LOGIN「はい、いいね! 伊織くん、もう少しあごを引いて。茉莉ちゃんはそのまま、振り返りざまに笑顔!」 都内の大型フォトスタジオでは、双子たちのキッズモデル撮影が行われている。 真っ白なホリゾント(背景幕)の前で、何度もシャッター音が鳴り響いていた。 カシャッ、カシャッというリズミカルな音に合わせて、メインのストロボが稲妻のように眩い光を放ち続ける。 アパレルブランドのカタログ撮影は、予定を上回るペースで快調に進んでいた。 伊織と茉莉はカメラマンの要求を瞬時に理解して、次々とポーズを変えていく。 大人顔負けのクールな視線と、5歳児らしい無邪気な愛らしさ。 その2つを完璧に使い分ける双子の姿に、現場のスタッフたちは完全に圧倒されていた。「信じられない……。うちのブランドの服が、何倍も高級に見えるぞ」「高級だけじゃありません。子供らしい活発な雰囲気もあります。プライスレスですよ、これは!」「天才ですね。ディレクター、このカット、そのままポスターのメインに使いましょう!」 現場監督やアパレルデザイナーたちは、モニターを食い入るように見つめていた。 彼らが交わす言葉は興奮に満ちている。 スタジオの隅では、情報番組『キッズモデルの素顔』の密着ドキュメンタリーのカメラが、その一部始終を逃さず記録し続けていた。 密着ディレクターもカメラマンも、双子の放つ圧倒的なプロのオーラに、ただただ息を呑んで立ち尽くしている。(すごい……。2人とも、本当に立派にお仕事してる) 私はカメラの死角となるセットの裏側で、保温ボトルを抱きしめながら2人の姿を見守っていた。 親の欲目かもしれないけれど、スポットライトを浴びる彼らは誰よりも輝いている。 レンくん譲りの才能と度胸は、間違いなく受け継がれているんだ。 ちょっと感動してしまいそうだ。 このまま何事もなく、順調に撮影が終わる。誰もがそう確信していた。 ――その時だった。 バチ
先ほどまでペントハウスで、おおはしゃぎで馬乗りになって遊んでいた5歳児の面影は、どこにもない。 背筋をピンと伸ばし、周囲の大人たちに圧倒されることなく堂々とした足取りで進む。「おはようございます。伊織です。よろしくおねがいします」「茉莉です。きょうはがんばります!」 2人揃って、スタッフたちに向かって綺麗な角度で一礼する。 その完璧な挨拶に、現場の大人たちから「おおっ」と感心のどよめきが漏れた。 密着カメラのディレクターが、呆然と口を開けて呟く。「信じられない……さっきまでパパ馬に乗ってキャッキャ笑ってた子たちと、同一人物ですか!?」「ふふっ、うちの子たちはすごいでしょう?」 おっといけない。つい自慢が出てしまった。 すぐに衣装室へ案内されて、着替えを済ませた2人が撮影ブースの前に現れた。 今日の衣装は『ストリート・モード』。 伊織は黒のレザージャケットにダメージジーンズ、首元にはシルバーのチェーンネックレス。 茉莉は赤いタータンチェックのセットアップに、黒い編み上げブーツというエッジの効いたスタイルだ。「よし、伊織くん、茉莉ちゃん。テスト撮影からいくよ!」 カメラマンがレンズを構える。 シャッター音がスタジオに響き渡った。 カシャッ。 その一音を合図に、2人の『オンの顔』が完全に覚醒した。 伊織はレザージャケットの襟を片手で軽く掴み、もう片方の手はジーンズのポケットへ。 あごを少し上げ、見下ろすようなクールな視線をレンズへ突き刺す。 その瞳には、5歳児とは思えないほどの凄みが宿っていた。 カシャッ、カシャッ。 茉莉は対照的に、セットアップのスカートをひるがえして軽やかにジャンプした。 空中で振り向きざまに、小悪魔のような挑発的なウインクを飛ばす。 着地と同時に唇を尖らせて、アンニュイな表情を作ってみせた。 ええぇ……?
