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遠ざかる愛を抱いて

遠ざかる愛を抱いて

作家:  白瀬桃香完了
言語: Japanese
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概要

家族もの

逆転

ひいき/自己中

不倫

家族修羅場

家族の誤解と愛する人の裏切りに傷ついた藤崎心乃(ふじさき ここの)は、別の人生を選び取り、二度と過去を振り返らないと誓う。

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レビュー

ノンスケ
ノンスケ
これは偽装死とかではなくて、人生を交換するのね。その方が面倒な気もするんだけど。しかし相変わらず本当の娘より育てた娘の方が可愛いとか、このパターン多いなぁ。
2026-06-23 21:51:11
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松坂 美枝
松坂 美枝
人生交換かあ。犯罪に利用されそうな手術だな また調べられないマヌケな御曹司。散るの早すぎて(笑) 主人公の毒家族の末路の中にクズ女だけ描写がなかったが地下室でお陀仏してんのかな
2026-06-23 10:08:21
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22 チャプター
第1話
「藤崎様、本当に人生交換プロジェクトのボランティアにお申し込みになるのですか?ひとたび交換が行われれば、あなたの容姿も身分も、完全に他人のものになります。今の婚約者やご家族とも、二度と何の関わりもなくなりますが……それでもよろしいのですね?」藤崎心乃(ふじさき ここの)は、おそるおそる尋ねた。「手術費用は、無料なんですよね?」「はい。ただし、この技術はまだ完全に確立されたものではありませんので、お身体に何らかの悪影響が出る可能性があります。それでもお受けになりますか?」心乃は静かにうなずいた。「かしこまりました。手術は七日後に行われます。もし途中でお気持ちが変わりましたら、早めにご連絡ください。それに――あなたは婚約者のことをとても愛していらっしゃいます。本当に失いたくはないはずですから」ペンを握る手に、無意識に力がこもる。心乃は自嘲気味に、かすかに笑った。彼女は成瀬蒼真(なるせ そうま)を愛しているのか。もちろん、愛している。けれど――蒼真は、もう彼女を愛してはいなかった。「気持ちは変わりません。当日、必ず来ます」心乃はボランティア同意書に自分の名前を書き終えると、病院を後にした。にぎやかな十字路に立ち尽くしながらも、自分がどこへ向かえばいいのかわからなかった。彼女は京央・藤崎家の令嬢であり、蒼真の婚約者でもある。本来なら、幸せで何不自由ない人生が待っているはずだった。けれど、高梨清香(たかなし きよか)が現れてから、すべてが変わってしまった。清香は彼女の伯父の娘だった。六年前、伯父夫婦が交通事故で亡くなり、母が彼女を家に引き取ったのだ。清香は、心乃の恵まれた暮らしに嫉妬し、何度も何度も彼女を陥れた。その日から、両親はもう彼女を甘やかさなくなり、兄も彼女をかばわなくなった。そして、心乃だけをひたむきに見つめていたはずの蒼真さえ、もう彼女を信じなくなった。彼らの目には、心乃は腹黒く悪意に満ちた女として映るようになっていた。彼女は家を追い出され、住む場所も失った。兄は業界全体に圧力をかけ、彼女を締め出した。仕事を見つけて食べていくことすらできず、夜になると、ゴミ箱をあさって残飯で飢えをしのぐしかなかった。もう、本当に限界だった。
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第2話
