Se connecter結婚7周年の記念パーティー当日。美希は、純一が彼女のためにオーダーメイドしたドレスに着替えた。長い間、ベッドの上で意識を失っていたけれど、彼女の美しさは少しも衰えていなかった。家政婦たちも口々に奥様の美貌を褒めた。美希は、照れくさそうに微笑んだ。これから、純一と晴香と一緒にみんなから祝福されるんだ。そう思うと、嬉しくてたまらなかった。このところ、嫌な記憶が少しずつ消えていくのが自分でも分かった。そのかわり、純一との思い出がゆっくりと蘇ってきたのだ。パーティー会場に向かう途中、運転手が「あっ」と声を上げ、急ブレーキを踏んだ。そこで初めて、美希は車の前に小さな子供が倒れているのに気づいた。ぶつかったのかどうか分からなかったけれど、子供はひどく震えていた。よく見てみると、その子には見覚えがあった。さっきショッピングで会った子供だ。本来なら車から降りずに、運転手に任せるべきだった。しかし、赤く腫れた真司の目を見ると、放っておけなかった。美希はそばに駆け寄って彼を抱き起こした。「大丈夫ですか?」真司の目は一瞬輝いたが、すぐに罪悪感に満ちた表情に変わった。美希が違和感に気づいたときには、運転手はすでに何者かに殴られて気絶してしまった。そして、ある人影が美希の目の前に迫ってきた。「今井さ……」その名前を言い終わる前に、首元に注射を打たれ、美希はすぐに意識を失った。目が覚めると、手術台の上に寝かされていた。青白い手術室の光が、一番恐ろしい記憶を呼び覚ましたようで、美希は思わず震えた。そこへ翔太がゆっくりと部屋に入ってきて、後ろには医師たちがぞろぞろと続いた。「何をするつもりですか?」翔太はうっとりと美希を見つめ、親しげに呼びかけた。「美希、元に戻してあげる」「私は美希なんかじゃないです!」美希は必死にもがいた。「私は平野由理恵で、純一の妻なんですよ!もし私に何かしたら、純一が絶対にあなたを許さないわ!」「お前のためなら死ぬことだって怖くない。あいつを恐れるとでも?」美希の言葉が気に障ったのだろう。翔太の目には隠しきれない怒りが浮かんだが、なんとかそれを押し殺した。「でも美希、もう二度とそんなことを言わないでくれ。俺は悲しいよ。安心して。医者に、ほんの小さな手術をしてもらう
もうすぐ両親の結婚記念のパーティーが開かれるから、晴香は特別に幼稚園を休むことができた。晴香はすぐに美希にべったりになって、一日中そばを離れようとしなかった。美希の喉が渇くと、晴香は急いで水を注いでくれる。美希が出かけようとすると、まるで小さなボディーガードみたいに彼女を守ろうとする。美希が街で歩くだけでも、この小さな女の子は、大真面目な顔で美希を歩道の奥に押しやろうとするのだ。「あぶないから、私がママを守ってあげるの!」美希は思わず笑ってしまった。でも、晴香が自分を失うことをひどく恐れているのが伝わってきて、胸が痛んだ。最近のところ、だんだん鮮明になってきた幸せな記憶とは別に、他の記憶もぼんやりと思い出すことがあった。例えば、自分は昔に、息子がいたような気がするとか。しかし、その子は自分のことが嫌いで、いつも指をさして「寄生虫」と罵るだけだった。ショッピングモールをぶらぶらしていると、目の前に親子らしき二人の姿が現れた。背の高い男性はとてもハンサムで、小さな男の子もその気品のある顔立ちを受け継いでいる。でもなぜか、二人ともひどくやつれているように見えた。まるで、何かとても大切なものを失ってしまったかのようだった。「あの、どちら様でしょうか?」真司は目の前にいる由理恵のことは知らない。なのに、彼女を一目見た瞬間、全身がこの女性に近づきたい衝動に駆られた。その理由は、ただ一つ。由理恵が眉をひそめる仕草が、自分のママにそっくりだったからだ。思わず見とれるくらい、瓜二つだった。とっさに翔太が真司を引き止め、失礼のないようにと注意した。翔太自身の手もかすかに震えていたが、彼はなんとか礼儀を保って自己紹介をした。「今井翔太と申します。こちらは息子の真司です」名家の間には何かしらの利害関係があるものだ。美希はパーティーの招待客リストで今井家の名前を見たことがあったので、特に深くは考えなかった。ただ頷いて「何か御用でしょうか?」と尋ねた。翔太はプレゼントの箱を差し出し、「特別に選んであげたものです」と言った。中身は香水だった。美希はとっさに「すみません、私フリージアのアレルギーなんです」と断った。その言葉に、翔太はプレゼントの箱を握る手にぐっと力を込めた。ここに来る前、翔太は由理恵のこ
