Share

第17話

Author: 黙璃
愛の目に、強い決意が宿った。「信広さん。恋愛に、私は未練を残さない」

遠くで、湊は信広と愛が自分の目の前でキスを始めるのを見た。

馬上で、二人が夢中になって激しくキスを交わしている。

湊の目が、真っ赤に充血した。

ゴフッ、と音を立てて血を吐き、その体は力なく後ろへ激しく倒れた。

湊が地面に倒れるのを目の当たりにしても、愛の心は微動だにしなかった。

信広が馬から降り、冷ややかに言った。「病院に送る」

湊が病院で目を覚ましたのは、一日後のことだった。

病室に愛の姿はなかった。

この時湊は、かつて自分が愛を一人病院に残し、詩帆のために駆けずり回っていた時のことを思った。

――目覚めた時に最愛の人間がそばにいないというのは、こういう感覚なのか。

信広が傍らに立っていた。「目が覚めたか」

「……愛は?」湊が、かすれた声で尋ねた。

信広は、皮肉げに唇を歪めた。「来たがらないな。まあ、お前が会いたければ呼んでやってもいい」

湊の長い指が、苦悶に眉間を押さえる。声が、暗く沈んだ。「信広。愛のこと、本当は愛してないだろう」

信広の目に、笑みが浮かんだ。その声に、遊び心が滲む。「ほう?誰が言った?」

湊がカッと目を開けた。その瞳が深く、暗く沈んでいる。

信広は、手の中のライターを弄びながら、その鷹のような視線を上げた。底知れぬ瞳が、今、わずかに感情を露わにする。

「湊。覚えているか。俺が昔、一人の少女に出会って。彼女に救われたと、話したのを」

湊の心臓が、激しく高鳴った。声が、震える。「まさか、愛に?」

信広は頷き、重々しく言った。「ああ」

湊はベッドから跳ね起きると、その手で信広の首を激しく掴み、ヒステリックに怒鳴った。「愛は俺のものだ!信広、彼女は、お前を愛していない!」

信広の瞳に、傲慢な光が溢れた。「以前なら心配したかもしれんが、今はまったく心配していない。あの子は強く、そして冷淡だ。湊、お前は彼女を手放したんだ」

松浦邸。

愛は階下の物音を聞いて、書斎から出てきた。

ちょうど、信広が階段を上ってきたところだった。

書斎から出てきた愛を見て、彼が低い声で尋ねる。「……何か用か?」

愛は平静な口調で答えた。「退屈で、本を探してた」

信広が、唇を歪めた。「俺の書斎のパスワード、どうして知ってた?」

愛は眉をわずかに寄せ、その
Continue to read this book for free
Scan code to download App
Locked Chapter

Latest chapter

  • 君を消して、君に出逢う   第23話

    店主は言った。「一人は、その『愛』のタトゥーの、本来の持ち主だった男。ただ、彼は、自分が彫った『愛』を、大切にしなかったみたいですね。そして、もう一人の男。顔に大きな傷跡があって、雰囲気はすごく傲慢で……そう、右足を少し、引きずっていたんです。彼は、私の店に入るなり、言ったんです。右の脛に、『愛』を彫ってくれって」愛は信広のことを思った。あの、最後の結婚式。信広は、あの最後の瞬間、政広が投げたナイフから、彼女を庇った。そして、彼の顔にはあの傷が、足にはあの怪我が残ったのだ。愛の手がきつく握りしめられた。「その人、彼は、元気にしてる?」店主は嬉しそうに笑った。「愛する女性に、この恵川市で出会ったから、ここに定住するつもりなんだって。でも、何の技術もないから、困ったもんだって笑ってましたわ。幸い、昔から車いじりが好きだったとかで、恵川市の西あたりに、小さな修理工場を開いたんですよ」愛の口元に、自分でも気づかないうちに、かすかな笑みが浮かんだ。「修理工場?」「ええ。興味があったら、見に行ってみてもいいんじゃない?」店主は、店先にあった一束のヒガンバナを取って、愛に渡した。「これを買いますわ」愛はその花を丁寧に包んで、店主に渡した。彼女は花屋の扉に「CLOSED」の札をかけた。そして西にある、店主が言った場所へと向かった。果たして、そこにはボロボロの修理工場があった。信広がリフトアップされた車の下から、キャスター付きの寝台で這い出してきた。黒いタンクトップ一枚に、油汚れた作業ズボン。短く刈り込んだ坊主頭。顔に走る傷跡が、その鋭い容貌をさらに凄みのあるものにしていたが、それがかえって、彼の持つ傲慢で横暴な雰囲気を引き立てていた。一目見ただけで、信広は手に持ったスパナの動きを止めた。愛が一歩、また一歩と、彼に近づいていった。その口調は相変わらず穏やかだ。「店長さん……自転車も、直してくれますか?」彼女が押してきた自転車のカゴには、さっきのヒガンバナの花束が入っている。鮮やかな花が、極めて赤く咲いていた。信広の鷹の目が、細められた。とても低い、掠れた声で、彼が言った。「うちは車しか直さねえ。まあ、べっぴんさんなら、自転車も無料で直してやる」愛がそっと爪先立ちして、信広の前に近づいた。彼の瞳を、まっすぐに見

