เข้าสู่ระบบ全てが終わった後のパーティー会場は、大きな熱気に包まれていた。
ヴァレンティンの演奏はゲストたちの心に深く刻まれた。彼らは口々に「素晴らしい体験だった」「これほどのホテルは世界にもない」と絶賛しては、グラスを傾けている。そこへ郷田会長が歩み寄ってきた。その隣にピンク色のドレスの女――白河麗華の姿はもうない。
「……完敗だ。素晴らしい演奏だった」
郷田は、隼人の前で足を止めた。
「あの気難しいヴァレンティンを、あそこまで手懐けるとはな。まぐれでできることではない。正直、驚いた」
「運が良かっただけです」
隼人は笑ってみせた。
「謙遜するな。建物だけ立派な成金ホテルかと思っていたが、中身(ソフト)も一級品だったようだ。認識を改めるよ。黒崎君はホテルの心を理解している」
郷田はグラスを少しだけ掲げて、隼人と、その半歩後ろに控える小夜子に視線を向けた。
「いい奥さんをもらったな、黒崎君」
「ええ。私
「ありがとうございます。ですが、僕1人の力ではありません。実加さんの直感、現地の従業員たちの経験。それらの変数が組み合わさった結果です」 翔吾は落ち着いた口調で言って、中指で眼鏡を押し上げた。 隼人の口元が、わずかに緩む。「その変数とやらを考慮できるのであれば、お前はもう一人前だ」 兄からのまっすぐな称賛を受けて、翔吾の胸の奥にじんわりと温かい重みが広がる。(ああ、僕はやっと居場所を見つけた。ここにいてもいいのだ) 翔吾は満たされた思いで、兄と義姉へ向かって頭を下げた。◇ 数日後、翔吾はフロントのバックオフィスで、見慣れたタブレット端末と向き合っていた。 画面にはサンクチュアリの全客室の稼働状況と、スタッフの配置データが表示されている。「……東館の清掃チーム、連続稼働時間が規定値を超えかけています。西館から2名、サポートに回してください。それから到着予定のVIPのお客様ですが、お連れ様が妊娠中との情報が入りました。アメニティをノンカフェインのものに変更し、クッションを多めに配置するよう手配を」 翔吾の指示は的確で、何より血が通っていた。 以前のように、スタッフをただの「数字」として扱うことはない。 疲労度や感情の機微といったデータ化しにくい要素を、彼独自のアルゴリズムで補完しているのだ。 同僚のホテルマンたちも、翔吾の指示に戸惑うことなく、軽快な足取りで動いていく。 同じ頃、客室フロアでは実加がハウスキーピングの業務に当たっていた。 真新しいシーツを広げ、空気をはらませてベッドにふわりとかける。シワ一つない完璧な仕上がりだ。 実加はベッドの下にしゃがみ込み、視線を這わせた。 ホコリ一つない絨毯の上に、小さなウサギのぬいぐるみが落ちているのを見つける。「おっと、こいつは迷子だな。この客室は連泊だから、今日もお客様は戻ってくる」 実加はぬいぐるみを拾い上げると、丁寧にブラッシングをして形を整
黒崎翔吾がホテル『サンクチュアリ』のロビーへ足を踏み入れた瞬間、肌を撫でる空気の質感が変わったのを感じた。(やっぱりここは別世界だ) 翔吾は無意識に、わずかに緩んでいたネクタイの結び目を正した。 館内を支配しているのは、厳密に制御された温度とサンクチュアリの象徴である百合の芳香である。 吹き抜けの高い天井が音を効率よく吸い込んで、客たちのざわめきは柔らかな残響となって空間に溶けていた。 毛足の長い絨毯がすべての足音を飲み込んでいる。行き交う人々はまるで水面を滑るかのように滑らかに移動していた。 そこには、一点の淀みもない。 フロントに立つスタッフの背筋の角度も、ベルボーイが荷物を運ぶ際の洗練された歩幅に至るまで、完璧だ。 