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夫に殺された私に新しい人生が待っていたなんて

夫に殺された私に新しい人生が待っていたなんて

By:  リッチなペキCompleted
Language: Japanese
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5歳の息子・今井真司(いまい しんじ)がまた泣きわめいた。真冬だというのに、プールに落ちたおもちゃを拾ってきてほしいと。しかし、今井美希(いまい みき)はその要求をはっきりと断った。 「真司。わざとママを病気にさせようとしなくていいのよ。安心して。これからはもう真司とパパ、そして黒崎さんの邪魔は絶対にしないから」 真司はまだ幼いながらも、父親である今井翔太(いまい しょうた)の端正な顔立ちを完璧に受け継いだ。彼は眉をひそめて問い返した。 「ほんと?だってママは、すぐやきもちを焼いて怒るんでしょ?いつもみんなを嫌な気持ちにさせるんだもん。陽菜さんと違ってね。僕とパパは、陽菜さんに会うと、すっごく嬉しい気持ちになるんだ」 父も子も、黒崎陽菜(くろさき ひな)のことが大好きなのだ。

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Chapter 1

第1話

5歳の息子・今井真司(いまい しんじ)がまた泣きわめいた。真冬だというのに、プールに落ちたおもちゃを拾ってきてほしいと。しかし、今井美希(いまい みき)はその要求をはっきりと断った。

「真司。わざとママを病気にさせようとしなくていいのよ。安心して。これからはもう真司とパパ、そして黒崎さんの邪魔は絶対にしないから」

真司はまだ幼いながらも、父親である今井翔太(いまい しょうた)の端正な顔立ちを完璧に受け継いだ。彼は眉をひそめて問い返した。

「ほんと?だってママは、すぐやきもちを焼いて怒るんでしょ?いつもみんなを嫌な気持ちにさせるんだもん。陽菜さんと違ってね。僕とパパは、陽菜さんに会うと、すっごく嬉しい気持ちになるんだ」

父も子も、黒崎陽菜(くろさき ひな)のことが大好きなのだ。

そのせいか真司は、これまでにも同じようなことを何度も繰り返してきた。

一度目は、わざと宿題をびりびりに破った。そして美希に徹夜でそれをテープで復元させた。翌日、疲れきった美希が、一緒に天文台の流星群観察へ行けなくなるように。

二度目は、わざと新しいサッカーボールを犬小屋に蹴り入れて、美希に取りに行かせた。美希が3日間飢えさせていた犬に指を噛まれて、一緒に手工体験へ行けなくなるように。

三度目は、わざと道路の真ん中で立ち止まった。トラックが迫る中、美希は考えるよりも先に真司を突き飛ばし、自ら身代わりになった。その結果、足の骨を骨折し、幼稚園の親子遠足に参加できなくなった。

……

そしてつい最近、真司がお守りをなくしたらしく、美希に雪山まで探しに戻るよう泣きわめいた。彼女がなんとかそれを見つけ出した時には、下山用の車はすでに出発してしまっていた。氷点下20度の雪山に一人で取り残された美希は、低体温症に陥り、集中治療室で生死の境をさまよった。

