LOGINでもよしくんは、ちょっと考え込む素振りをして、そのまま帰らないでそこに居てくれたの。
「帰るんだったら、夜道は危ないから一緒に帰ってやるよ」 この人は、どうしてこんなに優しいんだろう。 渡辺さんのことが好きなくせに、なのにどうして私にもこんなに優しいんだろう。 でもそれはとっても素晴らしいことだと思います。 そういうよしくんだからきっと私は好きになったんです。 だけど、今はそれが辛い。 その優しさが私だけに向いているわけじゃないことが辛いの。 それ以上の想いが渡辺さんに対して向けられているんだなって思うと羨ましいの。妬ましいの。そして……寂しいの。 (ずるいよ、よしくん。渡辺さんにだけ優しければいいのに。そしたら私だっ京都駅で新幹線を降りて、在来線に乗り換えて奈良へ。 さらに駅からバスへ乗り込み、最初の目的地である東大寺に着いた頃には、もう昼近かった。 「うわーっ! でっけえな、南大門!」 目の前に現れた巨大な門を見上げ、良樹は思わず声を上げた。教科書で見たことはあったけれど、実物は想像以上の迫力だった。 しかし、その感動を分かち合おうと隣を見ても、誰も彼の興奮に応えてはくれなかった。 藤原は「あの金剛力士像は運慶・快慶が中心となって……」と、しおりに書かれた説明を真面目に読み上げ、志保は……。 「ねえ、すごいね!」「うん、すごい……なんか、圧倒されちゃうね」 志保は良樹ではなく、美咲の袖をそっと引きながら小さな声でそう呟いた。 大仏殿の中は、ひんやりとした空気に満ちていた。 見上げるほど巨大な盧舎那仏像。その荘厳な姿の前に立てば、自分の悩み事がちっぽけなものに思えてくる……なんてことは全くなく、四人の間の気まずい空気は、大仏の慈悲をもってしても和らぐことはなかった。 「すごい迫力だね。写真で見るのとは、全然違う」 藤原が、感心したように呟く。 「そうだね。本当に大きい……神々しいっていうか、あ、仏様だから神々しいはおかしいのかな?」 志保が目の前の大仏を見上げながら、そう言った。 その横顔を藤原が、どこか切なげな、しかし、慈しむような優しい目で見つめていることに良樹は気づいてしまった。 そして、そんな藤原の視線に気づいた美咲が、眉をひそめながら鋭い視線を良樹へと突き刺してくる。 (……なんだよ、この空気は!) たまらなくなった良樹は、一人その場から逃げるように、足早に離れた。 昼食は、班ごとに決められた店で
僕が抱えている、この腹の底で渦巻く黒くて重たい感情は、オマエとの友情や槇原さんへの同情だけじゃないんだよ。 僕が本当に腹を立てているのはさ、お前がいま楽しそうに話しているその幸せが、僕がずっと喉から手が出るほど欲しかったものだからなんだよ。 渡辺一美さん。 僕が彼女を好きになったのは、いつからだったか。 一年で同じクラスだった時、いつも窓際で窓の外を眺めていた彼女の横顔を、僕は何度も盗み見ていたんだ。 少しキツそうな目つきとは裏腹に、時折見せる笑顔の落差がたまらなく可愛くて、ちゃんと話してみたいとずっと思っていたんだ。 でも、不良っぽいという噂や彼女が持つ独特の空気に気圧されて、結局僕は一度もまともに話しかけることすらできなかった。 二年になって、クラスが別々になって。それでも、廊下ですれ違うたびに目で追っていたよ。いつか、きっかけさえあればって、そんな淡い期待を抱いていたんだ。 そんな時だ。オマエが渡辺さんと親しげに話しているのを見かけたのは。 席が隣になったからだと、最初はそう思っていた。でも日に日に楽しそうになっていく様子を見るたびに、胸の奥が軋むような痛みに襲われたんだ。 そしてあの日「渡辺と付き合うことになった」と川島から報告された時、僕は笑って「よかったな」と言うことしかできなかった。