私には、『鳳翠』として指導をしているので毎日ではないが稽古日がある。一週間の中で月曜水曜木曜がキッズ教室で、初心者向け教室は火曜金曜土曜とあり門下生は週何回とかは決まっていないが大体が金曜土曜日曜だ。だからほとんどが休みがないように見えるが、キッズも初心者も夕方からなので午前中は休むことができる。
稽古室があるのは千曲流日本舞踊会館の中に三つ棟があってその中の一つで行われる。師範室から移動して稽古室の一つの部屋に向かった。 「――では、お辞儀から始めましょう」 今日は、初心者向け教室の日。初心者教室はいくつかクラスがあり私が担当しているのは趣味としてやっている方々で十人ほどのクラスだ。着物の着付けもあるし礼儀作法も学べるため、人気がある教室で教室が始まってすぐは基本のお辞儀の復習からだ。 日本舞踊の稽古は“礼にはじまり礼に終わる”。基本中の基本であり、踊り中でもお辞儀をすることがあるため大切になる。 扇子を膝の前に置き、背筋を伸ばし肩甲骨をつけ肩を下ろし力を入れず顎を引く。ゆっくりと前に手をつき、一旦止めて挨拶をしながら頭を下げる。その時は肘をなるべくつけて、肘を張りすぎず膝を囲うような形でお辞儀をした。そして、ゆっくりと頭を上げ肘を伸ばした形で止まり一呼吸ついてからゆっくり手を伸ばして最初の形に戻るとお辞儀が終わる。 このお扇子をおくという行為は、“自分と師匠の間に一線を引く”“謙虚な姿勢で踊りを習う”という心の表れと意味がある。たかがお辞儀一回二回と言われるがこのお辞儀が難しいし、今後ステップアップをしていく中で踊りをするときにつまづいてしまうこともあるから私は力を入れている。 お辞儀がある程度できるようになると、次にお扇子の扱い方を学ぶ。扇子は紙と骨と要、なまりで出来ているため上に投げてもなまりが入っているため要から降りてくるようになっている。 扇子は、胸の高さで持ち親骨を一つ開き平らに奥へと広げていく。握り込みで持った扇子を右膝につけ、左手を手前に立てて手のひらで前に閉める――それが扇子の開き方だ。 それからすり足と呼ばれる基本の足の運びを説明をしながら実践してもらう。 「姿勢を正しくして腰を入れてから正面へ足を滑らすように足の裏が地面から離れないようにして重心がぶれないように気をつけてね」 すり足が上手くできるようになったら、夏の練習成果発表会の時に踊る課題曲で箏曲の『さくらさくら』のお稽古を始めるために私が一度踊る。どんな踊りかを見てもらい自分で踊るイメージを想像してもらうために必要なことなので丁寧に踊った。
一時間の稽古が終わり、お辞儀をして終わった。皆が出ていくのを見送りをして戸締りをすると稽古室から休憩室に向かった。
「お疲れ様です」 休憩室に入ると珍しく兄が一人コーヒーを飲んで寛いでいた。それになぜかスーツ姿だ。 「お、鳳翠先生。お疲れ、今終わり?」 「はい、今日は終わりなので」 会館の中だし誰もが来る休憩室だからか私を珍しく鳳翠と呼んで「コーヒー飲む? あ、煎茶の方がよかったっけ、水出しがあるよ?」と聞いて来る。 「私は煎茶にします」 そう言えば兄はグラスに淹れてくれてコースターの上にのせた。 「そういえば、今日母さんたちが早く帰ってきてって言ってたよ。百合はもう終わり?」 「えぇ。今日は終わりだよ、明日はみっちりと一日だけどね」 「あ、教室か。キッズと若葉ね、シフト見た」 兄の言う若葉は若葉マークを指している初心者教室のことだ。今日とは違う人たちだがやることは同じだし、キッズの場合は楽しく踊ることが主なのでとても楽だ。私も楽しみなクラスだったりする。 「そうだ、門下生そっちに増やせる? 師範変えてくれーって言われてさ」 「私はいいけど」 「よかった、百合にご指名だったから安心した」 「それって元から断れないやつじゃない。まぁいいや、プロフィールシート送っておいて」 「百合ならいいって言ってくれるでしょ、その子も鳳翠先生は優しくて教えるの上手だったーって言ってたし人気者だな」 そう言ってコーヒーを飲み干した。兄は自分のマグカップを洗うと仕事が残ってるらしくて事務室へと戻っていった。 私は師範室に戻り帰り支度をして更衣室で荷物を取って退勤した。***
