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─2─孤児院

Auteur: 内藤晴人
last update Dernière mise à jour: 2025-03-18 20:30:00

 室内に入ると同時に、ボクらは子ども達に取り囲まれた。

 ボクと同様ずぶ濡れになった少年は、無言でボクを子ども達に押し付けると、少し機嫌悪そうにどこかへと歩み去っていく。

 どういうつもりなんだよ。

 ボクは抗議の声を上げる。

 それが届かなかったのか、聞こえないふりをしているのか、彼は振り返ることは無い。

 子どもに取り囲まれたら、後は予想通り。

 広間に連れてこられたボクは、子ども達に撫でられまくった。

 その間、ボクは自分を取り囲む人間達を観察する。

 さっきの女の子は、彼を『お兄ちゃん』と呼んでいたけれど、全然似ていない。

 歳も、見かけもバラバラな子ども達。

 一体ここは、何なのだろうか。『家族』という訳ではなさそうだ。

 そうこうするうちに、先ほどの『導師さま』がやってきた。少し困ったような笑みを浮かべて。

「さあさあ、食事の時間よ。手をよく洗って、食堂へいきなさい」

 優しい声に、子ども達は口々に返事をしながらボクの前から去っていく。

 少し暗い室内に取り残されたボクは、小さく伸びをすると、ボサボサになってしまった体を丁寧に舐め始めた。

 未だ腑に落ちないボクの目の前で、扉は音もなく開いた。

 とっさに毛繕いをやめ、顔を上げる。

 そこに立っていたのは、あの少年だった。

 けれど、街で会った時とは違って生成りのくるぶし丈の服を着ている。

 首をかしげるボクの前に彼は座ると、何やら手に持っていた包みを床の上に広げた。

「こんな物だけど、食えるか?」

 どうやら彼は、自分の食事を残して持ってきたらしい。

 ボクにとっては、これ以上ないごちそうだった。

 おとなしく食べ始めたボクを見ながら、彼はわずかに笑った。

「ここは、『孤児院』って言って……ここにいる子どもは、みんな一人なんだ」

 そんなボクを見つめながら、彼は静かに切り出す。

 一瞬ボクは食べるのをやめて、彼の顔を見上げた。

「導師さまがここのみんなの『母さん』なんだ。君もさっき、見ただろ?」

 なるほど。だからみんな、全然似ていないのか。

 納得して、ボクは再び食べ始める。けれど、彼の言葉は、更に続く。

「本当に親の顔を知らなければ、それを受け入れることができるんだろうけど……。俺の父さんと母さんは、もうどこにもいないから……」

 だから、初めて会った時、彼は一人ぼっちだと言ったんだな。

 すでに包みの中身は、あらかたボクのお腹の中におさまっていた。

 その食べっぷりに、彼は少し驚いたような表情を浮かべている。

 けれど、そのずるずると引きずるような服は何なのさ。

 ボクは小さく鳴いて、彼の足に体をすり付けた。

 彼の手が優しくボクの背中を撫でる。

「似合わないだろ? こんな格好。でも、これでも一応修士だから、嫌だけど着ないわけにはいかないんだ」

 修士? 聞き慣れない言葉に、ボクは首をかしげた。

 街の時とは違って暖かい手が、ボクの頭を撫でる。

「一番下の神官。それが修士。修士の上が導師で、その上が司祭。で、一番上が大司祭」

 そうなのか、初めて知った。

 でも、君はまだ子どもなのに神官なの? それって、すごい事なんじゃないの?

 再び首をかしげるボクに、彼はわずかに苦笑いを浮かべていた。

「仕方ないのさ。俺は許されない事をしてしまったから……。こうしなきゃ、生きていく訳にはいかないんだ」

 言いながら彼は、今度は腰にさしていた短剣を撫でる。

 訳が解らないよ。

 ボクの鳴き声に、彼は笑う。

 その笑顔はやっぱり、どこか寂しげで、今にも泣き出しそうに見えた。

 泣くなよ。君も男だろ?

