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159:嫉妬と独占欲

last update publish date: 2026-02-13 06:30:37

 都内某所の超高級ホテル。

 そのメインホールルームは、今夜、日本のビジネス界を牽引する重鎮たちの社交が行われていた。大手商社の創業百周年記念パーティーである。

 天井には巨大なクリスタルシャンデリアが鎮座して、総額数千万円クラスのワインが湯水のように振る舞われている。

「小夜子、ここで待っていろ」

 黒崎隼人が小夜子の耳元で囁いた。今日の彼は、漆黒のタキシードを完璧に着こなしている。

 鋭い眼光は、すでに会場の奥にいる数人の標的――有望な取引先を捉えていた。

「少し挨拶回りをしてくる。変な虫がつかないように、壁際で大人しくしていろよ」

「承知いたしました。……どうぞ、ご武運を」

 小夜子は恭しく頭を下げた。隼人が人混みの中へと消えていく。

 その背中は、人の群れを統率する若き王のようだった。残された小夜子は、言われた通り壁際の柱の陰に身を寄せた。

 今日の彼女が身につけているのは、隼人がこの日のために特注したシャンパンゴールドの

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  • 名家の恥と捨てられた娘は、契約結婚先で花開く   370:決着

     翔吾が精密なデータと完璧な論理でグラン・ヘリックスの計画を論破し、役員席に戻ってきた。 会場に満ちていた疑心暗鬼の霧は晴れて、アーク・リゾーツを支持する熱気がホール全体を包み込んでいる。 畳み掛けるならば今こそ好機だ。「お疲れ様です、翔吾さん。見事でしたわ」 小夜子が声をかけると、翔吾は銀縁眼鏡のブリッジを指で押し上げ、口角をわずかに上げた。「ありがとうございます。あとは、総支配人に……義姉さんに託します」「ええ。任せてくださいな」 いよいよ、小夜子が登壇する番だ。 小夜子はチャコールグレーのテーラードジャケットの襟元を正し、席から立ち上がった。 アイボリーのシルクブラウスが首元に触れる。さらさらと滑らかな感触に、小夜子は気を引き締めた。 ジャケットと同色のタイトスカートの裾の乱れを払うと、彼女は凛とした足取りでステージ中央のマイクスタンドへと向かった。 天井からのスポットライトが、小夜子の艶やかな黒髪と知的なスーツ姿を照らし出す。 何百人もの株主たちの視線が、彼女の一挙手一投足に注がれていた。「皆様。先ほど黒崎翔吾がデータで示しました通り、私たちが目指すのは『真のホスピタリティ』の追求です」 小夜子の透き通るような、けれど芯のある声がスピーカーを通じてホールに響き渡る。「サンクチュアリは、お客様との絆を何よりも大切にしながら、現代のニーズに合わせた進化を遂げてまいりました。私たちは、グラン・ヘリックス様が提案されたようなAIや業務の効率化を、頭から否定しているわけではありません。ただ、その使い方が違うのです」 小夜子は会場全体を見渡し、株主一人ひとりの目を見つめるように言葉を紡ぐ。「ホテルビジネスにおいて、システムは決して人を排除するためのものではありません。従業員の過重な事務作業や物理的な負担を極限まで減らし、よりお客様との対話や、細やかな気配りに時間を割くための『強力な手段』として活用するのです。人の温もりと最新の技術。この2つを最適なバランスで融合させる。それが私たちが独自に

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     投資ファンドの担当者たちが驚きの表情を浮かべている。手元のノートパソコンで慌ただしくキーボードを叩き始めた。  彼らの電卓が弾き出した独自の試算結果が、翔吾の論理の正しさを証明しているのだろう。「……彼の言う通りだ。3年後のキャッシュフロー予測は、サンクチュアリの方式の方が圧倒的に手堅い」「ブランド価値の毀損リスクを考えれば、グラン・ヘリックスの案はリスクが高すぎる」 プロの投資家たちの間にも、明らかに考えの変化が起きていた。 会場の空気が、完全にアーク・リゾーツ側へと傾いたのを感じる。  後方の見学席から、小さいが力強い声が聞こえてきた。「いけ、メガネ! その調子だ! やっちまえ!」 実加だ。  彼女は立ち上がりこそしないものの、両手で小さなガッツポーズを作り、満面の笑みで翔吾を応援している。(実加さん……) 小夜子はそっと口元をほころばせた。  彼女の乱暴な口調も、今はただ頼もしい。  あの小さな応援が、サンクチュアリ全体を支えるスタッフたちの声そのものに聞こえた。 翔吾は眼鏡を指で押し上げると、最後に深く一礼した。「真の利益とは何か。皆様の賢明なご判断に委ねます。ご清聴、ありがとうございました」 翔吾が降壇すると、ホール全体から大きな拍手が巻き起こった。  御子柴の時のような、派手な演出に対する熱狂的なものではない。  深く納得して論理の正しさを称賛する、確かな手応えのある拍手だった。「すごいな、あのデータ。完全に論破したぞ」「やっぱり、ホテルは安心できる場所じゃないとな」「正直、感情論をぶつけられても聞く気はなかったんだが。見事な数字の理論じゃないか」 株主たちの表情は明るく、疑心暗鬼の霧はすっかり晴れている。「……チッ」 御子柴は役員席で顔をしかめ、忌々しげに舌打ちをした。  彼の描いた「冷徹な数字の魔法」は、翔吾の「より精密で長期的なロジック」の前に脆くも崩れ去ったのだ。 小夜子は、ネ

