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last update 公開日: 2025-12-02 18:35:33

 小鍋に水を入れ、昆布を浸した。沸騰直前で取り出す。実家の定食屋仕込みの、黄金色の出汁が出来上がった。

 トントントン、とネギを刻む軽快な音が響く。鶏肉は小さく切って、生姜と一緒に煮込む。

 ふわりと湯気が立ち上った。出汁の優しい香りが、狭い部屋に満ちていく。

ちらりとリビングを見ると、膝を抱えていたレンくんの肩から、少しだけ力が抜けているのが見えた。鼻が、ヒクヒクと動いている。やっぱり猫だ。

「お待たせしました」

 15分ほどで、卵雑炊が出来上がった。ローテーブルに鍋ごと置いて、茶碗によそう。湯気と共に、ネギと出汁の香りが彼の顔を包み込んだ。

 それでも、彼はまだ警戒していた。箸を手に取ろうとしない。

「いらない。……食べられない」

 頑なだ。もしかして、毒が入っていると思っているのだろうか。いやそれ以前に、彼は「食べる」という行為そのものを恐れているように見える。

「毒なんて入ってません」

 私は自分のスプーンを取り出し、雑炊をひとすくいした。

「私の実家、定食屋なんです。味だけは保証しますから」

 そう言って、彼の目の前でぱくりと食べる。熱々の出汁が、五臓六腑に染み渡る。自分
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  • 塩対応の国宝級アイドルは、私の手料理がないと生きていけないらしい   192

     先ほどまでペントハウスで、おおはしゃぎで馬乗りになって遊んでいた5歳児の面影は、どこにもない。 背筋をピンと伸ばし、周囲の大人たちに圧倒されることなく堂々とした足取りで進む。「おはようございます。伊織です。よろしくおねがいします」「茉莉です。きょうはがんばります!」 2人揃って、スタッフたちに向かって綺麗な角度で一礼する。 その完璧な挨拶に、現場の大人たちから「おおっ」と感心のどよめきが漏れた。 密着カメラのディレクターが、呆然と口を開けて呟く。「信じられない……さっきまでパパ馬に乗ってキャッキャ笑ってた子たちと、同一人物ですか!?」「ふふっ、うちの子たちはすごいでしょう?」 おっといけない。つい自慢が出てしまった。 すぐに衣装室へ案内されて、着替えを済ませた2人が撮影ブースの前に現れた。 今日の衣装は『ストリート・モード』。 伊織は黒のレザージャケットにダメージジーンズ、首元にはシルバーのチェーンネックレス。 茉莉は赤いタータンチェックのセットアップに、黒い編み上げブーツというエッジの効いたスタイルだ。「よし、伊織くん、茉莉ちゃん。テスト撮影からいくよ!」 カメラマンがレンズを構える。 シャッター音がスタジオに響き渡った。 カシャッ。 その一音を合図に、2人の『オンの顔』が完全に覚醒した。 伊織はレザージャケットの襟を片手で軽く掴み、もう片方の手はジーンズのポケットへ。 あごを少し上げ、見下ろすようなクールな視線をレンズへ突き刺す。 その瞳には、5歳児とは思えないほどの凄みが宿っていた。 カシャッ、カシャッ。 茉莉は対照的に、セットアップのスカートをひるがえして軽やかにジャンプした。 空中で振り向きざまに、小悪魔のような挑発的なウインクを飛ばす。 着地と同時に唇を尖らせて、アンニュイな表情を作ってみせた。 ええぇ……?

