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第5話

Author: 迷い魚
「もう食べられない。あなたたちで食べて」

そう言って、紗和は立ち上がった。

すると、甘く媚びた声が聞こえた。

「紗和さん、私が何か気に障ることをしてしまったの?誤解しないで。私、海外から戻ったばかりで、すぐに身を寄せる場所が見つからなくて、それで怜央くんに迷惑をかけているだけなの。あなたが嫌なら、私は今日にでも……」

「その必要はない」

怜央が先に口を挟んで、彼女をなだめた。

「莉乃、気にするな。相手にしなくていい」

紗和には分かった。怜央が言いたいのは、彼女が不機嫌であろうと気にする必要はない、彼女の気持ちなど気にかける価値もない、ということだった。

彼らにとって、彼女はただの部外者なのだ。

本当の家族は、彼らのほうだった。

この結婚は、もう終わらせるべきだ。

紗和は寝室へ戻った。

キャリーケースはすでに開けられていた。佐伯は彼女が疲れているのを気遣い、自分から中の荷物を整理してくれていたらしい。その時、紗和が入ってきたことに気づいた。

佐伯は手にしていた封筒を置いた。中身を見てしまったのは明らかだった。彼女は震える手で書類を結び直し、こらえきれずに尋ねた。

「奥様、旦那様と離婚なさるおつもりなんですか?そんな、いけませんよ!」

「どうしていけないの?」

紗和は、自分で思っていたよりもずっと淡々としていた。

「佐伯さん、あなたも思わない?彼と莉乃のほうが、本当の夫婦みたいだって……そうよね。もともと二人は一組だったんだもの。幼なじみで、名家の御曹司と令嬢。そこへ私が突然入り込んで、御堂家の奥様という立場を奪った。だから二人は堂々と一緒になれなかった。でも実際には、二人はとっくに隠れてつながっていたのよ。子どもまで作って……はは、ははははは……」

紗和の笑顔はどんどん歪んでいき、最後には顔じゅう涙だらけになっていた。

本当に、哀れで滑稽だった。

佐伯はそのことを知らず、ひどく驚いた。

「奥様、旦那様と花宮さんにもうお子様がいるとおっしゃるんですか?どこに?」

「遠いようで、すぐ目の前にいるわ。晴翔が二人の子どもよ」

「そ……そんなことがあるはず……」

佐伯の顔色が変わった。

「晴翔は、奥様と旦那様が迎えた養子ではなかったんですか?どうしてそんな……」

紗和は答えた。

「このことは、怜央が自分の口で認めたの」

それを聞いて、佐伯もようやく悟った。なぜ莉乃が、本来紗和のものであるはずの女主人の席に堂々と座り、坊ちゃまとあれほど親しくしていられるのか。

佐伯も胸を痛め、涙を落とした。

「もし本当にそうなら、奥様はあまりにもつらい思いをなさってきたのですね。旦那様はどうしてそんなことを……あの時、奥様がお子様を失った時、どれほどおつらかったか。晴翔の年齢から考えると、旦那様は奥様が妊娠している頃には、もうあの女に誘惑されていたのでしょうね」

紗和はうなずいた。

あの時、流産の痛みを彼女は一人で耐え抜いた。怜央はまるで死んだ人間のように、慰めの言葉ひとつかけなかった。

すべては、初めから兆しがあったのだ。

紗和は佐伯に、荷物をクローゼットへ戻さなくていい、自分で片づけると言った。

佐伯が出ていったあと、怜央が入ってきた。

紗和がキャリーケースの整理で忙しくしているのを見ても、彼は構わず、そのままバスルームへ向かった。しばらくして、紗和はバスルームのドアが開くのを見た。

怜央は暗い赤色のバスローブを羽織っていた。腰のベルトはゆるく結ばれ、胸元からは鍛えられた胸筋と、くっきりとした腹筋のラインが覗いている。

彼は沈んだ目で紗和を見た。

紗和はまるで彼が見えていないかのように振る舞った。しばらくして、怜央がふいに彼女のそばへ歩み寄り、低い声で尋ねた。

「疲れているんじゃなかったのか。どうしてまだシャワーを浴びない?」

紗和には、その言葉の裏にある意味が分かった。

彼は彼女の疲れを気遣っているわけではない。紗和がシャワーを済ませれば、当然のようにそういうことができると思っているのだ。もっとも、浴びなくても彼には関係ないのだろう。紗和が海外で必ずシャワーを浴びてから飛行機に乗ることを、彼は知っている。