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     翔吾の声は決して荒げられることなく、淡々としている。  けれど確かな説得力を持ってホールに響いていた。 翔吾はさらにタブレットを操作し、新たなグラフをスクリーンに投射した。  青い線が右肩上がりに伸びるグラフだ。「皆様にご注目いただきたいのは、顧客生涯価値、いわゆるLTV(Life Time Value)です」 聞き慣れない専門用語に、個人株主たちが首を傾げた。  翔吾は軽く頷いて説明を付け加える。「LTVとは、1人の顧客が一生涯の間に、企業にもたらす利益の総額を指します。ホテルビジネスにおいて、このLTVを高めることこそが、最も重要かつ持続可能な利益追求の方法です」 翔吾は会場全体を見渡しながら言葉を継ぐ。「グラン・ヘリックス様のプランは、短期的なコストカットで一時的な配当を生むかもしれません。しかし、極端な効率化で顧客満足度を落とせば、リピーターは消滅します。こちらのシミュレーションをご覧ください。新規顧客の獲得コストは、既存顧客を維持するコストの5倍かかると言われています。顧客離れが起きれば3年後には広告宣伝費が膨れ上がり、キャッシュフローは確実に悪化します。目先の配当に目がくらみ、数年後のホテル倒産リスクを背負うのは、株主の皆様ご自身なのです」 画面上で、グラン・ヘリックスの利益予測グラフが3年目から急降下していく。  対照的に、サンクチュアリの現在のデータが表示された。むしろ利益率は上昇している。「我々サンクチュアリは、従業員と共に培ってきたホスピタリティにより、業界でもトップクラスのリピート率を誇ります。スタッフ一人ひとりがお客様のお顔と好みを記憶し、心を通わせるサービスを提供しているからです。これが強固なリピーター層を構築し、過剰な宣伝費をかけずとも安定した稼働率を維持する力となっています」 翔吾の言葉に合わせて、個人株主の席から同意の声が漏れる。「確かに、サンクチュアリに行くといつも名前を呼んでくれるんだよね」「あそこのオムレツの味は最高だ。スタッフの気配りも心地よいし」「毎年家族で行くのが楽しみなんだよ」

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     翔吾が手元のタブレットを操作すると、スクリーンに全く別のデータが映し出された。「アーク・リゾーツの黒崎翔吾です。グラン・ヘリックス様の素晴らしいプレゼンテーションを拝見いたしました。しかし、そのバラ色のプランには、致命的な欠陥が潜んでいます」 会場が再びざわめいた。「欠陥だと? 完璧なシミュレーションに見えたが」「負け惜しみじゃないのか? 自社の乗っ取りは、そりゃあされたくないだろうから」 年配の株主が怪訝そうな声を上げる。 翔吾は動じない。「では、こちらをご覧ください」 彼はスクリーンに、グラン・ヘリックスが過去3年間に買収した6つのホテルの追跡調査データを表示させた。  実加たちの協力も得て集めた、生々しい証拠だ。「御子柴氏が提示した利益予測は、あくまで『サービスレベルが維持された場合』の架空の数字に過ぎません。このデータをご覧ください。グラン・ヘリックス様が買収したホテルでは、例外なく、半年以内に大規模なリストラが強行されています。なんと、従業員の約8割が解雇、または自主退職に追い込まれているのです」 スクリーンの赤い折れ線グラフが、買収後半年を境に急降下している。「AIシステムの導入による効率化と言えば聞こえは良いですが、実態は違います。残された2割のスタッフに到底達成不可能なノルマを課し、過酷な労働を強いているだけです。現場は疲弊し、当然のことながら、サービスの質は著しく低下します。これは経営の合理化などではありません。単なる労働環境の破壊です」 画面には買収されたホテルの元従業員や、宿泊客からのクレームの口コミが次々と表示されていく。『清掃が行き届いておらず、ホコリだらけだった』『スタッフの態度が冷たく、事務的すぎる』『昔の温かい雰囲気が消えた。二度と泊まりたくない』 辛辣な言葉の数々に、会場の空気が冷や水を浴びせられたように変化した。「8割のリストラ……? いくらなんでもやりすぎじゃないか」「いくら効率化といっても、現場が回らないだろ、それでは」

