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寄生一家と決別、自由を手に入れる

寄生一家と決別、自由を手に入れる

作家:  翠星完了
言語: Japanese
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概要

逆転

ドロドロ展開

ひいき/自己中

妻を取り戻す修羅場

不倫

結婚してわずか3日目。ハネムーンが、必ずしも二人だけのものではないのだと、初めて知った。 航空券は3ヶ月前、格安のセールで手に入れたもの。行き先は澄京、予約した席も、当然二人分だった。 出発の前夜、夫の近藤誠司が言い出した。彼の母親・近藤和江が腰痛持ちだから温泉に連れていきたい、それから、仕事を辞めたばかりの妹・近藤千佳も気晴らしに同行させたい、と。 「いいよ、家族だもんね」と答えた。 現地の温泉旅館に到着すると、ツインルームが一部屋しか空いていないとフロントに告げられた。 てっきりエキストラベッドを追加するのだと思っていた。しかし、誠司は母親と妹に視線を走らせた後、こちらを振り返って平然と言い放った。 「フロントでデイユースの部屋が空いてるか聞いて、そこでシャワーだけ浴びてきなよ。今夜はロビーのソファで適当に横になればいいから」 その言葉と同時に、和江の荷物を甲斐甲斐しく運び始めた。スーツケースを手に廊下に立ち尽くしていると、部屋から千佳がひょっこりと顔を出した。 「お義姉さーん、ついでに下に降りてミネラルウォーター買ってきてくれない?部屋のやつ、冷えてないんで」 碧ノ湖の夜風が吹き抜けて、驚くほど頭が冷えていく。かつてないほど、思考がクリアになるのを感じる。 ロビーへと降りて、その足で帰りの航空券について調べ始めた。私は、一人で帰るのだ。

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第1話

第1話

結婚してわずか3日目。ハネムーンが、必ずしも二人だけのものではないのだと、初めて知った。

航空券は3ヶ月前、格安のセールで手に入れたもの。行き先は澄京、予約した席も、当然二人分だった。

出発の前夜、夫の近藤誠司(こんどう せいじ)が言い出した。彼の母親・近藤和江(こんどう かずえ)が腰痛持ちだから温泉に連れていきたい、それから、仕事を辞めたばかりの妹・近藤千佳(こんどう ちか)も気晴らしに同行させたい、と。