 再び彼の足元にボクは体をすり付けた。

 が、彼は無駄のない動作で立ち上がる。

 気が付けばボクは彼の腕の中へおさまっていた。

「今日は冷たかっただろ? 暖かい場所で、寝よう」

 そう言う彼に、ボクは小さく鳴いた。

     ※

 連れて来られた場所は、ボクにとっては、まるで天国のような所だった。

 雨露がしのげるだけでもありがたい生活だったのに、『寝台』なんていう柔らかい寝床まである。

 とてとて、と走り出し、脇目もふらずにそこへダイビングしたボクを見て、彼は声をたてて笑った。

 そういえば、笑う声を聞くのは、初めてだったかな?

 そんなことを考えながら、ボクは彼を見つめる。

 ボクの視線を背に受けて、彼は壁に設えられていた燭台の炎を一つずつ消していく。

 漆黒に包まれていた部屋の中に、テーブルに置かれたランプの炎だけがぼんやりと浮かび上がる。

 薄暗がりの中にたたずむ彼は、やはりどこか寂しげだった。

 どうしたんだよ。

 一声ボクは鳴く。

 けれど、返事はなかった。

 代わりにごそごそと何やら音がする。

 どうやら彼は着替えているようだった。

 でも、何でわざわざ明かりを落としてから?

 首をかしげるボクをよそに、寝台の上に腰かけた彼はボクの喉を優しく撫でた。

「君は、良いな。とても自由で……」

 言いながら彼は一つため息をつく。

 こちらを見つめる彼の瞳は、やっぱりどこか寂しげで、泣き出しそうだった。

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     初陣以来、息子は着々と軍功を重ね、自分など足元にも及ばないほどの速さで出世していった。それは無論『目』という特異な力もそうだが、それ以上に武芸に励んだ結果でもあり、勇敢さが評価されたためでもあった。 駄馬の家系から駿馬が生まれたようなものだと当初自分は自嘲気味に思っていた。しかし、息子はそんな自分を心底尊敬してくれていると理解したとき、その考えは消えてなくなった。ただただ息子が無事に生きて戻ることを願い、共に生きながらえることができたことを喜ぶのが無二の楽しみになっていた。 そんなことが続いて、何年かの時が流れた。息子は大隊長付の副官的立場となっていた。そして自分のもとにも新たな辞令が届けられた。久しぶりの前線勤務、役職は中隊長だった。 それを知った息子は、父上と共に戦えるのですね、と心底嬉しそうな表情を浮かべていた。だが、目を輝かせている息子とは裏腹に、自分はこの人事に何かきな臭いものを感じていた。 自分が前線を離れて、もうかなりの年月が経つ。鍛錬こそ怠ってはいないが、実戦におけるカンというものはだいぶ鈍っているだろう。そんな自分を、なぜ今更前線に引っ張り出そうというのだろうか。 しかし、自分は国に仕える武人である。どんな裏があろうとも、下された命令には従わなければならないのだ。吐息を漏らしながら、自分は自らの武具を手入れしている息子を見やる。 志願して武人になった息子ではあるが、果たしてそれは息子の本当の意思だったのだろうか。自分は、卑しい利己心から息子の可能性を潰してしまったのではないだろうか。そして、唯一の家族である息子を、何やら恐ろしいものの中に巻き込んでしまったのではないだろうか。自分は、人の親として許されざることをしてしまったのかもしれない。 しかし、なぜこんなことを思うのだろう。自らの思考に疑問を抱きつつ、自分は武具を整えていた。     ※ 出陣を目前に控えたある日の昼下がり、かつての上官……つまりは亡くなった妻の父であり、息子にとっては祖父にあたる人が、珍しく家を訪ねてきた。 妻のことがあってからすっかり疎遠になっていた人が、一体どうして。