夜になって、夫の翔太が帰ってきた。

すらりとした長身に、黒いスーツとロングコート。腕のあたりがぐっしょりと濡れていても、気品あふれる美しい容姿は少しも損なわれていなかった。

翔太が乗っている高級車には、大きくて立派な傘が備え付けられているはずなのに、彼のコートには雪がかかっていた。

理由は明らかだった。陽菜を車から降ろす際に、傘を彼女の方へ大きく傾けただけでなく、腕を伸ばしてその体をすっぽり覆うように、大切そうに抱きかかえていたからだ。

まるで、自分の宝物を守るように。

陽菜がわざわざ送りつけてきた、彼女と翔太が一緒に映った写真を見れば、翔太が陽菜を見る目に、抑えきれない愛情が溢れていることは、美希にもはっきりと分かった。

もし、翔太が自分の夫でさえなければ、本当にお似合いの二人だった。

翔太はうつむいてコートを脱ぎながら、リビングのテーブルにぽんと薬を置いて部屋の奥へ話しかけた。

「お前のために薬を買ってきた。熱があるんだろ。明日の真司の誕生日パーティーは部屋で休んでろ。もう陽菜には話を通してあるから、彼女がお前の代わりをしてくれる……」

翔太がそこまで言った時、リビングの電気がぱっとついた。

目の前には、普段と何も変わらない様子の美希が立っていた。翔太はとっさに眉をひそめる。「お前……風邪じゃなかったのか?」

美希はうなずいた。翔太の目に一瞬浮かんだ苛立ちと動揺を、見逃さなかった。「てっきり、お前は……だが、もう陽菜に頼んでしまったし、招待状もすでに印刷してある……」

招待状は3日も前に刷り上がっていた。手違いで早く届いてしまい、使用人が開封しているところも見てしまった。その表紙には、翔太と真司、そして陽菜の3人が並んだ写真が使われていた。

使用人ですら、思わずこんな感想を漏らすほどだった。

「旦那様が黒崎様を見る目、すごく情熱的ですね。ぴったり寄り添っているし、これじゃまるで本当の夫婦みたいです。寝室に飾ってあるウェディングフォトとは大違いですよ。まるで他人を見るような表情だし、旦那様なんて奥様のドレスに指一本触れようとしてなかったじゃないですか?」

その言葉を、美希はすぐ後ろで聞いていた。

彼女に気づいた使用人は、その場でクビにされるかもしれないと、心臓が止まるほど驚いてしまった。

しかし美希は、ただ静かな口調で、招待状をしまっておくように言っただけだった。

そして今も、美希はあの時と同じように落ち着いた様子で、静かに翔太の言葉に静かに応じた。「じゃあ、パーティーのことは黒崎さんに任せるわ。ちょうどよかったの。明日は私も、出掛ける用事があるから」

美希が部屋に戻ろうと背を向けた瞬間、翔太にぐいっと腕を掴まれた。

「出掛ける用事?」

翔太は、美希の冷静な、何も気にも留めていないかのような表情を見ているうちに、訳もなく怒りがこみ上げてきた。「真司の誕生日より大事な用事があるっていうのか?」

「私の代わりに黒崎さんが出席と決めたのは、あなたじゃない?」

美希は、つい可笑しくなった。「それに、こう言ったのもあなたよ。お前は独立した一人の人間なんだから、自分のやるべきことを見つけろって。一日中俺と真司の周りをうっとうしくついてくるのは、迷惑でしかないって」

「それは、そういう意味じゃなくて……」

珍しく翔太が動揺を見せたけれど、美希は彼の腕を振り払った。「疲れたの。もう休ませて」

翔太は自分の手のひらを見つめながら、しばらくその場に立ち尽くした。

以前の美希は、確かにうっとうしい女だった。

どこへ行くにもついてくるし、どんな些細なことでもいちいち教えてくる。彼女の電話に出ないと、その後何十回もかけてくる。特に陽菜のことが少しでも絡むと、周りの目を気にせずに騒ぎ出す……

それなのに今日は、陽菜が自分の代わりに息子の誕生日パーティーに出席すると聞いても、何の反応も見せなかった。

あの雪山での一件以来、美希は、まるで人が変わってしまったかのようだった。日に日に痩せていって、体も弱くなってしまったように見えた。

何かが、ひどく不安にさせた。

翔太は思わず美希の後を追った。そして、まるで仕方なく譲歩してあげるとでもいうように、真面目な顔で口を開いた。「パーティーの話はもう決まっているから、変更はできない。だが、お前がどうしても行きたいと言うなら、後ろの方に席を用意してやる」

「別にいいのよ」

美希の返事はそっけなかった。「明日は本当にやることがあるから」

「お前に何の用事があるって言うんだ?」

翔太はついに冷たい表情になった。「雪山の時のことで、まだ怒ってるんだろ?あの時は陽菜がひどい高山病で、急いで下山しなければならなかった。

その後、お前から連絡がなかったのを見て、誰かの車に乗せてもらって帰ったんだと思ったから、迎えに行かなかったと何度も言ったはずだ。いつまでそんなことで、俺を困らせるつもりだ?

