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第8話

Penulis: 小川
澪は、胸の奥で小さく息を吐いた。だが、それも一瞬のことだった。すぐにいつもの表情へ戻る。

「私が隼人に、そんなメールを送ってない」

冤罪を着せられても、その声は静かだった。けれど、はっきりとした強さがあった。

「さっきメールの送信時刻を確認したけど、今朝の9時だった。その時間なら、私はあなたたちの結婚式会場で設営の手伝いをしていた。現場には30人以上のスタッフがいたから、証言してくれる人はいくらでもいる」

そこで澪は一度言葉を切り、そっと視線を上げて隼人を見た。「それに――加賀家ほどの力があれば、送信元のIPアドレスくらい、特定できるでしょう?」

わずかに微笑む。「どうする?調べてみる?」

その言葉に、瑠奈の表情がほんのわずかにこわばった。

自分が雇った人物の工作が、本当に足がつかないものだったのか。もし調べられたら、すべてが露見するかもしれない――そんな不安が、一瞬だけ彼女の胸をよぎった。

しかし、隼人は冷ややかな声で言った。「この話はもう終わりだ。これ以上、誰も口にするな」

そして、澪へと鋭い視線を向ける。「瑠奈は俺が選んだ生涯のパートナーだ。彼女の過去に何があっても、俺の妻だってことには変わらない」

澪は自嘲するように笑った。

隼人は、澪が瑠奈の過去を調べ上げ、2人の結婚を壊そうとしているのだと思っているのだろう。

そして、この一件が瑠奈自身が仕組んだものだと、澪もほぼ確信していた。

けれど、もうどうでもよかった。2人の間で何が起ころうと、自分には関係ない。

あと3日。

3日後には、澪は2人のもとから離れられる。

隼人が去ると、瑠奈は途端に涙を拭った。そして、勝ち誇ったような笑みを浮かべて澪を見る。「確かにあのメールは、私があなたの名義を借りて送ったの」

澪の反応をうかがうように、瑠奈は口元を歪めた。「隼人に言いつければ?」

そして身をかがめ、澪の耳元で囁く。「まあ、そんなことしたら、澪がもっと隼人に嫌われるだけだけどね」

写真騒ぎの後、澪は余計なことをいっさい言わなくなった。

瑠奈がどれほど挑発してきても、ただ黙って受け流す。

――あと3日、耐えればいい。

そう、自分に言い聞かせながら。

結婚式を翌日に控えた夜、隼人から澪にメッセージが届いた。

――「結婚式当日の流れを、もう一度確認したい」とのことだ。

澪は疑うことなく、指定された場所へ向かった。

しかし、ナビが案内した先は見覚えのない住所だった。部屋で澪を待っていたのも、隼人ではなく、啓介だった。

「加賀も、意外と約束は守る男なんだな」

啓介は澪の姿を見るなり、すぐに扉を施錠した。

出口を塞ぐように立ち、澪の姿を上から下まで眺めながら、面白そうに口元を歪める。

「あのネックレスを加賀に届けてすぐ、あいつはお前を俺のところへ寄越した」

澪の頭の中が、真っ白になった。

――そんな……

あの日、あれほど自分を庇っていた隼人が、今度は自ら、自分を啓介のもとへ差し出したというのか。

信じられない思いで頭の中が混乱した。

けれど、啓介はそんな澪の戸惑いなど意に介さず、一歩、また一歩と距離を詰めてくる。

澪は手のひらを強く握り込み、必死に自分を落ち着かせた。

「岩井さん。私に手を出したら、どうなるか分かってます?」

「分かるも何も、加賀はもうお前を捨てたんだろ?今さら、何を気にする必要があるんだ?」

啓介は、獲物を追い詰めるハンターのように澪を弄んだ。澪がドアへ駆け寄るたび、その手前で引き戻される。

「澪。お前が加賀と関係を持ってなかったら、俺も結婚くらい考えてやったかもしれない。顔は本当に、申し分ないからな」

啓介は嘲るように笑った。

「だが、残念なことに、お前はもう加賀の『お下がり』だ。あいつがいらなくなった女なんて、喜んで拾う人はいないさ」

さらに澪の頬を軽く叩き、面白がるように口元を歪める。「もっとも、これから大人しく俺のそばにいれば、悪いようにはしない」

その言葉に、澪は吐き気を覚えた。それでも顔には出さず、むしろ柔らかな声で答える。「……分かりました。だったら、手を放してください。こういうことは、お互い納得してるほうがいいでしょう?」

もちろん、啓介も澪が本心からそう言っているわけではないと分かっていた。それでも、自分から逃げ切れるはずがないと高をくくっていたのだろう。

愉快そうに笑いながら、あっさりと澪の手を離した。

澪は少しずつ後ずさりしながら、素早く室内を見回した。

護身に使えそうなものは――テーブルにあるワインボトルが2本。それから、近くに置かれた灰皿だけ。

一瞬で、澪の頭の中に脱出までの道筋が組み立てられていった。

澪は怯えたふりをして、じりじりと後ずさりした。灰皿のある場所まで下がると、啓介が楽しそうに笑いながら距離を詰めてくる。「まだ逃げるつもりか?」

啓介の注意が澪の顔に向いている、その一瞬だった。澪は渾身の力で、彼の急所を蹴り上げた。

啓介が呻き声を上げて身を屈めた隙に、澪は迷わず灰皿をつかみ、勢いよくその頭に叩きつける。

さらにライターを取り出し、テーブルクロスに火をつけた。

その上から、2本のワインを一気に振りかける。

――今日の昼間、結婚式場にある108本のキャンドルを澪自身の手で灯してほしいと、瑠奈が無理を言っていた。

そのおかげで、ライターがポケットに入っていたのだ。

啓介が痛みにのたうち回っている間に、澪は素早く扉を開け放つ。

「火事です!助けてください!」

叫び声を聞きつけ、すぐに何人もの人間が駆けつけてきた。澪はその人波とは逆の方向へ、全力で走った。

どれほど走ったのか分からない。足が震え、今にも力が抜けそうだった。それでも足を止めることはできなかった。

ようやく人通りの多い商業施設までたどり着いたところで、澪は初めて立ち止まった。

道路脇に身を寄せると、背中はすでに冷や汗でぐっしょりと濡れていた。

胸元に手を当て、荒い息を繰り返す。しばらくしてようやく呼吸が落ち着いたところで、澪はスマホを取り出した。

その瞬間、隼人からメッセージが届いた。

【明日は早めに式場へ来てくれ。花嫁介添えとして、準備を手伝ってほしい】

澪は冷たく笑った。そして、ためらうことなく隼人をブロックした。

もう二度と、隼人と会いたくなかった。

家に戻って荷物を取りに行くことすら諦め、そのまま空港へ向かう。

そして、川南市行きの最も早い便を予約した。

胸の奥の不安は、なかなか消えなかった。

だが、飛行機が滑走路を離れ、空へと浮かび上がった瞬間――

澪はようやく、すべての力が抜けるのを感じた。

長く息を吐き、心の中で静かに呟く。

――さようなら、西京市。さようなら、隼人。

今度こそ、永遠に。

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