すべての動きが、サンクチュアリという巨大な精密機械の歯車として、機能美に満ちあふれていた。 そしてそれでいて、ここは機能だけの冷たさがあるわけではない。 都会的な洗練された雰囲気と、まるで家に帰ってきたかのような温かさが同居している。 里山の古い木々や土の匂いとは対極にある、磨き上げられた聖域の気配がそこにある。(経験を積んだ今だから分かる。このホテルは並大抵じゃない。隼人兄さんと小夜子義姉さんが作り上げた、素晴らしいホテルだ) 翔吾は背筋を伸ばした。 自分もサンクチュアリ空気の一部となるべく、鋭い視線をフロントへと向けた。◇ 山内実加は、従業員専用の通路を小走りで進む。金髪のメッシュが入った髪が肩の高さで弾んだ。 向かう先は、社内保育所「こぐまの森」だ。 ガラス張りのドアを開けると、色鮮やかなジョイントマットの上で、小さな塊がもぞもぞと動いていた。「理玖……!」 実加の声に、生後7ヶ月になる息子が顔を上げる。「あうー!」 ぱぁっと顔を輝かせた理玖は、小さな手足をごそごそと動かして、実加の方へ向かって突進してきた。 ハイハイだ。先月、せ
小夜子は自分のカップを口に運ぶ前に、翔吾のタブレットの画面に目を落とした。 数ヶ月先まで、予約カレンダーは緑色の「満室」マークで埋め尽くされている。 あの嵐の夜を乗り越え、御子柴の妨害を退けたこの宿は、もはや泥舟などではない。 誰にも負けない人気を誇る、アーク・リゾーツの立派な看板の一つへと成長を遂げていた。「素晴らしい成果ですね。翔吾さんの論理と、実加さんの熱。あなたたちがこの宿にもたらしたものは、計り知れません」 小夜子の言葉に、翔吾は少し照れくさそうに視線を逸らした。 実加は「へへっ」と鼻の下をこする。 小夜子はカップをテーブルに置き、居住まいを正した。 凛とした彼女の瞳が、2人の顔をまっすぐに見据える。「せせらぎ亭の再生ミッションは、これで一区切りがつきました」 その言葉に、スタッフルームの空気が少しだけ引き締まった。「ここに集う従業員の皆様は、もう立派にこの宿を回していけます。私たちが手綱を握り続ける必要はありません」 小夜子はふっと表情を和らげ、明確な次なるステップを告げた。「東京の本社に戻りましょう」 翔吾の目が、わずかに見開かれる。 実加も、ハッとして身を乗り出した。「戻るって……ウチら、また東京のホテルで働けるんスか?」「ええ、もちろん。あなたたちはこの現場で、ホテルマンとして最も大切なものを学び取りました。次は、アーク・リゾーツの中核である『サンクチュアリ』で、その力を存分に発揮していただきます」 小夜子の力強い言葉が、彼らの胸の奥に火を灯した。 実加が勢いよく立ち上がり、拳を突き上げる。パイプ椅子がガタッと鳴った。「っしゃあ! チビも待ってるし、東京でも暴れてやるぜ!」「暴れないでください。……ですが僕も今の自分なら、本社の巨大なシステムの中で、より人間的な価値を生み出すアルゴリズムを構築できる確信があります」 翔吾も立ち上がり、決意に満ちた表情でタブレッ
料理を口に運んだ客たちは、たちまち笑顔になった。「大根、口でとろけたぞ……! こんな甘い野菜、初めてだ」「このカブの葉っぱのご飯も、お代わりしたいくらい美味しいわね。お腹いっぱいなのが悔しい」 高級な和牛も、高級魚の鯛もない。 けれど地元の人々が育てた生命力あふれる野菜と、板前の職人魂が込められた「里山懐石」は、客の胃袋と心を確実に満たしていた。 翔吾はホールの隅に立ち、タブレットで空いたグラスの数や食事のペースを確認しながら、実加や仲居たちへ目配せで次の配膳を指示している。 おかげで客で満杯の食堂も、大きな混乱はなく次々と料理が運ばれていった。 どこを切り取っても、活気と笑顔があふれている。 