  • 君を消して、君に出逢う   第22話

    あれは愛が恵川市に来て、五ヶ月が経った頃。大学の外での出来事だった。あの夜、愛は近道を通って湊を探しに行こうとしたが、狭い路地で、血塗れの男に出会った。男の力は、獣のように強かった。人の気配を感じた瞬間、地面から跳ね起きた。全身から血の匂いをさせているのに、それでもなお凶暴で残虐な大きな手が、怒りを込めて彼女の首を掴んだ。極度の危険を帯びた、あの声が今も耳に残っている。「……誰だ!」あの時の男は、彼女が自分に危害を加えると思ったのだろう。二人の目が、至近距離で合うまでは。鷹のような鋭い目線が、射抜くように彼女を長い間見つめ、尋ねた。「……恵川大学の、学生か?」愛が「うん」と頷くと、信広は、それでようやく警戒を解き、手を離して、再び地面に崩れ落ちた。愛は血まみれの信広を見て、路地の奥にある小さな診療所まで、彼を支えていった。本来、愛はすぐに警察に通報するつもりだった。だが、彼は「駄目だ」と言った。さらに凶暴な殺気を全身に漂わせ、通報すれば殺す、と脅した。結局、愛は信広をそこに残し、その場から逃げ出し、湊を探しに行ったのだ。湊を連れて診療所に戻った時には、もう信広の姿はどこにもなかった。あの夜はとても暗く、そして、あまりにも時間が経ちすぎていた。この出来事は、過ぎゆく歳月の中で、愛の記憶からも忘れ去られていた。思考が銃声の響く現実に引き戻された。現場は、地獄のような大混乱に陥っている。愛は信広が崩れ落ちるのを、田原が現れるのを、現場の全てのターゲットが、一網打尽にされていくのを自ら見届けた。数時間後。愛は、再び恵川市の土を踏んでいた。二つの病室の外、人気のない廊下に、愛は立っていた。田原が、静かに言った。「愛ちゃん。すべて解決した。取りこぼしは一人もいない。しかし、君の潜入捜査官としての身分が、今回の件で松浦政広側に完全に暴露された。新しい場所へ送るか、それとも……整形するか」愛は、ある一つの病室を見つめた。やがて、彼女は熟考して尋ねた。「もしここから去ったら、境見市で死んだと、発表されるんですか?」「ああ。君の功績を公表し、同時に『殉職』を発表する」愛は、長い沈黙の後、尋ねた。「……信広さんは、この何年もずっと、あなたたちの仲間だったんですか?」田原が頷いた。「ああ、ずっとだ。彼に