小林家はとっくに破産したんだ。お前はもう、あの頃のお嬢様じゃない。もう誰もお前の機嫌を取る必要はないんだぞ!」

そう口にした瞬間、翔太は自分でもさすがに言い過ぎたと感じた。

「いや、そういうことを言いたかったんじゃ……」

実に珍しいことだった。

あの今井グループの社長が、一晩で、同じ女性に二度も自分の言動を反省しようとしているのだ。

しかし、彼の言葉の続きはスマホの着信音に遮られた。

電話の向こうから、陽菜のすすり泣きが聞こえてくる。

どうせ、体調が悪いとか、廊下から変な物音がするとか、そんなところだろう。

翔太はひどく焦った様子で、コートを掴んで外へ飛び出した。

寝室の扉を隔てても、翔太の優しい声色が聞こえてくる。「大丈夫、今すぐ行くから。怖くないよ」

玄関の扉が閉まるのと同時に、美希のスマホが鳴った。

相手は、先日から連絡を取り合っている研究所からだった。

「今井さん、この度は実験のために脳神経細胞をご提供いただき、誠にありがとうございます。手術の準備はすべて整っておりますので、いつでもお越しください」

美希が返事をしようとした瞬間、腹部に激しい痛みが走った。

必死に棚から薬を取り出すと、大量の錠剤を口に放り込んだ。それでようやく、少しだけ落ち着くことができた。

しばらく呼吸を整えた後、静かに口を開いた。「もう、膵臓がんの末期です。どうせ死ぬなら、最後に医学の発展に貢献したい、そう思えば、この人生も無駄ではなかったことになるでしょうから」
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第1話
5歳の息子・今井真司(いまい しんじ)がまた泣きわめいた。真冬だというのに、プールに落ちたおもちゃを拾ってきてほしいと。しかし、今井美希(いまい みき)はその要求をはっきりと断った。「真司。わざとママを病気にさせようとしなくていいのよ。安心して。これからはもう真司とパパ、そして黒崎さんの邪魔は絶対にしないから」真司はまだ幼いながらも、父親である今井翔太(いまい しょうた)の端正な顔立ちを完璧に受け継いだ。彼は眉をひそめて問い返した。「ほんと?だってママは、すぐやきもちを焼いて怒るんでしょ?いつもみんなを嫌な気持ちにさせるんだもん。陽菜さんと違ってね。僕とパパは、陽菜さんに会うと、すっごく嬉しい気持ちになるんだ」父も子も、黒崎陽菜(くろさき ひな)のことが大好きなのだ。そのせいか真司は、これまでにも同じようなことを何度も繰り返してきた。一度目は、わざと宿題をびりびりに破った。そして美希に徹夜でそれをテープで復元させた。翌日、疲れきった美希が、一緒に天文台の流星群観察へ行けなくなるように。二度目は、わざと新しいサッカーボールを犬小屋に蹴り入れて、美希に取りに行かせた。美希が3日間飢えさせていた犬に指を噛まれて、一緒に手工体験へ行けなくなるように。三度目は、わざと道路の真ん中で立ち止まった。トラックが迫る中、美希は考えるよりも先に真司を突き飛ばし、自ら身代わりになった。その結果、足の骨を骨折し、幼稚園の親子遠足に参加できなくなった。……そしてつい最近、真司がお守りをなくしたらしく、美希に雪山まで探しに戻るよう泣きわめいた。彼女がなんとかそれを見つけ出した時には、下山用の車はすでに出発してしまっていた。氷点下20度の雪山に一人で取り残された美希は、低体温症に陥り、集中治療室で生死の境をさまよった。夜になって、夫の翔太が帰ってきた。すらりとした長身に、黒いスーツとロングコート。腕のあたりがぐっしょりと濡れていても、気品あふれる美しい容姿は少しも損なわれていなかった。翔太が乗っている高級車には、大きくて立派な傘が備え付けられているはずなのに、彼のコートには雪がかかっていた。理由は明らかだった。陽菜を車から降ろす際に、傘を彼女の方へ大きく傾けただけでなく、腕を伸ばしてその体をすっぽり覆うように、大切そうに抱きかかえていたから
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第2話