客はもちろんのこと、スタッフたちもだ。 誰もが、この宿の復活を心から喜んでいた。◇ 夜が更けて、館内が静けさを取り戻した頃。 帳場の裏にあるスタッフルームで、翔吾と実加は本日の最終データを突き合わせていた。「……本日の売上目標、120パーセント達成。クレーム数ゼロ。顧客満足度のアンケートスコアも、先週の平均値を上回っています」 翔吾がタブレットをテーブルに置き、眼鏡を中指で押し上げた。「しゃあっ! 今日も完璧だったな!」 実加はパイプ椅子に深く腰掛けて、両手を頭の後ろで組んで大きく背伸びをする。 翔吾はそんな実加を見て、少しわざとらしく眉をしかめてみせた。「あなたの無駄口の多さは相変わらず非効率ですが……まあ、お客様の滞在時間を伸ばし、追加の飲料オーダーを引き出した点は、評価してあげますよ」「なんだよ、素直に褒めりゃいいじゃんか。お前の裏回しも、今日はまあまあイケてたぜ。インテリ」「まあまあ、ではありません。完璧なシステム、アルゴリズムです」 翔吾がむっとした顔で言い返す。 相変わらず憎まれ口を叩き合っている
翔吾の構築するシステムには、客の感情の動きや従業員の疲労度といった「人間の熱」という変数が、完璧に組み込まれている。 データと人間味の融合が、この宿の運営をかつてないほどスムーズに回していた。「お荷物、お車まで運びますよ! 忘れ物はないッスか?」 玄関口では、実加が大きなキャリーケースを両手に提げて笑っていた。 金髪のメッシュを揺らし、持ち前の体力と根性で次々と客の荷物をさばいていく。「お姉さん、力持ちねえ。昨日もたくさんお話ししてくれて楽しかったわ」「へへっ、ウチ、これくらいしか取り柄がないんで! またウチのチビの話、聞いてくださいね!」 実加がニカッと歯を見せて笑うと、年配の女性客もつられて目を細めた。 彼女の裏表のない明るさと飾らない接客は、古参の仲居たちや板前だけでなく、訪れる客の心をもがっちりと掴んでいる。 ヤンキー気質からくる面倒見の良さが、最高のホスピタリティとして機能していた。(翔吾さんの頭脳と、実加さんの行動力。2人の歯車が見事に噛み合っていますわね) 小夜子は、慌ただしく立ち働く彼らの背中を、一歩引いた場所から頼もしげに見守っていた。◇ 午後になり、新たな客たちが続々と到着した。 せせらぎ亭の連日満室の記録は、今日も更新されていた。 夕暮れ時になって、小夜子が廊下を歩いていると、露天風呂から上がってきたばかりの若い女性客たちの弾むような声が耳に届いた。「もう最高だった! お湯につかりながら見る夕日、やばくない?」「うんうん。あのお風呂の岩の配置、絶妙に景色を切り取っててエモかったー!」「ずっと見ていたいくらいだったもの」「あはは、のぼせちゃうよ!」 彼女たちの頬は上気して、湯上がりの肌が艶めいている。 温泉と絶景を心から楽しんだのが伝わってきて、小夜子の口元に自然と柔らかな笑みが浮かんだ。 あの露天風呂の岩は、実加の直感と翔吾のてこの原理、さらには地元育
初夏の風が、せせらぎ亭の開け放たれた窓を吹き抜けていく。 山の緑の匂いと、帳場の奥から漂う一番出汁の豊かな香りが混ざり合い、館内には心地よい空気が満ちていた。 嵐の夜の影響は既に消えている。 黒崎隼人は小夜子とスタッフらの無事を確かめた後、東京で仕事をこなすために帰っていった。 山内実加の小さな息子、理玖もシッターに連れられて戻っている。(見違えるような活気です) 黒崎小夜子は藤色の着物の袖を整え、帳場の隅からロビーを見渡した。 視線の先には、チェックアウトを待つ宿泊客の列ができている。「いい宿だったね」「本当に。寂れた感じだと思ったら、何だか安心できる空気でさ」「また来たいよね!」 