Masukあの時のカメラのフラッシュの無遠慮な眩しさを思い出すと、身震いが出る。
突きつけられるマイクの群れと、見ず知らずの人間からぶつけられる敵意の刃は、今でも私の心に焼き付いている。 あの恐ろしい記憶が脳裏をよぎり、私の指先がすっと冷たくなった。 あんな経験を、この子たちにさせるわけにはいかない。絶対に。けれど、目の前にあるキラキラとした希望の光を、親の恐怖心だけで摘み取ってしまっていいのだろうか。
「……ママから、パパにしっかりとお話ししてみるからね。だから今日は、もうおやすみなさい」
私は努めて優しい笑顔を作っる。
2人の頭を撫でると、伊織と茉莉は安心したようにこくりと頷いて、ようやく目を閉じた。◇
「すや、すや……」
「むにゃ……」
双子の規則正しい寝息を確認してから、私はキッチンへと向
食後のお茶を飲みながら、話題は明日の撮影のことになった。 セナさんがタブレットを取り出し、画面をタップする。「明日のスケジュールを最終確認しておきましょう。香盤表によれば、スタジオ入りは午前9時。我々Noixのスタッフを3名、警備として配置済みです。クライアントへの挨拶からスタッフの動線の確保まで、全て手配完了しています」「さすがセナお兄ちゃん! 抜かりないね」 ハルくんが感心したように声を上げた。「伊織、茉莉。今日のレッスン通りにやれば、絶対に大丈夫だからね。明日はカメラの前で、一番かっこいい顔と一番可愛い顔を見せてやるんだよ!」 ハルくんが2人の前にしゃがみ込み、拳を握ってみせた。「うん! 伊織、かっこよくできるよ!」「茉莉も、可愛いお姫様になる!」 双子は不安を見せるどころか、自信に満ちた声で力強く返事をした。「俺もカメラの裏から見守ってる。だから、いつも通りでいいんだ。お前たちの笑顔が、一番の武器なんだからな」 パパの言葉に、伊織と茉莉は安心しきったように笑い合った。「俺が初めての撮影の時は、緊張しすぎて顔が引きつってたからな。あいつら、俺より度胸があるかもしれない」 レンくんが自嘲気味に呟くと、ハルくんがすかさず突っ込んだ。「レンくん、あの時ロボットみたいにガチガチだったもんね。今でも動画残ってるよ!」「うるさい、オレンジ頭。あれはもう消去しろって言っただろ」「あはは、やだね! このネタは一生擦ってやる」 微笑ましいやり取りを見つめながら、私は深く息を吸い込んだ。 もう、迷いも恐怖もない。 伊織と茉莉の無限の可能性を信じる。 この小さな星たちが明日どんな輝きを放つのか、一番近くで見届けよう。 レンくんが立ち上がり、伊織と茉莉の頭を大きな手で優しく撫でた。「明日はいよいよ本番だ。今日はもう、しっかりお風呂に入って早く寝るぞ。肌のコンディションを整えるのも、モデルの立派な仕事だからな」「はーい!」
不安がないと言えば嘘になる。 だが、あれほど楽しそうに自分たちの才能の羽を広げている子供たちを見ていると、私の迷いなどちっぽけなものに思えてきた。 私がすべきことは、親の不安を押し付けることではない。 彼らがどんなに高く飛んでも、疲れた時に必ず帰ってこられる温かい場所を作ることだ。 私は目の前の食材に意識を戻した。 今日の夕食は、初めての撮影を明日に控えた彼らのための特別なメニューだ。「よし。お肉の下ごしらえは完了」 塩コショウで下味をつけた鶏もも肉に、薄く小麦粉をまぶす。 熱したフライパンにオリーブオイルをひき、鶏肉を皮目から並べ入れた。 ジューッという激しい音と共に、香ばしい匂いが立ち上る。 皮がパリッと黄金色に焼けたら裏返し、中までじっくりと火を通していく。 