会館から家までは歩いて十分ほどで到着する。 私の家は明治時代に建てられた日本家屋で庭師が管理する立派な庭がある。千曲家は旧大名家の血筋でこの家も登録有名文化財になっているすごい建物らしい。 「ただいま帰りました」 草履を脱いで玄関に上がり両親がいるだろう居間には行かないで和室に向かった。和室に行くと、まだ生けていないお花と花器が放置されていた。 「これは生けてってことだよね、荷物おいてきたらやろうかな」 荷物は二階にある自室に置いて下に降りると自分の花鋏を持ってきて和室に入った。花材は、コバンモチ、スカシユリ、モンステラで涼しそうなガラスの花瓶だ。葉物が綺麗で、スカシユリは立派な花を咲かせている。これは玄関用かなと思いながら、生けていく。 私は、日本舞踊家だが小さな頃月森流の先代家元の下で稽古をしていたので普通一級を持っているので生花は出来るし好きだ。水の中に茎を入れて斜めに切る。こうすることで花が水をよく吸水してくれて長持ちするのだ。 「百合ちゃん、おかえり」 「ただいま……え、郁斗さん! どうしてここに」 機嫌よく生けていれば声をかけられた。その人はここにいるはずがない郁斗さんだ。 「家元に話があってね、綺麗だな」 「はい、オレンジ色のスカシユリ大きくて立派で」 「スカシユリも綺麗だけど、百合ちゃんの生ける花が綺麗だなと思って」 「郁斗さんにそう言ってもらえるなんて嬉しいです」 家元である郁斗さんに言ってもらえるのはとても嬉しいし光栄なことだ。 「本当のことだよ。そうだ、天野屋のお菓子を持ってきたからみんなで食べて」 天野屋のお菓子とは、老舗和菓子屋である『御菓子司・天野屋』という人気の和菓子屋で雑誌にも特集で組まれるようなお店。一度、テレビで取材されてからいつ行ってもすごい行列だと聞いたことがある……門下生からの情報だけど。 「ありがとうございます、郁斗さん。天野屋って結構並ぶって聞きましたけど」 「うん、並んだよ。俺の友人が天野屋店主と知り合いでね、少しばかり融通してもらったんだ。餡子が絶品らしくて喜んでもらえるといいけど」 「そうなんですね! 餡子好きだから楽しみです。あとでいただきます」 郁斗さんは、片付けも一緒にしてくれて玄関に飾る予定だったので玄関先まで運んでくれて飾ると帰って行った。 居間に行くと、母が夕食を並べていて父もお手伝いをしていた。 「百合乃お疲れ様」 「うん。お花もやっておいたよ。玄関に飾っておいた」 「ありがとう、でも重かったでしょ?」 「郁斗さんが運んでくれたから大丈夫だったよ」 私も手を洗ってきて配膳を手伝おうとするが、両親に座ってなさいといわれてしまい座って待つことにした。 座って両親を見るといつもながら仲良しでいいなぁと思う。 家元一族に生まれた父と宗派で生まれた母、許婚だったらしいが許婚とは知らずお互い一目惚れしたらしく珍しく恋愛結婚の二人。今も変わらぬ愛妻家っぷりは両親だけど羨ましいと感じる。素敵だ。 配膳されるのを待っていると兄が帰ってきた。 「蒼央もおかえり」 蒼央というのは、兄の本名だ。 「ただいま、母さん。今日も美味しそう」 「着替えて、手を洗ってきなさい」 「うん、行ってくる」 兄が出ていくと美味しそうなチキン南蛮とサラダに卵焼きにお味噌汁が並ぶ。美味しそう。 「今日は、八丁味噌よ〜」 全て配膳が終わったところで兄とお祖母様がやってきた。 「……じゃあ、頂こうか。いただきます」 箸を持ちサラダを食べてからチキン南蛮をパクッと食べる。肉汁がジュワッと出て肉汁と甘酢タレの相性バッチリでタルタルソースはまろやかでうちはヨーグルトを入れるから少し爽やかな味だ。 「この卵は……お父さんが作ったの?」 「そうよ。この人ね、ゆで卵作る前に二個卵割っちゃって急遽だし巻き卵追加になったの」 「へぇ、形は歪だけどとても美味しいよ」 ご飯を食べて家族団欒が終わるとすぐ兄は部屋に行ってしまった。お皿を洗って拭いて食器棚にしまい、私は自室へ戻ろうとしたが父に話しかけられた。 「百合乃、話があるんだ。座りなさい」 「え……? あ、うん。はい」 何かあったかなと思いながら座ると、お母さんが三人分のお茶を持ってきた。 