美希は、これまで多くの人に、「役立たずの寄生虫だ」と罵られてきた。夫である翔太も、その一人だった。かつて、今井家は経営危機に陥り、多額の借金を抱えた。ちょうどその時、恋人だった陽菜は翔太を見捨てて海外へ渡ってしまったのだ。その隙を見て、美希は実家である小林家の財力と権力を使い、半ば強引に翔太と結婚したのだ。結婚したその日、翔太はそんな美希を指さし、「家の権力を振りかざして人を脅すことしか能がない女」と罵った。美希は今でもはっきり覚えている。翔太は彼女の手を振り払い、冷たい目で見下しながらこう言い放った。「調子に乗るなよ。小林家が落ちぶれたら、お前は誰かに寄生して生きていくしかなくなるんだろ?」と。まさか、その言葉が現実になるなんて。3年後、小林家は倒産した。美希の人生は、一夜にしてどん底へ突き落とされた。実家を救うために必死で策を練ったけれど、何もかもなくなってしまった美希には、コンドームに穴を開けるという卑劣な手段しか思いつかなかった。そして、思惑通りに身ごもった子供を盾に取り、翔太に小林グループへの支援を約束させた。このことを両親に報告しようとした、その矢先だった。美希の目の前で、世界で一番彼女を愛してくれた二人は、ビルの屋上から身を投げた。足首に飛び散った生温い血の感触は、美希を絶望させるには十分すぎた。その後、美希は重度のうつ病を患った。しかし、薬を飲むことはできなかった。お腹には、まだ赤ちゃんがいるからだ。今の美希には、この子が無事に産まれることを祈るしかなかった。この子がいなければ、翔太はきっと自分を捨ててしまう。それからの十月十日、美希は薬を飲まずに、必死に耐え抜いた。そして、翔太のために息子の真司を産んだ。しかし、彼女は思ってもみなかった。命がけで産んだ我が子が、言葉を覚えて彼女に向かって放った第一声が「ママは寄生虫」だなんて。そしてちょうどその頃に、陽菜が海外から帰国した。翔太は、もはや美希のことがどうでもよくなってしまった。ついに真司という存在が、彼女の全てとなってしまった。だから、美希は真司のわがままは何でも聞いてあげて、必死に愛情を注いだ。この子が、この世界で彼女を愛す最後の一人になってくれることを、密かに期待していた。しかし、月日が流れ、彼女を待って
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第3話
翔太の後ろには、楽しそうに誕生日を過ごした真司と、その真司に手を引かれた陽菜が立っていた。3人はおそろいのデザインの服を着ていて、まるで本当の家族みたいだった。翔太が暖炉の方に目を向けようとしたその時、陽菜が一歩前に出てきて、美希ににっこりと笑いかけた。「真司くんがね、今日はお誕生日だから、私にここに一晩泊まってほしいんだって。美希さんも、構わないでしょ?」美希が断るだろうと思い、翔太は先に口を開いた。彼はイライラした様子美希の言葉を遮ろうとした。「たった一晩だろ。お前は……」「別に構わないよ」美希の表情は落ち着いていて、口元には穏やかな笑みさえ浮かべていた。それを見て、翔太は一瞬言葉を失った。何かがおかしい。美希が、こんなにあっさりと陽菜の要求を受け入れるなんてありえない。いつもの美希なら、大騒ぎするはずだ。それから泣きながら「黒崎さんを家に入れないで。耐えられないわ」と懇願するはずだ。だが、戸惑っている翔太の隣で、真司が嬉しそうに陽菜に抱き着いた。「やった!陽菜さんと一緒に寝るの大好き!パパも一緒に、今夜は、家族3人で同じベッドで寝ようよ!」陽菜はすぐに恥ずかしそうに真司の口をふさいだ。「ごめんなさいね美希さん。真司くんはまだ小さいから、思ったことをそのまま口に出しちゃうの。一晩だけだから、どうか彼を責めないであげてね」言葉の所々に、あからさまな挑発が感じられた。翔太は無意識に美希に目を向けた。美希が泣きわめき始める時にどう対応するか、心の中で準備していた。彼女にかける言葉も頭の中で何度か繰り返した。陽菜はただ真司を可愛がっているだけだから考えすぎるな、と。しかし、美希の表情はやはり穏やかだった。「みんなが楽しそうで、何よりだわ」そう言うと、踵を返して他の部屋に戻っていった。陽菜は、体のラインがはっきりとわかる薄手のネグリジェに着替え、翔太と二人で真司を真ん中に挟み、川の字になってベッドに寝そべった。陽菜が真司にこっそりとウィンクで合図を送ると、真司はすぐにベッドの端のほうへ移動した。「僕、端っこで寝たい。パパ、陽菜さんとくっついて寝なよ!」そう言うと、小さな手で陽菜を真ん中に押しやった。陽菜は驚いたふりをして、そのまま翔太の腕の中に納まった。薄いネグリジェの肩ひもがするりと肩か