  • 塩対応の国宝級アイドルは、私の手料理がないと生きていけないらしい   191

    「よし、完璧」 私はカモミールとミントをブレンドした温かいハーブティーをポットに淹れて、大きなお盆にフルーツサンドと共に並べた。「あの、スタッフの皆様。少し休憩にしませんか?」 私がカメラの横にそっとお盆を差し出すと、ディレクターたちが驚いたように振り返った。「えっ、これは……」「特製のフルーツサンドです。マスカルポーネチーズを使っているので、甘すぎなくて食べやすいと思います。ハーブティーと一緒にどうぞ。リラックス効果がありますよ」 私が裏方として微笑みかけると、スタッフたちは恐縮しながらもサンドイッチを手に取った。「い、いただきます……うおっ!」 一口食べた瞬間、カメラマンの男性が目を見開いた。「何これ!? めちゃくちゃ美味いっすよ! クリームが全然くどくない!」「本当だ……フルーツの酸味とチーズのコクが絶妙です。疲れが吹き飛ぶ……」 音声スタッフの青年も、目を細めてハーブティーをすすっている。「いやあ、美味しいです。こんな素晴らしい差し入れをいただけるなんて。紬さん、プロの料理人みたいですね」「いえいえ、ただの栄養管理スタッフですから。皆さんが少しでもリフレッシュできたなら嬉しいです」 私は深々と頭を下げた。 現場の空気を作るのも、裏方の大切な仕事だ。 スタッフの胃袋と心を握ってしまえば、現場の空気は格段に円滑なものになる。 実家の定食屋で培ったオカン気質が、こんなところで役に立つとは。 ディレクターはすっかり表情を緩ませて、「午後からのスタジオ撮影も、この調子で頑張らせていただきます!」と気合を入れ直してくれた。「あっ! ママのフルーツサンドだ。茉莉も食べるー!」 茉莉が目ざとくサンドを見つけて、駆け寄ってきた。「ぼくも、ぼくもー!」 伊織も負けじと走ってくる。「はいはい、みんなの分もありま

  • 塩対応の国宝級アイドルは、私の手料理がないと生きていけないらしい   190

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  • 塩対応の国宝級アイドルは、私の手料理がないと生きていけないらしい   188:キッズモデル密着取材・前編

     ペントハウスのリビングのローテーブルに、見上げるような紙の塔が3つほど建設されていた。「バラエティ番組『突撃! アイドルパパの休日に密着!』。……却下です」 葛城セナさんが冷ややかな声で言う。同時に分厚い企画書をぽいっと床のゴミ箱へ投げ捨てた。 バサッという乾いた音が響く。「大手玩具メーカー、新作ブロックのテレビCM。……拘束時間が長すぎますね。5歳児の集中力を考慮していないスケジュールです。却下」 バサッ。また紙が投げ捨てられた。「有名司会者のファミリー向けトーク番組。……生放送は論外です。子供たちが予測不能なプライベート情報を発言するリスクが高すぎます。これも却下」 次々と紙の塔が崩されては、ゴミ箱の肥やしになっていく。 そろそろゴミ箱から紙があふれ出そうだ。 あのライブ配信での公表から数日。 伊織と茉莉の愛らしい姿は、瞬く間に社会現象レベルの人気を巻き起こしていた。 テレビ局、広告代理店、出版社から、「親子共演」「独占インタビュー」「キッズモデル起用」と、何十件にも及ぶオファーが文字通り殺到しているのだ。「ちょっとセナくん、それギャラすごい額だったよ!? 捨てちゃうの!?」 向かいのソファで寝転がっていた遊馬ハルくんが、目を見開いて身を乗り出した。 セナさんは眼鏡のブリッジを中指で押し上げ、冷徹な魔王の眼差しでハルくんを射抜く。「目先の端金に目が眩むとは、愚かですね。生放送や台本の定まっていないバラエティ番組は、コントロール不可能な事態を生み出します。子供の心身に過度な負荷をかける環境は、親として、プロとして排除するのが当然でしょう」「お、おう……。ごもっともです」 ハルくんがシュンとしてソファに沈み込む。 その横で、コーヒーカップを傾けていたレンくんが深く頷いた。「セナの言う通りだ。あいつらを安売りする気はない。消費されやすい『アイドルの可愛い子供』という色眼鏡