心乃は、蒼真に連れられて邸宅へ戻った。ここはもともと、二人が結婚後に暮らすはずだった新居だった。家具や壁画のような大きなものから、ローテーブルのコースターのような小さなものまで、すべて彼女が心を込めて選んだものばかりだった。それなのに、彼女がほんの一週間いなかっただけで、すべてがすっかり入れ替わっていた。蒼真はどこか気まずそうに言い訳した。「清香はもっと落ち着いた雰囲気が好きなんだ。お前が選んだものは、どれも子どもっぽすぎたから、とりあえず片づけただけだ」心乃はうなずいた。「新しい家だもの。もちろんここに住む人の好みに合わせて整えるべきよね」もう、自分はここに住む人ではない。どう飾ろうと、好きにすればいい。「またそうやって嫌味を言うのか?清香は体が弱い上に、最近は新作発表会の準備で忙しいんだ。ここは彼女のアトリエにも近いから、しばらく泊まらせているだけだ。その目はなんだ。そんな薄汚い考えは、さっさと引っ込めろ!」蒼真は眉をひそめ、不満をあらわにしたその口調で、彼女を押しつぶさんばかりだった。心乃は目をそらした。自分が薄汚い?では、婚約披露の席で彼に不意打ちの口づけをした清香は、いったい何だというのか。「いいから、早く着替えてこい。そんな汚れた格好をして」蒼真はうんざりしたように手を振った。これ以上一秒でも彼女を見ていたくないとでもいうように。心乃は言い返さなかった。もう何日も、まともに風呂に入っていなかったのだ。彼女は主寝室の扉を開けた。すると、ベッドの上には清香が横たわっていた。「清香……?どうして、ここにいるの?」清香は目をこすった。その動きに合わせてシルクのネグリジェの肩紐がずり落ち、あらわになった肌には、いかにも情事の痕跡を思わせる赤い痕が残っていた。心乃は拳をぎゅっと握りしめた。「聞いてるの?どうしてここにいるの!」ここは、自分と蒼真の寝室だ。幾つもの夜を、この部屋で、互いを求め合って過ごしてきた。どうして、この女がこのベッドで眠っているの――「ここは蒼真の家よ。私がどこで寝るかなんて、もちろん蒼真が許したからに決まってるでしょう?」清香は唇をゆがめ、わざと首元の痕を見せつけるようにした。「
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第3話
病室では、藤崎家の人々が清香のベッドを取り囲み、入れ代わり立ち代わり気づかっていた。「清香、これはおばさんがあなたのためにわざわざ煮込んだスープよ。熱いうちに飲んでちょうだい。ほんとに、全部心乃の疫病神のせいだわ!安心して、あの子にはきっちり償わせるから!」そう言ったのは、心乃の実の母である――藤崎澄子(ふじさき すみこ)だった。清香はスープを少しずつ口に運び、聞き分けのいい笑みを浮かべた。「おばさん、心乃を責めないでください。悪いのは私なんです。私、寝室に入ったのも、置き忘れたデザイン画を取りに行こうとしただけなんです。ただ、まだ心乃に説明する前に、いきなり手を出されてしまって……蒼真、勝手にあなたたちのお部屋に入ったこと、怒ってない?」蒼真は、彼女の掛け布団をやさしく整えた。「そんなわけないだろ。このところ、お前は本当に無理をしていたんだ。発表会が終わったら、気分転換にどこかへ連れていってやる」「本当?やっぱり蒼真は、優しいわ!」清香はうれしそうに蒼真の胸へ飛び込んだ。心乃が引きずるようにして病室へ連れてこられたとき、目にしたのはまさにその光景だった。「父さん、母さん。心乃を連れてきたぞ!」啓介はそう言うと、彼女の背を乱暴に押した。心乃は足元をよろめかせ、危うく転びそうになった。「よくのこのこ顔を出せたものね?」澄子は振り向きざまに怒鳴った。「どうして私は、こんなにも悪どい娘を産んでしまったのかしら!一度ならず二度までも、自分の従妹を陥れようとするなんて!清香に大事がなかったからよかったものの、もしものことがあったら、私は兄さん夫婦にどう顔向けすればいいの!」心乃は唇をきゅっと結び、それでも言い返した。「私じゃない。突き落としたんじゃなくて、あの人が自分で落ちたの」「じゃあ何?清香がわざと自分を傷つけて、あなたを陥れたとでも言いたいの?」澄子は勢いよく立ち上がると、心乃の額を指で強く突いた。「嘘をつくなら、もう少しまともな言い訳を考えなさい!発表会はもう目前なのよ?こんな時期に怪我をして、あの子に何の得があるっていうの!」「あるでしょう。あなたたちに、もっとかわいそうだと思ってもらえる」ぱしん――!澄子の平手が、容赦なく振り
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第4話