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第4話
美希は何も言わなかった。でも、布団の下では、ぎゅっと拳を握りしめていた。翔太は黙ったままの美希を見て、一方的に責め始めた。「お前は毎日、余計なことを考えすぎたせいで体調まで崩したんだ。もう医師に全身の検査を頼んだからな。結果が出たら、その不安定な情緒もちゃんと直せ」翔太にいきなり怒られても、美希は何も言わなかった。翔太の表情が、少しこわばった。いつからだろう?美希が、自分と口をきかなくなったのは。胸の奥の不安が、少しずつ広がっていった。美希に問い質そうとしたその時、翔太のスマホが鳴り出した。電話の相手は、陽菜だった。「翔太、私、熱が出ちゃったみたい……」その短い言葉だけで、翔太の顔色が一瞬で暗くなった。「家にいるのか?すぐ迎えに行くから!」そう言うと、上着のジャケットを手に取り、立ち上がって出て行こうとした。しかし、終わりかけの点滴と美希の青白い顔が目に入り、少しためらった。「陽菜が……」「行ってあげて」美希は落ち着いた顔で、かろうじて身を起こし、ナースコールを押した。「私には医者と看護師さんをいつでも呼べるの。あなたを必要としてるのは黒崎さんのほうでしょ」以前のように、一瞬でも翔太の傍から離れたくないと、毎日彼に甘える美希とは別まるで人のようだった。翔太が陽菜のところへ行くと聞いて、嫉妬で騒ぐこともなかった。まるで、何一つ気にしていないかのようだった。翔太が用意していた説教の内容が、そんな彼女の前で、使い道を失ってしまった。美希は自分に文句を言わなかったのは確かだが、それでも彼は弁解するように口を開いた。彼女に説明した。「陽菜は一人で国内にいて、身内もいないんだ。放っておけないだろ」と。それは事実で、陽菜には頼れる身内がいない。じゃあ、私にはいるというのか?しかし、やはり美希は何も言わなかった。ただ静かに頷いて、「わかってる。早く行ってあげて」と言っただけだった。翔太が何か言いかけた時、陽菜からメッセージが届いた。翔太は美希の顔をじっと見つめると、「すぐ戻るから」とだけ言い残して、早足で病室を出て行った。しばらくして、看護師が病室に入ってきた。看護師は美希の点滴を交換しながら、ため息をついた。「前にご主人にもお伝えしたんですけどね。体調がとんとん悪化してるって、ただ
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第5話
美希は、無理やり自宅に連れ戻され、地下室に閉じ込められた。翔太の命令を受けたボディーガードによって、硬いコンクリートの床に跪かされた。鉄の棘がついた鞭が、容赦なく美希の背中に叩きつけられる。あっという間に、彼女の背中は血まみれになった。しかし、痛いと叫ぶことすらできなかった。美希の口はガムテープで固く塞がれていたからだ。ボディーガードはニヤリと笑いながら美希の髪を掴んだ。「旦那様のご命令で、奥様が痛いって言うまでやめちゃいけないんです。でも、いつまでも黙っているから、こっちがやめたくてもやめられないんですよ」そして、バケツ一杯の氷水が美希に浴びせられた。焼けるような激痛が全身に走る。まるで、生きたまま皮を剥がされるような痛みだった。美希の体は突然、激しく痙攣し始めた。塞がれている口から吐き出せない血が、目や鼻、耳から溢れ出してくる。意識が遠のいていく中、誰かがこちらに駆け寄ってきているのが、ぼんやりと見えた。次に目を開けると、彼女の手を強く握りしめた翔太が隣にいた。「やっと目が覚めたか!」そして、責めるように言った。「ボディーガードから聞いたんだろ?痛いと叫べば、やめてくれるって。なのにどうしてそんなに意地を張るんだ?」美希は、陸に打ち上げられた魚のように弱りきっていた。呼吸さえうまくできていないのに、それでも力を振り絞って、翔太から手を引き抜いた。翔太の手が、行き場をなくして宙に浮いた。今までの美希なら、ほんの少し怪我しただけでも、大騒ぎして甘えてきたはずなのに。それが今では、こんなにも冷たく、わざと距離を置いているような態度を取るなんて。