「話って何?」 「あぁ、……百合乃は今付き合っている人いるのかい?」 「え? いないよ、忙しいし好きな人もいないし……それがどうしたの?」 お父さんはお茶を一口飲むと「うん」と言い、一呼吸おく。 「……百合乃に縁談が来た」 「え? 縁談?」 「そう。縁談だ。もう百合乃も二十八歳だし、そろそろ考えないとだよ。俺たちは二十五歳で結婚したから遅いくらいだよ。それに百合乃を望んでいるし、日本舞踊も続けてもいいと言っている」 ってことはこれは強制的で拒否権は私にはない。それに千曲家にも利がある縁談だろうと感じる。 由緒正しい名家で日本舞踊の名門の家だからいつかは政略結婚するだろうと思っていたし今までそういうう話がなかったのも不思議なくらいだし。 「わかりました。その縁談お受けいたします」 「そ、そうか。よかった! じゃあ先方に連絡しよう、また詳細が決まったら教えるから」 それだけ言ってお父さんは冷めてしまったお茶を飲み、片付けるとお母さんを連れて居間から出て行った。 「縁談、かぁ……」 呟いてお茶を一気に飲むと居間から自分の部屋に移動した。 部屋に入ると、ベッドにダイブをして「うー」と言いながら唸ってバタバタさせていれば兄がお風呂が空いたと呼びにきたのでお風呂に入った。 ***縁談を受けたはいいが、そのお見合い当日に何を着ていくのかわからないままだった。
「時間がないだろうし私の振袖を着ればいいわよ。手直しをしてもらいましょう」 数日経ち、お母さんの一声で呉服商がその日のうちにやってきた。 お母さんの振袖は、千曲家直系女子が受け継いでいる着物だった。お母さんもお祖母様から受け継いだ振袖らしい。 尾形光琳が手掛けた着物で白綾の絹地に菊や萩、桔梗、|芒《すすき》などの秋の草花を藍で描き、黄色や淡い紅色でぼかしを入れた華やかだが落ち着いている振袖だった。だけどこのまま着るとなると時代遅れになるからと呉服商には帯に帯締めや帯揚げ、重ね襟を持ってきてくれた。 金の菊と華紋で西陣織の袋帯に帯締めはヒワ色のグリーン系で帯揚げは藤色、重ね襟は今時っぽく白レースにオフホワイトのパールがついた物を選んだ。 「とてもお似合いです! あとは髪飾りも持ってきたのでいくつかご覧になりますか?」 「見ます、ありがとうございます」 「いえ、小ぶりな物をご用意しいました。お着物の色が黄色がメインだと聞いていたので同系色で揃えています」 呉服商は、十個ほどテーブルに並べ一つ一つ見せてくれた。髪型はシニヨンをする予定なのでつまみ飾りとドライフラワーのを選んだ。黄色のお花が可愛らしくて一目惚れだ。 「ありがとうございます。では、奥様のお着物は後日お届けいたしますので」 そう言って呉服商は帰って行った。お母さんもお父さんにおねだりしていて本当に仲がいいなと感心しながら準備はなんとか整い、美容師さんとも打ち合わせをしてあとはお見合い当日になるだけになった。あの夜、張るお腹と多量出血した私は救急車で搬送された。なんとかお腹の子は無事で切迫流産の可能性があると言われ、安静にするために五日間の入院となっている。今は二日目だ。 「はぁ」 ベッドに運ばれて入院着に着替えるとすぐに張り止めの点滴を打たれた。説明はあったが、いろいろ動揺してしまい分からなかった。 だけど、何故か常に運動会後の筋肉痛みたいなのがあってすごく硬いものを噛んだ後のアゴの疲れみたいな……そんな感じが続いている。 副作用なんだろうけど辛い。 赤ちゃんのためなら、と思うようにしているが動悸とか発汗やらと症状がある。 それに一番辛いのは、あれから報道されているニュースのことだ。 「熱愛……かぁ」 郁斗さんと京都支部代表の娘さんの熱愛報道。最初は信じていなかったけど、あの日からずっと報道されていて精神がすり減っていくのを感じていて情緒不安定が続いている。 この日、何度目かの溜め息を吐くと病室のドアがノックが聞こえて返事をした。 「こんにちわ〜百合乃さん」 「あ、茉縁ちゃん。来てくれたんだ。ありがとう」 やってきたのは茉縁ちゃんで、食事会ぶりだ。あの時、勝手がわかっているアキさんには家の留守を任せた結果、救急車を呼んでくれて救急車に乗って病院まで付き添ってくれたのは茉縁ちゃんだった。 