力強い腕が、紗和の腰の下へ回り込んだ。片腕で彼女を抱き上げようとしている。

だが紗和は、その腕の中から逃れた。

「私に触らないで」

怜央は彼女の拒絶に気づき、薄い唇をわずかに引き結んだ。

「紗和、まだ怒っているのか?莉乃は海外から帰ってきたばかりで、行くところがないから、しばらくここに泊まるだけだ。まさか、そこまで心が狭いとは思わなかった」

「行くところがない?」

紗和は聞いて、笑いさえこみ上げた。

「この街中のホテルが全部満室なの?それとも彼女は三歳児で、部屋の借り方も分からないの?」

怜央は眉をひそめた。

「莉乃がここに住みたいと言ったんだ。そのほうが静養にいい。彼女はうつ病なんだ。そばに子どもがいれば、少しは楽になる。紗和、もう細かいことを言うな。莉乃はしばらくしたら出ていく。お前に影響はない」

紗和は言った。

「いいわ。でも、そんなに欲しいなら莉乃のところへ行けば?私って十分寛大でしょう。自分の夫に、よその女を抱きに行けって言ってあげているんだから」

怜央の顔色が、一瞬で険しくなった。

紗和がそんな下卑た言い方をするとは思わなかった。

だがすぐに、彼は勝手に理由をつけた。

所詮、紗和は地方育ちだ。幼い頃から品のない言葉を聞いて育ったのだろう。名家の令嬢として何不自由なく育った莉乃とは、品格からして違う。

怜央は怒りを抑えた。

紗和は一時の感情で言っているだけだと分かっていた。夫婦になって何年も経つ。怜央はもう、紗和との感覚に慣れきっていた。

それに怜央は、5年前のあの時から……少し事情があって、莉乃とはもう関係を持っていなかった。

彼はやはり、紗和の身体が好きだった。

柔らかい声で宥める。

「一度だけでいい……」

そう言いながら、紗和へ口づけようとした。

だが紗和はすぐに顔をそむけた。

一度?

たった一度でも、彼女には耐えがたい嫌悪でしかなかった。

彼女は離婚届と協議書を取ろうとしたが、怜央に掴まれた。男の手は大きく、片手だけで彼女の両手をまとめて押さえ込むことができた。

紗和は、自分の身体に顔を埋める怜央を見下ろした。

彼女はただ身をよじって逃れたかった。けれど怜央の手が、彼女の肩をつかんで離さない。

「拒むな」

かすれた声は、呻きに近かった。

「俺を拒むな!」

この時の怜央の表情は、いつもよりずっと見知らぬものに見えた。普段の冷ややかさはなく、まるで熱を帯びた炭のように燃えていた。

怜央の顔には欲の色が濃く浮かび、瞳は熱を帯び、黒目が大きく開いていた。睫毛は黒く濃く、表情には剥き出しの欲望が満ちている。

だが紗和は知っていた。

これは愛ではない。

ただの欲望だ。

愛とは尊重であり、いついかなる時も彼女のそばに立ち、彼女を守ることのはずだった。

彼女は不意に目が覚めたように冷静になり、手を上げて思いきり彼を押しのけた。

押し返されたあとになって、怜央はようやく反応した。ここまで折れてやっているのに、紗和が拒むなど信じられないという顔だった。

二人がにらみ合うように動けずにいた、その時。

慌ただしい着信音が突然鳴り響いた。

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