翔太は、胸の奥から再びこみ上げる得体の知れない不安に駆られ、何か確かなものを手に入れたいと必死だった。「明後日の会社の創立記念パーティー、俺と一緒に出席するんだぞ」美希は、ああいう公の場で妻として翔太の隣に立つことが大好きだった。わざわざ美希のために席を用意したんだ。美希が喜ばないはずがない。翔太がそう思った時、真司が怒った様子で部屋に飛び込んできた。「ママは病気なのに、なんでパーティーに行かせるの?陽菜さんが代わりに行くって話じゃなかったの?」その言葉で、美希は、なぜ真司があんな嘘をついたのか、自然と理解できた。美希は静かに目を伏せて、なにも惜
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第6話
会場は一気にざわついた。「今井社長が奥さんを大事にしていないのは知ってたけど、もう公の場で隠す気すらないのね」「ええ。奥さん、あんなに顔面蒼白なのに、今井社長は見向きもしない。なのに黒崎さんを庇って、あんなに必死になるなんてね」「あらあら。今井夫人の座も、もうすぐ別の人に代わるんじゃないかしら」以前なら胸が張り裂けそうになったはずの言葉も、今の美希にはどうでもいいように感じた。この面白く茶番から身を引こうとした美希の前に、陽菜が立ち塞がった。「翔太はもう、みんなの前で私のことを認めてくれたのよ。それなのに、まだ今井夫人っていう立場にしがみついてるなんて、恥を知らないのね」「だったら、翔太に私と離婚させればいいじゃない?」美希は冷たく言い放った。「それができないなら、私の前でピエロみたいに騒ぐのはやめてくれる?」翔太への想いはもう冷めきっていた。それでも、陽菜にここまで馬鹿にされて黙っているわけにはいかなかった。「よく言うね!」美希に舐めた態度を取られて、陽菜は完全に逆上した。すぐ後ろにある深いプールに目をやると、目つきに悪意がにじんだ。「そんなに物分かりが悪いなら、翔太が本当に好きなのが誰なのか、思い知らせてあげる!」無理やり美希の腕を掴んだ陽菜は、勢いのまま後ろへ倒れ込んだ。大きな水しぶきが上がり、二人はほぼ同時にプールに落ちた。「助けて!翔太、助けて!」騒ぎを聞きつけてきた翔太の姿を見ると、陽菜はすぐに助けを呼んだ。翔太は上着も脱がずに飛び込み、陽菜を腕の中に抱きしめた。その時になってようやく、少し離れた場所にいる美希の姿が目に入った。肌から血色が失われているのに、彼女は少しも助けを求めようとはしなかった。「美希……待ってろ。先に陽菜を助けたら、すぐに助けに行くから!」翔太はそう言うと、美希から目を逸らしたいかのように、必死で陽菜を抱きかかえてプールから離れようとした。翔太が陽菜をプールから抱き上げると、陽菜は彼の服を掴んで離さなかった。翔太は腕の中の陽菜をなだめるのに手いっぱいで、美希に構う余裕なんてなかった。その様子を見ていた美希は、ふと笑った。そして、全身の力が抜け、ゆっくりと水底に沈んでいった。朦朧とする意識の中、誰かに手を掴まれた。しかしすぐに、ストレッチャ
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第7話
美希を見送ってから、翔太はずっと陽菜のベッドの傍に付き添っていた。しかし、なぜか心がざわついていて落ち着かなかった。何か悪いことが起きたような、嫌な予感がした。特に、美希が手術室に運ばれる直前の光景が頭から離れなかった。何度も血を吐きながら、自分の手をきっぱりと振り払ったのだ。美希は、子どものころから温室育ちの嬢だった。初めて美希を見かけた時のことは、今でもはっきりと覚えている。場所は、あるパーティー会場の控え室だった。たまたま扉の前を通りかかっただけなのに、甘ったるくて、それでいて無邪気な声に思わず足を止めてしまった。「ハイヒールなんて、歩きにくいだけじゃない。かかとが靴擦れで痛いし、もう履きたくないわ」年配の女性の声がなだめていた。「このあと社交ダンスの時間もありますよ。まさかハイヒールじゃなくて、いつものスニーカーで参加されるつもりですか?」「どうしてダメなの?痛いのは嫌だから、絶対に履かない。それからその耳飾りも、重くて頭が痛くなるから着けたくないわ」それを聞いた翔太は、なんてわがままな子なんだろうと、そんな感想を抱いた。