誰もが満足げな顔つきで、スマートフォンで館内の写真を撮ったり、同行者と楽しげに語り合ったりしていた。 彼らの背景にあるのは、従業員総出で手作りしたリニューアル空間だ。 黄ばんでいた壁のシミは、味わい深いレトロな和紙と真っ白な漆喰で美しく覆い隠されている。 破れていた障子は新しいものに張り替えられた。木枠の歪みは計算し尽くされたミリ単位の調整で完璧に直されていた。 軋んでいた廊下の床板は、毎日丹念に米ぬかで磨き上げられている。 今では飴色の艶を放ち、歩くたびに足の裏へ木の温もりを伝えてくれる。 最新鋭の設備ではない。 高価で豪華な内装でもない。 しかし、人の手によって丁寧に手入れされた空間は、訪れる客に実家のような安心感を与えていた。「302号室のお客様、チェックアウトの手続きを完了いたしました。次回のご予約も承りました。紅葉の季節も、当館は素晴らしい景色をご用意しております」 フロントカウンターでは、黒崎翔吾が淀みない対応を見せていた。 彼の手元には、常に最新型のタブレット端末がある。 画面には、顧客の宿泊データ、大浴場の混雑状況、厨房の配膳タイミングなどが、リアルタイムのグラフとなって表示されていた。 翔吾はそれを素早く読み取って、最
「胃薬をお探しでしたら、棚の2段目にございます。……ですが、もしよろしければ」 小夜子はダイニングテーブルの椅子を引いた。「薬を飲む前に、少しお腹を温めてはいかがですか? 空きっ腹に薬は、胃を荒らしますので」 押し付けがましさのない、淡々とした提案だった。 隼人は拒絶しようとした。他人が作った食事など、信用ならない。 幼少期、冷え切った弁当やコンビニの味しか知らなかった彼にとって、家庭的な温かさなどというものは、煩わしい幻想でしかなかった。 けれど胃の痛みとひどい空腹が、理
(最初の朝、あの茶漬けを食ったのが間違いだった) 隼人はそう思うが、もう一度あの場に戻れたとてまた口をつけてしまうだろうとも思っていた。 彼が人生でほとんど初めて味わう、家庭的で温かな味。認めたくないが、それは少しずつ彼の心に入り込んでいる。 そして今、小夜子は隼人のネクタイに手を掛けた。 彼は幼子のようにされるがまま。 苛立つ。人に触れられるのは嫌いだ。 だがそれ以上に、彼は完璧であらねばならない。もう二度と過去のみじめな自分に戻りたくない。 小夜子の手つきは鮮やかだった。
小夜子は広大なシステムキッチンに立つ。 巨大な冷蔵庫の扉を開けると、中身はひどいものだった。棚にはミネラルウォーターと酒のボトルが整然と並んでいるだけで、生活の匂いがしない。 小夜子がさらに確かめると、野菜室の奥に場違いな桐箱が押し込まれているのを見つけた。(これは……) 蓋を開ける。中には、立派な尾頭付きの真鯛が入っていた。(だぶん、どなたかからの贈答品ね。箱のまま冷蔵庫に入れてしまったのね) ラップに包まれているが、目が白濁し始めている。パッケージの日付を見る。消費期限は今日の午前中まで。 隣にはしなびかけた三つ葉の束と、使いかけの生ワサビが転がっていた。(もったい
隼人は無表情のまま、冷ややかに麗華を一瞥した。ゴミを見るような目だ。だが麗華はその視線の意味を理解しない。むしろ自分の美しさに圧倒されて言葉を失っているのだと勘違いして、さらに言葉を重ねた。「いいこと? 結婚してあげてもいいけれど、条件があるわ。まず、その無礼な態度を改めること。私の前ではひざまずいて挨拶なさい。それから、あなたの資産の管理権は全て私とお母様に――」「黙れ」 短く鋭利な一言が、麗華の妄言を断ち切った。隼人は書類をテーブルに叩きつけた。「勘違いするな。私が欲しいのは『白河の戸籍』という看板だけだ。お前個人のわ