「……今、何て言った?」蒼真は一瞬、動揺を浮かべた。すぐに心乃の手をつかもうとしたが、空を切る。心乃は一歩後ろへ下がり、彼との距離を取った。「言ったでしょう、蒼真。私はあなたとの婚約を解消するって。今この瞬間から、私はもうあなたの婚約者じゃない。これで満足?」――もう決めたのだ。手術を受ける前に、婚約だけは終わらせる。そうすれば、たとえこの古い体のまま目覚めたとしても、もう誰かの婚約者ではなく、ただの自分としていられる。それだけ言い残すと、心乃は背を向けて部屋へ戻った。蒼真も、その怒りも、すべて背後に置き去りにして。「心乃!開けろ!自分が何を言ってるのか、わかってるのか!」激しく扉を叩く音に、清香の途切れ途切れのなだめる声が混じる。「蒼真、真に受けちゃだめよ。心乃はただ、かっとなって言ってるだけだから!今までだって、こういうことがなかったわけじゃないでしょう?結局いつも最後は、おとなしく謝って、またあなたのところへ戻ってきたじゃない。私も女だから、あなたより心乃のことはわかるわ。あの子、ただ少しあなたを脅かして、自分があなたの中でどれだけ大事か確かめたいだけなのよ。でも蒼真、今回ばかりは甘やかしちゃだめよ。見て、あの子、もうあなたに甘やかされすぎて、あんなふうになってしまったんだから。……ああ、頭がまた痛くなってきた……」「清香――!」蒼真の切羽詰まった声が、清香の低いうめき声をたちまちかき消した。「先に部屋へ連れていくよ。休ませないと」二人の足音は、次第に遠ざかっていった。心乃は扉の裏にもたれたまま、力が抜けたようにずるずると床へ座り込む。スマホのメモを開き、彼女は静かに書き込んだ。――あと六日。翌朝早く、蒼真は朝食を済ませると会社へ向かった。清香は「創作中は家に他人を置きたくない」と言い張り、もともと邸宅にいた使用人たちを全員追い出してしまった。広い家の家事は、すべて心乃一人の肩にのしかかった。清香は味にうるさく、コーヒーも五回淹れ直させた挙げ句、「口当たりが違う」と文句をつけ、豆を一粒ずつ選び直せとまで言い出した。残った豆を心乃はこっそり隠した。邸宅を出たあと、少しでも金に換えようと思ったのだ。けれど、それをポン太が玩具と勘違
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第5話
心乃は、ポン太を連れて動物病院へ駆け込んだ。「先生、この子の傷……大丈夫でしょうか?」「傷がかなり深いですね。それに赤く腫れて膿も出ています。すぐに点滴をしたほうがいいでしょう。このままだと細菌感染を起こすおそれがあります」心乃はひび割れた唇をなめ、ためらいがちに尋ねた。「点滴をすると……いくらかかりますか?」「六千円です。先に会計を済ませてきてください」心乃は伝票を握りしめたまま、動かなかった。六千円。一週間前の自分なら、こんな金額で困ることなどなかった。けれど家を追い出されたとき、あの人たちは彼女の支払い手段をすべて凍結した。今の彼女が持っているもので、まともな値がつくのはこのスマホくらいしかない。「先生……このスマホを預かっていただけませんか?仕事が見つかったら、すぐにお金を持ってきます!二倍払ってもかまいません、なので――」「お金がないんですか?ないなら最初に言ってください。ほら、帰ってください。仕事の邪魔になるので!」「お願いします、先生……!この子を助けてください、お願いします……!」診療所の扉は、彼女の目の前で容赦なく閉ざされた。心乃は路肩に立ち尽くしたまま、泣きたくても泣けなかった。ポン太はぐったりしていて、彼女の腕の中でほとんど動かない。熱まで出ているのだろう。本来ならしっとりと濡れているはずの鼻先は乾いてひび割れ、重たげなまぶたは半ば閉じかけている。それでも時おり舌を伸ばし、彼女の手のひらをぺろりと舐めた。まるで、落ち込む彼女を慰めるかのように。心乃は額をそっとポン太の頭に押し当てた。「大丈夫よ、ポン太。絶対に助けるから」心乃はスマホを取り出し、配信アプリを開いた。「みなさん、こんにちは。藤崎心乃です。そうです。成瀬グループで盗作疑惑を報じられた、あのチーフデザイナーです。今日、私が配信を始めた目的は一つだけ。お金を稼ぐためです。罵りたい人は、どうぞ好きなだけ罵ってください。その代わり、投げ銭でもギフトでも、少しでもお金をくれるなら、私は絶対に言い返しません。聞きたい言葉があるなら、いくらでもあなたたちの気に入るように言います。どうか、この配信を広めてください。お願いします」その発言は案の定、大きな騒ぎを呼んだ。配信ルームには、
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第6話
