Masuk耳元でささやかれる独占欲たっぷりの呪詛。吐息が首筋にかかり、背中には彼の体温と心音が直に伝わってくる。ドキドキする暇もない。包丁を持っている手元が狂いそうで危なっかしい。
「はいはい、離れてください。火傷しますよ」
「やだ。……ここが一番落ち着く」
彼は更に強く腕を回し、私の肩にあごを乗せた。重い。物理的に重いが、それ以上に愛が重い。
私は背中に巨大な愛の塊を背負ったまま、フライパンを振るう羽目になった。30分後。ちゃぶ台――もといローテーブルを囲む食卓は、すし詰め状態だった。成人男性3人(しかも体格が良い)と私。箸を動かすたびに、誰かの肩や膝がぶつかる距離感だ。
「いただきます!」
目の前に置かれたのは、湯気を立てる濃厚なホワイトシチューである。横に置かれたのはもちろん白米。シチューには白米。文句は言わせない、これが正義だ。
「シチューをご飯にかけるか、分けるか。これは古来より続く戦争の火種になりかねない組み合わせですが」
セナさんがスプーンを持ち上げ、白米とシチューを交互に見た。パンではなく米。その選択に、美食家の眉がわずかに動く。
「うちは定食屋なんで、ご飯に合うように調整してあります。……文句があるならパン買ってきますけど」
「いえ。出されたものに文句は言いません」
セナさんは優雅にスプーンを運び、シチューを一口含んだ。
「……ほほう」
彼の眼鏡の奥が、キラリと光る。
「市販のルーにしてはコクが深い。ベシャメルソースから作りましたか? いや……これは」
「白味噌です。あと、醤油を少し」
「……なるほど。発酵食品の旨味と塩気を足して、白米との親和性を高めましたか。庶民の知恵、侮りがたし」
セナさんは納得したように頷くと、スプーンでシチューをすくい、白米の上に躊躇なく掛けた。そして、口へと運ぶ。もぐもぐと咀嚼し、嚥下する。
「…
「ご飯、冷めますよ。レンくんの好きなオムライスです。食べたら、機嫌直してください」 レンくんはふっと力なく笑った。何かを諦めたような、ちょっと肩の力が抜けたような笑み。 私から離れてソファに座り直す。「じゃあ、紬が食べさせて」「え」 彼はソファの背もたれに深く体を預けて、王様のように顎で皿を示した。「レンくん、食べるなら自分で……」「食べさせて」 聞く耳もってくれない。 でも――甘えよりももっと切実な様子を見て、私も心を決めた。 私はスプーンで黄色い卵とライスを掬い、彼の口元へ運ぶ。彼は私の目を見据えたまま、スプーンごと噛みつくような勢いでそれを口に含んだ。「…………」 咀嚼し、喉を鳴らして飲み込む。「……美味い」 一口食べた瞬間、彼の瞳から険しさが消えた。甘く蕩けるような色に変わる。私の料理が、熱となって彼の体内に溶けていく。「紬の料理は、俺だけのものだ。……お前自身も」 彼は私の手首を引き寄せ、掌に熱いキスを落とした。それは誓いのようであり、所有の刻印のようでもあった。◇ 食べ終わった後、レンくんは空になった皿を持って、リビングに戻ってきた。もう片方の手はしっかり私の腰に回されている。「お、やっと出てきた。飯食った?」 ハルくんが声をかけるが、レンくんは答えない。その代わりハルくんとセナさんの目の前で、私の髪を指で梳き、愛おしげに耳にかけた。さらに私のうなじに顔を埋めるようにして、2人に聞こえる声量で囁いた。「……ごちそうさま。美味かった」 その仕草と視線だけで、部屋の空気が変わった。『こいつは俺の女だ。手出し無用』。そんな強烈なマーキング。「レンくん! やりすぎですよ!」 私は真っ赤になっ