  • 君を消して、君に出逢う   第21話

    政広が指を鳴らしながら言った。「あの男は?」信広が唇を歪めて言った。「兄貴、あいつは櫻井湊。恵川市の櫻井家の御曹司だ。知ってるだろ?もっとも、俺たちがまだガキの頃だったから、兄貴は覚えてないかもしれんが」「お前が奪ったのは、あいつの女か?」政広が、疑わしげに尋ねた。信広が、不遜に笑って言った。「兄貴から学んだんだ。『好きなら奪え』ってな」政広の老獪な笑みを浮かべた。「さすが俺の弟だ。よかろう、認める。明日の結婚式に、彼を出席させろ。彼に、自分の目で、お前が奴の最愛の女を娶る様を、見させてやれ」愛は一晩中眠れなかった。瞳を上げるたび、遠くの大木に湊が吊るされているのが見えた。こんなにも離れているのに。湊の視線が、ずっと自分のいる方向を見つめているのが、分かった。夜が明け、耐えきった頃、メイクアップアーティストとウェディングドレスのデザイナーが来た。愛は純白のウェディングドレスを纏った。かつて湊が準備してくれたあのドレスほど華麗ではない。しかしこれもまた、得難い最高級品であり、途方もなく高価なドレスだった。メイクに三時間を要した。ちょうどその時、ドアが開いた。信広が黒い新郎のスーツを着て、歩いて入ってきた。その鷹のような鋭い目が、絶美の域に達した愛の姿をじっと見つめている。低い声に、少し冗談めいた響きが混じった。「俺の花嫁は、随分と美しい」すっかり「花婿」になりきっている信広を見て、愛の睫毛がわずかに震えた。「ありがとう。今日、一網打尽にした後、私たちはもう会うこともないでしょう。くれぐれも気をつけて」もし万が一のことがあれば、政広が一番に殺したいのは、間違いなく信広だ。信広は唇を歪め、放蕩的に笑った。「これほどの美人を一度手に入れられるなら、死んでも本望だ」愛は信広について部屋を出た。彼の言葉を、真に受けることはなかった。結婚式の会場には、大勢の人間が来ていた。この結婚式には、松浦家に関係する、すべての「闇」の関係者が集められている。そしてこの作戦も、前代未聞の巨大なものになる。愛は会場を見渡した。遠くで、湊が痛々しい姿のまま白いスーツを着せられ、椅子に座らされているのが見えた。頭の中で思い出した。彼らの結婚式で、湊が着るはずだった新郎の服も、白いスーツだった。愛は湊の弱々しい

  • 君を消して、君に出逢う   第20話

    「荻原詩帆の判決が下った」正雄は、静かに告げた。「兄殺し並びに、お前への拉致教唆。死刑判決だ。執行猶予二年、減刑は認められん」愛は、ただ静かにそれを聞いていた。「おじいさん。湊が目覚めたら、彼を連れて恵川市へお帰りください。彼と詩帆のあの一年が、どのような事情であれ、私につけられた傷は本物です。終わったことは、終わり。もう、やり直すことなどあり得ません」愛はそう言い残し、背を向けて去った。正雄は、愛がためらいなくある男の懐に飛び込むのを、遠くから見ていた。瞬間、長く深いため息をついた。彼なりに止めようとしたものの、結局は間に合わなかったのだ。信広の鋭い顔に、傲慢な光が溢れている。彼は唇を歪めた。「湊がどうなろうと、それほど悲しくもない、か。本気で愛していなかったと?」愛は、自分が聞きたいことだけを尋ねた。「なぜ、私を救ったの?」その澄んだ瞳が、信広をまっすぐに見つめる。まるで、彼の心の奥底まで見透かそうとするかのように。目の前の信広の大きな体が、覆いかぶさってきた。鷹のような鋭い目線が、愛を射抜く。「お前の『田原さん』という知り合いに、お前の世話を頼まれた。それだけだ」愛の指が震えた。田原に確認を入れると、信広は本当にこっち側の仲間だった。退院して最初にしたことは、愛と信広が、松浦家の本邸へ向かうことだった。ここで、彼女は信広の異母兄・松浦政広(まつうら まさひろ)に会った。愛の、家族全員を殺した仇敵に。信広は、愛の纏う空気が一瞬で変わったのを感じ取った。彼は、そんな愛を強く抱きしめ、熱いキスをその耳元に落とした。その口調には、少し気怠げな色が滲んでいる。「兄貴。今回本邸に戻ったのは、結婚式の準備を頼むためだ。俺は、結婚する」政広は四十代の男で、その凶暴な瞳が二人を見据えていた。落ち着き払った声で、尋ねる。「この女と、か?」信広の目に笑みが浮かんだ。「ああ。何と言っても、兄貴は俺の兄だ。結婚するなら、兄貴に主催してもらわねえと、筋が通らんだろ?」政広は底知れぬ無表情さで、言った。「よかろう。本邸に泊まれ」信広は畳み掛けるように言った。「結婚式は、七日後に決めた。兄貴、俺の結婚式には、松浦家の客人を、全員招待してくれ」政広が冷ややかに笑った。「もちろんだ。これは、親父の臨終の際の遺