「いいよ、家族だもんね」と答えた。

現地の温泉旅館に到着すると、ツインルームが一部屋しか空いていないとフロントに告げられた。

てっきりエキストラベッドを追加するのだと思っていた。しかし、誠司は母親と妹に視線を走らせた後、こちらを振り返って平然と言い放った。

「フロントでデイユースの部屋が空いてるか聞いて、そこでシャワーだけ浴びてきなよ。今夜はロビーのソファで適当に横になればいいから」

その言葉と同時に、和江の荷物を甲斐甲斐しく運び始めた。スーツケースを手に廊下に立ち尽くしていると、部屋から千佳がひょっこりと顔を出した。

「お義姉さーん、ついでに下に降りてミネラルウォーター買ってきてくれない?部屋のやつ、冷えてないんで」

碧ノ湖の夜風が吹き抜けて、驚くほど頭が冷えていく。かつてないほど、思考がクリアになるのを感じる。

ロビーへと降りて、その足で帰りの航空券について調べ始めた。私は、一人で帰るのだ。

「フロントに聞いたら、こんな真夜中にデイユースは無理だって。トイレで顔でも洗って、ロビーのソファで一晩我慢してくれ」

タクシーに乗り込んだ瞬間、誠司からボイスメッセージが届く。

「明日の朝は、母さんを連れてあの話題の朝食専門店に行って、母さんは胃が弱いから、ネギは抜きにするよう店員に伝えておいて」

「早く行って並んどけよ。母さんが起きたら腹が空くかも」

耳元からスマホを離す。車内は静まり返っている。

「お客さん、どちらまで?」バックミラー越しに運転手が尋ねてくる。

「空港までお願いします」

「便名は分かりますか?ターミナルを調べますよ」ハンドルを切りながら運転手が言う。

「南城市行きの始発便です。着いてからチケットを買うので」

少し驚いた様子を見せる運転手。「こんな真夜中に……もしかして、彼氏と喧嘩でもしちゃいました?」

「喧嘩じゃありません」窓の外を流れていく街灯を見つめながら答える。「空港へ、急いでいただけますか」

スマホがまた震えた。今度は千佳からのボイスメッセージ。

「水買うのにどんだけ時間かかってるの?」

「あ、もう買わなくていいよ。お兄ちゃんがデリバリーでスムージー頼んでくれたんで、すぐ届くし」

「お義姉さんはロビーでしっかり荷物の見張り番してね。私のブランドバッグ、盗まれたら困るから」

続いて一枚の写真が送られてくる。そこには、床に屈んで和江の足をマッサージする誠司と、水滴のついたおしゃれなグラスを手に鏡越しに自撮りをする千佳の姿が写っている。

背景は、広々とした露天風呂付きの部屋だ。画面をタップして、二文字だけ返す。

【うん】

送信を終えて、薬指から結婚指輪を外す。誠司が選んだ、小さなメレダイヤがあしらわれた安物。

「将来生まれてくる子供の教育資金のために、今は節約しよう」

あのときは、なんて堅実で頼もしい人なのだろうと思ったものだ。私は指輪を外して、運転席へ向かって差し出す。

「すみません、これ、適当に処分しておいていただけますか?」

「えっ?」受け取った運転手が、ギョッとしたように声を上げる。「お、お客さん、これ……本当に捨てちゃっていいんですか?」

「もういりません」きっぱりと告げる。「サイズも合わないし、つけてると痛いので」

静まり返った深夜の空港ロビー。カウンターへと歩み寄る。「すみません、南城市行きの一番早い便は何時ですか?」

スタッフが手際よく端末を操作する。「深夜2時半の便がございますが、あいにくファーストクラスしか空きがございません。かなり割高になってしまいますが……」

「それでお願いします」運転免許証を差し出す。

キーボードを叩く音が響く。「かしこまりました。近藤凪(こんどう なぎ)様ですね。お会計は88,000円になります。お支払いはどうなさいますか?」

「カードで」と言って、給与受取のカードを手渡す。紛れもない、自分名義の資産。

誠司のカードは和江が握っている。「年寄りに管理してもらった方が安心だから」というのが彼の言い分だ。