その時、名前を鳳翠と呼ぶのはややこしいので本名で呼んでもらうことにして私も親しみを込めて“さん”付けから“ちゃん”付けにしている。お友達みたいで少し嬉しい。 「ううん。退屈してるんじゃないかなって思ったので、来ちゃいました。友達で百合乃さんと同じくらいに入院で退屈だって言っていたのを思い出したので……それに今日はお伝えしたいことがあったので」 「伝えたいこと?」 「今日の十三時、ドラマと同じテレビ局でやっている【昼から|1《ワン》!|2《ツー》!|3《スリー》!】という情報番組、知ってます?」 「えっと、新人アナウンサーがMCをしている番組だよね? よく見るよ」 「良かったです。理由は言えないですが、きっと見てくださいと言われましたので……あ、友人の時も持って行ったのですけどキューブパズルを暇つぶしになるといいかなって思って持ってきたのでよかったら遊んでください」 茉縁ちゃんはそう言って私にそれを渡した。昔やってことがあるパズル
「これはどういうことなんだ!」 目の前のスマホには俺と京都支部での案内役だった女性が二人で写っている記事が表示されていた。 「……俺も何が何だか分からない」 「は?」 俺は現在、自宅近くのとある一室で友人で百合の兄の蒼央と向かい合い尋問されている。 こちらに着いたのはつい一時間前のことで新幹線から降りてすぐに蒼央に捕まり連行され、何がなんだかわからないままここに連れられてきた。 その時も何が何だかわからなかったが今も全く、こんな記事が出ているなんて知らなかった。 「理由や事実かはどうであれ、結果記事になった。ちなみに、この記事は百合は知っている。まだ俺も会っていないから状況はわからないが」 「……っ……」 百合ちゃんが……だけど、ネットニュースになっているのだから知っているか。それにお互いそれぞれ有名になっているのだから、そろそろテレビのニュースになっている頃か。 「なんで、会ってないのに蒼央が知っているんだ」 「食事会の最中にネットニュースを見たらしい。その時いたのは郁斗が呼んだ出張シェフの瀬戸さん、月森家の家政婦アキさん、郁斗の弟子のミヤビくん、百合が呼んだ脚本家の本郷くん、俳優の里谷さんと舜也さんだ。もう皆帰るところだった時間だったので全員揃っていた」 「……そうか」 「それと黙っておくのはフェアじゃないから言っておくが、百合が救急車で運ばれた」 え?百合ちゃんが!? 「無事なのか!? 大丈夫なのかっ? もしかして俺のニュースのせいかっ」 「それは違うと先生も言っていた。切迫流産の可能性があるから入院することになった。郁斗のせいではないが、今すぐ百合に会わせるわけにはいけない。郁斗に熱愛報道が出たのは事実だし、一瞬でも辛い思いをしたことも事実。結婚を許した時の条件を忘れているわけじゃないんだよな?」 「忘れていない。忘れることなんてあるわけないだろう」 「当たり前だ。郁斗は、なんとしてでも早急に解決させろ。家はメディアがいるから帰れない。百合は、うちに連れて行く。安静がいいらしいからな」 だが、どうやって解決させればいいんだ……ネットニュースになっているならテレビでも報道されているかもしれない。 「わかった。よろしく頼むよ」 そう俺がいえば部屋のインターフォンが鳴った。部屋に入ってきたのは絢斗だった。絢
ドラマが始まり、早いことで最終回を迎えていた。クランクアップはつい先日に終えたばかりだ。第一話の放送以来、実家には教室への入会希望や入門体験が絶えず来ているらしく兄は事務の人と嬉しい悲鳴をあげているらしい。 私はというと妊娠四ヶ月に入ろうとしていて検診も順調で、二週に一回だったのが次からは四週に一回にと言われたばかり。まだ報告は身近な人にしか報告してない。今後のお仕事については、ドラマが終了したタイミングで安定期に入るまでは日本舞踊の師範としてのお仕事を少しずつセーブし始めようと千曲の当主である父と次期当主の兄に相談して決めたばかりだ。 「やっぱり俺、明日のお仕事はキャンセルしようかな」 郁斗さんは今日から月森流華道会京都支部の展覧会に行くことになっている。これは妊娠する前から決まっていたことだし、彼は家元だし一泊二日だから問題ないと思う。 