共有

第 6 話

作者: 江上開花
夜が更けて――旭は酒の席でプロデューサーの接待中だった。スマホに届いたメッセージを見た瞬間、驚きと怒りが彼を突き動かした。

すぐに電話をかけたが、その時亜夕美は目を閉じてひどいめまいに耐え、ぐったりと壁にもたれかかっている状態で、電話に出る気力もなかった。

何度かけても繋がらず、旭は事の重大さを悟り、接待のことなど顧みず、酒席を抜け出した。

その頃屋敷では、亜夕美が目を閉じたまま座っている傍らで、将臣が呼んだ医者が路加の手の手当てをしていた。

おかしな話だ。亜夕美は路加に触れてすらいないし、スープだってそれほど熱かったわけでもない。それなのに辰川家の面々は、路加を壊れ物のように扱い、大騒ぎしていた。

路加を優しく慰める将臣を、亜夕美はぼんやりと見つめた。心の底から愛していた彼に対する想いは、血とともに一滴ずつ心臓から抜き取られているのが分かった。

30分後、警察と旭が相次いで屋敷に到着した。

旭は記者たちを引き連れ、真っ先に中へ入ると、血まみれの亜夕美の姿に言葉を失った。そしてすぐさま記者に撮影を指示するとシャッター音が鳴り響いた。

将臣はこれに激怒し、カメラを手でたたき落としながら怒号を浴びせる。「何してる!?誰の許可で入ってきたんだ!湯川、こいつらを今すぐ追い出せ!」

普段の旭なら逆らえない雲の上の存在だが、この日は一歩も引かずに反論した。「昔、あんたが俺に跪いて、亜夕美との結婚を許してくれって頼み込んだのを忘れたのか?亜夕美のこと、一生面倒見るって何だったんだよ!?」

「俺たち夫婦の問題に口をはさむな!」

「夫婦の問題?ふざけるな!夫婦どうこう以前に、人として最低だ!」旭は怒り心頭で続ける。

執事が警備員を呼んで追い払おうとしたちょうどその時、警察官が二人入ってきた。「DV被害に遭ってるんです!」旭はすかさず警官に訴える。「この男が、奥さんに暴力振るったあげく、俺にも脅迫してきたんです!」

警察官はその場の混乱に一瞬たじろぎながらも、低い声で尋ねた。「通報者は誰ですか?」

将臣は黙り込む。執事は旭が連れてきた記者の対応でそれどころではなかった。そんな中、路加が弱々しく口を開いた。「あの、誤解です。DVなんてありません。これはただの……」

警官の目が鋭くなった。「あなたが通報者ですか?」

路加は慌てて手を振って答える。「い、いえ、違います……」

「ではあなたは、そこの負傷している女性とどういう関係ですか?通報者が誰か知ってるんですか?どんな関係?」警官の矢継ぎ早の質問に、路加は顔面蒼白となり、思わず将臣に助けを求めて目をやった。

その瞬間、地面に座ったままの亜夕美がか細い声で言った。「……彼女は私の夫がかこっている愛人です」そして、弱々しく手を挙げる。「……私が通報しました。私は二人の関係を知りつつも、離婚して自由にしてあげようと思っていたんです。でも、今日私物を取りに戻ったら、こんな暴力を受けました……」

そう語る彼女は涙を浮かべ、声を詰まらせながら訴えた。誰がどう見ても、夫と愛人に虐げられる哀れな妻の姿そのものだった。

そして、話し終えると同時に、亜夕美は気を失い、その場に崩れ落ちるようにして倒れた。

旭が慌てて駆け寄り、亜夕美を床から抱き起こした。後頭部の血に触れ、旭の顔色は一気に青ざめた。「亜夕美!しっかりしろ!早く救急車を呼べ!」

「亜夕美!芝居はやめろ!ふざけるな!」将臣は彼女が芝居をしていると思込み、睨みつけた。

その様子をみていた警官が見かねて将臣を厳しく叱責した。「人の命がかかってるんだぞ!あんたそれでも夫か!?DVを侮るな。人殺しになれば、あんたたちは刑務所行きだ!」

そんな中、脩太が無邪気に言った。「警察のおじさん、ママのこと信じちゃだめだよ。ママは演技してるの。死ぬわけないから!」

警官は子供の言葉に絶句した。

――この子は、この家の子供か?

