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第10話

Author: 昔の昔
道則は、ただ頭がガンガンと鳴るのを感じていた。

彼は駆け寄って家政婦の襟元をつかみ、連日の疲れで目は血走っていた。

「なぜ妻がスーツケースを持って出て行ったことを、すぐに知らせなかったんだ?」

家政婦は彼の鬼気迫る表情に怯えて、震えながら答えた。

「わ、わたし、お電話はしました……」

「電話してきたときは、彼女の顔色が悪いって言っただけだっただろう?」

家政婦は手を振りながら説明した。「奥様が出て行かれたあと、すぐにお電話しました。でも電話に出たのは玲子お嬢様でした。

彼女が、旦那様はお休み中だと言っていました。私が奥様が出て行かれたと伝えると、伝えておくと言っていました」

玲子?

道則は家政婦を突き放し、「あのクソ女、よくも俺の電話に出やがったな!」

彼は振り返って壁の空白を指さした。「じゃあ、あの結婚写真はどうなったんだ?」

「奥さんが埃がついてるから拭かないとと言って、外して寝室に持って行きました」

道則は慌てて二階の寝室へ駆け上がった。

ドアは少し開いていて、道則は震える手でそっと押し開けた。

ベッドはきちんと整えられていた。

彼はドアの前に立ち尽くし、急に中へ入るのが怖くなった。

寝室の様子は一目で見渡せたが、結婚写真はどこにも見当たらなかった。

道則はほっと胸をなでおろした。もしかすると夏子は本当に埃を拭くためだけに外したのかもしれない。

しかしその時、ふとベッドの下から額縁の端が覗いているのが目に入った。

道則は足元から力が抜けるようになりながら、這うようにして額縁をベッドの下から引き出した。

高さ二メートルの結婚写真は、誰かによってハサミで真っ二つに切られていた。

夏子の写っている半分はなくなっており、道則一人の姿だけが残されていた。彼はようやく気づいた。別荘のどこにも夏子の匂いが残っていないことに。

ピンポーン――

インターホンが鳴った。

道則はふらつきながら立ち上がり、玄関へ駆け寄った。

「きっと夏子が帰ってきたんだ、夏子!」

ドアを開けると、そこに立っていたのは郵便配達員だった。

「お届け物です。署名をお願いします」

道則は何か届く予定があったか思い出せず、適当に署名をして、それを玄関のシューズボックスの上に無造作に置いた。

彼はソファに崩れるように座り込み、両手で頭を抱えた。「夏子は出
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