  • 塩対応の国宝級アイドルは、私の手料理がないと生きていけないらしい   187

     しかし。 画面に流れてきたコメントは、私の予想を完全に裏切るものだった。『ええええええ! 可愛すぎる!!』『パパって言った!? 尊い無理!!』『伊織くんのお辞儀、礼儀正しすぎない!?』『レンくんがすっかりパパの顔になってる(涙)』『茉莉ちゃん、レンくんにそっくり! 天使!』『素敵すぎる家族……!』 画面は怒りやバッシングの言葉ではなく、好意的なコメントと大量の祝福の言葉であふれ返っていた。 サーバーがダウンしそうなほどの勢いで、温かい言葉のシャワーが降り注いでいく。 子供たちの愛らしさが、ファンの警戒と反発を吹き飛ばしたのだ。 セナさんが描いていた『家族を愛するアットホームな父親』という新戦略。 それが机上の空論ではなく、現実のファンたちに受け入れられた瞬間だった。「伊織、茉莉。ファンのみんなに手を振って」 レンくんが優しく促すと、双子はカメラに向かって小さな手を元気いっぱいに振った。「ばいばーい!」「またねー!」『可愛いいいいい!』『天使が2人もいる!』『レンパパ最高!』 ハルくんもようやく我に返り、「俺の甥っ子と姪っ子、世界一可愛いでしょ!」と画面に身を乗り出してアピールを始めた。 セナさんは眼鏡の奥で満足げに目を細めて、「本日は思わぬサプライズゲストが登場しましたが、これにて配信を終了いたします。ご視聴ありがとうございました」 と、完璧な挨拶で締めくくった。 画面が暗転し、『OFFAIR』の文字が点灯する。「……終わった」 レンくんが深く、深いため息を吐き出してソファに背中を預けた。 その額にはうっすらと汗がにじんでいる。「レンくん……!」 私はキッチンから飛び出し、彼のもとへ駆け寄った。 レンくんは立ち上がると、私を

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    last update最終更新日 : 2026-03-22
  • 塩対応の国宝級アイドルは、私の手料理がないと生きていけないらしい   61

     彼は慣れた手つきでパッケージを開け、歯磨き粉をつける。ロケなどでホテルに泊まる機会が多いからだろう。 狭い洗面台の前には2人並ぶスペースはない。彼は鏡の前で、私はリビングで歯磨きをすることにした。 シャカシャカ、という音が重なる。鏡の中にはモチ犬スウェット姿の彼と、後ろの方に部屋着姿の私が映っている。生活感の塊のような光景だ。まるで、新婚夫婦の夜のひとときみたいだ。(……いやいやいや!) 私はブンブンと首を振って妄想を振り払った。 口をゆすぎ、顔を洗う。次いで彼がバシャバシャと豪快に顔を

    last update最終更新日 : 2026-03-22
  • 塩対応の国宝級アイドルは、私の手料理がないと生きていけないらしい   54

     数日後の夜。約束通り彼はやってきた。いつものモチ犬スウェットに着替え、今はキッチンカウンターの向こう側にいる。 私はキッチンに立ち、ごぼうのささがきを作っていた。シュッ、シュッ、というリズミカルな音。蓮根は乱切りにし、人参は彩りを考えて飾り切りにする。鶏肉は大きめにカットして、食べごたえを重視。 背中に視線を感じる。熱い。振り返らなくても分かる。彼が見ている。いつもならスマホでゲームをしているはずの時間なのに、今日は静かだ。 フライパンにごま油をひく。鶏肉を皮目から入れて、香ばしい焼き目をつける。 ジュウウゥゥ…

    last update最終更新日 : 2026-03-22
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     ある夜のこと。 窓ガラスがガタガタと悲鳴を上げている。外は猛烈な暴風雨だ。天気予報では「数十年に一度の大型台風」と報じられていたけれど、まさかこれほどとは。「……うわ」 私はスマホの画面を見て、思わず声を上げた。案の定、都内の電車は全線運転見合わせになっている。「レンくん、電車止まっちゃいましたよ。これ、帰れますか?」 私はリビングを振り返った。そこには、いつものようにパステルイエローの「モチ犬スウェット」を着た巨大な塊が、ビーズクッションに沈み込んでいた。「無理」

    last update最終更新日 : 2026-03-22
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