  • 君を消して、君に出逢う   第19話

    しかしこの時の愛は、すでに空港の入口の人混みの中へと消えていた。湊は最後に、セキュリティチェックの入口で、意識を失った。チケットを買う時も、二人分を買っていたのに。最後の瞬間、結局、彼は彼女を飛行機に乗せることはできなかった。愛はタクシーに乗り、さっきの事故現場へと向かった。一台の救急車が、彼女の前を猛スピードで通り過ぎていく。ただ、彼女は予想だにしていなかった。目の前を通り過ぎたその救急車の中に、湊が乗っているとは……救急車の医療スタッフが、必死の救命を始めていた。すると、医師が叫ぶ。「患者の血圧が下がり続けている!出血が止まらない。傷が深い。急いで患者の家族に連絡を!」看護師が湊のスマホを手に取った。連絡先の一番上には、「愛」という名前があった。看護師はその番号に電話をかけたが、「現在使われておりません」という無機質な音声が返ってきただけだった。愛が事故現場に駆けつけた時には、凄惨な痕跡が残るだけで、もう誰もいなかった。信広に電話をかける。電話に出たのは、彼のボディガードだった。「松浦さんが怪我をされ、すでに病院に搬送されました。病院の住所をお送りします」愛は、再び病院へと急いだ。術室の前に来た時、ボディガードが報告した。「紅さん。松浦さんは重傷です。特にあなたを庇った際、背中に無数のガラス片が突き刺さり……」その時、遠く離れた別の手術室に、湊が運び込まれていった。愛は、ただ信広の手術室の入口で、彼が出てくるのを待った。すぐ隣の手術室に誰が運ばれたかなど、気にも留めなかった。信広の手術は、三時間後にようやく終わった。信広は意識を失ってはいなかった。愛の姿を見て、尋ねる。「なぜ、湊と行かなかった?」愛の冷たい瞳が、すべての感情を押し隠す。「あなたが、私を守ってくれたから」信広が皮肉げに唇を歪めた。「……それだけか?」愛が「うん」とだけ答えた。そして、信広と共に病室へ向かった。その頃、別の手術室の前では、正雄が、慌てた様子で境見市に駆けつけてきていた。医師が危篤通知書を正雄に渡す。「櫻井様の傷は深く、すでに腎臓を損傷しています。今すぐ、損傷した腎臓を摘出しなければ、出血を止めることができません」正雄の老いた瞳が暗く沈んだ。重々しい声で、絞り出すように言った。「わかった

  • 君を消して、君に出逢う   第18話

    湊の瞳が、瞬時に赤く染まった。何しろ、「子供」に関しては、愛と最も話したくないタブーだった。声がわずかに震える。「愛、俺は知らなかったんだ!」愛は言った。「知らなかったから、罪じゃないとは言えない。知らなかったからって、許さなきゃいけない理由にもならないわ。あなたが私を拉致犯に渡し、鷹野に残した時、彼らに触れられた時の、あの悍ましい嫌悪感が、あなたに分かる?」湊の瞳がさらに赤く充血する。震える手が、愛の肩を掴んだ。「すまない!でも信じてくれ、お前への愛は本当なんだ!あの時は焦っていたんだ。死んだ哲朗への恩返しを……そう焦って、詩帆に優しくしすぎた……」一方、愛の目は平静なままだ。「恩返しね。あなたが私に負っている『恩』は、詩帆に負っているものより、少ないとでも?」ただ、時間の中で、その罪悪感はとっくに消え失せていただけ。新しい罪悪感が現れれば、古いものは埋もれていく。誰も古傷のことなど見ない。新しくできた傷が、どれだけ血塗れかしか、見ないのだ。愛の冷たい瞳が湊を見た。最後に、強調するように言った。「私たちは、とっくに終わったの。もう二度と、私の前に現れないで。あなたを、憎みたくない」愛がなければ、憎しみも生まれない。湊はいっそ愛に憎まれた方が、まだましだった。彼は壊れ物に触れるように、恐る恐る愛を抱きしめた。だが、感じたのは、愛の体が骨の芯まで冷え切っているということだけだった。もう二度と、その熱を取り戻せない。湊の瞳に絶望が満ちた。かすれた、痛む声で言った。「……わかった。空港まで、送ってくれ。俺はここを離れる」愛は小さく言った。「わかった」空港への道は、三人だった。愛、湊、そして信広。道中、一言も話さなかった。しかし、空港に着く、まさにその直前。一台のワゴン車が、猛スピードで激しく突っ込んできた。湊が咄嗟に身を乗り出して愛を守ろうとした。それよりも早く、信広が愛の体を強く抱きしめて庇っていた。愛はその行動に瞬間的に驚愕した。車が激しく衝突した。愛は、信広の大きな懐で、しっかりと守られているのを感じた。車が横転し、止まるまで。彼女を抱きしめていた信広は、額から血を流し、全身血塗れだったが、愛は無傷だった。信広が素手で歪んだ車のドアをこじ開けた。無理やり愛を抱きし

More Chapters
Explore and read good novels for free
Free access to a vast number of good novels on GoodNovel app. Download the books you like and read anywhere & anytime.
Read books for free on the app
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status