共有

第2話

作者: 豆乳ちゃん
翌日、星哉が帰ってきた。

彼はいつものように抱きこうと近づいたが、私は車椅子を静かに動かし、そっとよけた。

星哉の笑顔が少しこわばり、戸惑っているようだった。

「どうしたの?優勝したこと、気に入らない?」

「うれしいよ」私は言った。「心から」

口調は淡々としすぎていて、まるで他人事のようだった。

彼は一瞬眉をひそめ、すぐに顔をほぐすと、スーツケースから小さな箱を取り出した。

「ほら、おみやげ。君の好きなブランドの新作」

箱を開ければ、ダイヤがきらりと光った。

以前の私なら、きっと飛び跳ねて喜んだだろう。

今は、一瞥しただけで目をそらした。

「ありがとう」

星哉はようやく私の様子が普通でないことに気づいた。

彼はしゃがみこんで私の手を握った。手のひらは温かく、ダンスでできた小さなマメが感じられた。

「香乃、どうしたんだい?また誰かになんか言われた?」

「ううん」と私は首を振った。

「じゃあ、なぜ?」

彼は食い下がった。

「約束しただろう。この賞を取ったら結婚するって」

私は彼を見つめた。長い間愛してきたこの顔を。

整った顔立ちに、今は私を心配する表情。

でも、その優しさの奥にあるものはわかっていた。

重荷だと。

私の動かない足が彼に背負わせた、「恩返し」という重荷を。

「星哉」

私は小さな声で言った。

「もう、疲れちゃったの」

彼の動きが止まった。

反応を待たずに、私は話題を変えた。

「打ち上げ、どこでするの?」

話をそらされた星哉の目に疑念がよぎったが、彼は流れに合わせた。

「君の好きなあのレストランを予約してある。さ、車に乗せてあげる」

レストランへ向かう道すがら、彼はしきりに話した。

詩雨の話をした。

「今度の試合は本当に詩雨のおかげなんだ。決勝前の夜、古傷が痛んで、彼女が一晩中つきっきりで氷で冷やしてくれてさ。

彼女も実は足首を痛めてたんだって。それでも一言も言わないで、最後まで踊りきったんだ。

香乃、彼女のダンスの考え方、君とすごく似てるんだ。一緒に踊ってると、なんだか……」

彼は言葉を探すように言いよどんだ。

「十年前、私と踊ってたときみたいだって?」

車内の空気が凍りつく。

星哉は一瞬息を詰まらせ、そっと咳払いをして表情を繕った。

「そういう意味じゃないんだ」

私はそれ以上は何も言わず、窓の外を流れる街並みを眺めていた。

胸が締めつけられるかと思ったけど、そうはならなかった。

ただ、隣にいるこの人が、とても遠く感じられた。
この本を無料で読み続ける
コードをスキャンしてアプリをダウンロード

最新チャプター

  • 夢醒めて花散る時に   第8話

    星哉が意識を取り戻したのは、三日後のことだった。目を覚ますと真っ先に、私に会いたいと訴えた。両親の制止も聞かず、介護士に車椅子で運ばれて、私の病室を訪れた。入院着姿の彼の顔は紙のように青白く、両足は厚いギプスに包まれ、車椅子の足置きに固定されていた。かつて舞台で輝いていた世界チャンピオンの面影はなく、今は脆く儚げに見えた。視線が合い、沈黙が流れた。最初に口を開いたのは彼だった。声はかすれていた。「香乃、ごめんね」そのひと言に、全てが込められていた。罪悪感、後悔、哀れみ。私は首を振った。「謝るべきはあなたじゃない。それに、私を救ってくれた。これで…チャラだよ」「チャラなんかじゃない!」激動し、体を起こそうとした彼は足の痛みに息を詰まらせた。「違うんだ、香乃。これで終わりなんかじゃない」彼は私を見つめ、目尻を真っ赤にし、声を詰まらせながら言った。「俺が馬鹿だった。あんな女に何年も騙されていて、彼女のせいで君とすれ違い、あんな酷いことを……」彼の声が詰まった。「君への想いは、責任や罪悪感だけだって、思い込んでいた。でも君が目の前から消えた時、気づかされたんだ。自分がどれだけ恐ろしいほど君を必要としてたかって。頭の中が、小さい頃の君、笑う君、踊る君……香乃のことでいっぱいで。香乃、愛してる。ずっと前から、ただそれに気づかなかっただけなんだ」車椅子を辛そうに進め、私のベッドまで来ると、彼は震える手で私の手を握った。その手は冷たかった。「香乃、行かないで。離れないで」哀願するような眼差しだった。「医者によると、この足ではもう踊れないかもしれない。ほら、俺も不自由になった。君と同じだ。これでお互い様だ。借りも貸しもない。もう一度、最初からやり直そう。お願いだ」私の手を自分の頬に押し当てた。熱い涙が彼の目尻から零れ、私の手の甲に落ちた。「チャンスをくれ、君を愛するチャンスを。一生、面倒を見させてほしい」彼を見つめた。十年愛し続けてきたこの顔を。その瞳に浮かぶ苦痛と願いを。胸が痛んだ。彼のためにも、無駄に過ごした十年の自分自身のためにも。心が折れて、頷いてしまうかと思った。かつてこれほどまでに願っていた光景なのだから。だが、いざその時が来ると、私の心は止水の

