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第10話

Author: 抹茶の時間
「後で彼の奥さんも来るんだぞ。

おとなしくしてろよ。加藤家の顔に泥を塗ったら、母と兄が黙っちゃいないぞ!」

そう言いながら、拓海は私の腕を掴んだ。

私はその手を激しく振り払った。

「明里!」

彼の声は、決して小さくはなかった。

周りにいた人たちが、こちらに視線を向けた。

渉もこちらを見ていたけど、その眼差しはどこか険しかった。

「拓海、何を騒いでいるんだい?」

洋子は拓海の名前を呼んだけど、不満そうに私のことを睨んでいた。

克哉は、眉をひそめて私を睨むと、すぐに渉に向かって笑顔で言った。

「奥さんはもうすぐお着きですかね?俺がお迎えに参りましょうか?」

周りはひそひそと囁き始めた。

拓海は低い声で私を叱りつけた。

「騒ぐなと言っただろう。これで満足か?

うちの家族に初めて会うのに、こんな印象を与えるなんて最低だぞ」

たしかに、そうだ。

結婚して3年になるけど、私が加藤家の人たちに会うのは、これが初めてだった。

「明里」渉が突然、私の名前を呼んだ。

「こっちへおいで」

彼とおばさんの間には、一つ席が空いていた。

拓海は、きょとんとした顔になった。

おばさんとお兄さんも、同じようにきょとんとしていた。

私は立ち上がって、そちらへ向かった。

「ご紹介します」

渉の声は大きくなかったが、その場にいる全員に聞こえるほどよく通った。

「こちらは植田明里です」

彼は私の手の甲にキスをすると、みんなを見回して言った。「私の妻です」

会場は、水を打ったように静まり返った。

誰もが、呼吸をすることさえ忘れているようだった。

ただ渉だけは、さすが大舞台に慣れているという感じだった。

「明里、何か言いたいことはあるかい?」

全員の視線が、私に向いた。

背中に冷たい汗が流れた。

手のひらを握りしめると、心臓が激しく波打った。

渉は私の手をそっと握り、私の目を見て、優しく頷いてくれた。

「言ってはいけないことなんて、何もないさ」

私は息を深く吸い込んだ。

「おばさん」

私は洋子に向かって言った。「私は……

私と拓海は、とっくに離婚しています。

どうして彼がそのことを話していなかったのか、私には分かりません」

そして、拓海の方を見て言った。

「拓海、私は一度も結婚や離婚が、『芝居』だなんて思ったことはない……

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