でもやっぱり気になってしまい、ドアの隙間から、こっそり中を覗いてしまった。そして、声の主を見た途端、もう目が離せなくなってしまった。まるで、地上に舞い降りた天使を見ているかのようだった。パーティーで誰もがスニーカー姿のお姫様をダンスに誘うのが恥ずかしいと感じる中、翔太だけは、ためらうことなく手を差し伸べたのだ。そのあとで、翔太はある事実を知った。誰も美希を誘わなかったのは、彼女がこの場にふさわしくない格好をしていたからだけではない。小林家が、この上流社会で誰もが恐れるような、特別な存在だったからだ。もし美希の気に障ったら、人前でも平気な顔で不機嫌な態度を取られる、なんてことはしょっちゅうだった。そんなふうに、公衆の面前で恥をかかされるのは誰だってごめんだ。でもその時だけは、美希は顔を赤らめながら、そっと翔太の手に自分の手を重ねた。美希の肌は透き通るように白く、指は細くてしなやかだった。翔太はパーティーの間ずっと、まるで触れたら消えてしまいそうな雲を抱いているかのように、慎重に美希をリードした。あの夜は、生まれてから一番幸せな時間だったかもしれない。今
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第8話
「誰?」陽菜はぎょっとして声を上げた。しかし、医師が扉の外を確認すると、そこには誰もいなかった。廊下の突き当たりの窓が大きく開かれていて、枯れ葉が数枚舞い込んできただけだった。陽菜はほっとした。しかし、医師はひどくおびえた様子で言った。「黒崎さん、今井夫人が手術中に死んだなんてご主人に知れたら、仕事のクビどころじゃありません。きっと私たちの命まで危ないんです」医師は「私たち」という言葉を強調した。その言葉に含まれた脅しに、陽菜はすぐに気づいた。彼女は少し考えると、口の端を小さく吊り上げた。「何をそんなに焦っているの?美希さんが死ねば、私が『今井夫人』になるのを邪魔する人はもう誰もいなくなる。そうなれば、あなたも何も心配することなんてないでしょ?」医師はきょとんとした顔になったが、すぐに安心して笑顔になった。「それはつまり……」陽菜は医師の耳元に顔を寄せ、囁いた。「私の言う通りにして。そうすれば、あなたをこの病院の院長にして、一生、贅沢な暮らしをさせてあげるわ」翔太はエレベーターの前で、長いこと立ち尽くしていた。美希の病室はすぐ下の階にある。エレベーターのボタンを押してしまえば、簡単に会えるのだ。しかし、エレベーターのボタンに触れた指は、数秒間ためらったまま、結局押せなかった。美希が泣きわめきながら問い詰めてくる様子が、容易に想像できた。「どうして私の腎臓を奪ったの?」と。美希にどう説明するかも、すでに考えてあった。「お前は陽菜を嫉妬して彼女を散々傷つけた。彼女は警察沙汰にすると言っていたが、俺が間に入ったから、お前は捕まらずに済んだんだ。今、陽菜の命を救うためにお前の腎臓が一つ必要なだけだ。当然の結果だろう?お前に断る資格はない」あるいは、腎臓を一つ摘出したばかりの美希を気遣って、もう少し柔らかい口調にすることもできる。最後の言葉をこう変えるのだ。「病院だから、あまり騒ぐなよ」と。しかし、いざ彼女の病室へ向かうとなると、どれだけ心の中で説明の言葉を繰り返しても、どんなに完璧なセリフを用意しても、美希のあの何の感情ない瞳と、向き合える気がしなかった。まるで、自分にはもう何の期待もしていないと、物語っているような目だ。どうして、彼女にそう思われるのか?そもそも、汚い手を使って自分に嫁いだ
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第9話