これまでは別にどうでもいいと思っていた。私のほうが圧倒的に稼いでいたから。でも今なら分かる。確かに、自分のお金はやはり自分で管理したほうが安心だ。

搭乗券を手に、待合室の冷たいベンチに腰掛ける。不意に画面が明るくなって、誠司からの着信を告げた。通話ボタンを押す。

「お前一体どこだ!」スピーカーから、苛立ちを隠そうともしない大声が響く。

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第1話
結婚してわずか3日目。ハネムーンが、必ずしも二人だけのものではないのだと、初めて知った。航空券は3ヶ月前、格安のセールで手に入れたもの。行き先は澄京、予約した席も、当然二人分だった。出発の前夜、夫の近藤誠司(こんどう せいじ)が言い出した。彼の母親・近藤和江(こんどう かずえ)が腰痛持ちだから温泉に連れていきたい、それから、仕事を辞めたばかりの妹・近藤千佳(こんどう ちか)も気晴らしに同行させたい、と。「いいよ、家族だもんね」と答えた。現地の温泉旅館に到着すると、ツインルームが一部屋しか空いていないとフロントに告げられた。てっきりエキストラベッドを追加するのだと思っていた。しかし、誠司は母親と妹に視線を走らせた後、こちらを振り返って平然と言い放った。「フロントでデイユースの部屋が空いてるか聞いて、そこでシャワーだけ浴びてきなよ。今夜はロビーのソファで適当に横になればいいから」その言葉と同時に、和江の荷物を甲斐甲斐しく運び始めた。スーツケースを手に廊下に立ち尽くしていると、部屋から千佳がひょっこりと顔を出した。「お義姉さーん、ついでに下に降りてミネラルウォーター買ってきてくれない?部屋のやつ、冷えてないんで」碧ノ湖の夜風が吹き抜けて、驚くほど頭が冷えていく。かつてないほど、思考がクリアになるのを感じる。ロビーへと降りて、その足で帰りの航空券について調べ始めた。私は、一人で帰るのだ。「フロントに聞いたら、こんな真夜中にデイユースは無理だって。トイレで顔でも洗って、ロビーのソファで一晩我慢してくれ」タクシーに乗り込んだ瞬間、誠司からボイスメッセージが届く。「明日の朝は、母さんを連れてあの話題の朝食専門店に行って、母さんは胃が弱いから、ネギは抜きにするよう店員に伝えておいて」「早く行って並んどけよ。母さんが起きたら腹が空くかも」耳元からスマホを離す。車内は静まり返っている。「お客さん、どちらまで?」バックミラー越しに運転手が尋ねてくる。「空港までお願いします」「便名は分かりますか?ターミナルを調べますよ」ハンドルを切りながら運転手が言う。「南城市行きの始発便です。着いてからチケットを買うので」少し驚いた様子を見せる運転手。「こんな真夜中に……もしかして、彼氏と喧嘩でもしちゃいました?」「喧嘩
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第2話
「ロビーに誰もいないって、配達員が言ってるぞ。荷物の見張りもまともにできないのか?母さんがやっと寝たところなんだ。これ以上、俺をイライラさせるなよ」スピーカーに切り替える。「おい、聞いてんのか!またそうやって黙り込んで不機嫌アピールか?言っておくけどな、今回のことで俺に八つ当たりするなよ。母さんは腰が悪いし、千佳だって仕事辞めたばかりで落ち込んでるんだ。長男の嫁として、少しは気を遣ってやれないのか?これくらいのことで文句言うなんて、そんなんじゃ将来いい母親になれないぞ」ただ静かに、その言葉を聞き流した。そのとき、ロビーにアナウンスが流れた。「南城市行きをご利用のお客様にご案内いたします。ただいまより、ご搭乗を開始いたします」電話の向こう側が一瞬、静まり返る。「今どこだ?今の、何のアナウンスだ?」「空港」短く答える。「空港って、何しに行ってんだ」「部屋を空けてあげたの」「は?何寝ぼけたこと言ってんだ!こんな真夜中に家出のつもりかよ!」「誠司」冷ややかにその言葉を遮る。「何だよ」「あの温泉旅館のロビーで一晩過ごせって言ったのが私たちの最後の会話だ」言い終えると同時に、通話を切る。