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【第7話】悪意の系譜

作者: 櫻恭史郎
last update publish date: 2026-07-13 18:10:12

 黒曜宮での生活は、セラに忘れていた人間らしさを取り戻させてくれた。

 ジェイド王子との間に交わされる言葉は、どれも穏やかで、セラへの配慮に満ちている。

 それに、黒曜宮につとめる者たちは、セラに好意的な目を向けてくれるようになった。

 毎朝、直接、挨拶におとずれる侍従長は、ずいぶんと嬉しそうな顔で言う。

「セラ様のおかげで、殿下はずいぶんと、快方に向かわれているように思えます」

「あなたは、ジェイド殿下のことを、とっても思っているのね」

「殿下が幼いころよりお仕えしております。本当に、セラ様が来てくださって……」

 そう言って、涙まで流す。

 ジェイド王子は、どうやら、使用人からずいぶんと好かれているようだった。おそろしい魔獣の姿となり、近寄る者をむしばむ魔力を抑えきれない状況になっても、城につとめるものたちは、立ち去らなかったらしい。

 人が少ない印象を受けたが、どうやら、それは、瘴気の影響で、弱っていった者たちから、離れざるをえなかったからだという。

 セラは、昼下がりの、いつもの時間に、ジェイド王子の部屋の扉をたたいた。

 すぐに足音がして、ジェイド王子が自ら、扉をあける。

「そろそろ、きみが来る頃だと思っていた」

 セラは、ジェイド王子に笑顔を向けてから、部屋の奥のテーブルが用意されている定位置へと歩みを進めた。

 開け放たれたテラスから、風が入る。

 ひときわ、大きな風がふいたと思ったら、光が差し込んだ。

「……あ」

 セラが黒曜宮にやってきてから、ずっと、どんよりとした曇り空か雨だったが、ようやっとの晴れ間のようだ。

 隣にジェイド王子がやってきて言う。

「久しぶりの晴れ間だな。こんな風に、落ち着いた気持ちで、晴れ間を眺めることが出来るとは、思わなかった……」

「……」

 セラは、ドキドキとした気持ちで、テラスに向かって数歩踏み出した。

 開け放たれた扉の向こう側に、大きく広がる空。

 雲が切れて、いくつもの光が地に降り注いでいる。

 そして、そこに見える青。

 青空だわ……。

「セラ? 泣いているのか?」

「……綺麗で、感動いたしました、殿下」

「セラ、言っただろう、ジェイドと呼んでくれ。きみは、わたしの、婚約者なのだから」

「ジェイド様」

「ジェイド」

「ジェ……ジェイド……」

 セラがぎこちなく、そう呼ぶと、ジェイドは満足したようだった。

 ジェイドがゆっくりと、大きな、灰緑色の腕を差し出してくる。セラは、そっと自身の手を重ねた。

 そうすると、ジェイドが身にまとう呪いの魔力のうねりが、セラの内側へと流れ込んでくる。満たされるような感覚。

 この儀式のようなやりとりが繰り返されるごとに、セラの感覚は鋭敏になっていくようだった。

 自らの内側に取り込んだ、魔力に、形のようなものを感じる。

 ……これは、何……?

 セラは、魔力の奥底にある、形にふれようと集中した。

 形のようでもあり、香りのようでもあり、表情みたいなものにも感じる……。

 そうね、気配、というのがしっくりくるかしら。

 そこまで考えて、はっきりと魔力の気配にふれて、セラは、ハッとした。

 これは……、ローゼンタール家の地下室にあったものと同じ気配……?

 背筋に、氷水を流し込まれたようなおそろしい心地がした。

 セラが閉じ込められていたローゼンタール家の地下室のとなりには、一族の宝物庫があった。そこから、わずかに魔力が漏れ出ていた。

 セラは、地下室での孤独な生活の気を紛らわせようと、何度も、その魔力に触れて、自らの内側に取り込んだりした。

 そのローゼンタール家の宝物庫から漏れ出る魔力と、ジェイドの身体からあふれる呪いの魔力の気配は、まったく同じものに感じられた。

 ジェイドは、戦場で敵国と戦うなか、呪いを受けたはずだ。

 なぜ、その呪いの中に、セラの実家であるローゼンタール家で感じた魔力の特徴が含まれているのか。

 偶然であるはずがない。

 ローゼンタール家は、ジェイドが魔獣へと変じるその原因に、深く関わっているんだわ。

 セラの思考が乱れるなか、呪いの魔力はセラの身体の内へと消えてゆき、ジェイドの身体から灰緑色の皮膚が剥ぎ取られてゆく。白銀の髪と、深い青の瞳を持つ、本来の美しいジェイドの姿が現れる。

 切れ長の瞳が、至近距離でセラを見つめる。

 しかし、その美しい瞳に映るセラの顔は、恐怖と動揺で青ざめていた。

「……セラ? どうした、顔色が悪い」

 ジェイドの声は、人に変じると、甘く美しい響きをもつ。

 彼の暖かな手が、セラの冷えた手をそっと包み込んだ。

 もし、目の前にいる優しい人が、ローゼンタール家の陰謀によって呪われたのだとしたら。

 セラの目の前で、すぐにジェイドの人としての姿は失われ、魔獣オークの姿へと戻ってゆく。

「セラ、手をはなせ。きみの身体にもやはりこの魔力は毒だ」

「いいえ」

 セラは、魔獣の大きな手を、握りしめた。

 両手で、ぎゅっと握りしめる。

「すこし、疲れただけです。ジェイドのせいではありません」

 赤くなったジェイドの魔獣の瞳が、こちらを心配げにのぞきこむ。

「では、きみに触れて、きみを部屋まで運んでも?」

 セラがうなずくと、ジェイドはそうっと、まるで壊れ物をあつかうようにして、セラを抱き上げ、セラの部屋に向かった。

 セラは、力を抜いて、ジェイドに身をあずけた。

 暖かい。

 急に背や肩の傷が痛んだ気がした。

 あの冷酷な家族は、自分だけでなく、この優しい王子までも、傷つけているのかもしれない。

 ジェイドが、この事実を知れば、どう考えるかしら……。

 セラは、おそろしい気持ちになって、あたたかなジェイドの胸によりかかった。

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