翔太は状況が飲み込めなかった。医師はまくしたてるように話し続ける。「奥さんは、今井さんが彼女を海外に送ろうとしていることを知ったようで、病室で暴れ出したんです。その後、数人の若い男たちがやって来て、奥さんを抱きかかえて連れ去ってしまいました」医師はそう言いながら、翔太の顔色を伺った。そして、少し躊躇いながら付け加える。「あの男たちは、奥さんと親しい関係にあるようでした。見たところ、まるで……」医師はわざとそこで言葉を切った。言いにくいけれど、事実を告げなければならない、そんな様子で再び口を開いた。「まるで、奥さんの昔の恋人のようで……」「ありえない!」翔太は間髪入れずに否定した。それが、美希がいなくなったという事実への否定なのか。それとも、妻が自分から離れて昔の恋人と逃げたというスキャンダルへの否定なのか。誰にも分からなかった。医師はこの瞬間を待っていたと言わんばかりに、すぐに懐からスマホを取り出した。「奥さんが去る時、監視カメラはすべて壊されてしまいました。ですが、私がこっそり一枚だけ写真を撮っておいたんです」アルバムが開かれる。盗撮されたものだから、画質は粗かった。でも、美希がぐったりと若い男たちの腕の中に身を預けているのが見て取れた。彼女の顔は、満足げに赤く火照っていた。「奥さんは去り際に、何か叫んでいました。はっきりとは聞き取れませんでしたが、こう言っていたようです。『あなたが黒崎さんと不倫してるんだから、私が外で男の人と遊んだって、何が悪いの?』と」そこへ、何も知らないような様子を装った陽菜がやって来る。ちょうどスマホの写真が目に入り、思わず口を覆った。まるで見てはいけないものを目にしたかのように、さっと顔を背けた。「翔太、信じられないわ。美希さんがこんなにわがままな人だったなんて。まさか、何人もの男の人と関係があるとは……ネットで最初に噂を見た時、私は美希さんを庇ってあげたのに」翔太はようやく我に返ったように呟いた。「何だって?」陽菜は手際よく、いくつかのゴシップ記事を調べて見せた。そのすべてが、美希に関するものだった。記事には、美希が外で若い男を囲って、大胆な行為に及んでいることが書かれていた。しかし今までは、美希が今井家の妻であるという立場から、誰も暴露できなかったのだという。しかし今、
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第10話
勇太と胡桃は、返す言葉もなかった。まさか自分の息子が、人前で美希の肩を持つなんて想像したこともなかった。そこへ陽菜が割って入り、場をなだめた。「ご両親、会社のことを心配していらっしゃるのよ。翔太、お二人の気持ちも分かってあげて。やっぱり今回は、美希さんが悪かったんだから」胡桃も頷いた。「そうよ。美希は今井の苗字を名乗っておきながら、とんでもないことをしでかしたわ。これじゃあ、今井家が世間の笑いものよ。それに真司だっているのよ?あんな母親がいるんじゃ、学校でいじめられてしまうわ。ねえ翔太、一刻も早く離婚して、美希との関係を断ち切るべきよ」今のやり取りで、胡桃は陽菜がすっかり気に入ってしまった。かつて陽菜が翔太を捨てて海外へ行った時、自分はどれほど陽菜を罵ったかなんて、もうすっかり忘れてしまったようだ。「やっぱり陽菜さんは良い子ね。話がよくわかるわ。それに、真司も陽菜さんに懐いているんでしょ?これ以上のことはないじゃない?」この言葉を聞いて、陽菜は内心でガッツポーズをした。国内に帰ってきてから、勇太と胡桃に必死に媚びを売った甲斐があったというものだ。でも、このまますべてが思惑通りになると思った矢先に、翔太が口を挟んだ。「離婚はしない。昔から『糟糠の妻は堂より下さず』という言葉がある。日頃から支えてくれた妻に、軽々しく離婚を持ち出すなんて。俺が美希の気持ちを無視して、このまま彼女と離婚するわけないだろ?」胡桃はぐうの音も出なかった。陽菜も、優しく振る舞う余裕がなくなった。なぜ、こんな状況になっても、翔太は頑なに美希と離婚して自分と結婚してくれないのか、まったく理解できなかった。まさか、本当に美希のことを愛しているとでも言うのか?いいや、そんなはずはない。陽菜は、手のひらに爪が食い込むほど、きつく拳を握りしめた。今度は勇太がテーブルを叩いて怒鳴った。「そもそも美希が勝手に事を荒立てたんだろう?浮気して、家出して。今井家はこれ以上、彼女に振り回される必要はない。俺が決めた。1ヶ月以内にあいつが戻ってこなければ、無理やりにでも離婚させる!」その日から、翔太は血眼になって全国を駆け回り、美希の行方を捜した。空港、ホテル、彼女の出入国記録……しかし、どれだけの人を動員し、費用をかけても、美希の足取りは一向に掴めなか
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