「よし、完璧」 私はカモミールとミントをブレンドした温かいハーブティーをポットに淹れて、大きなお盆にフルーツサンドと共に並べた。「あの、スタッフの皆様。少し休憩にしませんか?」 私がカメラの横にそっとお盆を差し出すと、ディレクターたちが驚いたように振り返った。「えっ、これは……」「特製のフルーツサンドです。マスカルポーネチーズを使っているので、甘すぎなくて食べやすいと思います。ハーブティーと一緒にどうぞ。リラックス効果がありますよ」 私が裏方として微笑みかけると、スタッフたちは恐縮しながらもサンドイッチを手に取った。「い、いただきます……うおっ!」 一口食べた瞬間、カメラマンの男性が目を見開いた。「何これ!? めちゃくちゃ美味いっすよ! クリームが全然くどくない!」「本当だ……フルーツの酸味とチーズのコクが絶妙です。疲れが吹き飛ぶ……」 音声スタッフの青年も、目を細めてハーブティーをすすっている。「いやあ、美味しいです。こんな素晴らしい差し入れをいただけるなんて。紬さん、プロの料理人みたいですね」「いえいえ、ただの栄養管理スタッフですから。皆さんが少しでもリフレッシュできたなら嬉しいです」 私は深々と頭を下げた。 現場の空気を作るのも、裏方の大切な仕事だ。 スタッフの胃袋と心を握ってしまえば、現場の空気は格段に円滑なものになる。 実家の定食屋で培ったオカン気質が、こんなところで役に立つとは。 ディレクターはすっかり表情を緩ませて、「午後からのスタジオ撮影も、この調子で頑張らせていただきます!」と気合を入れ直してくれた。「あっ! ママのフルーツサンドだ。茉莉も食べるー!」 茉莉が目ざとくサンドを見つけて、駆け寄ってきた。「ぼくも、ぼくもー!」 伊織も負けじと走ってくる。「はいはい、みんなの分もありま
そのすぐ横では、伊織がハルくんと一緒に大量のカラーブロックを広げていた。「ハルお兄ちゃん、ここのお屋根は青色にするの」「おっ、センスいいねぇ伊織! じゃあ、お兄ちゃんはこっちの壁を作るよ。これ、絶対超大作になるぜ!」「うん! おっきなお城作ろうね!」 ハルくんはオレンジ髪を揺らして、5歳児と本気でブロック遊びに熱中している。 さらにその奥のソファでは、セナさんが厚い洋書を開いていた。「伊織、茉莉。お城が完成したら、こちらの絵本を読みましょう。……『Once upon a time, in a faraway land...』」 セナさんは、流麗な発音で英語の絵本を読み上げる。 それに合わせて、伊織と茉莉が「わぁ……」と目を輝かせた。 茉莉はパパの背中から飛び降り、伊織もブロックを放り出してセナさんの両脇に座った。 夢中になって英語の絵本を覗き込んでいる。 セナさんの美麗低音ボイスが耳に心地よいのだろう、うっとりとしている。 置いてけぼりになったレンくんとハルくんは、ちょっと哀愁漂う顔で双子を眺めた。 アイドルの仮面を完全に脱ぎ捨てた、ただの良き父親、良きお兄さんとしての温かい素顔が目の前にある。 部屋の隅でカメラを回しているディレクターが、信じられないものを見る目で口をパクパクさせていた。「あ、あの……葛城さん」 たまらずといった様子でディレクターが声をかける。「本当に、この映像をそのまま放送してしまっていいんでしょうか!? 天下のNoixの、こんな……隙だらけのプライベートな姿を……!」 うん、その気持ちはよく分かる。私は内心で思わず頷いた。「構いませんよ」 セナさんは絵本から視線を外し、涼しい顔で答えた。「これが彼らの『オフの顔』です。ありのままを映してください。後ほどの『オンの顔』との対比が、より際立ちま
「ええ。選定理由は3つあります。第一に、事前収録番組であり、事務所側である僕が編集内容の最終確認権とカット権を保持していること。第二に、撮影場所をセキュリティの強固なこのペントハウスと、管理の行き届いた仕事場のみに限定できること」「なるほど、それならマスコミの突撃や変なトラブルは防げますね」「その通りです、紬さん。第三に……『アイドルの可愛い子供』という枠組みを脱却し、『オンとオフのギャップを持つプロのモデル』という確固たるブランド価値を世間に提示するためです。この番組は、彼らの実力を世に知らしめる絶好のショーケースになります」「そ、そうですね」 完璧な理論武装である。 もはや誰も反論の余地はない。というか、もともとセナさんに口で勝てる人はここにはいない。 魔王の采配により、私たちの日常にドキュメンタリーのカメラが入ることが決定した。◇ それから数日後の朝。 ペントハウスの厳重なセキュリティゲートを突破して、選ばれし番組スタッフ数名がリビングへと足を踏み入れた。「うわぁ……すごい。これがNoixの住むペントハウス……!」「窓からの景色、合成みたいっすね。東京タワーが目の前ですよ、ディレクター」「おい、キョロキョロするな。機材をぶつけたらどうやって弁償するつもりだ。粗相のないようにしろよ!」 ディレクターの男性、カメラマン、音声スタッフの3人は、大理石の床や高級家具を前に完全に気後れしている様子だった。 私はあくまで「専属の栄養管理スタッフ」という名目で、顔出しNGの裏方に徹する。 カメラはリビングの隅に定点設置されて、スタッフたちは気配を消してNoixメンバーと双子の飾らない日常を追い始めた。「きゃーっ! おうまさん、もっと早く走れー!」「はいよっ! 捕まってろよ茉莉、落ちるなよー!」 カメラが回っているというのに、リビングの中央ではとんでもない光景が