親子そろって冷酷非情だな。

このやり取りを見ていた旭は冷たい笑みを浮かべた。

――なるほど、亜夕美が離婚したい理由はこれか。

亜夕美の心情は察するに余りある。

全てを投げ打ってまで探し求めていた「家族」は、とんでもない悪魔の集団だった。

こんな家族、いらないに決まってる。

救急車がすぐに到着し、旭は亜夕美とともに救急車に乗り込んだ。将臣と路加は警察署で事情聴取を受けることになった。

将臣は車に乗り込む際、無意識に救急車の方に目をやった。救急車のドアが閉まる直前、医師の緊迫した声が漏れてきた。「出血多量!!血圧も落ちてる!!ショック状態だ……」

そこでバタン!とドアが閉まり、声も遮断された。

将臣の顔から怒りが消え、代わりに困惑が広がった。

――どういうことだ?亜夕美は芝居じゃなく本当にヤバイのか?

血が少し出ただけだろ?まさかショック状態になるなんて……

路加はそんな将臣の表情に気づき、彼の手を取りながら言った。「だ、大丈夫よ。あの子、昔から体は丈夫だったんでしょ。そう簡単に死なないわよ」

それを聞いた将臣はかすかに安堵の色を浮かべた。

――そうだ、亜夕美は孤児院育ちだ。生命力は雑草のように強い。きっと芝居に決まってる。

記者まで呼んで、どうせ話題作りだったんだろ。

「さあ、乗ってください!」警官に促される。二人はぴったりと体を密着させたまま、車に乗り込んだ。警官は思わず呆れ顔になった。

――金持ちってほんとにクズばっかりだな。嫁が死にそうだというのに、愛人といちゃいちゃするのかよ……

深夜の病院にて。

亜夕美は頭に包帯を巻かれ、真っ白な顔でベッドに横たわっていた。

旭は窓際で電話対応に追われている。そして、ベッドの傍らには弁護士が座っていた。

電話を切った旭が、沈痛な面持ちで口を開いた。「さっきの写真と動画、全部流したよ。君は五年も表舞台から離れてたけど、影響力はまだまだある。見てみろ、君がDVを受けたことがすでにトレンド入りしている」

亜夕美は軽い脳震盪を起こしており、若干のめまいやふらつきが続いていた。

彼女は目を閉じたまま、かすれた声で答えた。「……うん。それで将臣側は、何か反応あった?」

そう言い終えるか負えないかのタイミングで、旭に連絡が入った。「やっぱり……君の予想通りだ。圧力がかかった。ポストやハッシュタグが削除されてる」

こんな簡単に圧力をかけられる人間はそうそういない。

亜夕美は皮肉げに口元を歪めた。驚きは一切なかった。

目を開け、隣にいる弁護士に向って言った。「新しい離婚手続きに向けた書類はもうできてるわよね?」

「はい、できていますが」弁護士は慎重に話をつづけた。「辰川氏はあなたに財産の半分を出す気はないはず。あれを出せば、彼と真正面から衝突することになります」

亜夕美は首を振った。「もうとっくに衝突してるわ」

別に金が欲しいわけではない。ただ、これ以上黙っていることが我慢ならなかったのだ。――自分はここまで譲ったのに、なぜあの二人はまだ私の心を土足で踏みにじってくるのか。

だったら、全員まとめて地獄に引きずりおろしてやる。――体裁?メンツ?もうどうだっていい。私は全てを捨てる覚悟がある。でも、将臣と路加にはそれができるかしら?
この本を無料で読み続ける
コードをスキャンしてアプリをダウンロード

最新チャプター

  • 夫と子を捨てた女、離婚後に世界の頂点に立つ   第 195 話

    車の中。亜夕美は車に乗るなり静樹に尋ねた。「佐武社長、どうして来たんですか?碧唯ちゃんは?私に会いたがっていたのに、どうしてついてこなかったんですか」前に座って運転している陽太は、鼻で息を鳴らし、心の中で「なんて良い質問だ」と思った。2時間前、佐武社長は会議を終えると急遽予定を変更し、全てのスケジュールをキャンセルして、チャーター機で映画村へやってきたのだ。誰が見ても恋愛主義者だと言わないだろうか?陽太は社長のために何か良いことを言おうと思ったが、次の瞬間、バックミラー越しに静樹の視線による警告を受け取り、すぐに口を閉じた。静樹は言った。「碧唯は来れない。ピアノのレッスンがあるから