親友の幸せを祝福するフリをすることしか。 そうだよ、僕はあの時、心から祝福なんてしてなかった。祝福したフリをしていただけなんだ。 (なんで、オマエなんだよ……) イヤホンから流れるギターの音が、頭蓋骨に直接響く。 オマエには槇原さんという、あんなにも一途に想ってくれる可愛い女の子がすぐそばにいるじゃないか。 なのにその存在に気づきもせず、気づこうともせず、あろうことか僕がずっと恋焦がれていた女の子まで手に入れてしまった。 神様がいるなら教えてほしい。どうしてこんなにも、人の気持ちは上手くいかないようにできているんだろう。どうしてそうしたんですか。 ――いや違う。神様のせいじゃ
市原は、周りには聞こえないような低い声でそう言うと、藤原の隣の女子生徒に「ごめん、少しだけ席、代わってくれる?」と、爽やかな笑顔で頼み込んだ。彼女は、顔を赤らめながら、すぐに席を立った。 藤原の隣に、市原が深く腰を下ろした。 (なんで市原くんが?) 藤原は困惑していた。市原は良樹と並ぶ有名人なのでもちろん知ってはいるが、個人的な接点は全くない。おそらくまともに話したこともないはずだ。 「……大変なグループになっちゃったね」 市原はそう言って、修学旅行のグループに触れた。 「……うん。まあね」「あいつ……川島のこと、どう思う?」 ストレートな問いだった。藤原は、言葉を選びながら正直に答えた。 「少し……危うい感じがする。この前の球技大会だって、春の大会の時とは全然違ったから」「……だよね」「なにか、あったの?」「あったと思うよ。ただ、当の本人は何もわかってないんだろうけどね」 市原はそう言って、通路の向こう側で渡辺と楽しそうに話している良樹の横顔を、一瞬だけ冷たい目で見つめた。 「あいつは今、もう自分も周りも見えてないんだ。だから……」 市原は、再び藤原の方へと向き直った。その瞳は、先ほどまでの冷たさとは違い、真剣で、どこか懇願するような色を帯びていた。 「……槇原さんのこと、頼むな」 あまりにも短い、しかし、あまりにも重いその一言。 藤原は、ゴクリと唾を飲んだ。 それは、ただの頼み事ではない。かつて志保の隣にいた男の親友が今、志保の隣に座るかもしれない自分に、彼女の未来を託しているように彼には感じられた。 「……うん。わかってる」
ざわめく東京駅のホーム。集合場所には、すでに多くの生徒が集まっていた。良樹はその人混みの中、すぐに渡辺の姿を見つけた。 「おー、渡辺! 待たせたな!」 良樹は努めて明るい声を出し、彼女のもとへ駆け寄った。心の中の動揺を、振り払うように。 「ううん、私も今来たとこ。……あれ、川島くん、顔、赤くない?」「え!? そ、そうか? 電車の中、暑かったからかな」 他愛のない会話。カノジョとの、いつもの時間のはずだった。 しかし良樹の目は、ごく自然と渡辺の肩越しに人混みの中を彷徨っていた。さきほどまで一緒だった志保が、いつの間にかいなくなっていたからだ。 (……あいつ、どこ行ったんだろ) 無意識のうちに志保の姿を探している、その事実に良樹自身は気づいていない。 しかし、渡辺は気づいていた。彼の瞳が、自分ではない誰かの姿を必死で探していることに。そして、その「誰か」が誰であるのかも。 彼女は、何も言わなかった。だがその脳裏には、あの日、美咲に叩きつけられた言葉が鮮明に蘇っている。 ――アンタがどんなに頑張ったって、川島にとっての本当の『特別』には絶対になれないよ (……江藤さん。見てる?) 彼女は心の中で、ここにいないはずのライバルに対して挑発的に微笑みかける。 (アナタたちの言う『宝物』も、『特別』も、全部私が奪ってあげるんだから) 渡辺はにっこりと完璧な笑顔のまま良樹の腕に、まるで獲物を捕らえる蛇のようにそっと、しかし強く自分の腕を絡ませた。 「川島くん、楽しい修学旅行にしようね」 その声は甘く、そしてどこか有無を言わせぬ強さを持っていた。まるで鎖のように絡みつくその腕の感触に、良樹は何とも言いようのない息苦しさをなぜか感じていた。 良樹たちを乗せた新幹線は、滑るように西へと向かってい