  • 夢醒めて花散る時に   第7話

    その男が再び鉄パイプを振りかぶり、星哉の後頭部を狙おうとした瞬間──ドカン!倉庫の扉が蹴破られた。無数のサーチライトが倉庫を照らし、鋭い怒声が響く。「動くな!警察だ!全員、手を頭に後ろで組め!」まぶしい光の中、詩雨と手下たちの驚愕と恐慌が浮かんだ。星哉の体の力が一気に抜ける。彼が振り返り、私に向けて弱々しく笑った。それは泣き顔以上に痛々しい表情だった。「香乃、もう大丈夫だ」そう呟くと、彼は私の車椅子の脇に崩れるように倒れ、意識を失った。次に目を覚ましたのは病院だった。消毒液の匂いが鼻をつく。両親がベッドの脇にいて、私が目を覚ますと涙を浮かべて喜んだ。「香乃!やっと目が覚めたね」「もう大丈夫だ。すべて終わったんだ」父が私の手を握りしめ、目を潤ませていた。体を動かしてみると、多少の脱力感はあるものの、目立った傷はなかった。「星哉は?」母は隣のVIP病室を指さし、ため息をついた。「あそこよ。まだ意識が戻らない。医者の話だと……両足が粉砕骨折で、重度の脳震盪、体中に打撲傷があるって……」胸が締め付けられるように痛んだ。粉砕骨折。この言葉が意味するものを、私は誰よりもよく知っていた。彼もダンサーだったのに。彼にとって、これは死よりも辛いことだろう。その後数日、国内はこの悪質な拉致事件で騒然となった。詩雨は現行犯として逮捕され、自分の罪をあっさり認めただけでなく、十年前の未解決事件まで得意げに話した。真相は、彼女は賭博癖のある遠縁の親戚を利用し、借金まみれのその男に金を渡してならず者を雇い、あの拉致を仕組んだ。全ては私の足を奪うため。事件後、親戚は逃亡し、ならず者も姿を消したため、事件は迷宮入りとなっていた。今回私たちを救ったのは星哉だった。私が失踪した時、彼は真っ先に警察に通報し、自分の時計にGPS発信機が内蔵されていることを伝えた。彼は無謀に突っ込んだのではなく、自分を囮にして警察に時間を与え、正確な位置を特定させていたのだ。真実が明るみに出ると、ネットは完全に沸いた。私を「厄介者」、「足手まとい」と罵っていたコメントは、一夜にして消え去った。代わりに押し寄せたのは、驚愕と怒り、そして同情の声だった。【これ現実版の『農夫と蛇』じゃん!あの女