そのまま彼のアイコンをタップして、迷わずブロックリストに放り込んだ。続いて千佳、そして和江……一連の作業を終えて、スマホを機内モードに切り替えてバッグに収めた。スーツケースを引いて、搭乗口へと向かう。CAさんが笑みを浮かべてチケットを確認する。「近藤凪様、ご搭乗ありがとうございます」軽く会釈をして、ゆったりとしたファーストクラスのシートに身を沈める。差し出された温かいおしぼりを受け取る。「ありがとうございます」手を拭いて、バッグの奥から書類を取り出す。あらかじめ用意していたものの、署名するのをずっと躊躇っていた離婚協議書だ。万年筆のキャップを外して、署名欄に迷いなく名前を書き込む。凛とした、ぶれない筆跡。その紙の上に、涙が一滴たりともこぼれることはない。……飛行機が着陸した頃、外はうっすらと白み始めていた。新居のマンションのドアを開ける。閉め切られた室内には、どんよりとした空気が満ちていた。玄関には、誠司の何足ものスニーカーと、和江が趣味のダンスで履く派手な赤いパンプスが脱ぎ散らかされている。
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第3話
「店員がどんな目でこっちを見てるか分かってんのか!早くカードを使えるようにしろ!外で恥をかかせるな!」クローゼットの扉を開ける。「あんたのカード?」冷ややかに問いかける。「お前のカードは俺のと同じだろ!つべこべ言わずに早くしろ!」上着を数着、ベッドに放り投げる。「慈善事業をやってるわけじゃないの」「どういう意味だ?」「言葉通りの意味よ」電話の向こうから、和江がヒステリックに割って入る。「いい気になってんじゃないわよ!結婚したんだから、あんたのお金はうちのものよ!月に60万も稼いでおいて、50万のネックレスも買えないわけ?お金を振り込まないなら、帰ってからタダじゃおかないわよ!」最後まで聞く気にはなれず、通話を切る。ついでにこの見知らぬ番号も着信拒否に設定する。二つのスーツケースを引きずり出して、自分の衣類や運転免許、大事な書類をまとめ始める。荷物はそれほど多くない。この家の大部分は、和江の怪しげなサプリメントや、千佳がネット通販で買い漁ったもので埋め尽くされている。私個人のものといえば、数着のオフィスカジュアルと、最低限の日用品くらい。パッキングを終えて、スーツケースをリビングへと運ぶ。壁には、大きなウエディングフォトが飾られている。写真の中で、誠司は満面の笑みを浮かべて、私はその肩に寄り添っている。キッチンへ向かって、ハサミを取り出す。ソファの上に立って、ハサミの刃先を写真の中央に向ける。思い切り、切り裂く。キャンバスがバリバリと鈍い音を立てて破れる。誠司が写っている半分を引きちぎって、くしゃくしゃに丸めてゴミ箱へ放り込む。私だけの半分は、そのまま壁に残しておく。手の埃をパンパンとはたく。スマホを取り出し、ある番号にかける。「もしもし、不動産屋の三浦さんですか?」「あ、近藤様!お世話になっております!」仲介担当の三浦の声は弾んでいる。「以前、売りに出したいと相談していたあの人気の文教地区のマンションですが、いつでも内見できるように手配をお願いします」「本当ですか!?助かります!あそこはかなりの人気物件ですからね」「条件が一つだけあります」一呼吸置いて、告げる。「現金一括で支払える方に限らせてください。以前、お子さんの入学に合わせて急いで物件を探しているとおっしゃっていたお客
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第4話