それに、あの目はただの不機嫌じゃない。もっと深刻な嵐の前の静けさだ。 ここでリカバリーしておかないと、後々大変なことになる予感がする。「私が、ちゃんと栄養を届けてきます」 私はキッチンに戻り、フライパンを火にかけた。◇ 15分後。私はトレーを持って、レンくんの部屋の前に立った。 メインディッシュは彼が一番好きなオムライス。ただし、ランチに出すようなカジュアルなものではない。赤ワインを煮詰めた濃厚なデミグラスソースをかけて、バターを贅沢に使った「ドレス・ド・オムライス」だ。「レンくん。入りますよ」 ノックをしても返事がない。私は肩をすくめると、セナさんから預かっているマスターキーでロックを解除した。 部屋の中は薄暗く、間接照明だけが灯っている。 レンくんはデスクに向かっていたが、ペンは止まっている。背中から漂う空気は、拒絶そのもの。「……勝手に入るなと言っただろ」 低く地を這うような声が聞こえた。不機嫌を通り越して怒りすら感じる。 でも私は怯まない。私は管理スタッフだ。レンくんがいくら怒っても、栄養補給を全うする義務がある。 いや、義務とかそんなもの以上に、彼には健やかでいて欲しい。「ご飯を食べないなら、私が食べさせます」 私が強引に歩み寄ろうとすると、ガタッ、と椅子が鳴った。 レンくんが立ち上がり振り返る。その瞳は熱を帯びていて、暗闇の中で獣のように光っていた。「……っ」 次の瞬間、私の手首が掴まれた。強い力で引き寄せられ、私は壁に押し付けられた。「レンく……」「……お前、鈍感すぎるぞ」 逃げ場を塞ぐように、私の顔の横に彼の手が伸ばされる。 至近距離にある彼の顔は、怒りと、どうしようもない切実さで歪んでいた。「俺が、ここに連れてきたのに」 彼の指先が私の頬をなぞる
ペントハウスでの共同生活は、奇妙なバランスの上で成り立っていた。私は「専属スタッフ」として、3人の世話を焼く毎日を続けている。 ある休日のリビングでは、こんな光景が繰り広げられていた。「ねーえー、紬ちゃ~ん。爪切って~」 ソファに座る私の膝に、遊馬ハルくんが頭を乗せる勢いで甘えてきた。彼は右手を無造作に差し出してくる。「ハルくん、自分で切れますよね?」「やだ。俺、不器用だから深爪しちゃうもん。……ほら、早く」 彼は上目遣いで私の袖を引っ張る。猛獣の皮を被った甘えん坊である。私はため息をつき、仕方なく彼の手を取った。「はいはい、動かないでくださいね」 パチン、パチン。爪切りの音が響く中、ハルくんは私の肩に頭を預けて、猫のように目を細めてくつろいでいる。猫ならゴロゴロと喉を鳴らしそうな表情だ。「紬さん。出る時間なので、行ってきます」 そこへ、スーツ姿に着替えた葛城セナさんが現れた。彼は鏡の前で立ち止まり、当然のように私を呼んだ。「ネクタイが曲がっています。直してくれませんか」「あ、はい。今すぐ」 私はハルくんの手を離し、セナさんの元へ駆け寄る。襟元を整えてネクタイのノットをキュッと締め上げる。いつものルーティンだ。「やはり、君が結ぶと気合が入りますね」 セナさんは満足げに頷くと、行ってきます、と私の頭を軽く撫でて出て行った。「いってらっしゃいませ」 私が頭を下げ、ふと振り返った時のこと。 リビングの奥にある一人掛けのソファで、撮影中のドラマの台本を読んでいたはずの綺更津レンくんと目が合った。「…………」 彼は何も言わなかった。ただ、そのアイスブルーの瞳からは感情が抜け落ちていた。 背筋が凍るような冷たい視線。彼は私を――いや、私とハルくんを一瞥すると、バサリと乱暴に台本を閉じ、無言で部屋を出て行ってしまった。
レンくんは私を大事にしてくれる。 そりゃあわがままで、リクエストが多くて、昨日も充電と称して寝かせてくれなかったけど。 まだまだ不安定なところがあって、支えてあげないといけないけど。 それでも彼の気持ちは伝わってくる。 だから私も応えたかった。「私に何ができるかなぁ……」 夕食の料理をしながら、私はぼんやりと考えた。 なお、今日のメニューはブリのショウガ煮である。てりやきベースのタレにショウガをたっぷり入れて、ピリリとした味わい。 ショウガは体を温める効果がある。体を酷使するみんなにはいい食材だ。 ここしばらくハンバーグやらの重いメニューが続いたので、ここらで胃をリセットしなければ。 それはともかく、私はレンくんに何をしてあげられるだろうか。 料理は仕事だから、ノーカウント。 他には何だろう。 男性付き合いをほとんどしてこなかったせいで、何をすればいいのかちっとも分からない。 あと、実は。 彼の重い愛は嫌じゃない。嫌じゃないけど、一方的なのがちょっと悔しい。 以前レンくんに、愛用の香水をもらった。お互いの香りを交換するという条件で。 