翔太は、なんとか一命を取り留めた。胡桃はひどく取り乱して、涙も枯れ果てるほど泣き叫んだ。しかし勇太は、そんな息子に腹を立てた。「お前は今井グループの社長だろう?女ひとりのために死のうとするなんて、情けない!そんなことをしたら世間が今井家をどういう目で見るのか、分かっているのか?俺の顔に泥を塗る気か?」しかし、翔太はただ虚ろな目で天井を見つめるだけだった。世間の評判なんて、本当にそんなに大事なのだろうか?以前の自分は、周りの心ない言葉を信じすぎていた。美希から受けた恩恵に助けられつつも、彼女のせいで男としてのプライドが傷つけられたと、逆恨みして責めていたのだ。あの頃、美希を自分の苦しみの根源だと決めつけていた。そして、言葉で美希を貶め、冷たい態度で彼女の気持ちを無視し続けた。でも、いったい何に苦しんでいたのだろう?あんなちっぽけなプライドのせいにでもしたいのか?初めて会った時から美希のことが好きだったのに。彼女が今井家を救ってくれたせいで、その恩人を恥だと見なすようになったなんて。受けた恩は返すものだと、小さい頃に習ったはずなのに。自分のしたことは、まさに「恩を仇で返す」そのものだった。勇太はまだ不満の言葉を並べ続けた。「もともと、美希が金と権力で今井家に無理やり嫁いだ時から、気に食わなかったんだ。あいつが死んで、ようやく俺たちもこの屈辱から解放される。これは良いことだ。お前はすぐにでも新しい相手を探すべきだ。今井家の助けになるような相手をな……」翔太は、自分の両親の目を見て会話する気にはならなかった。「俺の妻は美希だけだ。今日から、父さんたちが今住んでいる家も取り上げるし、すべての口座も凍結する。金や権力が気に入らないんだろ?じゃあ、それがなくても生きていけるのか、試してみろよ!」そう言うと、翔太は勇太と胡桃の許しを請う声に耳を貸さないで、無理やり二人を部屋から追い出した。ドアの外でしばらく待っていた秘書の浩平は、騒ぎが収まったのを見計らって、急いで病室の中へ入ってきた。「社長、奥様のご遺体が見つかりました」翔太は思わず起き上がろうとした。しかし、そのせいで腕の点滴の針が抜け、薬液が床にこぼれてしまった。逆流した血液と混ざり合い、痛々しい光景が広がった。それでも翔太は痛みなど感じていないかのよう
病院へ運ばれて初めて、彼女が妊娠していると分かった。由理恵と純一の夫婦仲は、かつて江見市の誰もが羨むほどでした。しかしある日、由理恵はロッククライミング中に事故で滑落してしまう。鋭い岩で頭を強く打ち、その場で脳死と宣告された。純一は、そんな由理恵を自宅へと連れ帰った。医師からどんな説明を受けても、純一は決して信じようとはしなかった。「妻は死んでなんかないです。ただ眠っているだけなんです。僕と娘がそばにいれば、きっと目を覚ます。あんなに僕たちを愛してくれた妻が、このまま逝ってしまうはずがありません!」誰もが、純一は正気を失ってしまったのだと思った。由理恵の両親までもが、「由理恵を安らかに眠らせてやってほしい」と純一を説得しに来たほどだった。だが、純一は首を縦に振らなかった。いつもは年上の人を敬い、礼儀正しい彼が、この時ばかりは感情的に動いた。純一は説得に来る人たちを皆追い返し、由理恵のそばで彼女を見守った。それどころか、脳神経を専門とする研究所まで立ち上げた。研究者は純一に言った。「適合する脳神経細胞が見つかれば、奥さんが目覚める可能性は十分にあります。最初のうちはドナーの記憶が残ったままかもしれませんが、体が回復していけば、奥さん自身の記憶が自然と戻ってくるはずです」それから何年も、純一はその研究のためだけに、身を粉にして働き続けた。そして今、ついにその夢は叶った。由理恵が、帰ってきた。久しぶりに妻の口から自分の名前を呼ばれたからなのだろう。純一の目から、一筋の涙がこぼれ落ちた。美希は、思わず手を伸ばすと、そっと彼の涙をぬぐった。まだ記憶は曖昧なままだったが、思わず笑って言った。「せっかく私が目を覚ましたのに、泣かないで?晴香の方がよっぽどしっかりしてるわ」「そうよ、そうよ!」晴香も隣で相槌をうった。でも、その腕はまるで再び目の前の人物を失いたくないかのように、美希を強く抱きしめて離さなかった。「ママはもう大丈夫。絶対にどこにも行かないもん。私、もう怖くないよ!」それからの数日間、美希は手厚くもてなされた。純一と晴香は、昼も夜も美希のそばを離れようとしなかった。晴香は学校へ行くときでさえ、泣きながら家を出るほどだった。出かける前には必ず美希と指切りをする。「ママ、約束だよ。私