そこにスライスした新鮮なレモンと、フレッシュなローズマリーの枝を投入した。 柑橘の爽やかな酸味とハーブの清涼感のある香りが、フライパンの中で鶏肉の脂と混ざり合う。 疲労回復に効果的なクエン酸をたっぷり含んだ「鶏肉のレモンハーブソテー」だ。 鶏肉に火を通している間に、手早く付け合わせを仕上げていく。 鮮やかな赤と黄色のパプリカを細切りにし、さっと塩ゆでしたスナップエンドウと一緒にボウルへ。 オリーブオイル、レモン汁、少量の蜂蜜と粒マスタードを混ぜ合わせた自家製ドレッシングで和えれば、彩り豊かなマリネの完成だ。 視覚からも食欲を刺激し、ビタミンもたっぷりと補給できる。 さらに、胃腸を温めるために温かいスープを用意する。 玉ねぎ、人参、セロリを細かく刻んでじっくりと炒め、透き通るような琥珀色のコンソメスープに仕上げた。 野菜の甘みが溶け込んだ優しい味わいだ。 野菜嫌いで偏食気味なセナさんでも、これなら文句を言わずに食べてくれるはず。 大きなお皿の真ん中に、こんがりと焼けた鶏肉を乗せ、レモンの輪切りを飾る。その横に彩り豊かなマリネを添えた。 土鍋の蓋を開けると、ふっくらと炊き上がった白米がツ
伊織のポーズはただのモノマネではない。 5歳の男の子が持つあどけなさと、背伸びしたかっこよさが完璧に融合した、彼にしかできない見せ方になっていた。「すごい……伊織、かっこいい!」 私は思わず声を上げる。 包丁を持っていたから、拍手できなくて残念だった。「次は茉莉の番!」 伊織のポーズに刺激されたのか、茉莉がピョンと前に飛び出してきた。「はい、茉莉ちゃんもポーズ!」 茉莉は両手を腰に当てるのではなく、両手の人差し指で自分のふっくらとした頬を突いた。 小首を右に傾けて、カメラに向かってパチンと完璧なウインクを飛ばす。 とびきりキュートで、見る者すべてを虜にする満面のアイドルの笑顔。「うわぁっ!?」 ハルくんが叫び声を上げて、そのまま床に座り込んだ。「嘘でしょ!? 俺、そんなアレンジ教えてないよ!? っていうか、一回見せただけだよ!?」 目を白黒させるハルくんをよそに、双子は「どう? かっこいい?」「茉莉、可愛い?」とキャッキャとはしゃいでいる。「……驚きましたね」 ソファから見守っていたセナさんが、眼鏡のブリッジを中指で押し上げた。 レンズの奥の瞳が感嘆の色に染まっている。「ハルのポーズを瞬時に記憶し、自分の体格とキャラクターに合わせて最適化している。被写体としての自己プロデュース能力が、すでに本能レベルで備わっている証拠です。レンのDNAの恐ろしさを、まざまざと見せつけられました」「当然だ。誰の子供だと思ってるんだ」 レンくんは深くソファに背中を預け、鼻高々に胸を張っている。 その顔は、トップアイドルではなく完全に親バカそのものだった。「あいつらは俺と紬の子供だぞ。才能の塊に決まってる」「レンくん、私はただの一般人ですから、その才能は100パーセントあなたの遺伝でしょ」 私がキッチンからツッコミを入れると、レンくんは「紬の素直さと可愛さも絶対に入ってる
双子のモデルデビューを決意して、いよいよ撮影日が明日になった日。 ペントハウスの広大なリビングは、普段のくつろいだ空間から一変して、即席のスタジオへと模様替えされていた。 大きなイタリア製のカウチソファは壁際に寄せられて、中央の毛足の長いラグの上には広々とした空間が作られている。「さあさあ! ハルお兄ちゃんによる、特別ポージングレッスンの始まりだよー!」 オレンジ色の髪を揺らしながら、遊馬ハルくんがよく通る声で宣言した。 彼の手には、どこから持ってきたのかおもちゃのディレクターズカチンコが握られている。 