Masuk恭の首を、裕衣が締めた──。 その言葉を聞いた瞬間、音羽の目の前が怒りで真っ赤に染まる。 (こんなに小さな子の首を……!?殺そうとしたって言う事!?とんでもないわ!) 音羽の体は、怒りでぶるぶると震えてくる。 今すぐにでも玉櫛の家に行き、恭を殺そうとした裕衣をこの手で殺してやりたい──。 そう思った音羽だが、伏見の言葉を思い出す。 (蓮夜が言ってた、感情に呑まれては、駄目……!怒りで感情を乱しては駄目よ……!) それに、自分が手を染めれば。 自分が本当の殺人者になってしまえば、恭に顔向け出来ない。 堂々と恭に自分が母親なのだ、と名乗り出る事が出来ない。 音羽は奥歯を噛み締め、叫び出しそうになるのを何とか耐える。 音羽の怒りが抱きしめられている恭にも伝わったのだろう。 音羽の腕の中からそろそろ、と顔を上げた恭とぱちり、と視線が合った。 恭の目元は赤く腫れ上がり、とても痛々しい。 どれだけ怖かっただろう。 どれだけ辛かっただろう。 それでも、恭は今自分の腕の中にいてくれている。 それが嬉しくて、今は恭が生きててくれている、その事実が嬉しくて音羽は恭に優しく微笑む事が出来た。 「怖かったね、恭ちゃん。だけど、もう大丈夫よ。怖い所に恭ちゃんは帰らなくて大丈夫だからね……」 「本当、ですか……?僕、もうあそこには帰りたくないです……っ」 ぶわり、と瞳から涙を溢れさせ、恭の丸い頬を伝ってぽたりぽたり、と涙が落ちる。 頬を伝い落ちる涙を音羽は優しく拭ってやりながら、優しく柔らかい声で答えた。 「ええ、分かったわ。恭ちゃんが帰りたくないなら、帰らないでいいように頑張るからね」 「──ありがとう、ございますっ、お母さんっ」 音羽の言葉に安心したのだろう。 ようやく恭は少しだけ笑みを浮かべ、音羽に抱きつく。 ぐりぐり、と甘えるように額を擦り付けてくる恭を、音羽は優しく抱きしめる。 そうしていると、ふ、と恭が呟いた。 「……あの女の人が、……言ってたんです」 「うん?恭ちゃんに、何か酷い事を言ったの?」 音羽が恭に優しく問いかけると、恭は顔を上げ、何とも形容詞がたい表情で口を開いた。 「──あの人が、……返してなんてやらないって、息子を失って、絶望しろって……」 「──っ!?」 「僕の……本当のお母さんは、生きているん
「うっ、うわあああんっ!」 「大丈夫、もう大丈夫よ恭ちゃん……」 大声で泣く恭を、音羽は力いっぱい抱きしめる。 縋るように強く抱きつく恭の頭を何度も撫でてやりながら、大泣きする恭を慰める音羽。 「──音羽、恭を連れて部屋に入ろう」 恭を抱きしめる音羽の肩に手を置き、伏見が優しく話しかける。 音羽が頷いた事を確認した伏見は、飯野に顔を向けた。 「飯野さんも一緒に。中で詳しい話を聞いても?」 「ええ、勿論でございます」 飯野は伏見と視線を合わせ、強く頷いた。 彼の瞳には強い意志を感じて、それを受けた伏見も軽く頷いて返す。 「恭ちゃん、抱き上げるね?ちゃんと掴まっててね」 「うっ、……ひっ、ぅんっ」 しゃくり上げつつ、恭は音羽の言葉に頷く。 それを聞いた音羽は、恭を抱き上げて歩き出した。 音羽と伏見が使用している離れにやってきた4人は、未だ泣き続けている恭を音羽が抱き、椅子に腰掛けた。 飲み物を用意した伏見がそれぞれの前にグラスを置き、飯野に顔を向けた。 「──それで、飯野さん。何があったんですか?」 グラスをぎゅっと握った飯野は、苦しそうに表情を歪め、玉櫛の家で起きた事を話してくれた。 「……私も、全体は把握しておりませんが……」 「ええ、それでも構いません」 飯野の言葉に、伏見が頷く。 音羽も落ち着いてきた恭の背中を優しく撫でながら「お願いします」と飯野に告げる。 すると、覚悟を決めたような表情を浮かべた飯野が、口を開く。 「夜、休んでいる時に同僚が私を呼びに来たんです、血相を変えて。同僚も混乱していたみたいで要領を得なかったのですが……坊っちゃまの身に危険が迫っている事が分かりました」 飯野の言葉を聞き、恭の抱きつく力が強くなる。 音羽は「大丈夫だよ」と優しく声をかけ、恭の背中をぽんぽん、と叩く。 「話を聞き、私は坊っちゃまのお部屋に向かいました。駆け付けた時、坊っちゃまの部屋の扉が開いていて……そして、部屋の中には奥様がいらっしゃいました……」 「──ぅっ」 「大丈夫、大丈夫だよ、恭ちゃん」 その時の事を思い出したのか。 恭が小さく呻き、音羽にしがみつく。 恭の体は震えていて、どれだけの恐怖を味わったのだろう、と音羽は苦しくなった。 飯野は怯える恭を気にしつつ、言い淀むような様子を見せたが、それ