SNSのコメント欄は随分と賑わっていた。誠司の伯母:【誠司君は本当に親孝行ね。お母さんを旅行に連れて行ってあげるなんて】誠司の従姉:【これこそ親孝行だよ。結婚したのに親族を蔑ろにするどこかの誰かさんとは大違い】誠司が従姉のコメントに返信している。【仕方ないよ。自分勝手な人には、少し冷たくして反省させるしかないからね】親友からボイスメッセージが届いた。「あのバカ家族、何やってんの?凪が自腹で予約したハネムーンに便乗しておいて、この嫌味ったらしい投稿は何?」私は文字で返信する。【私のお金じゃない】【?】【家族カードは止めたし、航空券を変更して先に帰ったから、今あいつらが使ってるのは、誠司がカードローンで借りた金のはず】親友から大爆笑のスタンプが連打で送られてくる。【よくやった!ついにあいつらの金づるになるのをやめたんだね!】スマホをテーブルに置いて、コーヒーを一口すする。再びスマホが震えて、不動産屋の三浦からメッセージが入った。【例のお客様ですが、現金一括で問題ないそうです。ご自身で特急で登記手続きを進められるとのことですが、今日中に内見して契約書を交わしたいそうです】【ご案内をお願いします。鍵は植木鉢の下に置いてあります】【ご本人は立ち会われないのですか?】【ええ。向こうが気に入ったら、そちらで直接契約します】【承知いたしました!】三十分も経たないうちに、三浦から電話がかかってきた。「お客様が大変気に入られました!値下げ交渉もほぼなしです。特急で名義変更の手続きができるなら、今日中に手付金を振り込むと仰っています」「分かりました。すぐ向かいます」バッグを手に取って、ホテルを出る。不動産会社に着くと、買い手である地味な身なりの五十代の男性が待っていた。「あのマンションは立地が最高ですね。単刀直入に言いましょう」と男性が口を開く。「現金一括で、今日契約して手付金を支払います。最速で所有権移転登記を済ませたいのですが、よろしいですか?」「構いません」と頷く。三浦が手際よく契約書をプリントアウトする。ペンを取って、署名欄に名前を書き込む。実印を押す。手付金はすぐさま私の口座に振り込まれた。「良い取引ができました」と男性が右手を差し出す。「ええ、こちらこそ」その手をしっかりと握り返し
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第5話 
さっきの番号も、着信拒否リストに追加する。そのまま、行きつけのレストランへ足を運ぶ。二人前の料理を注文する。以前、誠司と一緒にここへ来るたび、彼は料理のエビをすべて千佳の皿へ移していた。一番柔らかい牛肉は和江の皿へ。最後に私の前に残されたのは、野菜の切れ端と白米の入ったお茶碗だけだった。彼はいつもこう言っていた。「ダイエット中だろ、野菜をたくさん食えよ」箸を手に取って、エビをすべて自分のお皿に移す。一つ残らず、きれいに平らげた。……それからの3日間、誠司たちはまるで意地になったかのようだった。親族のLINEグループには、彼らからのボイスメッセージが絶え間なく投下される。誠司の伯母が長々としたボイスメッセージを送ってきた。「最近の若者は本当に礼儀を知らないわね。お義母さんがバカンスに行って何が悪いっていうの?カードを止めるなんて、年寄りを餓死させる気かしら」すかさず彼の従姉も同調する。「そうよ。誠司みたいに真面目な人が、あんなにいじめられるなんて可哀想に」誠司本人は、グループトークにため息のスタンプを送信した。【まあいいよ。身内の恥を外に晒すのもなんだし、帰ったら俺がゆっくり躾け直すから】画面に並ぶ文字を冷ややかに眺めて、返信は一切しない。そのまま「グループを退会」をタップする。登録されている近藤家の親族のアカウントを、まとめて削除した。この3日間で、買い手との所有権移転手続きはすべて完了した。残金も全部私の口座に振り込まれていた。7日目の夕方、ホテルの部屋で荷造りをしていると、スマホの画面が点灯した。誠司からのメッセージだ。【今夜8時に家に着く】【ご馳走を作って待ってろ。母さんと千佳に土下座して謝れよ】【じゃないと、これ以上お前とはやっていけないからな】文面を一瞥して、スマホを伏せる。私がこれまでのように、黙って言うことを聞くとでも思っているらしい。署名済みの離婚協議書を封筒にしまって、宅配便を手配する。「すみません、これをこの住所に届けてください」配達員に封筒を渡す。「宅配ボックスに入れますか?それとも玄関先がよろしいですか?」「ドアの郵便受けに挟んでおいてくれれば結構です」スーツケースを引いて、エレベーターに乗り込む。……夜8時10分、南城駅のタクシー乗り場へ向かって、誠司たち三
