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引き金を引いたのは 06

作者: 市瀬雪
last update 最終更新日: 2025-09-16 11:00:38

「……っ」

 河原が信じ難いように目を瞠る。

 それを視界の端にとどめながら、俺は酒の香りがする薄い唇を食み、何か言いかけたがために開かれていた隙間から強引に歯列を割った。反射的に逃げを打つ彼の舌を追いかけ、絡めとると、緩急をつけて吸い上げ、その表面に甘く歯を立てる。

 そこまでされて、ようやく河原ははっとしたように顔を背けようとした。痛みがあるのか、嫌悪によるのか、困ったように眉根を寄せて、懸命に首をよじる。

「っん、ぅっ……、んん……っ」

 だが俺はまだ彼を放さない。

 放さないどころか、彼の所作に合わせて何度も唇の角度を変えて、口付けをより深いものへと変えていく。

 舌裏を舐め上げ、上顎を擽り、嚥下しきれない唾液を攪拌する。擦れ合う濡れた感触に煽られ、息継ぎすら惜しいように、執拗に彼の体温を求め続ける。

「んっ……くれ、しっ……ん、ぅ……っ」

 口端からこぼれた雫が、彼の首筋へと線を描く。河原が堪えかねたように目を瞑る。

 目端の紅潮は色を増し、時折垣間見える瞳はひどく潤んでいた。けれども、それは単に息苦しさと――せいぜいアルコールによるものだ。

 そう頭ではわかっているのに、容易に錯覚してしまいそうになる。

 だって鼻に抜ける吐息はこんなにも甘い。甘く聞こえる。

 共有する熱は着実に温度を上げて――そう感じられて、

 もう、無理だ。

 ここまできて、やめるなんてできない。

 今更もう、止まらない。

 河原……お前に触れたい。

 口に出せない想いを心の中で呟きながら、気がつくと俺は、これ以上ないくらいに高揚していた。

   ***

「ふ……っ、……」

 流されたのか、諦めたのか。あるいはそのどちらもなのか。

 いつのまにか震えるほど強張っていたその身体が弛緩しているのに気付いて、俺はやっと口付けを解いた。

 気がつけば、河原の手首を掴む手にも思いの外力が入っていた。もしかしたら痣ができてしまったかもしれ

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