夜明けが近づくころ、ようやくポン太の熱は下がった。心乃は一晩中つきっきりで看病し、ようやく少しだけ休めそうだと思った。けれど、目を覚ましたときには、ポン太の姿が消えていた。彼女は病院中を探し回ったが、どこにも犬の姿はない。「すみません、茶色い小型犬を見ませんでしたか?これくらいの大きさで、頭に白い毛が少しある子なんです」心乃は手当たりしだいに尋ねて回り、ようやく、三十分ほど前にある女性がポン太を連れて行ったと聞かされた。「その人、自分はあなたの従妹で、高梨という姓だって言ってましたよ。先に犬を家に連れて帰るから、目が覚めたら自分を訪ねてくるようにって」高梨――清香だ!心乃はそれ以上考えるのも恐ろしくて、慌てて邸宅へ戻った。清香は彼女を二階のテラスへ呼び出した。その足元には、ポン太がぐったりと伏せていて、ぴくりとも動かない。心乃は指先を強く握りしめた。「ポン太に何をしたの?」「心乃ったら、私なんかより、その犬のほうが大事みたいね。ほんと、傷つくわ」清香はそう言って笑い、醜く傷の残った自分のふくらはぎを見せつけた。「この子のせいで、私、こんな大きな傷跡が残ったのよ?どうやって罰してあげたらいいと思う?」「清香!私に何かしたいなら好きにすればいい。でも、ポン太には手を出さないで!」「もちろん、最初からそのつもりよ。あなたがあんなに大事にしてるんだもの。この子が死ねば、あなたもきっと耐えられないでしょう?」清香は気を失ったポン太を持ち上げ、そのまま階下へ投げ落とそうとした。「やめて――!」心乃は懇願した。「お願い……!何でもするから、この子だけは見逃して!」清香はにっこりと微笑んだ。「放してほしいなら、条件があるわ。跪いて、私の靴を舐めてきれいにしなさい」心乃は信じられないものを見るように、彼女を見つめた。「……何ですって?」「嫌なの?じゃあ、あなたの大事な子とはここでお別れね」清香が手を離す。次の瞬間には、ポン太がテラスから落ちてしまう――どさり――心乃は、その場に膝をついた。膝に走る痛みで感覚が痺れていく。うつむいた彼女は、この絶望に満ちた暗い世界をもう見たくなかった。それでも、耳には清香の笑い声が容赦なく入り込んでくる。「ふふっ…
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第7話
痛い――心乃は、全身の骨が砕かれたかのような痛みに襲われていた。重いまぶたをどうにか持ち上げると、そこは病院のベッドの上だった。自分は死んだのではなく、まだ生きているらしい。「目が覚めたんですね」そこにいたのは、人生交換プロジェクトの看護師だった。看護師は水の入ったコップを差し出しながら、あきれたように言った。「あと三日で手術だったんですよ。それまで、どうして耐えられなかったんですか」心乃は口元をわずかにゆるめた。「すみません。でも……私、こんな状態になってしまったら、もう交換したいなんて思う人はいないんじゃないですか?」「そこはご心配なく。あなたは最初から、上の方が指名した交換対象ですから」「指名……?」心乃は眉を寄せた。「つまり、今の私がどういう状況か知ったうえで、それでも私になりたがっている人がいるってことですか?」「そういうことですね」心乃はさらに問いかけようとしたが、看護師はそれ以上何も話そうとしなかった。ただ、今はよく休んで、安心して手術を待つようにと言い残し、病室を出ていく。扉の外を、清香の姿がよぎった。清香は足早に廊下の角まで進むと、拳を強く握りしめた。――今、何を聞いたの?人生交換……?あの愚かな心乃が、まさか本当に人生交換に申し込んでいたなんて。まるで神様まで自分の味方をしているようだった。心乃がああして飛び降りたせいで、蒼真の中にかすかに残っていた情まで呼び起こされ、彼は心乃のために改めて婚約の席を設けるべきかどうか考え始めていた。けれど、あと三日もすれば、心乃は完全に別人になり、二度と戻ってこなくなる。そう考えると、清香の口元には笑みがにじんだ。だがすぐに、別の不安も頭をもたげる。三日――それは長すぎる。この三日間に、何が起こるか分からない。後の禍根を残さないためにも、何としてでも手術を早める方法を考えなければならない。――病室では、心乃が点滴を受けていた。そのとき、記者たちがどっと病室へ押し寄せてきた。「藤崎さん、高梨さんが転落したのは、あなたが恨みから突き落としたからなんですか?」「高梨さんにチーフデザイナーの座を奪われた腹いせに、殺そうとしたというのは本当ですか?ご自分のしたことを、行きすぎだとは思わないんでしょうか!