  • 夢醒めて花散る時に   第6話

    私は目を閉じた。胸の奥が氷のように冷えていく。すべてが腑に落ちた。星哉の深い愛情は、私の守り神ではなく、むしろ私を死に追いやる呪いだった。彼のために足を失い、十年もの罪悪感を与えた。今、私が離れようとしたことで彼が真実の愛に目覚め、それが私を殺すことになるとは。なんという皮肉か。ドカン!倉庫の扉が外から蹴り破られた。光の中、見慣れた人影が駆け込んでくる。全身に塵と焦燥をまとって。「香乃!」星哉だった。車椅子に縛られた私と、鉄パイプを握る詩雨を見て、彼の目が一瞬で赤く染まった。「詩雨!何をしてる!香乃を離せ!」彼は怒号を上げ、私へ向かって駆け出そうとしたが、待ち構えていた二人の男が左右から即座に組みつき、がっちりと押さえ込んだ。詩雨は星哉を見つめ、一瞬虚ろな表情を見せた後、狂ったように笑い出した。「来たんだね、彼女のために。命も惜しまずに来たんだ」星哉は必死にもがくが、男たちの拘束は固い。彼は詩雨を睨みつけ、目に嫌悪と失望をあからさまに浮かべていた。「まさかお前がこんなクズだったとは。十年前も、お前だったんだな?」「そうよ!」詩雨は即座に認め、私を指さして叫んだ。「全部この人のせい!この人がいなきゃ、私たちはとっくに一緒になれてた!私を見てよ!私が一番あなたを愛してるのに!」「それは愛じゃない。狂気だ」星哉の声は怒りで震えている。「香乃を放せ。恨むなら俺に来い」「あなたに?」詩雨は可笑しな話を聞いたような顔をした。「そんなことできるわけないじゃない。でも彼女をそこまで愛してるなら、一緒にあの世に行けばいい。哀れな二人に最後の情けをかけてあげる」彼女の目が冷たく光り、男たちに命じた。「始めろ。まずあの女から。手も潰せ。これからどうデザイン画を描くつもりか見せてやれ」一人の男がニヤリと笑い、鉄パイプを私の右手めがけて振りかぶった。思わず目を閉じる。しかし痛みは来ない。鈍い音と、押し殺した呻き。目を見開くと、星哉が束縛を振り切り、自分の体を盾にして私の前に立っていた。あの一撃は彼の脚に直撃していた。「星哉!」声が飛び出す。彼は私に背を向け、全身を震わせている。額に浮かぶ血管、背中を伝う汗。それでも彼は倒れない。両腕を広げ、一

  • 夢醒めて花散る時に   第5話

    意識が戻ると、見覚えのある薄暗い風景が広がっていた。すぐに悟った。十年前に閉じ込められた、あの廃倉庫だ。湿ったカビと鉄錆の混じった空気。壊れた配管から水が滴る音が、静まり返った空間に、そして私の張り詰めた神経に直接響いてくる。手足は荒い縄で車椅子に縛り付けられ、身動きが取れない。十年前と同じように、骨の奥から這い上がる恐怖。だけど今回は、その恐怖に、一片の理不尽な疑問が絡みついていた。なぜ?どうしてまたここに?コンクリートを踏むヒールの音が近づく。耳に刺さるような響き。影から人影が現れ、私の前に立ち止まった。詩雨だった。レストランで会った時と同じ白いワンピース。あの無邪気な笑顔はすっかり消え、代わりに歪んだ、嫉妬と狂気が混ざり合った表情を浮かべている。「香乃さん、お目覚め?」相変わらず甘ったるい声なのに、背筋が寒くなる。「ここ、懐かしいでしょ?」私は彼女を睨みつけ、頭を高速で回転させた。そして、信じがたい結論に辿り着く。「あなただったの」喉が渇いて声がかすれていた。「十年前も、あなただったの」詩雨の目がぱっと輝いた。まるで褒められたかのように、口を押さえて笑った。笑い声が倉庫に反響し、気味が悪い。「香乃さん、賢いわね」彼女はしゃがみ込んで、私の目を見た。「そう、私よ」頭の中が真っ白になった。そうか。偶然の拉致なんて最初からなくて、全ては計算された陰謀だったんだ。「どうして?」「どうしてって?」詩雨の笑顔が消え、激しい憎悪が浮かんだ。「私のどこがあなたに及ばないっていうの!家だって、高橋家に負けてない!ダンスだって、ずっと一番って言われてきた!なのに星哉さんの目には、どうしてあなたしか映らないの!」声が金切り声に変わっていく。「十二歳からずっと好きだった。なのに彼はあなたの後ろばかり追いかけてた。だからチャンスをあげたの。彼のパートナーから永遠に去るチャンスを」詩雨は立ち上がり、見下ろすように私を見た。目に残酷な得意色が光る。「足を潰して、二度と踊れなくした。そしたら当然、私がパートナーになれる」声には悔しさが滲んでいた。「でも、廃人になったあなたが、ボロボロの足で彼に十年も枷をはめるなんて!彼は罪悪感で、あなたを壊れ物みたいに扱った。私

