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第18話

Author: 青山米子
言吾の向かいに立つ男性は、知的で端正な顔立ちをしていた。言吾の言葉に、控えめな笑みを浮かべながら丁寧に応じる。「そこまでおっしゃっていただく必要はございません。青山さんには既に十分感謝の言葉をいただいておりますので」

言吾は眉をひそめた。縄張り意識の強い彼は、妻の命の恩人とはいえ、この男に本能的な嫌悪を感じていた。「三浦さん、何かございましたら、必ず私にお申し付けください」

「それでは、妻を連れて失礼します」そう言うや否や、言吾は一葉の体を強く抱き寄せた。痛みを怖れる一葉は、その力の加減に身動きが取れなかった。

一葉の苦痛を察知した三浦教授が、眉間に皺を寄せる。「深水さん、奥様はまだお体が弱っています。そんなに強く抱きしめるのは」

その言葉に、既に険しかった言吾の表情が一層冷たく凍りついた。腕の力は緩めたものの、三浦教授への視線は氷のように冷たかった。先ほどの感謝の念も礼儀正しさも消え失せている。

「命の恩人として、どんなお礼でも差し上げます。ですが、私の妻のことは——余計なお世話です」

その強い独占欲を滲ませた言吾の口調に、以前の一葉なら、きっと嫉妬の現れだと喜んでいただろう。

しかし今の一葉には分かっていた。これは単なる縄張り意識だ。自分の領域に他の男が踏み込むことを、言吾のプライドが許さないだけなのだ。

三浦教授は何か言いかけたが、一葉の表情を一瞥すると、黙って口を閉ざした。

言吾が一葉を見下ろす。今までにないような優しさを装って。「家に帰ろう、一葉」

まるで何事もなかったかのように、恋に溺れる夫婦を演じている。

一葉の内心では、よくもここまで厚顔無恥でいられるものだという思いが渦巻いていた。

優花のために何度も自分を見捨てておきながら、こんなに愛情深い夫を演じられる神経が理解できない。

冷ややかな微笑を浮かべながら、一葉は心の中で数を数え始めた。一、二、三——

言吾が来るのを見計らって、優花にメッセージは送ってある。さぞかし必死になって、大好きな言吾さんを取り戻そうとしているはずだった。

三まで数え終わる前に、案の定、電話が鳴った。

特別に設定された着信音を聞いた途端、言吾は一葉の腕から手を放し、急いで電話に出た。受話器の向こうで囁かれた言葉が何であれ、彼の表情は一瞬にして深刻な色を帯びた。

電話を切ると、言吾は一葉の方を振
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智子
短いのにポイントは高い ポイント分の価値がない ダラダラと同じことを繰り返してる 少し進んだかと思ったら同じ内容の繰り返し お金を稼ぎたいだけにしか思えない
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