伏見の重い言葉と、叱責するような声に音羽はぐっと唇を噛み締めた。 そんな音羽を見て、伏見は抱きしめていた腕を緩めると噛み締めている音羽の唇に優しく触れた。 「……傷が付く。噛むのはやめてくれ」 「──うん、蓮夜……」 少し落ち着いたのだろう。 伏見が腕の力を緩めても、音羽は駆け出そうとはしなかった。 そんな音羽に伏見はほっとした。 冷静になったのだろう。 だが、音羽の瞳には涙が沢山溜まっており、伏見はそっと優しく音羽の目元に口付けた。 「飯野運転手が来たら、ちゃんと話を聞こう。腹が立っても、怒りに乗り込まれたら駄目だ。落ち着くのは難しいと思う。だが、感情に呑まれて暴走したら、胸を張って恭と会えなくなる。……そんな未来、音羽は望んじゃいないだろう?」 「ええ、そうです……。蓮夜の言う通りだわ……。ごめんなさい、興奮して訳が分からなくなりました……」 「そうなるのは分かる。だが、地獄に落ちるのはあいつらだけだ。音羽が付き合ってやる必要は無い」 伏見の言葉にこくり、と頷く音羽。 今はもう落ち着いた様子の音羽に、伏見は安堵した。 手を引けば、大人しく伏見に着いて来る。 「飯野運転手が恭を連れてくるまであと少し時間がある。少し座って待っていよう。水を飲むか?」 「ありがとうございます、蓮夜。飲みます」 「分かった」 伏見は椅子に音羽を座らせ、冷蔵庫から水のペットボトルを取り出す。 グラスに水を注ぎ、音羽に手渡した。 ぐっ、とグラスの中身を一気に煽り、小さく息をついた音羽の隣に座った伏見は、音羽の肩を抱き寄せる。 お互い無言で、ただ寄り添う。 言葉がなくとも気まずさなんて何1つ無い。 音羽の肩を抱き寄せる伏見と、伏見に身を任せる音羽。 2人が暫く無言でそうしていると、ふと伏見が時計に視線を向けた。 「──そろそろ到着する頃だ。外で出迎えよう」 「──はい!」 伏見の言葉に、音羽は強く頷く。 グラスをテーブルに置いて、2人は椅子から立ち上がった。 玄関先までやって来た音羽と伏見。 外は真っ暗で、周囲には誰も通っていない。 夜は車通りも殆どない、静かな場所だ。 2人が表に出て、少し。 真っ暗なこの場所に車の明るいヘッドライトが見えた。 「──っ!」 「飯野運転手の車か?」 光に反応した音羽がぱっと顔を上げる
焦った口調の飯野の言葉に、音羽と伏見はその場から立ち上がった。 明らかに何か良くない事が起きたのだろう。 「──何が起きたんですか!?いや、ひとまず家へ。キャンプの時に来た家の実家を覚えていますか。俺も、音羽もそっちに居ます」 〈お、覚えています……!〉 「なら、すぐに家へ。──恭も、飯野さんも無事ですか?」 伏見の言葉に、飯野は言葉に詰まる。 言い淀んだ飯野に、音羽は嫌な予感がむくむくと湧き上がった。 ぽつり、と飯野が言葉を返した。 〈私は、大丈夫です……。ですが、坊っちゃまが……〉 暗く沈んだ飯野の言葉に、あまり状況が芳しくないのだと言う事が窺える。 音羽は自分の口元を手で抑え、震えていた。 そんな音羽を安心させるために伏見は音羽を抱き寄せると背中を叩いて落ち着かせる。 「──分かりました。詳しい話は家に着いてから。あとどれくらいで着きますか」 〈あと、20分ほどで……〉 「分かりました。焦らず、気を付けて来てください」 〈はい、ありがとうございます……!〉 電話を切った伏見に、音羽は信じられない思いで言葉を紡ぐ。 「恭ちゃん……恭ちゃんに何が……。もしかして、裕衣が?それとも、樹が……!?」 「──落ち着け、音羽。詳しい事は分からない。だが……飯野運転手の焦りようから、ある程度の予測は出来る」 伏見はそこで言葉を一旦切ると、苦しそうに顔を歪める音羽を抱きしめた。 