修学旅行の朝は驚くほど早くやってきた。 まだ薄暗い中、良樹はほとんど条件反射のようにベッドから這い出し、顔を洗ってリビングへと向かう。 そこにはもう、食卓に2人分の朝食を並べている薫子と、すでに出発の準備を終えた志保の姿があった。 「おはよう、良樹。ちゃんと起きられたのね」「おはよう、よしくん!」「……お、おう。おはよう」 薫子の明るい声に続いて聞こえた志保の声は、いつもよりだいぶ弾んでいるように聞こえた。修学旅行が楽しみで仕方ないのか? 良樹はテーブルを挟んで志保と向かい合わせに座った。 「楽しみだね、修学旅行!」「……まあな」「京都の紅葉、テレビで見たけど、すっごく綺麗なんだって!」「……ふーん」「荷造り、ちゃんと終わってる? 忘れ物はない?」「大丈夫だって。リスト見ながら全部入れたよ」「お財布も、忘れちゃダメだよ」「……オマエは俺の母親か!」 やっぱりはしゃいでるよな、と良樹は思う。そして、こんなに話したのはいつ以来だろうかと考えた。 「それじゃあ、行ってきます」「いってらっしゃい。二人とも、気をつけてね。……志保ちゃん、良かったわね、良樹と一緒で」「……はい!」 薫子の言葉に、志保は満面の笑顔で答えた。 「ねえ、よしくん。渡辺さんと一緒に行かなくて、ホントによかったの?」 駅まで向かう道すがら、志保はそう尋ねた。彼女はただ純粋な疑問として尋ねているように見えた。その瞳には何の棘もない。 「……別に、いいんだよ。向こうも別の友達グループと一緒に行くって言ってたし」 それはウソではない。 「それに、まあ…&hellip
夕食を終えた川島家では、家族それぞれがリビングで思い思いの時間を過ごしていた。 ソファでは樹が新聞を広げ、薫子がその隣で編み物をしている。床では瑞樹が志保の膝を枕にして、少女漫画を読んでいる。高校生の竜樹はテレビのスポーツニュースをぼんやりと眺め、良樹と志保も何の気なしにテレビを眺めている。 「そういえば良樹と志保ちゃんは、修学旅行の当日は東京駅まで誰と行くか決まってるの?」 ふいに薫子が手を止めてそう言った。 「いや、俺はまだ決めてないけど……」 良樹はもちろん渡辺と行くつもりだったが、残念ながら彼女はすでに他の友達と約束をしていたらしく、ひどく謝りながら断られていた。 「志保ちゃんは?」「私も……まだ決めてないです」 志保もまた、藤原と約束をするには至っていない。彼から誘われてはいるのだが、志保はまだ明確な返事をしていなかった。 「そうか。なら良樹、オマエは志保ちゃんと一緒に行きなさい」 話を聞いていた樹が、新聞から目を離してそう言った。 「えっ! なんで俺が!?」 反射的に良樹は声を荒らげた。その反応に、横で聞いていた竜樹は「やれやれ」とでも言うように小さく首を振った。 「なんでも何も、志保ちゃんを守るのは、お前の役目だろう?」 樹の、静かだが重い一言がリビングに響き渡る。竜樹が少し驚いた顔で父を見つめている。 父のその言葉に、良樹はハッとした。 それは、幼い頃から何度も何度も言われ続けてきた言葉だ。 (でも、今は渡辺が俺のカノジョで……志保は藤原と仲良くしてて……。俺たちは、もう昔みたいにいつも一緒にいるわけじゃないのに。それでも俺が、あいつを守るのか? 渡辺じゃなく?) 混乱する良樹の心を見透かすように、樹は言葉を続けた







