で忙しくしているうちに毎日が充実してきて、過去のこともだんだんと忘れ
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