きっとこれから自分が発する言葉は、音羽に衝撃を与えるだろう。 取り乱さないよう、取り乱して怪我をしないように音羽をぎゅっと強く抱きしめる。 「──憶測だが、追い詰められた人間は、その対象を排除しようと極端な思考に陥る事が多い。……恐らく、追い詰められたのは玉櫛 裕衣だ。自分が追い詰められた原因は、恭だ。……恭の誘拐さえ上手くいっていれば、と思ったはず。その原因──恭を排除しようとしたのかもしれない」 伏見の低い声が音羽の耳に届く。 その言葉を聞いて、理解した瞬間音羽はその場から駆け出そうとした。 「──玉櫛 裕衣っ、恭ちゃんに……っ!絶対に許せないっ!私が裕衣を殺してやるっ!」 「落ち着け音羽!感情を乱すな!」 今にも伏見の腕の中から飛び出して裕衣のいる玉櫛家に向かいそうな勢いの音羽。 音羽を逃がさないように、伏見は腕の力を強めた。 「感情
部屋の入口に唖然と立ち尽くす樹。 樹の登場に、裕衣は先程までの興奮状態から一気に真っ青になっている。 飯野は恭を抱いたまま、樹の隣をすり抜けた。 樹は微動だにせず、信じられないものを見るように裕衣を凝視している。 部屋を出た飯野は、自分を追って来たお手伝いさんを見つけた。 お手伝いさんもしっかりと裕衣の言葉を聞いたのだろう。 信じられない、と言う様子でおろおろとしている。 「──すまないが、警察に通報しておいてくれ」 「か、かしこまりました……っ」 泣きそうになりながらしっかりと頷いたお手伝いさんを見て、飯野は迷わず外に向かう。 (このまま、坊っちゃまをこんな所に置いておく訳にはいかない……!このままでは本当に殺されてしまう……っ) 飯野は駆け足で玄関に向かうと、迷いない足取りで車に向かった。 車のロックを解除し、恭を後部座席に寝かせて自分は運転席に回り込む。 ロックをして、焦りつつシートベルトをする。 恐怖に手が震え、いつもはすんなりとシートベルトを出来るはずが、何度も失敗してしまう。 焦りつつ何度目かの挑戦でようやくシートベルトをし、車のエンジンをかける。 アクセルを踏み込もうとした所で、家の玄関が勢い良く開き、中から焦った様子の樹が飛び出して来た。 樹は今にも走り出そうとしている車に気付くと、慌てて駆け寄って来る。 乗っているのが飯野と恭だと分かったのだろう。 引き留めようと手を広げ、口を開いた。 「待て、飯野!恭をどこに連れて行くつもりだ!まさか、音羽のもとじゃないだろうな!?」 車の窓を締め切っていてもはっきりと聞こえる樹の怒声。 だが飯野は樹の質問には答える事なく、アクセルを踏み込んだ。 手を広げ、行く手を阻もうとしていた樹を避けて車の速度を上げた。 「坊っちゃまをここに置いておく訳にはいかない……!伏見さんに連絡をしなければ……!」 飯野はそう叫びながら、伏見の電話番号を呼び出し、電話をかけたのだった。 ◇ 「──飯野運転手だ」 「飯野さん?」 「ああ。こんな時間に何だろうな?」 伏見の実家。 夜、夕ご飯を食べ終わったあと、ダイニングでまったりとしている時間だった。 音羽の肩を抱き、他愛のない話をしていると、テーブルに置いてあった伏見のスマホが震えた。 不思議に思い、表示された名前を
「──あっ、ぅあっ」 「このっ、クソガキさえいなければ……!お前さえ生まれていなければっ!そうすれば私が依頼なんてしなかったのに……っ!」 バタバタ、と恭の小さな足が空中を蹴る。 その間にも裕衣の手の力は増して行く。 ギリギリ、と締め付けられる苦しさに恭の目には次第に涙が沢山溜まって来た。 「くそっ、くそ……っ!あの女に返してなんかやらない!あの女は、大事な息子を永遠に失って絶望しろっ!」 裕衣の叫び声が、意識も朦朧としだしている恭の耳にはしっかり届いていた。 どう言う事──。 恭はそう聞きたいが、息ができなくなり目の前が霞んでくる。 だが、その時。 廊下をドタドタと走る大きな足音が聞こえ、半開きだった扉が物凄い音を立てて開かれた。 「坊ちゃん!!」 飯野の悲痛な叫び声が聞こえた。 恭は聞きなれた飯野の声に「助かった」とほっとした。 