ペントハウスのリビングのローテーブルに、見上げるような紙の塔が3つほど建設されていた。「バラエティ番組『突撃! アイドルパパの休日に密着!』。……却下です」 葛城セナさんが冷ややかな声で言う。同時に分厚い企画書をぽいっと床のゴミ箱へ投げ捨てた。 バサッという乾いた音が響く。「大手玩具メーカー、新作ブロックのテレビCM。……拘束時間が長すぎますね。5歳児の集中力を考慮していないスケジュールです。却下」 バサッ。また紙が投げ捨てられた。「有名司会者のファミリー向けトーク番組。……生放送は論外です。子供たちが予測不能なプライベート情報を発言するリスクが高すぎます。これも却下」 次々と紙の塔が崩されては、ゴミ箱の肥やしになっていく。 そろそろゴミ箱から紙があふれ出そうだ。 あのライブ配信での公表から数日。 伊織と茉莉の愛らしい姿は、瞬く間に社会現象レベルの人気を巻き起こしていた。 テレビ局、広告代理店、出版社から、「親子共演」「独占インタビュー」「キッズモデル起用」と、何十件にも及ぶオファーが文字通り殺到しているのだ。「ちょっとセナくん、それギャラすごい額だったよ!? 捨てちゃうの!?」 向かいのソファで寝転がっていた遊馬ハルくんが、目を見開いて身を乗り出した。 セナさんは眼鏡のブリッジを中指で押し上げ、冷徹な魔王の眼差しでハルくんを射抜く。「目先の端金に目が眩むとは、愚かですね。生放送や台本の定まっていないバラエティ番組は、コントロール不可能な事態を生み出します。子供の心身に過度な負荷をかける環境は、親として、プロとして排除するのが当然でしょう」「お、おう……。ごもっともです」 ハルくんがシュンとしてソファに沈み込む。 その横で、コーヒーカップを傾けていたレンくんが深く頷いた。「セナの言う通りだ。あいつらを安売りする気はない。消費されやすい『アイドルの可愛い子供』という色眼鏡
深夜の住宅街を奇妙な二人連れが歩いていく。 一人はカーディガンを羽織った平凡なOL(私)。 もう一人は黒キャップに黒マスク、ハイブランドの私服に身を包んだ、身長180センチ超えの不審者(国宝)だ。「……着いたぞ。ここか?」 彼が立ち止まったのは、国道沿いにそびえ立つ光の城塞。 24時間営業の大型スーパー、『JASTO(ジャスト)』だ。食料品から日用品、そして驚きの価格帯を誇る衣料品まで、庶民の生活を支える聖地である。 ウィーン。自動ドアが開く。『いらっしゃいま
「これにする。これ以外ありえない」 国宝級アイドルが、モチ犬スウェットを抱きしめている。カオスだ。 でも、彼が選んだなら仕方がない。深夜のテンションということで納得しよう。◇ レジへ向かった。対応してくれたのは、眠そうな学生バイトの男の子だ。 彼はモチ犬スウェットのバーコードを読み取り、気だるげに言った。「2,178円になりまーす」「ああ」 レンくんが、ポケットからスマートにマネークリップを取り出した。そこから抜かれたのは、黒く輝くカードである。
「……おい、紬」「はい」「これ、ゼロが二つ足りないぞ。ミスプリントか?」「合ってます。上下セットで1,980円(税抜)です」「嘘だろ……? 俺の靴下の片方より安い」 彼は戦慄していた。安すぎる服の価格に、価値観がゲシュタルト崩壊を起こしているらしい。 いやでもシマムレだし。庶民の味方のファッションセンターよ?「この布、何でできてるんだ? 紙か? 洗ったら溶けるのか?」「溶けません。綿とポリエステルです。吸汗速乾で丈夫ですよ」「ポリエステル……未知の素材だ」 彼は恐る恐る生地に触れた。その手つきは、爆発物の処理班のように慎重だ。 ポリエステルを知らないとかマジだろうか。
保温しておいたご飯を取り出す。炊きたてではないけれど、電子レンジで温め直し、熱々のうちに塩をまぶした手で握る。 具はいらない。海苔を巻いただけのシンプルな塩むすびにしよう。大きく、ふっくらと握った。「お待たせしました」 お盆に載せて運ぶと、彼はすでに上半身を起こして待っていた。その目は、獲物を狙う肉食獣のようにらんらんと輝いている。 お盆をローテーブルに置いた。 湯気の立つ豚汁と、海苔の黒さが際立つ大きめのおにぎり2つ。色合いは地味だ。茶色と白と黒しかない。でも今の彼には、どんな宝石よりも輝いて見えているらしい。