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第8話
啓介の動きはあまりにも速かった。心乃は避けようとしたが、間に合わなかった。振り下ろされた椅子が、容赦なく彼女の脚を打ち据えた。骨の髄まで貫くような激痛に、心乃の視界は何度も暗くかすみ、そのまま意識を失いそうになる。「……啓介」額に冷や汗をにじませながら、心乃は弱々しく彼を見上げた。「いつか真実を知ったとき、忘れないで。あなたは実の妹から、脚一本を奪ったのよ」「ふん」啓介はせせら笑った。「脚一本どころか、この命をお前にくれてやっても構わないさ。もっとも、お前の言う真実なんてものが本当にあるなら、の話だが」心乃はかろうじて意識をつなぎ止めていた。全員が病室を出ていったあとになって、ようやく堪えていた涙をこぼす。心の痛みなら、ないものとしてやり過ごせる。けれど、折れた脚の痛みだけは、どうしても耐えきれなかった。「……これを」視界の端に、一枚のティッシュが差し出される。蒼真だった。その声は淡々としていて、何のぬくもりもない。「痛いのはわかる。けど、清香があのとき、きっとこれ以上に痛かったはずだ」そこで初めて、彼がずっとそこにいたのだと気づいた。彼はただ冷ややかに立ち尽くしたまま、心乃が記者たちに取り囲まれ、母親に罵倒され、実の兄に脚を折られるところまで、すべて見ていたのだ。それなのに――最初から最後まで、彼女をかばう言葉は一つもなかった。「蒼真……本当に、冷たい人ね」心乃は涙をこぼしながら笑った。「ねえ、知りたいの。あなたの中で、私はいったい何だったの?この十数年は、あなたにとって何だったの?」蒼真は眉をひそめた。「お前が昔みたいに、ずっと素直で優しいままだったら、こんなことにはならなかった。心乃、全部お前のせいだ。清香より能力が劣っていること自体は、別に罪じゃない。だが、お前の悪いところは、嫉妬が強すぎたことだ。清香のほうが優れているのを受け入れられなかった」蒼真は深くため息をつき、疲れたようにこめかみを押さえる。「お前が何年も騒ぎ続けてきたせいで、お前も疲れただろうが、俺だって疲れた。これまでのことは、お前が若くて分別がなかっただけだと思うことにする。今回こうして脚を折ったんだ。少しは教訓になっただろう。この前の婚約披露の席だって、清香が整えたもの
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第9話
夜風には冷えが混じり、心乃は病衣一枚きりだったせいで、小さく身を震わせていた。行き交う車ばかりに気を取られ、背後に人影がついてきていることにも気づかなかった。本来なら車椅子に座っているはずの清香は、何事もなかったように木陰に身を潜めている。もし誰かが見ていれば、その脚がまったく無事だとすぐにわかるはずだ。清香はくすりと笑う。「心乃、とうとう我慢しきれずに、手術を前倒しするのね。これでこれから先は、蒼真の愛も、藤崎家の財産も、全部私一人のもの――」清香は、ワゴン車が心乃を乗せて走り去るのをこの目で確かめてから、ようやく入院棟へ戻った。再び車椅子に腰を下ろし、心乃の病室の前を通りかかったところで、ちょうど引き返してきた蒼真と鉢合わせる。「清香?どうしてここに?」清香は慌てて取り繕った。「心乃の様子を見に来たの。ちゃんと謝りたくて……でも、会ってくれるかどうかわからなくて」「謝るべきなのはあいつのほうだ」蒼真は眉をひそめた。「お前は優しすぎるから、いつもああして心乃に付け込まれるんだ」蒼真が病室の扉を開ける。