  • 名も無き星たちは今日も輝く   ─5─ 変化

     息子の決意を聞いた自分は、それまで教育係に丸投げにしていた鍛錬にまめに顔を出すようにした。時には直接剣をあわせたり、組手をした。加えて用兵術の方は知人のつてを頼って、かつて何度も武勲を上げた高名な退役指揮官の元へ通わせることにした。 直に剣をあわせてみると、驚くべきことに息子はかなり筋が良かった。一方で用兵術の方も大変飲みこみが早いようで、このままいけばどこへ出しても恥ずかしくない指揮官になれる、との有り難い言葉を頂いた。 いつしか息子の身長は自分よりも高くなり、成年を迎えた息子は、徴兵を待たずに志願して自ら武人となった。配属されたのは偶然なのか忖度なのかは定かではないが、所属する分隊こそは違うが自分と同じ部隊だった。 複雑な思いにとらわれる自分をよそに、辞令を手にした息子は自分に向かって深々と頭を下げこう言った。「今まで私を育ててくださり、感謝のしようもありません。この上は父上の名を汚さぬよう、立派な武人となってみせます」 そして、以後は一兵卒として厳しくご指導いただければ幸いです、とはにかんだように笑って見せた。 もっともその頃は、息子の剣技の腕は自分よりも遥かに卓越したものとなっていたので、教えられることなど無いも同然だった。しばし悩んたあと、自分は息子の肩を叩きながら、こう告げた。 より長く戦ってこそ国のためになる。決して、死に急ぐな。必ず生きて帰ることを考えろ、と。     ※ 程無くして、我々に出陣の命が下った。自分は後方の補給部隊、息子は前線の攻撃部隊の配属だった。 敵国の内部に張りめぐらせていた情報網が崩壊した今、敵の動きをつかむのは至難の業だった。戦闘は後手後手に周り、攻撃を仕掛けてくる敵を迎え撃つのに充分な準備期間を取ることはなかなか難しかった。 短期間で補給計画を練る自分をよそに、息子は支給された真新しい武具を嬉々として手入れしていた。 果たして、また息子に生きて会うことができるだろうか。 気がつけば自分はそんなことを考えていた。そして内心首をかしげる。やはり自分の内面は変化したのではないだろうか。 それまで自分は、

  • 名も無き星たちは今日も輝く   ─4─ 決意

     諜報機関の知人に会い家に戻ってからというもの、息子は部屋に閉じこもってしまった。もともと自分と居間で話すことなどほとんどなかったが、その様子は明らかにおかしかった。なぜなら教育係による訓練にも出ては来なくなってしまったのだから。 辛うじて乳母が運んでいる食事は受け取っているようだが、それもほとんど食べてはいないようだった。深夜には時折泣き声やうめき声が漏れ聞こえてくるので、たぶん満足に眠れていないのだろう。 そういえば自分も思い返してみれば、初陣を生き抜いて戦場から戻ってきたあとには、しばらくの間眠ることも食べることも満足にできなかった。成人を迎えていた自分ですらそうだったのだ。それを考えれば、無理もないことだろう。 やはり異国の凄惨な光景をいきなり眼前に突きつけられるというのは、年端もいかない息子にとっては、受け入れ難いほど衝撃的なものだったのだろう。命令だったとはいえ、配慮が足りなかった。そう自分自身を恥じた。 そしてふと、自分はあることに気がついた。それまで愛情のかけらすら持てずにどうしたらよいかわからなかった息子のことを、自分は今こうして心配している。加えて、申し訳ないことをしたと後悔の念を抱いている。これは一体、どういうことなのだろう。 自らの中に突如として生まれたもやもやとした感情をうまく整理することができず、自分は室内をうろうろと歩き回る。果たして自分は一体どうするべきなのだろうか。熟考した末ある結論に達し、自分は意を決して息子の部屋へ足を向けた。 息子の部屋の扉は、その心の内を示すかのように固く閉ざされていた。大きく息をついてから、扉を三度叩いた。もちろん返答はない。 けれど、ここで戻ってしまっては、自分は二度と息子と向かいあうことはできない。そう自らを奮い立たせ、扉を押し開いた。 薄暗い部屋の中で、息子は寝台に突っ伏して低く泣いていた。一大決心をしてここに来たつもりなのに、自分は息子に対して何と言葉をかけてよいかわからず、ただ戸口に立ち尽くしていた。 と、不意に泣き声がやんだ。おそらくは私の気配に気づいたのだろう。そして、息子は涙にぬれた黒い瞳をこちらに向けてきた。「…