  • 夫と子を捨てた女、離婚後に世界の頂点に立つ   第 194 話

    数人が食事を半分ほど食べた頃、外でまた騒がしくなった。今度はデザートが届けられたのだ。菜実は外を一周して戻ってくると、顔の表情は虚ろで呆然としていた。「グリボがデザートとコーヒーを配達しているんです」グリボのデザートは毎日数量限定で、高価で少量だ。そこのものを買いたければ事前に予約が必要だが、今、安物のように撮影現場に届けられているのだから、菜実が驚くのも無理はない。保司は、やってくる途中に路加の控え室で見た光景を思い出し、思わず将臣が自分と路加のために場を設けているのだと思った。「辰川社長の奢りですか?」「いいえ」菜実は亜夕美の方を見て、言いたげに口ごもった。亜夕美は心臓がドキリ

  • 夫と子を捨てた女、離婚後に世界の頂点に立つ   第 193 話

    青禾の宴のスタッフが自ら現場で食事を配ると、撮影チームの弁当はたちまち魅力がなくなった。この時ちょうど食事の時間で、撮影チームの皆は暇を持て余して見物に来ていた。青禾の宴は三ツ星レストランだ。そこの出前がないとは言わないが、一般人には全く手が届かないとしか言えない。入店時の最低消費額は8万円からで、水一杯でも数千円する。一般人には最低消費額のハードルさえ越えられない。それが今、2台のケータリングカーで食事を届けているのだから、皆が驚かないわけがない。撮影チームのスタッフは青禾の宴の食事は自分たちには回ってこないと思っていたが、精巧な弁当箱が彼らの手に届けられた。「撮影チーム全員にご

  • 夫と子を捨てた女、離婚後に世界の頂点に立つ   第 192 話

    亜夕美は脇目も振らず二人を通り過ぎた。衣装を着ており、ゆったりとした袖が風になびき、脩太の手の甲をかすめた。脩太は無意識に手を伸ばして掴もうとしたが、掴む前に、伸ばした手は路加に握られた。路加は小声で言った。「脩太、亜夕美さんは今怒っているから、この時刺激しない方がいいわ」脩太は仕方なく手を引っ込めた。亜夕美は菜実を連れて飲食店へ行った。映画村の東には屋台街があり、彼女のように衣装のままで食事を探しに来る人が多かった。亜夕美はテーブルいっぱいに料理を注文し、30分も経たないうちに、二人は満腹になった。菜実は後ろめたく、また自分を責めていた。「亜夕美さん、ごめんなさい。私が役立た

  • 夫と子を捨てた女、離婚後に世界の頂点に立つ   第 191 話

    撮影現場で、亜夕美はB班の金子と喧嘩になった。金子は若い男で、頭に血が上ると、亜夕美を突き飛ばし、軽蔑するように言った。「お前は自分が社長夫人だとでも思ってるのか、それともまだ女優賞を取った女優だとでも思ってるのか?いい気になりやがって!」亜夕美は相手に突き飛ばされてよろめいたが、体勢を立て直すと、手近にあった折りたたみ椅子を掴んで投げつけた!金子は全くの無防備で、まともに椅子を食らい、怒鳴り散らした。「くそっ!てめえ、よくも俺を殴りやがったな……」亜夕美は全く彼を恐れていなかった。小さい頃から喧嘩ばかりしており、その後映画を撮るために山中のお寺に籠って半年以上護身術を学んだ。手を出

  • 夫と子を捨てた女、離婚後に世界の頂点に立つ   第 190 話

    数秒後、静樹の顔が画面に現れた。菜実は社長の絶世のイケメン顔を鑑賞する暇もなく、焦って小声で告げ口した。「佐武社長、辰川社長たちが本当にひどすぎます!」亜夕美がB班の金子と理論している頃、もう一方では、静樹は菜実との通話を終え、会議を一時中断した。「他の者は先に退室しろ。30分後に再開する。陽太は残れ」会議室の全員が次々と出て行った。誰もが自分が遅れると、社長の目の敵になることを恐れていた。数日前、佐武社長が真夜中に家でピアノを弾いたという話が広まって以来、静樹一族の者たちも、会社の社員たちも、皆が身の危険を感じ、誰がまた彼を不機嫌にさせたのか分からなかった。彼らが大敵を前にしたよ

続きを読む
無料で面白い小説を探して読んでみましょう
GoodNovel アプリで人気小説に無料で!お好きな本をダウンロードして、いつでもどこでも読みましょう!
アプリで無料で本を読む
コードをスキャンしてアプリで読む
DMCA.com Protection Status