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第6話
誠司は、がらんとしたリビングの奥を見つめる。かつてウエディングフォトが飾られていた壁には、今や不気味なほど巨大な龍のポスターが貼られている。ソファもない。ローテーブルもない。見慣れた我が家の面影は、どこにもない。誠司はその場に硬直する。声の震えを抑えきれない。「おい、冗談だろ。ここは俺の嫁のマンションなんだ。新婚旅行に行ってただけなのに……」大男は忌々しげに舌打ちをした。振り返って、シューズボックスの上から一枚の紙を掴み取ると、誠司の顔に叩きつける。「お前の嫁が誰だろうと知るかよ。ここは俺の家だ。よく見ろ、登記事項証明書のコピーだ。これ以上うろちょろするなら、不法侵入で警察呼ぶぞ!」言い放つと同時に、重々しいドアがけたたましく閉まる。和江がマンションの廊下にへたり込んで、なりふり構わず泣き叫び始める。「なんてことよ!あの女、近藤家の家を勝手に売り払うなんて!私たちはこれからどこに住めばいいのよ!なんて運が悪い!あんな疫病神を嫁に迎えるなんて!」誠司は慌ててスマホを取り出して、狂ったように私に電話をかける。スピーカーから聞こえてくるのは、無機質な音声ガイダンスだけだ。「おかけになった電話番号は、現在使われておりません」今度はLINEの通話を試みるが、まったく繋がる気配がない。虚しい呼出音を聞きながら、自分がすでにブロックされていることに気づいた。千佳が隣で悲鳴を上げた。廊下の隅に置かれた、ボロボロの段ボール箱を指差している。「お兄ちゃん、見て!あれ、二人のウエディングフォトじゃない!?」誠司が飛びついて、段ボール箱をこじ開ける。中には、真っ二つに切り裂かれた写真が横たわっている。誠司の写る半分は、無惨にも埃を被っている。そして白い封筒だけが箱の底に張り付くように残されている。震える手で封筒を引き裂く。中から出てきたのは、署名済みの離婚協議書だ。一枚目の冒頭には、太い文字でこう印字されている。【夫は一切の財産分与を放棄する】財産分与で揉める必要はない。家の中のものはすべて私が購入したものだから。彼の名義になっているのは、まだローンが残っている通勤用の車だけだ。誠司は突然立ち上がる。スーツケースを掴んで、外へと走り出す。「あいつ、当てつけにやってるだけに決まってる」と、自分に言い聞
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第7話
「嘘だ!ここは月給60万円だぞ。そう簡単に辞めるわけがない!」警備員が阻止しても、誠司は執拗にオフィスエリアの入り口に居座る。私が以前所属していた部署の女性マネージャーを捕まえて、問い詰めた。「あいつはどこに行った!?俺の金を持ち逃げしやがったのか!?」マネージャーは、バリバリと仕事をこなすキャリアウーマンだ。彼女は誠司の手を冷たく振り払う。「あんたの金って?恥ずかしくないの?凪さんはこの会社で五年働いていて、ボーナスだけでも何百万ってもらってるのよ。月給5万円ぽっちで車のローンまで抱えてる男から、金を持ち逃げしたっていうの?」誠司は顔を真っ赤にして反論する。「それだって夫婦の共有財産だろ!」マネージャーは鼻で笑う。そのまま警備員を呼んだ。「この人を外に出して。業務妨害になるから」警備員が近づいて、誠司の両腕をがっちりと取り押さえる。マネージャーは、誠司が着ているジャケットを指差した。「そのブランドのジャケットだって、先月凪さんが買ってあげたものじゃない?毎日女に買ってもらったブランド物を身につけてイキり散らしてるくせに、今更どの口が言ってるの?さっさと出ていきなさい」警備員にロビーから引きずり出されて、炎天下の階段に放り出される。誠司は屈辱と怒りで、顔を上げることもできない。這い上がって、逃げるように地下鉄の駅へと向かう。仮住まいとして借りた、家賃の安い木造のボロアパートに戻る。ドアを開けた途端、むっとするようなカビの臭いが鼻を突く。