だが、中には誰もいなかった。「心乃はどこだ?さっき脚を折ったばかりなのに、どこへ行けるっていうんだ」清香は穏やかな声でなだめる。「蒼真、そんなに慌てないで。きっと看護師さんが検査に連れていっただけよ」蒼真は病室でしばらく待った。それでも、心乃は戻ってこない。なぜか胸がざわつき、落ち着かなかった。命よりも大切な何かが、少しずつ自分から遠ざかっていくような、そんな気がしてならなかった。……西園総合病院。心乃はすでに全身の検査を終え、あとは手術を待つだけになっていた。しかも、思いがけない朗報まであった。医師の話では、脚の状態はそこまで深刻ではなく、手術後に半年ほど静養すれば回復する見込みだという。「よかった……本当によかったです。じゃないと、私と人生を交換してくれる人に、何て言えばいいのか分からないわ」「何を言うつもりだったの?」入口のほうから、鈴のように澄んだ女の声がした。振り返った心乃は、思わず目を見開く。そこに立っていた若い女性は、自分とどことなく似ている顔立ちだった。彼女は近づいてくると、気さくに手を差し出した。「こんにちは、藤崎心乃さ
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第10話
蒼真は病室で長いこと待ち続けたが、心乃は戻ってこなかった。ふとスマホを取り出してみて、ようやく気づく。五時間前、心乃からメッセージが届いていたのだ。【さようなら、蒼真。あなたともう二度と会わないわ】だが彼は友人が多すぎて、そのメッセージは目に入ることすらなく、下のほうへ埋もれてしまっていた。蒼真は眉をひそめ、不機嫌そうに打ち込む。【心乃、今度は何のつもりだ。五分以内に戻ってこい】送信できない。心乃は、彼をブロックしていた。画面に浮かぶ送信不可を、蒼真はしばらく呆然と見つめていた。これまで何度心乃が大騒ぎしても、彼とのつながりだけは切ったことがなかった。ブロックをしたことなど、一度もなかったのに。蒼真はすぐに彼女の電話番号へかける。「申し訳ありません。おかけになった電話は――」電話まで拒否された。蒼真の胸に、焦りが広がる。だがそれ以上に、怒りと理解できない思いが渦巻いていた。悪いのは彼女のほうのはずだ。それなのに、どうして自分がこんな扱いを受けなければならないのか――蒼真は心乃が行きそうな場所を素早く思い浮かべた。この数年、表向きは成瀬グループのチーフデザイナーとして名を連ねていたものの、実際には彼の身の回りの世話をするため、ずっと家で仕事をしていた。親しい友人など、ほとんどいない。藤崎家に戻ることも、まずありえない。だとすれば、行く先は一つしかない。蒼真は車を飛ばし、二人の新居へ戻った。玄関に入るなり、大声を張り上げる。「心乃!いるんだろう、隠れてないで出てこい!機嫌が悪くなるたびに姿をくらますなんて、いい加減やめろ!早く出てこい!清香にまだ謝ってないんだぞ!」蒼真は部屋という部屋を一つずつ探し回った。だが、心乃の姿はどこにもない。それどころか、彼女の服も、化粧品も、すべて消えていた。ラインの画面に残る送信不可を見つめながら、蒼真は初めてはっきりと焦りを覚えた。……それからの数日間、蒼真はひたすら心乃に連絡を取ろうとし続けた。番号をいくつも変えてみたが、心乃は友だち申請を通しもしないし、電話にも出ない。蒼真は気が狂いそうだった。「いったいあなたたちは、心乃に何をしたんですか!どうして急に姿を消したんですか!」澄子はきょとんとした顔を
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