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【第6話】近づくふたり

Author: 櫻恭史郎
last update publish date: 2026-07-12 18:10:32

「セラ嬢……」

 ほんのつかの間、人の姿を取り戻したジェイド王子だったが、今、セラの目の前で、心配そうな顔をこちらにむけているのは、魔獣オークの姿だった。

 セラは、名を呼ばれて、はっとして両手をジェイド王子の腕から離した。

「申し訳ありません。近づくなと言われたのに……触れてしまって。すぐに、下がります」

 セラが立ち上がり足早に扉に向かうと、うしろから声をかけられる。

「感謝します」

 ジェイドの言葉に、セラが振り向くと、彼は、つづけて言った。

「醜く恐ろしいオークに触れることは、不愉快だったろうに、あなたは助けてくれた。心から、感謝します」

「醜いとも、恐ろしいとも思いません。あなたは、優しい人だと思います。誰も傷つかないよう、ここに一人で耐えていらっしゃいました。……不愉快な思いをさせたのは、わたしのほうです。呪われた力があるのに、あなたに触れてしまいました」

 ジェイド王子が、訝しむように言う。

「あなたは、まさか……、わたしがあなたの能力を厭って、近づくなと言ったと考えているのですか?」

「……」

「違います、セラ嬢、あなたを傷つけたくなくて……」

 セラは、嬉しくなって、慣れない笑顔を返して言った。

「嫌われたのでなければ、とても嬉しいです」

 ジェイド王子も、魔獣の顔で、多分、笑顔だった。

 すこし、分かりづらいけれど。

 あの緊迫した夜から、あっという間に、数日が経過した。

 あの日以来、セラとジェイド王子は、ふたりでひとつの秘密を共有することになった。セラの、魔力を奪う能力によって、ジェイド王子にかけられた呪いの魔力が奪われ、ジェイド王子本来の姿を一時的に取り戻す、という秘密だ。

 何度か、ふたりで、試してみて、色々と分かった。

 セラは、まだ荒れたままのジェイド王子の部屋で、テーブルをはさんで、オークの姿の彼と向かい合い、お茶を飲んでいた。

 あたたかなお茶をひとくち飲み、セラは、さっきまでの実験結果をふまえて言った。

「どうやら、ある程度近い距離にいれば、殿下からあふれでる呪いの魔力を、打ち消すことが出来そうですね」

「だが、あまり長い時間そばにいては、きみがつらい思いをしないか?」

 セラは、今の自分の身体にある感覚を確認しつつ答えた。

「いいえ。それどころか、魔力で満たされると、力が出るような気もします」

 そうして何度か話し合い、セラの部屋は、ジェイド王子の部屋の隣に、あらためて用意されることになった。

 セラが側にいれば、ジェイド王子の、人の精神までも蝕む瘴気のような魔力は、あたりにまき散らされることはない。

 それに、日に一度、セラがジェイド王子に触れることで、彼はつかの間、本来の姿を取り戻すことができるようだった。呪いで受ける苦しみの果てに、狂気をまとい、攻撃的になることもない。

「きみの能力は、目の前で発現している現象としての魔力を、きみの中に取り込んで消しているんだな」

「そのようです」

「呪いや、もともと人が持つ能力としての魔力を、取り去るものではないようだ。取り込んだ時に、違和感などないのか?」

「妙かもしれませんが……、満たされるような感覚があります。食事をしたような……」

「なるほど。今のところ、問題はなさそうだが……。つらくなるようなら、すぐに言うように」

「はい」

 ジェイド王子は、冷静に分析を重ねながら、セラとの実験をすすめた。

 そして、セラのまわりの生活は、変化し始めた。

 ジェイド王子は、セラを気づかい、怖がらせないようにと、いつも気を使って行動してくれるように見える。一人の令嬢に対する紳士的な礼節と、深い思いやりがあるようで、セラは、胸を高鳴らせることさえあった。

 ジェイド王子の呪いによる魔力の影響がセラによって、拡散されることなく過ごせるようになり、おそれるように離れた場所にいた使用人たちも、ある程度、ジェイド王子に近づくことができるようになった。

 ジェイド王子の部屋は、すっかり綺麗に片付けられ、その隣にある、セラの部屋には、毎日、調度品が揃えられて、どんどん増えていった。

 ふかふかとした、毛足が長く、美しい柄の絨毯。

 繊細な彫刻がほどこされた、飾り棚。

 見たことのない、美しい切り花。

 品質の良い薪が、暖炉でよく燃えている。

 そして、豪華な食事。

 じっくりと煮込まれた肉のスープや、新鮮な野菜、滋養に富んだ果物や蜂蜜漬け。

「素敵ね。ぜんぶ、食べてしまえたらいいのだけれど……。ちょっと、多すぎるわ……」

 セラは申し訳なく思いつつ、毎回けっこうな量を残してしまった。

 地下室で与えられていた、日に一度の粗末な食事の量に慣れてしまった身体では、食べたくても、そうはできなかった。

 昼下がり、ジェイド王子とお茶をしながら談笑し、彼の腕に触れて、呪いの魔力を取り去るのが、セラのお決まりの日課になった。

 その日、ジェイド王子の部屋を訪れると、彼は、心配そうに聞いた。

「セラ嬢、食事をほとんど残していると聞いた。やはり、どこか身体に負担があるのではないか? それとも、きみの口に合わなかっただろうか?」

 深く優しい声音だった。

 姿こそ恐ろしい魔獣だが、その言葉遣いはどこまでも優しい。

「いいえ、殿下。身体に不調はございませんし、お料理はどれも本当に美味しくて、食べるたびに感動してしまうほどです。ただ……」

「ただ?」

「今まで、あまり食べてこなかったので、多くは食べられなくて」

「……そうか。これからは、きみの負担にならない範囲で張り切るよう、料理長に伝えておこう」

「感謝いたします、殿下」

 ジェイド王子が、そっとセラのもとに近寄り、大きな手を差し出す。

 セラは、物語の中の舞踏会で、淑女が殿方の手にふれるときのように、そっと手を差し出して、ジェイド王子の手に触れた。

 おそろしく大きな爪はあっても、その手は、紳士的で、あたたかい。

 呪いの魔力が、みるみるうちにセラの身体に流れ込む。

 そうして、ジェイド王子の身体から灰緑色の皮膚が剥ぎ取られ、白銀の髪を持つ絶世の美貌が現れる。

 ほんの、わずかの時間。

 人の姿に戻ったジェイド王子は、切れ長の瞳でセラをじっと見つめ、その美しい唇をひらく。

「セラ」

 赤いオークの瞳から、深い青の人の瞳へと変化したジェイド王子の瞳が、セラの間近にあった。

 なぜ、こんなにも、胸が高鳴るのかしら。

 身体が、熱い。

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