カチンコというのは、あれだ。 映画監督などが持っている、2本の拍子木でカチンと鳴らすやつ。「はーい!」「よろしくおねがいします!」 双子が元気いっぱいに返事をする。 伊織と茉莉はお揃いの動きやすいTシャツとデニム姿に着替えている。 2人の目は、これから始まる新しい遊びへの期待でキラキラと輝いている。 壁際に寄せられたソファには、我が家の絶対王者であるレンくんと、Noixの頭脳である葛城セナさんが並んで腰掛けていた。 2人は腕を組んでいる。オーディションの特別審査員のような真剣な眼差しでリビングの中央を見つめていた。 私は少し離れたオープンキッチンに立ち、夕食の準備をしながら、彼らの様子を微笑ましく見守っていた。 まな板の上に鶏もも肉を広げ、余分な脂を丁寧に取り除いていく。 包丁がトントンと軽快な音を立てるたび、リビングから賑やかな声が耳に届く。「じゃあ、まずは基本の立ちポーズからね。カメラのレンズはあそこにあると思って」 ハルくんが仮想のカメラを指差し、スッと表情を切り替えた。 普段の無邪気な笑顔が消えて、トップアイドルとしてのスイッチが入る。 彼は右足を少し引き、腰に軽く手を当てた。 あごの角度を絶妙に調整し、視線をカメラに向かって鋭く流す。 ただ立っているだけなのに、周囲の空気が一気に華やかになった。 プロのモデルが
「あなたと紬さんの結婚は、既に世間に広く受け入れられています。ここで子供の存在を明かし、あなたのイメージに『家族を愛するアットホームな父親』という新たな側面を加える。これは、Noixのファン層をさらに広げるための強力な戦略になります」「でも、それでいいんですか? Noixの今までのイメージは?」 私が戸惑いながら言うと、セナさんは薄く微笑んだ。 こういう表情をすると『魔王』のニックネームがよく似合う雰囲気になる。「イメージは変わるものですよ。我々もそろそろ30代です。いつまでも恋愛ご法度の若々しいアイドルのイメージは、変えていかないとね」「俺はまだ20代だけどねー!」 ハルくんがニヤニヤ笑ったので、セナさんは絶対零度の視線を向けて黙らせた。 彼は続ける。「子供たちに話を戻しましょう。隠し続けて週刊誌にすっぱ抜かれる爆弾を抱えるより、我々のコントロール下で華々しくデビューさせる方が、はるかに安全で効率的です」「でも、マスコミが……!」「我々Noixのチームと事務所が、総力を挙げて彼らの盾となります」 セナさんの言葉は、強い説得力を持ってリビングへ響いた。「完全な安全網を構築することは可能ですとも。彼らの撮影現場には必ず我々の息の掛かったスタッフを配置し、悪意のある記者は物理的に排除する。子供たちには指一本触れさせません」「…………」 それでもレンくんは、迷うように目を閉じてしまった。「そうだよ、レンくん!」 プリンを完食したハルくんが、身を乗り出して力強く頷いた。「隠れてコソコソするより、堂々としてた方が絶対かっこいいって! あいつらの夢、俺たちで守ってやろうぜ。ポージングも笑顔の作り方も、俺が全部仕込んでやるからさ!」 オレンジ髪の猛獣の無邪気な、それでいて頼もしい宣言に、レンくんは大きく息を吸い込んだ。 仲間たちがここまで言ってくれている。 いつまでも子供たちを隠すこと