実は、美希は目の前にいる、この顔立ちの整っている男に見覚えはなかった。突然、知らないはずの記憶が頭の中に流れ込んできて、彼の名前を自然と口にすることができたのだ。そして、自分のもう一つの名前を思い出した。平野由理恵(ひらの ゆりえ)。かつての平野家の娘で、江見市で一番わがままな令嬢だった。欲しいものは、何でも手に入れた。だから、石田純一(いしだ じゅんいち)を初めて見た時も、パーティーの出席者全員が見ている前で、彼を指さしてこう言ったのだ。「この人が欲しい」と。その頃の純一は、大学を卒業したばかりで、父親から倒産寸前の会社を継いだばかりだった。しかも、母親が体を壊していて、毎年の治療費が信じられないほどに高かった。純一は治療費を払うために借金をしようとした。でも、親戚や友人にいくら頼んでも、誰も助けてくれなかった。このパーティーに参加したのも、他に手段がなかったからだ。まさか、そこで由理恵に指名されるとは、思ってもみなかったのだ。当時、周りの人々は純一をからかっていたけれど、内心では嫉妬で狂いそうだった。由理恵とは、どんな人物か?江見市で最も裕福な家庭で蝶よ花よと育てられたお姫様。おまけに国を傾けるほどの美貌の持ち主だ。そんな彼女を見て、ときめかない男はどこにいるのか?でも、あの性格に耐えられる男もまた、どこにもいなかった。周りの人間は、自分が手に入れられないからこそ、純一にはひどい目に遭ってほしかった。結婚式ですら、純一を指さして笑う者がいた。顔しか取り柄のない男、女に食わせてもらうヒモ、男のくせに女に頼って生きるなんて石田家の恥だと、散々言われた。由理恵のような令嬢が純一と結婚したのは、なんでも話を聞いてくれる犬がほしかったからだと、そのうち浮気されてポイ捨てされるのがオチだと、そんなことも言われた。でも、純一はそんな悪口などにまったく耳を貸さなかった。ただ由理恵の手を握りしめ、まるで世界でたった一つの宝物を見つけたように、嬉しそうにしていた。他人が何と言おうと、関係なかった。彼は一つの事実だけを大事にしていた。一番つらい時に助けの手を差し伸べてくれたのは、由理恵だった。彼女のおかげで石田家の会社は潰れずに済んだし、母も腕のいい医者に診てもらうことができたのだ。由理恵は、人が言うよう
真司も飛びかかり、陽菜の耳を力いっぱい殴りつけた。一瞬、陽菜の耳は聞こえなくなった。恐ろしい耳鳴りが頭の中で鳴り響き、口からは血が溢れた。彼女はぐったりと床の上に倒れ、息も絶え絶えだった。しかしそんな陽菜は、突然狂ったように笑い出した。それは人をあざ笑うような、耳障りな笑い声だった。「『許さない』って?笑わせるわね。美希さんを手術室に追いやったのは私じゃない。移植を強いたのも私じゃないし、がんになったことを言い出せなかったのだって、私のせいじゃない!何をもって私が美希さんを殺したなんて言うの?彼女を殺したのは、間違いもなくあなたよ!そして、あなたの息子もね――」陽菜は、傍らで憎しみを込めて睨みつける真司に視線を移し、口元を歪めた。「真司くんも立派な共犯者よ。わざと美希さんを疲れさせたり、犬に指を噛ませたり、トラックに轢かれて骨折するように仕向けたりね。おもちゃを適当に捨てて、雪山であの女に、一人で探させるようなこともしたわね……全部、私と一緒に過ごすためだったじゃない。ハハハ、真司くん、私のことをゴミみたいに言うけど、事実はあなたのほうが人でなしよ。だから実の母親にさえ平気で手を下せる、馬鹿な息子ね。あなたたち親子に比べたら、私なんて善人よ!」真司はショックのあまりに泣き崩れた。「違う!僕がママを殺したんじゃない!」すべての言葉が翔太の耳に突き刺さった。まるで切れ味の悪いナイフで、心をじわじわと切り刻まれるような感覚だ。抗う気力は、もう残っていなかった。翔太の目に入ったのは、ボディーガードが持つナイフだった。それは本来、陽菜に向けられるはずのものだった。だが、本当に罰せられるべきは、いつだって自分自身だったのかもしれない。人の心を裏切った人間に、生きる資格などない。ナイフの先端が、胸に食い込む。翔太が倒れる瞬間に、周りの人々が慌てて駆け寄ってくる。しかし、彼の目に映っていたのは、ある女性の面影だけだった。「美希!」翔太は力の限り手を伸ばしたが、その女性は振り返ることなく、あっという間に姿を消した。その瞬間、翔太の口からどす黒い血が溢れ出る。薄れゆく意識の中、かつての美希と同じ手術室に運び込まれていった。「患者さんの心拍数が急激に低下しています!」「急いで血圧を上げてください!」