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引き金を引いたのは 05

Author: 市瀬雪
last update Last Updated: 2025-09-16 06:00:53

 ……やばいと思ったのだ。

 河原に触れられることで、いっそう火が点いてしまいそうで。

 そこから伝わる体温が、想像以上に心地良く思えてしまったから。

「あ、ごめん……」

 河原は弾かれたように手を退いた。すぐさま掠れた声で謝罪を呟き、俺から離れる気配が続く。

 俺はそっと目を開けた。その視界の端で、河原は俺に背を向けて、けれどもそうして腰を落とした場所は、

 だから……近いんだよ。

 少し手を伸ばせば、容易く届いてしまう距離だった。

 …………我慢、できなくなるだろうが。

 ラグの上に座り込み、俺の乗るソファに背を付けて、ゆっくりと瞬く河原の顔は仄かに赤い。

 河原は酔っている。

 それは見ていればすぐ分かる。

 慣れてくれるまでは判断しづらいが、河原はもともと人当たりのいい性格だ。

 意外と根は明るいし、さっぱりしたところもあって、基本後ろ向きな俺よりよほど建設的だと感じることもあるくらいだった。

 だが、どんなに慣れたところで、普段はここまで距離が測れなくなったりはしない。これほど無防備な姿を見せたりはしない。

 ……だからこれは、全て酒のせいなのだ。

 くわえたままの煙草の灰が長くなっている。

 そろそろはじいておかなければ、間もなく落ちてしまうだろう。

 俺は視線を横向け、ゆっくり身体を起こした。

 すると河原がはっとしたように口を開いた。

「あ、水。……俺、水持ってくるよ」

 言いながら、立ち上がろうとしたその手首を俺は掴む。

 河原の身体がぎくりと強張こわばったのに気付きながら、何食わぬ顔して他方の手を灰皿に伸ばし、穂先をそこに押し付けた。

「暮、科……?」

 膝立ちも半ばの河原が、俺の方へと振り返る。

 ソファの上に座る俺の方が、わずかに目線は高かった。

「河原」

「な、なに?」

 名を呼べば、ぎこちなくながらも笑みを返される。

 わけもわからずただ驚いて、それで
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