  • 名家の恥と捨てられた娘は、契約結婚先で花開く   366

     スクリーンのスライドが切り替わり、AI導入による業務効率化のシミュレーションが表示された。 右肩上がりの鮮やかなグラフだ。 御子柴は自信たっぷりの表情で、淀みなく説明を始めた。「我々グラン・ヘリックスは、最新のAIシステムを導入します。チェックインからルームサービス、清掃のシフト管理に至るまで、あらゆる業務をデータ化し、極限までコストをカットします。これにより、営業利益率は現在の2倍に跳ね上がります。当然、その利益は配当として皆様に還元いたします。感情論を排し合理性を追求することこそが、企業の本来のあり方。株主の皆様の資産を守る唯一の道なのです」 明確な数字と論理的なプレゼンテーションに、会場のあちこちから感嘆の声が漏れ始めた。「なるほど、AIで人件費を半減させれば、確かに利益率は上がるな」「今期の配当予測がこんなに高いとは。グラン・ヘリックスの言う通りだ」「感情論じゃ飯は食えないからね。やっぱり数字を出せる経営陣じゃないと」 中小の株主たちが囁き合う声が、小夜子の耳にも届く。 投資ファンドのスーツ姿の男たちも、ノートパソコンの画面を見つめながら深くうなずいていた。 小夜子は手元のペンを握り直した。プラスチックの冷たい感触が、指先から伝わってくる。 御子柴の言う「効率化」の裏にある冷酷な真実を、彼女は知っている。 人の温もりを排除し、スタッフをただの歯車として使い捨てる手法だ。 数字の辻褄を合わせるために、ホテルが本来持つべき「おもてなしの心」を完全に切り捨てる。(大丈夫。彼がどれほど耳触りのいい言葉を並べ立てても、私たちの手には、真実を示す武器があります) 小夜子は隣に座る翔吾、さらにその隣の隼人へと目配せをした。隼人が力強く頷き返す。「皆様、古い体制に固執するのはやめましょう。我々と共に、新しい時代の、真に利益を生むホテルを作り上げようではありませんか」 御子柴が両手を広げてアピールを終えると、会場からは割れんばかりの拍手が沸き起こった。 拍手が収まるのを待ち、アーク・リゾーツ側の答弁の

  • 名家の恥と捨てられた娘は、契約結婚先で花開く   365:株主総会開幕

     その日、都内の大型ホールは、開演前から異様な熱気に包まれていた。 空調がフル稼働しているにもかかわらず、スーツ姿の株主たちが放つ熱気が室温を押し上げている。 何百人もの視線が前方のステージに集中していた。 これからアーク・リゾーツの臨時株主総会が行われる。 事実上の委任状争奪戦の決戦の場だ。 最前列の役員席には、小夜子、隼人、翔吾が並んで座っている。 翔吾は役員ではないが、今日は重要な役割を担っているためその場所に控えていた。 小夜子はチャコールグレーのテーラードジャケットの襟元を正した。 アイボリーのシルクブラウスが首元に触れて、滑らかな生地の感触が肌に感じられる。 同色のタイトスカートに包まれた膝の上で、彼女は両手をきゅっと重ね合わせた。 後方の見学席には、実加をはじめとするサンクチュアリの従業員たちも陣取っている。 誰もが興奮と不安が入り混じったような顔をしていた。 実加のメッシュが入った髪が、落ち着かない様子で揺れているのが見えた。 と。 定刻を知らせるブザーが大きく鳴り響いた。 会場のざわめきが一瞬で止んで、静寂が落ちた。 ブザーの音が止まると、ステージの袖から、グラン・ヘリックスの日本支社長である御子柴が姿を現した。 仕立ての良いダークスーツに身を包み、自信に満ちた足取りで中央のマイクスタンドへと向かう。 大型スクリーンには、グラン・ヘリックスのロゴと洗練されたグラフが映し出された。 投資ファンドを通して、グラン・ヘリックスは既に相当数の株式を取得している。 筆頭株主としてこの場を取り仕切るつもりだった。「株主の皆様。本日はお集まりいただき、誠にありがとうございます。グラン・ヘリックス日本支社長の御子柴です」 御子柴のよく通る声が、スピーカーを通じてホール全体に響き渡る。「皆様は、ホテル経営において何が最も重要だとお考えでしょうか。伝統でしょうか。それとも、従業員の笑顔でしょうか。私は断言します。それは『冷徹な数字に

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