千佳は硬いベッドの上に座り込み、必死にうちわをあおいでいた。「お兄ちゃん、やっと帰ってきた!なによこのボロ部屋、エアコンもないじゃない!暑くて死にそう!もうあせもができちゃったわよ。早くお金振り込んで、私ホテルに泊まるから!」和江はもう一つのベッドに横たわって、アイタタと大げさに呻いている。「誠司、この部屋は湿気がひどくて、腰が痛くてたまらないわ。早く和牛でも買ってきてご飯を作っておくれ。栄養をつけないと」誠司は玄関に立ったまま。散らかり放題の部屋を見渡す。洗濯された服もない。温かいご飯も用意されていない。あるのは、自分に要求ばかり突きつけてくる二人だけだ。ポケットを探るが、中には数百円の小銭しか入っていない。ついに、彼の我慢は限界に達した。「うるさい
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第8話
誠司は飛びかかって、袋をひったくる。中に入っていたのは、数セットの高級化粧品だ。「その金、どこから出たんだよ!?」誠司の声が裏返る。「だって……引き出しに入ってた現金をちょっと使っただけじゃない」千佳が蚊の鳴くような声で呟く。「あれは俺のなけなしの食費だぞ!」誠司は完全に理性を失った。狭苦しい部屋の中で、千佳の頬を思い切りひっぱたく。二人はそのまま掴み合いの喧嘩になった。和江は傍らでオロオロしながら、立ち上がることができない。ぎっくり腰が再発して、痛みのあまりベッドの上で悶絶している。「喧嘩はやめなさい!病院へ連れて行って!設備の整った私立病院に入院させてちょうだい!」和江が悲鳴を上げる。誠司は荒い息を吐きながら手を離す。和江を背負って、一番近くの総合病院へと駆け込んだ。救急外来の廊下。看護師が伝票を持って近づいてくる。「近藤和江さんのご家族ですね?お会計をお願いします。合計で7万円です」誠司は廊下の隅にしゃがみ込んで、空っぽのポケットを探る。「あの、支払いを待ってもらうことはできませんか?明日には必ずお金を用意しますから」看護師は表情を崩さない。「恐れ入りますが、会計を済ませていただかないとお薬はお出しできません」誠司は頭を膝に埋める。思い出すのは、以前自分が体調を崩したときのこと。どんなに夜遅くても、私が甲斐甲斐しく動き回っていた。すべての費用を払って、看病していた。ようやく気付いたのだ。あの幸せな暮らしは、すべて私のおかげで成り立っていたに過ぎない。私を失った今、彼らは最低限の生活を維持することもできない。誠司はスマホを取り出して、SNSをスクロールする。その時、偶然目にとまったものがあった。共通の友人の投稿写真だ。高級感あふれるビジネスレセプションで、写真の隅に、一人の女性の横顔が写り込んでいる。仕立てのいいパンツスーツを身にまとって、シャンパングラスを手に、余裕のある笑みを浮かべる女性。位置情報は南のあるビジネス街を示している。誠司はまるで藁にもすがる思いで、その友人へ猛烈にダイレクトメッセージを送りつける。【宗介、この写真どこで撮ったんだ!?】【あの白いスーツを着てるの、凪だろ!?】【あいつの居場所を教えてくれ、頼むから!】何十本ものボイスメッセージを連投した。その頃、私は入
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第9話
その報告を聞いて、私は軽く頷く。今の私は、自信に満ちあふれて、光り輝いている。近藤家のキッチンで油の匂いにまみれていた、あのくたびれた女とはまるで別人だ。誠司は無意識のうちに駆け寄ろうとした。「凪!」という名前が喉まで出かかった。だが、ふと自分自身の姿を見下ろして、ハッとした。黄ばんだシャツの襟元、つま先の擦り切れた革靴。何日も風呂に入っていない体からは、ツンとした酸っぱい臭いが漂っている。思わず足がすくむ。強烈な惨めさに襲われて、それ以上近づくことができない。私が歩道に近づくと、ハイヤーの運転手がすでに後部座席のドアを開けて待機していた。 耐え難い焦りが、羞恥心を上回った。今日を逃せば、もう二度と私を見つけ出せないかもしれない。