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第1104話

Author: 夜月 アヤメ
修の言葉は、曜だけでなく、若子までもが驚かせられた。

彼女は修を見つめながら、複雑な感情を目に浮かべていた。

曜は震える指で修を指差し、言葉を詰まらせた。

「お前......今、何を言った?」

「父さん、もう手放してあげて」

修の声は静かだったが、芯があった。「間違ったのは父さんなんだ。もう取り返しがつかないんだ。無理にしがみついても、ふたりをもっと苦しめるだけだ」

そのとき、不意に修が若子の方を見た。

その視線に、若子は胸を締めつけられるような感覚を覚えた。そして、反射的に目を逸らした。

......もしかして、修の言葉は、ふたりのことを―?

成之が何か言いかけた瞬間、若子は素早く視線でそれを制した。

「今はやめて」と。

成之はその意図を感じ取ったのか、素直に頷いた。

父と息子、ふたりの間に緊張が走る。

重苦しい沈黙のあと、曜が口を開いた。

「これは、俺と光莉の問題だ。お前は俺の息子だぞ。そのお前が、他人の前で夫婦の別れを望むなんて......俺は、お前に失望した」

そう言い残すと、曜は成之に向き直った。

「光莉は、今ほんとに安全なんだな?」

成之はうなずいた。

「ええ、間違いなく安全です。準備が整ったら、彼女は自分で会いに来ますよ」

「......わかった。じゃあ、俺はそれまで待つ。離婚の話も、それからにする」

どれだけ成之と光莉の関係が深まっていようとも、曜にとってはもう打つ手がなかった。自分で壊した関係―心のどこかで、それを理解していたのだ。

浮気をしたのは自分。家庭を壊したのも自分。

今の苦しみは、全部その代償だ。

だから彼は、ただ一つの願いを抱いた。

光莉が―もう一度戻ってきてくれるのなら、いつまでも待ち続ける。

曜の背中は、どこか疲れ切っていた。ふらふらとした足取りで、扉の方へと向かう。

「父さん......」

修が追いかけようとしたが、曜は振り向きもせずに言った。

「......ついてくるな。少し、一人になりたいんだ」

修は、それ以上追いかけることはしなかった。

三人は、曜の背中が遠ざかっていくのを黙って見送った。

「もう、ここまで来たら......お母さんが無事なら、それは何よりです」

若子がぽつりと口を開く。「村崎さん、お邪魔してすみませんでした」

成之は軽くうなずいた。

「じゃ
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