だが、安心したからか恭の意識はそこでふつり、と切れてしまった。 ◇ 恭が危ない、とお手伝いさんに呼ばれた飯野は、急いで使用人部屋を出て恭の部屋に駆け付けた。 途中、樹と裕衣の夫婦の寝室の前を通る時、あまりの想像しさに樹が顔を出した。 だが、飯野は説明している余裕もなく、雇い主を無視して恭のもとへ走った。 嫌な予感に逸るような気持ちになりつつ、恭の部屋が見える所まで来た飯野は、部屋の扉が薄っすらと開いている事に気付き、最悪な結果を想像した。 「──奥様!」 叫びながら恭の部屋に転がり込んだ飯野は、信じられない光景を目にする。 裕衣が恭のベッドに乗り上げ、幼い子供を亡きものにしようとしているのだ。 幸い、恭は意識があったのだろう。 飯野が部屋に入るなり、恭の顔が僅かに自分に向いたのが分かった。 その事に安堵した飯野は、突然乱入してきた自分に驚いている様子の裕衣に体当たりをして突き飛ばした。 ドタン!と大きな音を立てて裕衣が床に落ちる。 その隙に飯野は気を失ってしまった恭を素早く抱き上げた。 「──飯野!」 「このまま、坊ちゃまをここに置いておく事は出来ません!!」 「お前っ!待て……!」 裕衣が物凄い形相で立ち上がり、飯野が抱いている恭に手を伸ばす。 飯野は裕衣から距離を取ると、その場から逃げ出そうとした。 「待ちなさい飯野!そのクソガキを寄越せ!殺してやる!」 裕衣は
「──これは、平田さんじゃないですか。こんなところでお会い出来るなんて、奇遇ですね」 口元に薄っすらと笑みを浮かべて穏やかな声で告げる伏見。 だが、その声は穏やかではあるが低く、重い。 そして伏見の口元は笑みを浮かべてはいるが瞳は凍てつくように冷たく、平田を鋭く見つめていた。 数々の女性と浮き名を流してきた平田は、トラブルに巻き込まれる事も多かった。 パートナーがいる女性に手を出す事も多い平田は、男女のトラブルに巻き込まれる事も日常茶飯事だ。 そのため、平田自身体だって鍛えている。 だが、目の前に立つ伏見を見た瞬間、平田は「敵わない」と直感的に悟った。 だが、目の前にいる極
伏見と音羽が階下のパーティーフロアに降りると、参加客達がざわり、とざわめいた。 身長が高く、容姿の整った伏見は遠目からでも人目を引く。 そして、その隣に立つ女性──音羽も、人目を引いた。 音羽は元々ハッと目が覚めるような美人だ。 だが、樹の妻だった時の音羽は化粧っ気はなく、いつも不安そうで、俯いている事の方が多かった。 服装も樹が派手な服装を禁止していたので、音羽はいつも地味で冴えない安物のスーツ姿ばかりだった。 そのため、音羽が会社で働いている頃は、殆どの人が音羽が美人だと言う事に気付いていなかった。 だが、今。 伏見の隣に立つ音羽は、自分に合ったメイクを施しているため、
化粧室でメイクを直した音羽が部屋に戻ると、伏見は先程のソファに変わらず座っていた。 シャンパングラスを傾けていた伏見は、音羽がやって来た事に気が付くと、ちょいちょいと手招きをする。 「蓮夜」 「もう確認した。今日、この店ではある企業がパーティーを主催しているらしい。そのある企業ってのが玉櫛ホールディングスだ」 「玉櫛ホールディングスが……?どうして……」 「最近、玉櫛ホールディングスと取引のあった企業が次々と他社に買収されているからな。これ以上取引先を失わないよう、無駄な抵抗をしてるって訳だ」 ふん、と鼻で笑うように告げる伏見に、音羽は彼の顔をじっと見つめる。 「……もしかし
「──あら。伏見さんの新しいイロかしら?ふふ……伏見さんって年上もいけたのね?」 「い、いろ……?」 彩花の放った言葉の意味が分からず、音羽が困惑するような様子を見せると、目の前にいた彩花は益々笑みを深めた。 そして、再度口を開こうとしたところで──。 「──おい」 伏見の重低音が響く。 たった一言。たった一言発しただけなのに、一瞬にしてその場にぴりっとした緊張感が満ちる。 伏見の声にびくり、と肩を揺らした彩花は真っ青な顔をすると、怯えたように伏見を見上げる。 「何を勘違いしているのか分からないが、お前なんぞと音羽を同列に語るな」 「も、申し訳──」 音羽の腰を抱き、歩