私は彼の香水。彼は私が当時使っていた、安物の柔軟剤の香り。 でも今はメンバー全員で同居しているので、ちょっとお高い柔軟剤になってしまった。特にセナさんが余計な香りを嫌うから、無臭のやつがメインになっている。 レンくんは最初文句を言っていたものの、ハルくんが「いいじゃん。紬ちゃんのいる家に毎日帰ってくるんだから、匂いがなくても平気でしょ」と丸め込まれて納得していた。ちょっとチョロかった。 なので彼の香水――『CielBlue(シエル・ブルー)』は、使いかけでふたをされたまま私の部屋に置かれている。 一方的なプレゼントになっている。「私も何か贈り物をしようかな……」 独占欲むき出しなのはあなただけじゃないんだよ、と教えてやりたい。 私だってあなたが好きで、
「ハルが結婚とか言うから。……紬がどっかに行っちゃいそうで、怖い」「…………」「顔見せてくれるだけでいい。……充電させて」 震える声に、私の長年の「ファン心」と無駄にある「母性」が刺激されてしまった。こんな声を出されて無視できるわけがない。「……はぁ」 私は大きくため息をつき、ベッドから降りた。重たいソファをズズズと退かし、バリケードを解体してドアを開ける。 そこには、自分の枕を抱えたレンくんが立っていた。「どうぞ」 私が招き入れると、彼は無言で部屋に入ってベッドに腰掛けた。そして隣に座った私に、くたりともたれかかってきた。「……ん」 押し倒されるのかと身構えたが、違う。彼は私の膝に頭を乗せる。私の腰に腕を回して、大きく深呼吸をしただけだった。「紬の匂いがする」 別に夜這いをしに来たわけではないらしい。ただ私に体を預けて、体温を確認するように目を閉じた。「俺、お前がいないと本当にダメみたいだ」 その言葉は愛の告白というよりは、生存本能に近い切実さを持っている。 私が彼のさらさらとした髪をそっと撫でると、彼は心地よさそうに吐息を漏らし、数分もしないうちに安らかな寝息を立て始めた。 安らかな横顔は彫刻のように整っているようで、どこか幼さを感じさせる。彼が安心しきっているのが分かった。「レンくん?」 返事はない。完全に寝落ちている。 結局、私は重たいトップアイドルの頭を膝に乗せたまま、朝まで身動きが取れなくなった。◇ 翌朝。すっかり充電完了してスッキリした顔のレンくんが、私の部屋から出ていった。ちょうど廊下を通りかかったセナさんと鉢合わせる。「…………」 セナさんは私の部屋
23時。気を取り直して眠ろうとした、その時。 ピッ。ウィィィン。 電子音がしてスマートロックが解除された。今度はピッキングではない。正規の手順で解錠された音だ。「紬さん、起きていますか」 現れたのは、シルクのバスローブを優雅に着こなした葛城セナさんだった。片手にはタブレットを持っている。「明日のスケジュールの共有です。朝食の時間に変更があります」「……セナさん。ノックしてください。あと、なんで開くんですか」 私がジト目で睨むと、彼は「愚問ですね」と言わんばかりに薄く笑った。「僕の家ですから。全室のマスターキー(電子制御)を持っています」「プライバシーという言葉をご存知ですか!?」「管理官の体調管理も僕の仕事です。……部屋の湿度が低いですね。加湿器を入れなさい。喉がやられますよ」 彼は業務連絡と小言だけを淡々と伝え、「おやすみなさい」と去っていった。私は枕に顔を埋めて叫んだ。「ここには……人権もプライバシーもない……!!」◇ 猛獣のピッキング技術と魔王の管理者権限。通常の鍵が役に立たないと悟った私は、最終手段に出ることにした。「よいしょ……っ、うーっ!」 私は部屋にある重たい一人掛けソファを引きずり、ドアの前に移動させた。さらにその上にキャリーケースを積み上げる。即席バリケードの完成だ。物理的にドアが開かないようにしてしまえば、どんな鍵も無意味だ。「これで……やっと眠れる」 私はやっと安心してベッドに沈んだ。◇ 午前1時(25時)。寝静まった深夜、ドアノブが静かに慎重に回される音で目が覚めた。 ガチャ。……ガチャガチャ。ピッ、ウィィィン(電子ロック解除音)。ガンッ。 ドアが数