  • 夢醒めて花散る時に   第4話

    ポケットの中で携帯電話が震え続けている。無視した。誰もいない部屋に戻り、荷造りを始める。私の物は少なく、スーツケース一つに全て詰め終わった。星哉からもらったネックレスもブレスレットも、ブランドのバッグも、一つとして持たずに置いていった。持って行ったのは、両親が買ってくれた数着の服と、自分のデザイン画のファイルだけ。携帯の着信音がやんだ頃、今度はメッセージが次々と届き始めた。【香乃、今どこ?話を聞かせて】【詩雨に悪気はない。ただのパートナーだ】【なんでそんなことする?詩雨の前で俺を辱めるなんて、俺をもう信じてないのか?】【高橋香乃、いい加減にしてくれないか】最後の一行は、怒りと焦りで押しつぶされそうな詰問だった。その文字を見て、ふっと笑った。「いい加減に」か。彼には、私がわがままを言って騒いでいるだけに見えるらしい。そもそも、彼は一番の問題がどこにあるのかさえ、気づいていない。きっと彼はこう考えているだろう。自分はこれ以上なく誠意を見せた。チャンピオンとなり、約束も果たした。ならば私が感謝し、従うのは当然だと。携帯の電源を切り、SIMカードを取り出して真っ二つに折り、トイレに流した。水を流す音が、十年分の、ばかばかしい恋心も一緒に洗い流してくれるようだった。実家には寄らず、空港近くのホテルに直行した。残り一ヶ月、静かな場所で過ごしたかった。それからの数日間、世界は静かだった。星哉からの連絡がないことが、むしろ気持ちを軽くしてくれた。一週間後、見知らぬ番号から着信があった。「香乃、どこにいるんだ!」星哉の声だ。押し殺した怒りと、かすかな動揺が混じっている。「どこにいても、もうあなたには関係ないんだ」平静に答えた。「関係ないってどういうことだ!はっきり言え!別れるなんて君の一方的な決めつけだ!認めてない!」「星哉」彼の言葉を遮った。「あなたが認めようと認めまいと、どうでもいいんだ」電話の向こうが沈黙した。しばらくして、哀願するような声で彼が言った。「香乃、戻ってきてくれないか?あの時、打ち上げに詩雨を呼んだのは悪かった。彼女にもちゃんと説明するから、これからは絶対に会わない。いいかな?」「結構だ」きっぱりと言い放った。「詩雨さんを

  • 夢醒めて花散る時に   第3話

    レストランには優雅なバイオリンの調べが流れていた。星哉は手際よく私のステーキを切り分け、そっと皿を前に寄せた。「味は変わってないか、食べてみて」私がナイフとフォークを取ろうとした時、彼の携帯が鳴った。着信を見た彼の口元が、自然とほころんだ。「もしもし、詩雨?」その名前が細い針のように、私の耳に刺さった。「え、近くにいるの?じゃあ寄ってよ!ちょうどいいタイミングだ」声に弾むような喜びが込められていた。「うん、香乃も一緒だし、前から二人に会わせたかったんだ」電話を切ると、彼は嬉しそうに言った。「奇遇だね、詩雨が近くに来てるんだって。すぐ来るよ」私は表情一つ変えず、「そう」とだけ答えた。星哉は私の冷淡さに全く気付かない様子で、一人上機嫌だった。間もなく、眩いほど美しい姿が入口に現れた。詩雨は白いワンピース姿で、肩にかかる長い髪、顔には甘い微笑みを浮かべている。「星哉さん、香乃さん」声も人柄そのままに柔らかく響いた。星哉はさっと立ち上がり、ごく自然に彼女の椅子を引いた。「ほら、疲れたでしょ」詩雨が座ると、程よい敬意と好奇心を込めた視線を私に向けた。「香乃さん、やっとお会いできて嬉しいよ。星哉さんからは何度もお話を伺っていた。香乃さんこそが、彼の心の中で最高のダンサーだって」彼女の言葉には嘘偽りがなく、瞳はきらきらと輝いていた。普通なら、その純粋な好意に心を動かされるところだろう。けれど私には、ただの痛烈な皮肉にしか聞こえなかった。口元をわずかに引きつらせ、「そうか」と応じた。星哉が笑って場を繕った。「さ、何か注文しよう」メニューを詩雨に渡しながら、その眼差しは優しかった。「好きなものを頼んで。遠慮しなくていいから」二人はダンスの話、試合の話、共通の知人の話で盛り上がった。どれも私には入れない話題ばかりだった。星哉は無意識に、詩雨の苦手なパクチーをサラダからより分けた。詩雨は自然にナプキンを取って、星哉の口元に付いたソースの跡を拭った。二人の間に流れる空気は完璧に調和していて、隙がない。まるで彼らこそが本来のペアで、私はただの場違いな第三者だと言わんばかりだった。詩雨がグラスを掲げて、私を見た。「香乃さん、乾杯しましょう。星哉さん

続きを読む
無料で面白い小説を探して読んでみましょう
GoodNovel アプリで人気小説に無料で!お好きな本をダウンロードして、いつでもどこでも読みましょう!
アプリで無料で本を読む
コードをスキャンしてアプリで読む
DMCA.com Protection Status