「何言ってるの? 私は大丈夫、お義母様も来てくださるし、病院の送迎は綾斗さんがしてくれます。郁斗さんは心配しないで郁斗さんのお仕事をしてください」 「そうだけど……心配なのは心配なんだよ」 「それにまだ報告が出来てないんですから、キャンセルしたら色々模索されます」 「そうだな。終わったら早く帰るから、おとなしく待っていて」 そう言って私に頭を撫でてから渋々出かけて行った。郁斗さんを見送ると、お仕事もお休みだしやることがあんまりなくてテレビをつけた。 朝の情報番組を見ながら昨夜にフィルターボトルにて準備していた氷出しの玉露を取り出してグラスに注いだ。それをちびちびと飲んでいると、スマホが鳴った。 スマホの画面には数少ないグループラインで新しいグループの表示が見えた。茉縁さんと本郷くん、舜也さんのグループラインだ。その下に【里谷茉縁】と表示されておりそれをタップする。すると、トーク画面が出てきて、こんばんわというスタンプとメッセージが出ていた。 【こんばんわ、里谷です。お疲れ様です。本日、夜、最終回を迎えます。そこで、打ち上げも兼ねてですが、都合が良ければドラマを一緒に見ながら食事でもどうですか?】 打ち上げに食事会……なんと魅力的なお誘いなの!誰かと食事会だなんてあまり経験がないからとても嬉しくてワクワクしてしまう。 早速、郁斗さんに聞いてみよう……今、妊娠中だし安定期前に外で食事なんて
妊娠が分かった夜、私は家でくつろいでいた。 体調は病院に行ったからかとてもよく、悪阻の症状はいまのところはない。 「あの、郁斗さん……これは?」 「あ、うん。さっき、電子書籍で買った本に妊娠初期にいい食べ物が載っていたからそれ見て作ったんだ」 テーブルの上にはまるで定食ですか?と思える料理が並べられている。定食屋さんかなと思えるくらいにずらっと並んでいて、どれも美味しそうだ。 「ありがとうございます、郁斗さん。美味しそうです」 「でしょう? 悪阻の症状ないみたいだから普通の食事にしてみたんだけど、食べられないなら残していいからね」 主食はたんぽぽチコリ入りのご飯に、副菜にはほうれん草のお浸しとモロヘイヤとお豆腐の味噌汁、主菜は蒸し鮭でデザートにはヨーグルトが並べられている。お茶は朝仕込んでおいた氷出し煎茶だ。普通に淹れると、カフェインが豊富だが氷や水の低温で抽出すればカフェインを抑えられるといわれているため今の私にはぴったりのものだ。 相変わらず郁斗さんのご飯はどれも美味しくて、ご飯屋さんができるのではというくらい盛り付けも綺麗。 「美味しかったです。郁斗さんのご飯ならずっと食べられます」 「それは良かった。顔色もいいし、安心したよ」 「心配かけてしまってごめんなさい。今更ですけど郁斗さん、お仕事は大丈夫だったんですか?」 「大丈夫。ホテルの方は早く終わってね、打ち合わせをしていただけだから。あ、打ち合わせはもう纏まっていたし今日は元々終わっていたから」 それなら良かったけど、私のために中断して帰ってきたなんてことは申し訳なさすぎる。郁斗さんにも、お仕事で関わっている方にも。 「まぁ、打ち合わせ今回は初回だしいつもお仕事させていただいているところだから勝手がいいんだ。だから気にしないで」 「はい」 「仕事も大事だけど、もっと大事なのは百合ちゃんだから。じゃあ、お片付けするから百合ちゃんはお風呂入っておいで」 私もお片付けをすると言ったが、お風呂沸いたからと言われてしまい私はお風呂に直行することになった。 お風呂から上がり、テレビのあるソファに座れたのはドラマが始まる十五分ほど前だった。 「百合ちゃん、飲み物持ってきたよ」 「ありがとう。郁斗さん……これは、カフェラテ?」 「コーヒーじゃなくて、たんぽぽチコ