  • 名も無き星たちは今日も輝く   ─3─ 接触

      敵国内の情報網を統括する知人は、すぐに息子を連れてくるように自分に告げた。それを聞き、自分はとあることを察した。我が国は今、重大な問題に直面しているという話が水面下で持ち上がっていた。息子の目は、その問題を打破するのに適したものだったからだ。 初めて自分と二人で外出すること、しかも外出先が自分の職場と関係がある場所であると知った息子は、年相応の子どもらしく嬉しそうだった。自分はそんな息子に若干の後ろめたい気持ちを感じていたが、これも息子のためなのだと無理矢理に思い込もうとしていた。 自分と息子を執務室に入れると、知人は座るようにうながした。そして、猫なで声で息子に向かいこんなことを言った。「君か。この国を助けてくれる有望な少年は」 初めての場所に加え、それなりの地位を持つ人物に対峙しているということもあり、息子はかなり萎縮しておびえている。かすかに震えながら、無言で一つうなずくのが精一杯のようだった。 その様子を察したのだろう。知人はいかつい顔に似合わぬ笑顔を浮かべてみせた。「そう固くなることはない。話はお父上から聞いているよ。君は見えないけれど見えているんだろう?」 まったく矛盾するようなその問いかけに、息子は戸惑いながらももう一度うなずいた。その反応に知人は満足そうな表情を浮かべると、卓に片肘を付きながら息子ににじり寄る。「どういうふうに見えているのか、教えてくれないか? 私の顔は、どうかな?」 すると、息子はぽつりぽつりと話し始めた。ふくよかな顔に太い眉に立派なひげ。息子は知人の顔の特徴を紛うことなく答える。その言葉は知人を満足させたようだ。にやりと笑うと、知人はおもむろに本題へ入った。「どうだろう、その不思議な能力を、この国のために貸してはくれないかな?」 思いもよらないことだったのだろう。息子は不安げに隣に座っている自分の顔をのぞき込んできた。 無理もないことだろう。いきなりこんなところへ連れてこられ、力を貸せなどと言われるのだから。 知人は鷹揚に頬杖を付き、睨めるような視線で息子を見やった。「

  • 名も無き星たちは今日も輝く   ─2─ よこしまな考え

    翌日、自分は息子と乳母を伴って聖堂へと向かった。 見えざるものに仕える神官にとっては禁忌である殺人をなりわいとする武人の自分である。当然のことながら信仰心などは皆無だ。聖堂など、自分にとってはもっとも不似合いな場所であり、めったに足を踏み入れることのない場所なことは、自分が一番良く知っている。 最後にこの場所を訪れたのは、妻の葬儀のときだったかもしれない。定められた日に行われる礼拝に預かることも皆無であるから、当然息子がここに来たのは初めてのことだった。 そんな信仰に薄い家族が血相をかえて飛び込んできたものだから、この地域の聖堂を預かっている主任司祭は驚いたような表情を浮かべながらも我々を迎え入れた。 光指す祭壇を背にして立つ主任司祭は、向かいあう長椅子に腰をかけている我々を、一体何事かとでも言うように見つめている。 自分は、物珍しそうに堂内を見回す息子に視線を送る。その様子はまるで普通の子どものようだった。しかし……。 意を決して自分は立ち上がり、率直に主任司祭に告げた。どうか息子を診てはくれないか、と。 それでもまだ要領を得ないような主任司祭に、自分はそれまでのことをとつとつと語った。 知っての通り、自分の妻は息子をこの世に生み出すのと引き換えにその生命を失ったこと。 妻が護ったとも言える息子は、武人の跡継ぎとも言える立場にあるのに目が見えないこと。 このようなことが重なり、自分は息子をずっと愛せずにること。 そんな息子が昨日、顔に傷を負った自分を前にして、それを心配する言葉を投げかけてきたこと。 今まで胸につかえていたことを一息に話し終えると、自分は力が抜けたかのように長椅子に深々と腰を掛けた。一方の主任司祭は、時折うなずきながら自分の言葉にじっと耳を傾けていてくれていた。 では、少々お待ちください、そう断ってから、主任司祭は乳母と共に聖堂の調度品について語り合う息子をしばらくと見つめる。それから息子と乳母の方に歩み寄った。 息子のかたわらに立った主任司祭は、息子に向かい事細かに聖堂内の彫刻や調度品について説明を始める。息子は黒い目を輝かせてその説明を聞いていた。 その様子を注意深く見ていると、主任司祭は息子の目の前で指を動かしてみたり、遠くにある彫刻を指さして息子の目

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