「断るに決まってる。あいつらを、俺たちが味わったような場所に引きずり出すわけにはいかない」 彼の表情はトップアイドルのそれではなく、ただの父親としての苦悩に満ちていた。「子供の存在が世間にバレれば、間違いなくマスコミの標的になる。カメラに追い回されて、あることないこと書かれて……。俺の大事な宝物を、そんな危険に晒せるかよ」 痛いほど気持ちは分かる。私も全く同じ恐怖を抱いているのだから。「ええ、分かります。でも……」 私はティーカップの温もりを両手で包み込みながら、言葉を探した。「でも、あの子たちのあんなにキラキラした目を、大人の都合で摘み取ってしまっていいのかなって、迷ってしまうの。『パパみたいになりたい』って、あんなに嬉しそうに笑っていたのに」「それは……」 レンくんが言葉に詰まる。 彼だって、自分に憧れてくれる子供たちの夢を無下にはしたくないはずだ。 子供たちを守りたい。 でも、あの子たちの気持ちも大事にしてあげたい。 2人で堂々巡りの悩みの迷路に迷い込んでいると、玄関の方からガチャリとドアの開く音がした。「ただいま戻りました」「あー疲れた! 今日もレッスンきつかったー!」 深夜の打ち合わせと明日のリハーサルを終えたセナさんとハルくんが、リビングに入ってきた。「おや、甘い匂いがしますね。……そして、ひどく重たい空気だ」 セナさんが眼鏡のブリッジを中指で押し上げて、鋭い視線を向けた。 一方のハルくんは「おっ、紬ちゃんの特製プリンじゃん!」と歓声を上げる。 勝手に冷蔵庫から自分の分を取り出して、向かいのソファに陣取った。 夜中に甘いものを食べる罪悪感とか、そんなものとは無縁の人なのだ。「何かトラブルですか?」 セナさんがカモミールティーのカップを手に取りながら尋ねてきたので、私はテレビ局でのスカウトの一件と、私たち夫
カラン。ペントハウスのダイニングに乾いた音が響いた。葛城セナさんが、小さな黒いチップを大理石のテーブルに放り投げた音だった。「……何これ」 ポテチをかじっていたレンくんが眉をひそめる。「GPS発信機です」 セナさんは冷たい声で告げた。「あの雪の日、僕たちが紬さんのアパートに向かうのに使った社用車のバンパー裏に仕掛けられていました」 空気が一瞬で凍った。 私は無名の一般人。パパラッチが私個人をマークしているはずがない。つまり犯人は最初から「Noix(ノア
レンくんは年下の斉藤くん――いや、斉藤を気に入って、服なんかをあげていたっけ。 私も彼に買い物を頼んだり、仲良くしているつもりだったのに。 彼は笑顔の裏でレンくんをマスコミに売っていたんだ。 今となっては、私はスタッフとして問題なく働いている。でもそれは結果論だ。 あの時は一歩間違えば破滅が待っていた。「確保」 セナさんの合図と共に、隠れていたセキュリティスタッフたちが彼を取り押さえた。◇ 局内の空き楽屋に連行された斉藤は、悪びれる様子もなくふてぶてし
レンくんは私を大事にしてくれる。 そりゃあわがままで、リクエストが多くて、昨日も充電と称して寝かせてくれなかったけど。 まだまだ不安定なところがあって、支えてあげないといけないけど。 それでも彼の気持ちは伝わってくる。 だから私も応えたかった。「私に何ができるかなぁ……」 夕食の料理をしながら、私はぼんやりと考えた。 なお、今日のメニューはブリのショウガ煮である。てりやきベースのタレにショウガをたっぷり入れて、ピリリとした味わい。 ショウガは体を温める
「ぶべっ!?」「……近い。離れろ、オレンジ頭」 リビングの入り口に、不機嫌オーラを纏ったレンくんが立っていた。寝起きなのか髪は少し跳ねているが、その瞳は零度以下に冷え切っている。「朝から暑苦しいんだよ。服を着ろ」「痛ってぇ……。レンくん嫉妬? 俺と紬ちゃんのナイスコンビネーションが羨ましい?」「殺すぞ」 レンくんの口調は冗談に聞こえない。殺気がこもっている。◇ その時のこと。