ドラマ撮影が始まって一ヵ月が経ち、放送第一回目が始まる日を迎えていた。宣伝で、茉縁さんと舜也さん二人が朝から有名な情報番組【月→(から)金までmorning】にゲストで出演していた。 『本日から始まるドラマ、“花明かり”から里谷茉縁さんと舜也さんがきてくださいました――』 アナウンサーが二人を紹介し二人も「おはようございます」と挨拶をしている。こうやってみると、本当に今日からドラマが始まるんだなぁと実感する。 『どんな話なんですか?』 『えー……私が演じる美咲は普通にいるOLは求婚され入籍直前で婚約破棄をされるのですが、日本舞踊に出会って日本舞踊に魅せられていく話です』 それから予告映像が流れる。 「百合ちゃん、どうぞ」 「あ、ありがとうございます。郁斗さん」 私のいるテーブルの前にコーヒーの入ったマグカップが郁斗さんによって置かれる。さっきまでコーヒー豆の挽く音がしていたから彼が淹れてくれたのだろう。いつもならいい香りだと思うのに、今日は何故か香りがきつい、気がする。どうしてだろうか…… 「このコーヒー百合ちゃん好きだって言っていただろう? だから買ってきたんだ」 「ふふ、ありがとうございます」 私はマグカップに口をつけ、一口飲む。香りは苦手だけど、相変わらず美味しい。 「そういえば、今日はお祖母様と約束してるって言っていたよね? 本家に行くのかい?」 「はい。もうドラマのお仕事終わっているのでテレビ局には今日は行かないので。それにお祖母様にお誘いをいただいて……ドラマが放送されるお祝いだって言っていました。でも郁斗さんはお昼はお仕事なんですよね?」 「うん。結婚式を挙げたホテルでパーティーがあるから会場ディスプレイを頼まれてね」 「そうなんですか、頑張ってくださいね」 郁斗さんはツアーが終わっても大忙しで、会場ディスプレイや展覧会の花に家元としてのお稽古とお仕事がたくさんある。本当は私が付いて支えるべきなんだろうけど私も忙しかったのは言い訳か……だけど、ドラマが終わったら師範の仕事は引き継いでもらい華道の方に力をいれていこうと思っているし彼のお手伝いもできるようになるだろう。 「本家行くなら俺が送って行くよ。顔を見せようと思ってるんだ」 「ありがとうございます、郁斗さん」 「全然。それより、百合ちゃん。調子悪
クランクインからひと月が経った。私は現在、撮影場所で日本舞踊監修としてのお仕事をしているが、今は見学中だ。準備期間は長かったのに撮影はもう半分は終わってる。 「なんとも贅沢だなぁ」 目の前で、俳優さんが演技をしている。普段の指導している時の彼らとは別人のようで、すごい。 本当は、日本舞踊のシーンがない時は来なくていいんだけど見たくて来てしまっている。迷惑にならないように隅っこだけれども。 「お疲れ様です! 鳳翠先生」 「茉縁さんもお疲れ様です。とっても良かったです」 「ありがとうございます。でも撮り直しですね、多分」 茉縁さんはそう言うと、監督がいる方を見た。 「納得してない顔してるから――」 「おーい里谷さん! ちょっとこっち来てー」 彼女の言う通り、監督が彼女を呼ぶ声が聞こえてそちらに行ってしまった。 それからも昼まで見学しているとスマホがブーブーと震えた。スマホの画面を見れば郁斗さんからメッセージ通知が出ていた。それをタップすると、LINEのトークページが開く。 【今、帰って来ました。テレビ局の近くにいるんだけど時間が合えば迎えに行くよ】 え!帰るの三日後って聞いていたけど早く終わったのかな。 【帰ってくるの三日後って言ってませんでした?】 【仕事は昨日のパフォーマンスで終わりだったんだ。他の仕事は急いで終わらせてきたんだ】 そうなのか。せっかくだし、迎えに来てもらおうかな…… 【じゃあ、お迎えをお願いできますか?一緒に帰りたいです】 そうメッセージを送ると、話し合いが終わった本郷くんに近づき声を掛ける。 「本郷くん、私帰りますね」 「月森さん。あ、わかりました。……じゃあ、下まで送りますよ」 「えっ、でも私勝手に見学に来た人ですし……本郷くん、さっきまで演出家の方とお話をしていましたよね?」 さっきまで監督の隣にいる演出の人と話し合いをしていたし、忙しいのではないだろうか。ただ声をかけただけなんだけどなぁ 「もう終わったから。それに早めの昼にしようと思って一階のカフェに行くから」 「それならいいんですけど……」 了承すると、本郷くんは荷物を持ってくるからと控え室に行ってしまったので私はスマホを見ると【良かった。近くに来たら連絡する】とメッセージが来ていた。 なので【了解です