誠司は赤信号も無視して、横断歩道へ猛然と飛び出した。「凪!」悲痛な叫び声が響き渡る。運転手が慌てて急ブレーキを踏む。アスファルトにタイヤが擦れる甲高いスキール音が鳴り響いた。誠司はボンネットを両手でバンバンと叩いて、車体にすがりつくように覆いかぶさった。「凪!出てきてくれ!俺を見てくれよ!」私は後部座席にゆったりと腰を下ろしたまま、窓を開けようともしない。運転手がルームミラー越しに私を見た。「お知り合いですか?」フロントガラスの向こうで、興奮のあまり歪みきった男の顔を冷ややかに見つめる。「いいえ、知らない」声のトーンはどこまでも穏やかだ。「当たり屋かもしれないので、警察を呼びなさい」運転手は頷いて、スマホを手に取って通話ボタンを押そうとする。誠司は外から必死に窓ガラスを叩いて、どうにか私の気を引こうと足掻いている。私は傍らに置いたタブレットを手に取って、読みかけの決算報告書に視線を戻した。オフィスの警備員の対応は早かった。制服を着た大柄な男たちが数人がかりで駆け寄って、誠司をボンネットから引きずり下ろす。そのまま路肩のアスファルトに力ずくで押さえつけられた。「何やってんだ!うちのビルの前で当たり屋か!」警備員が声を荒らげる。誠司は地面に頬を擦りつけられながらも、必死に顔を上げようともがく。喉が裂けんばかりの声を振り絞る。「凪!言い訳するチャンスも与えてくれないのかよ!俺は、お前の夫だぞ!」周りには、野次馬がどんどん集まり始めていた。タブレットを置いて、運転手に少
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第10話
ハイヤーは静かに発進して、街角の向こうへと消えていく。バックミラーには、まだ地面に這いつくばったまま、あの封筒を死に物狂いで握りしめる誠司の姿が小さく映っていた。……裁判所から離婚を認める判決書が届いた日、南城市は土砂降りの雨に見舞われていた。誠司は泥だらけのヘルメットを被って、建設現場で肉体労働に汗を流している。郵便配達員が、防水加工された封筒を彼に差し出した。「近藤誠司さんですね?裁判所からの特別送達です。こちらにサインを」泥水にまみれた手でサインして、封筒を力任せに破り開ける。薄っぺらい紙切れには、婚姻関係の解消を示す文字が冷酷なまでにくっきりと印字されている。強烈な目眩が彼を襲う。手から離れた一輪車が横転して、積まれていた大量のコンクリートブロックが足の甲に容赦なく崩れ落ちた。……病院の救急外来で、誠司は足を引きずりながら、ベンチに腰を下ろしている。レントゲンを撮るための数千円も払えなくて、気のいい作業員仲間から借りた小銭で、応急処置だけ受けることしかできなかった。完全に他人になったことを宣告するあの薄い紙切れを、まだ手の中で固く握りしめている。両手で顔を覆って、まるで傷ついた獣のような嗚咽を漏らす。ポケットの中でスマホが狂ったように震え続ける。田舎に追い返した和江からの着信だ。「いつになったらお金を振り込んでくれるんだい?千佳が最新のスマホに買い替えたいって騒いでてねえ。周りの子にボロいスマホを馬鹿にされたらしいのよ。それと、私の腰もまた痛んできてね。今日中に、薬代としてどうしても五万円は工面しておくれ!」誠司は一切の反応を示さない。スピーカーから漏れ聞こえる和江の厚かましい無心と、千佳の甲高い催促の声が入り混じって、まるで彼の命を削る呪いの言葉のように響く。私という金づるを失った今、この底なしに強欲な家族は、ついに彼自身を骨の髄までしゃぶろうとしているのだ。スマホの電源ボタンを長押しして、画面が真っ暗になる。冷たいタイルの壁にもたれかかった彼は、完全に魂の抜け殻と化していた。判決書が私の手元に届いたそのとき。私は、明るい日差しが差し込むオーシャンビューのマンションにいた。フレンチウィンドウから降り注ぐ光が、足元の絨毯を柔らかく照らしている。判決書の写しをデスクの引き出しにしまう。
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