LOGIN幾千の人間を己の傲慢で殺し尽くした災厄の暗殺者、死を作り続けた罪人が自分に求めていたのは『自らの死』だった。 しかし、彼に訪れた突然の死でも、それを見ていた人間を超越する存在は安寧を許してくれなかった。 訪れたのは祈りを念頭にして魔術を扱う、罪と徳がそれぞれ暗躍する世界。そこで彼は愛する者を守るために魔術という祈りを武器にあらゆる苦難に立ち向かう。 謎が解き明かされたら出るのは真の救済か?それとも絶望か? 本当の善と悪とは一体何なのか……? これは『沈黙思想譚(ちんもくしそうたん)』という『祈り』の真なる意味を考える話である。
View Moreこの話は、幾千《いくせん》の屍《しかばね》を築いた暗殺者の青年とそれを取り巻く者達の祈りが紡《つむ》ぐ、ファンタジー救済譚。
しかし、忘却は祈りを鈍《にぶ》らせる。 まるで歴史が風化して曖昧になるように……。 祈りが届かない者の名は、声にすらならず、風に消える。 ーーーもし、その風に感情があったのなら……風は何を思って消えたのか? 闇は光より先に、祈りはその名を呼んだ。 闇より届いた祈りは、果たして誰の祈りだったのか? 彼らは祈ったのではない。 世界を変えるために……裂いたのだ。 世界は祈りでは変わらないのか……? それとも……。 あなたがもしなにか祈りを抱いているならば……それを手放さない理由は……? これは『祈りとはなにか?』という問いを、思想そのものの物語に置き換えたもの。 祈りを見つけるために、罪に塗れた青年が見た世界。 そして……その序章。 --- 熱い。熱い。熱い……。 胸を素手で──いや、レクスの瞬間移動による強烈な吐き気をどうにか押し殺し、平静を装って門へと近づいた俺は、学園都市《ノウズ》へ足を踏み入れようとした瞬間、ある違和感に足を止めた。 五メートルはあろうかという重厚なレンガの門が、すでに開かれていたのだ。 巨大な体を揺らしながら荷物を持ち上げて歩くレクスに、その疑問を投げかけようとした。 だが、彼はまるで俺の思考を先読みしたかのように口を開いた。 「不思議に思うことはない。あのババアからすれば、俺たちはもう“到着を知っている客”だ。もし着いた時に門が閉まっていたら、それは『お前はこの都市にふさわしくない』って意味になる」 (なるほど……) 俺は心の中で、七元徳“勤勉”の魔術についてひとつの推論を立てる。 俺の視線に気づいたレクスは、『さて、どういう推測を立てる?』とでも言いたげな顔でこちらを窺っていた。 知識と予言の領域──。 アーコブの魔術が、大地から高純度の鋼を錬成し、武器として射出する「物理と物量の極致」であるならば。 彼女の魔術は、対象の一挙手一投足、あるいは未来の情報を断片的に読み解くような「予知」に近い力ではないか。 もしその両者と同時に敵対すれば、相性次第でいともたやすく完封される。恐るべき理不尽だ。 「……“勤勉”様の魔術は、未来予知に近いものですか?」 「まぁ、これまでの状況からそこまで至ったのなら、及第点だな」 俺の分析に採点を下すレクスの背中を追い、開かれた門をくぐる。 その先で、ひとりの女性が腕を組んで待っていた。 白髪に、尖った長耳。 若々しい容姿とは裏腹に、その視線には何百年もの時を圧縮したような重厚な圧がある。 「来たか……レクス」 「よぉ、ババア。アーコブのじいさんに頼まれてなきゃ、二度と顔なんて見たくなかったぜ。自ら出迎えなんて、珍しいじゃねぇか」 「えっ? レクスさん、この人が“勤勉”なんですか?」 俺の問いに、レクスは無言で頷く。挨拶をしようと口を開きかけたが──それよりも早く、上から言葉を被せられた。 「いい。お前が“偽名”を使っていることすらも知っているぞ、ソル……? 久しぶりに、私の知識欲が刺激された」 「あー、始まった……」 レクスが背を向け、うんざりしたように嘆息する。 何が始まるというのか。
「なんで“勤勉”なんかに助力を求めなきゃいけないんだよ。アーコブのじいさん」 レクスが開口一番に不満を漏らした。 その顔つきは普段以上に強張《こわば》っていて、どこか余裕がない。 そして、その瞳は一瞬……ほんの僅《かす》かにだが、悲しげな色に染まったように見えた。 俺の気のせいだろうか? 「レクス、そう言うな。あの少女が事情を話せない以上──“勤勉”の力を借りるしかないんだ」 アーコブが諭すように言うが、レクスはそれでも首を縦に振らない。 「……そう言われてもな」 普段ならなんだかんだ文句を言いつつ、最終的にはアーコブの指示に従うレクス。 だが今回は、露骨に渋っている。 (珍しいな……) 彼は軽口こそ叩くが、アーコブの指示に妥当性を見つければ必ず従う男だ。 だが今の彼には、衛兵隊の長という役割を忘れるほど明確な嫌悪感が滲み出ている。 否、もしかしたら従うという選択から、どうにかして逃避しようとしているかのようだった。 “勤勉”という呼称に、俺は心当たりがない。だが、推測はできる。 アーコブは自らを“忠義”の元徳と名乗っている。ならば、“勤勉”も同じ七元徳のひとつ。 大戦を勝ち抜いた始祖の末裔のひとり──それが今回、力を借りる相手なのだろう。 「アーコブ様……“勤勉”という方は、レクスさんがこれほど嫌がるくらい、“人格”に問題があるのでしょうか?」 俺がそう訊ねると、アーコブの目が泳いだ。 レクスは「けっ……」と短く息を漏らし、顔を逸らす。その横顔には、先ほどは上手く確認出来なかった、暗く重い何かが宿っていた。 やはり何かある。俺はそう確信した。 何故なら、アーコブの顔にも言葉を選ぶような困惑の色が垣間見えたからだ。 普段の彼なら、絶対にこんな顔は見せない。 「えーと……彼女は、少し『特殊』でね」 「何でもかんでも、短所を見つけては矯正しようとする。自分を完璧な魔術師だと思い込んだ、いけすかねぇ狐婆《きつねばばあ》だよ!!」 アーコブの言葉を遮るように、レクスが吐き捨てた。 これもまた、珍しい反応だった。 (もはや間違いない) “勤勉”という人物とレクスの間には、過去に何かがあったのだ。 「言い過ぎだよ、レクス。彼女の『あの魔術』のせいで、他者
フェルータの祖母と母、そして服を無理やり着せられたフェルータが、目を赤くして俺の向かいに座っている。 さっきから、重苦しい沈黙が続いていた。 母親と祖母の二人に挟まれ、尋問《じんもん》される形になっているというのに、フェルータは時折《ときおり》、鼻をすするだけで、頑なに口を閉ざしている。 『フェルータ? 説明しなさい!!』 厳しい口調で祖母が問い詰める。だが、フェルータは口を開こうとしない。 まるで、自らの内に秘めた何らかの覚悟を、無言で主張しているかのようだった。 『何があったの? 言わないと分からないわよ?』 今度は母が優しい声をかける。 その声に押されるように、フェルータはとうとう自身の犯した罪を暴露《ばくろ》した。 「……ソル様の貞操《ていそう》を、奪おうとしました……」 フェルータがしぶしぶ答えると、二人は目を伏せ、深く考え込んだ。 仮にも主《あるじ》の客人である俺に手を出そうとした。その事実を前に、身内としてどう言葉をかければいいのか分からないのだろう。 やがて、フェルータがゆっくりと口を開いた。 「私はもう……職《ここ》を辞めさせて──」 だが、フェルータが言い切る前に、俺は強引に言葉を挟んだ。 ここで止めなければ、彼女は永遠に何処かへ行ってしまう。 取り返しのつかない事態になる。そんな恐怖にも似た感情が俺を支配した。
「……えーと。まず聞きたいんだけど……君は、名前は?」 少女を怖がらせないよう。 俺は暗殺者時代に培った、人を安心させる笑顔を作った。 声はなるべく柔らかく。掴みはこれでいいだろう。 そう思っていた。 だが、返ってきたのは、俺の想像の余地すら破壊する無機質な響きだった。 「えーと? まず? んー? なまえ?」 純粋な目で、言葉の音だけをオウムのように繰り返す。 (……ふざけているわけじゃない) 俺は一瞬、どうしていいのか分からなくなりレクスに視線を移した。 だが、レクスはただ黙って視線で促す。続けろ──と。 「君は……《境》の者かな? 憤怒の民、って呼ばれてるけど」 「きみは? じょう? のもの? ふんぬ、の……みん?」 最後の確証を得るために踏み込んで聞いた。 だが、結果は同じ。 意味を持たない「音」だけが、空洞に響くように返ってくる。 「……言葉が、通じてないわけじゃない。発音はできる。けれど、意味を何一つ知らない──」 まるで赤子に向かって話しているような感覚。 彼女は、記憶も、言語も……なにも持っていなかった。 レクスが低くうなりながら言う。 災いを呼ぶという少女に、記憶がない。事情の聞き出しようがない。 普通なら、村人達の動きをどう抑えるか途方に暮れるレベルだ。 「ともあれ、アーコブじいさんに報告だ」 「……俺が行く」 思わず素の言葉遣いが出てしまったが、レクスは気にすることなく頷いた。 「分かった。判断が出るまで、民衆の動きは止めておく」 そう言うと、レクスは足早に部屋を後にした。 部屋に残るのは、俺と少女だけ。 眠っていたはずの記憶が、喉の奥からせり上がってくる。 俺は暗殺者としての仮面を無理やり顔面に縫い付け、最後の抵抗で笑顔を作ろうとしたが……。 すぐに。 パリン、と。 音を立てて、俺のすべてが砕け散った。 「なんだ、これ……」 「ん……?」 少女は、不思議そうに小首をかしげる。 その瞬間、言葉にならない嗚咽が込み上げた。俺は叫んでいた。 「俺だよ……××××だよ。……覚えてないのか? お前は……俺の……俺の……俺の……っ!!」 (俺が『愛した』人だ!!) 最後の言葉はもはや言葉にならない。